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第三章

あの日

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 翌日、昼過ぎにリンドホルム駅に到着したわたしたちを出迎えたのは、かつて我が家の顧問弁護士であったジェファーソン先生と、ラルフ・シモンズ大尉だった。

 ジェファーソン先生はもともと、真っ白な口髭を蓄えた、針金のように痩せた紳士だけれど、数年ぶりに見ればさらに針金度合いを増していた。足がよくないのか、ステッキに体重を乗せ、弱々しく立っている。

「ジェファーソン先生……! お身体がよくないと聞いておりましたのに」

 三年前、わたしの相続の件で何度も王都まで往復した後、リューマチの持病が悪化して、彼は顧問弁護士の職を辞した。

「ああ、エルスペス嬢……本当に久しぶりだ。いや、最近はまだマシだ。秋は本当にダメで……大奥様の葬儀にも出られず、あの世でお叱りを受ける覚悟だったのだがね」
「……今回はビリーのことでご足労をおかけします」

 わたしが目を伏せれば、ジェファーソン先生は口髭の陰で唇を歪めた。

「いずれは、来るのではないかと思っていた。――わしも、同罪かもしれん」
「先生?」
「早すぎる埋葬を不自然に感じたが、口を噤んだ。――今思えば、それが全てだ」

 歩きだせば、カツン、カツンとジェファーソン先生の杖の音が響く。
 わたしとジェファーソン先生、ロベルトさん、そしてラルフ・シモンズ大尉が一つの馬車に、残りはもう一つの馬車に乗る。

「まず、アーチャーはほぼ、罪を認めています」

 馬車が動き出してすぐ、シモンズ大尉が言った。

「ビリーの食事に毒を混入したことも認めました。毒の出どころはサイラス・アシュバートンだと」

 わたしは息を呑む。

「ですが、サイラスの方は黙秘を続けています。サイラスからダグラスの関与の証言を引き出したいのですがね」
「やっこさん、息子を守るために必死ってこと?」

 ロベルトさんの問いに、シモンズ大尉が頷く。

「おそらく。……今、毒の入手経路を当たってる。計画したのはダグラスだと思うのだが」

 ガラガラと車輪の音が響き、馬車が荒野ムアの脇を走り抜ける。どんより垂れこめた曇り空が広がり、荒野特有の荒涼たる風が通り抜ける。

「今、カッスルは大騒ぎだ。伯爵が拘束されるなんて、前代未聞な上に、警察も出入りして……」 

 シモンズ大尉が言い、ジェファーソン先生も頷く。

「前伯爵の毒殺が疑われているので、現伯爵の不逮捕特権を警察は敢えて無視したらしい。……わしが弁護士だったら厳重に抗議するところだが、幸いにも、もう職を辞しているのでね。静観中だよ」

 ジェファーソン先生が顧問弁護士を退いた後、リンドホルム伯爵としては弁護士を雇っていないらしい。

「ダグラスが弁護士資格を持っているからな。……だが、年末に出掛けたまま、いまだに戻らない」

 わたしはふと気づいて、ジェファーソン先生に尋ねた。

「先生は、ダグラスが昔、勤務していた王都の法律事務所はご存知でした?」
「ん?……ああ、知っているが――」
「あそこが、ジェームズ・アシュバートンの財産も管理していたことも?」

 その話に、ジェファーソン先生はしばらく灰色の目をカッと見開き、杖を両手で掴んで彫像のように動かなかった。

「――なるほど、そういう、ことか……。つまりダグラスは、ジェームズ・アシュバートンの死と、サイラスの継承順が繰り上がるのを、知っていた、ということじゃな?」
「ええ。首謀者がダグラスってとこまで、持っていきたいんすけどねー。……アルバート殿下としては」

