上 下
143 / 190
第三章

絵入り新聞

しおりを挟む
 翌日、とある王都の三流ゴシップ紙が、王妃が第三王子の邸に押しかけ、彼の愛人の前で醜態を曝した、という記事を写真付きで報じた。

〈王妃狂乱――アルバート王子の愛人の前で暴れるエレイン王妃〉

 そんな見出しで、ゴシップ紙は面白可笑しく、王家の醜聞スキャンダルを書き立てる。

〈突如、王太子妃を引き連れてやってきた王妃は、〈愛人〉アシュバートン嬢を罵倒し、物を投げつけて暴れた。なすすべもなく怯える愛人〉

 そんなキャプションのついた白黒モノクロームの写真は印刷ですっかり潰れているが、黒い、時代遅れの喪服を着た小柄な老女が何やら動く姿を示し、隣に愛人を睨みつける老婆と怯える若い女の、ペン画の風刺漫画カリカチュアが添えられていた。

 発行部数も少ない三流紙の特ダネは、翌日、わたしが正式に警察に被害届を出して王妃を告発したことで、一気に火が付いた。

 次男の葬儀の最中、姪のレコンフィールド公爵令嬢を身近に寄せ、三男のアルバート王子の婚約者として遇しようとしたが、婚約の無効を申し立てているアルバート王子は拒否した。それに腹を立てた王妃は、翌日、王子の邸を急襲し、邸に滞在中だった愛人のアシュバートン嬢に狼藉を働いた。やってきたのが王妃と気づかなかったアシュバートン嬢は警察に通報し、被害を届け出た――。

 王家はすぐに声明を発し、次男の長い病と死、そして三男の結婚問題に心を痛めた王妃は、心身耗弱こうじゃく状態にあり、アルバート王子の邸で錯乱状態に陥ったと認めた。王妃はしばらく、聖カタリーナ修道院内で療養とカウンセリングを受けると。
 
 暴力行為に関しては、王家から謝罪を受け、また息子を失ったばかりの王妃陛下の情状を酌量して、裁判にせず示談で済ませ、慰謝料を支払ってもらうことで訴えを取り下げた。
 別に本気で、王妃を牢に入れるつもりはなく、どちらが加害者で被害者か、国民全体にわかる形ではっきりさせればよかった。――王妃を法廷に引きずりだしたりすれば、かえってわたしが批判の的になってしまう。

 王家は、王妃が戦争遺族であるわたしをを侮辱したことを重くとらえ、戦争未亡人・遺族の救済基金に、王妃の個人資産よりかなりの額を拠出すると発表した。

 要するに、わたしの主張はほぼ裏付けられ、王妃は実刑こそ免れたが、修道院内に実質軟禁されることになったのだ。
 
 王都の新聞や雑誌は連日、王妃の醜聞スキャンダルと王家の結婚問題について論じた。

 戦前からの婚約者で、王妃の姪でもある、大貴族の令嬢か。
 あるいは、王子を命懸けで守って戦死した恩人の娘で、没落した伯爵令嬢か。

 当然ながら、わたしが爵位を失った経緯いきさつも事細かに報じられている。

 戦死者に娘しかいない場合、原則として代襲相続は認められる。数か月でも幼い弟が継承したことで、戦死者の特権が消えたと考えられたせいか、あるいは申請時に不備があったのか。

 アルバート殿下の結婚について、王都の市民の意見は真っ二つに割れた。
 上流階級の婦女子も多くが愛読する絵入り新聞イラストレイテッド・ニュースには、読者からのさまざまな投書が寄せられた。
 
 やはり上流の女性たちの間では、戦争中もけなげに殿下の帰りを待ち続けた、レコンフィールド公爵令嬢への同情が強い。

〈レコンフィールド公爵令嬢には同情せざるを得ません。アルバート殿下はあまりに薄情だと感じます。幼馴染で仲も睦まじく、戦争中もただひたすら、殿下のお帰りを待ったのに、戻ってきたら紙屑のように捨てられるなんて、あんまりです。このままいけば、アルバート殿下が国王に即位なさるかもしれない。そうなった時、王妃にはやはり、家柄身分教養ともに非の打ちどころがない彼女の方が相応しいと思う。殿下が王族のとしての責任と、昔の愛情を思い出すのを祈るばかりです。女性・匿名希望〉