 ジェファーソン先生は白い眉を顰める。

「以前、わしのところに聞きにきた件と関わるのかね? 代襲相続の申請について」
「ええ、そうです。殿下がエルスペス嬢と結婚するためには、エルスペス嬢の代襲相続が認められるのが早道なんでね」
「あれはわしにも納得いかん!」

 ジェファーソン先生が吐き捨てる。

「……どうも、法務局内で何か圧力がかかっていたようなのだが……」
「法務局……」
「はじめ、申請が却下されたのがおかしいと、一緒に抗議してくれた官吏がいたのだが、部局を異動になってしまった。どうも上役の気に障ったらしい。悪いことをしたが、彼に話を聞けばもしかしたら……。わしの書斎に戻れば、彼の名刺もまだ、残してあるはずだ」

 ロベルトさんが身を乗り出す。

「それ! お願いします。俺も当たっているんですけど、法務省内の相続に関わる法務局で止まってしまう。そっから上に行けないんですよ。内部に知り合いもいなくて。名刺、後でもらいに行きます!」

 馬車はリンドホルムの城門をくぐり、葉の落ちた並木を抜け、懐かしい城が見えてきた。車寄せのあたりに、警察のマークの入った馬車と、自動車が数台、止まっていた。

 馬車を降り、玄関への石段を登ろうとすると、重厚な扉が内側から開き、執事の正装をした男性が出てきた。

「ジョンソン!」
「お待ちしておりました、お嬢様」

 その時、アーチャーが不在だという事実が、わたしの中にようやく落ちてくる。
 ジョンソンの背後から、スミス夫人も丁寧に頭を下げる。

「お嬢様、お待ちしておりました」
「スミス夫人……アーチャーは本当に……」
「はい。……そしてサイラス様も……」

 そんな会話をしていると、ホールの奥から甲高い声がして、わたしはハッとした。

「エルシー、あんたの差し金でしょう? どういうことなの?」
「待ちなさい、どこに――」

 ダダダと乱暴な足音とともに、赤い髪を振り乱したヴィクトリアが駆け寄ってきて、わたしに掴みかかる寸前で、追いかけてきた警官に止められる。わたしの前には咄嗟に、ロベルトさんとシモンズ大尉が立ち塞がる。

「離して、この女、この女が黒幕よ! 王子を誑かして、爵位を取り戻そうとしているのよ! 見て、あの指輪! 王子に貢がせるだけじゃ気が済まず、爵位まで! とんだ強欲の淫売だわ!」
「ヴィクトリア嬢、見苦しいですぞ」

 ジェファーソン先生が苦々しく窘める。

「なんでよ! 伯爵は伯父様よ! それで次期伯爵はダグラス! あたしはダグラスと結婚するんだから!」
「それはもう、わかったから、そのダグラスの居場所を教えて欲しいんだがね?」
「知らないわよぉ! どうせ、王都の女のところよ!」

 無理矢理、奥へと引っ張っていかれるヴィクトリアを目で追っていると、よれよれのコートに中折れ帽を被った中年男性が近づいてきて、わたしに挨拶する。

「失礼、ミス・エルスペス・アシュバートン? ウィリアム・アシュバートン卿の姉上の?」
「……ええ、そうです。ええと?」
「私はリンドホルム警察の、エヴァンズ警部です。弟さんと思われる遺体から毒物が検出されたのは、お聞き及びと思います。当初の届け出と食い違うので、検死審問インクエストを開かなきゃなりません。お話をお伺いしても?――いえ、形式的なものでして」

 もちろん、覚悟していたので頷いた。

「……弟の遺体の確認も必要ですか?」
「いえ、それは、すでにこの城の執事のジョンソンと、家政婦のスミス夫人にお願いしまして、確認が取れました。若いお嬢さんには少々――」

 気を使ってくれたのだと知り、わたしは礼を言う。
 玄関ホールのソファで受けた簡単な事情聴取。あの日、食卓を囲んだ顔ぶれと、食事のメニューについてだった。

「食卓にいたのは?」
「ビリーとわたし、祖母、そしてサイラスおじ様と、ジェーンおば様です」
「ダグラス・アシュバートンは?」
「……おばあ様がダグラスとヴィクトリアを嫌っていて……その、食事のマナーが気に入らないと言って、よほどのことが無い限り、招待はしませんでした」
「給仕はアーチャーで?」
「ええ。それからスミス夫人も」

 わたしはあの日の記憶を辿る。……アーチャーが給仕をしたから、ビリーに毒を盛るのも簡単だ。

「メニューは憶えていますか?」
「ええと……はじめ、ビリーは食中毒だと思ったんです。最初に疑われたのは、マッシュルーム入りの、カレー風味マリガトーニスープでした。でも、わたしもおばあ様も、皆な問題なくて。それで次に、アレルギーかもしれないって。あの日は小エビの瓶詰ポッテッド・シュリンプを乗せた、カナッペが出たので、海老じゃないかって。それらしい食材が海老くらいで……」
「海老はよく食卓に出たのですか?」

 わたしが頷いた。

「祖母は小エビの瓶詰ポッテッド・シュリンプが好物でしたから。……あれ以来、食べなくなりましたけれど」

 祖母はストラスシャーより西のアーリングベリという街の出身で、割と海に近い。ニシンの燻製キッパード・ヘリングやムール貝の油漬けなどが好きだった。

「つまり、具合が悪くなったのは弟さんだけだったので、アレルギーとの診断を信じたのですね」
「まさか、毒を入れる人がいるなんて、想像もしません。ビリーは大変な苦しみようで……その様子に祖母の心臓が悲鳴を上げて、わたしとジョンソンで、祖母を部屋まで連れて行って、そちらの介抱も大変で。ビリーは主治医のサイラスおじ様が付いているから、大丈夫だと思ったのに」

 わたしは思わず両手で顔を覆う。
 サイラスやアーチャーが毒殺犯だったら、そんなところにまだ息のあるビリーを一人、残していくなんて。どんなに苦しかっただろうか。最後まで側にいるべきだったと、後悔してもしきれない。
 わたしの様子を見て、エヴァンズ警部が立ちあがる。

「……明日かもしかしたら明後日になるかもしれませんが、リンドホルムの公会堂で検死審問を行うことになると思います。近親者で、当日に居合わせたあなたにも、証言を求めることになりますので、お願いします」
「わかりました」 

 わたしも立ちあがって握手を交わす。エヴァンズ警部の目が、左手薬指のサファイアに釘付けなのを見て、指輪をしてきたのは失敗だったと思う。

「……ジェーンおば様はどうしてますの?」

 わたしがさりげなく、右手で指輪を隠すようにして尋ねれば、エヴァンズ警部が肩を竦めた。

「サイラスを逮捕したときに、錯乱しましてね。警察官を数人派遣して、部屋に監禁中です。……暴れて大変だったんですよ」
「暴れる?」
「ええ、罵詈雑言やら呪詛の言葉やら吐いて……陰謀だ! 自分は伯爵夫人だ、無礼者!地獄に堕ちろ!……みたいな。芝居でも見ているようでしたね」

 わたしは思い切って、エヴァンズ警部に尋ねてみた。

「……サイラスおじ様が犯人だと、疑っていらっしゃる?」

 エヴァンズ警部が青い目を見開いて頷いた。

「ええ。実行犯ではないにしろ、関わっているのは確実です。明らかに毒物が疑われる状況で、虚偽の死亡診断書を書き、あまつさえ、自らが爵位を継承する。誰が見てもクロですよ」
「ジェーンおば様も関わっていたってこと?」
「あの暴れようを見ると、疑わしいですなあ。……案外、息子と一緒になって、夫を焚きつけたかもしれないですよね。おっと、これ以上は言えないですな」

 エヴァンズ警部は慌てて口を噤み、せかせかとした足取りで去っていった。
 
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