 その一方で、戦争で父を失い、さらに弟の死によって爵位も領地も失い、王都で事務員をしていた、というわたしに同情する女性たちもいる。

〈愛人のミス・アシュバートンは身分が低いと言われるけれど、元は伯爵令嬢だったんでしょう? 父親は王子殿下を庇って戦死したのに、娘が没落していたら、手を差し伸べるのは人として当然よ。レコンフィールド公爵令嬢は王都で待っていただけで、別に苦労はしていない。一方の彼女は経済的にも困窮していたのだもの、王子殿下が責任を感じて当たり前だし、そこから恋に発展したなら素敵だわ。身分第一の政略結婚なんて、時代遅れよ。愛する人結婚したいと言う、王子殿下を応援するわ。 女性・匿名希望〉
 
 わたしはオーランド邸の居間の暖炉の前で、一人がけのソファに腰かけて絵入り新聞イラストレイテッド・ニュースの投書欄を読む。さすが上流の女性たちだけあって、わたしのことを娼婦だの淫売だの、罵ったりはしない。――ヴァルターさんもジュリアンも絶対に見せてくれないが、場末の三流紙には、かなり下品で卑猥な罵り文句が並ぶこともあるらしい。

 絵入り新聞に投書を送る人の中にはもちろん男性もいるのだが、はっきり言って、男性の意見はくだらないものが多い。

〈レコンフィールド公爵令嬢は気の毒だが、個人的にアルバート殿下の気持ちはわかる。好みの問題かもしれないが、アシュバートン嬢の方が美人だ。やはり男の目から見て、妻は美しい方がいい。 男性・匿名希望〉

〈僕はレコンフィールド公爵令嬢のような小柄で愛らしいタイプが好みで、アシュバートン嬢のような氷人形アイス・ドールは趣味じゃない。でも、王子殿下が彼女が好きだと言うなら、公爵令嬢は正妻にして、アシュバートン嬢は公妾にすればいいと思う。 男性・匿名希望〉

 誰も、その人の好みのタイプなんて聞いていないのに、馬鹿じゃないのかしら。妾にしろとかふざけているし。男性の意見は不愉快なものが多いので、女性からの投書を重点的に見ていく。

 しゅうとめに当たる王妃が、自身の姪のステファニー嬢を推し、わたしを排除しようとした結果、嫁姑問題に悩む王都の女性たちも、王子の結婚問題に興味を示した。

〈王妃陛下のなさりようはあまりですが、お気持ちはわかります。わたくしも息子が爵位を持たない商家の娘と結婚すると言い出した時は、心臓が潰れるような気持ちになったものです。人が平等などというのは、建前に過ぎません。神や国家のさだめた身分は大切なもの。王妃陛下が末息子の結婚相手に、身分の高い令嬢を望むのは当然です。
 女性・匿名希望〉

〈まだ嫁にもなっていない相手に、自分から乗り込んでいくなんて、いくら何でもやりすぎです。彼女が警察を呼ぶのは当然だわ! わたしでも絶対呼ぶもの! 身分がどうこう言うけれど、要するに王妃は自分の姪を王子妃にしたいだけじゃない。息子の気持ちを無視した行い、うちの姑にソックリ。いつか天罰が下ればいいのに! 女性・匿名希望〉

 なかなか過激な意見もあって、つい笑ってしまう。

 暖炉の前では、ユールが自分の尻尾を追いかけて、グルグル一人で回っている。シャーロット嬢はかなり大物の刺繍が佳境に入っている。……結婚後の新居の、クッション・カバーだとか。結婚式は六月の予定だと言うのに、気が早すぎないか。エヴァ嬢といい、シャーロット嬢といい、妙に先走るタイプが多過ぎる。

 そんなことを思いながら、わたしは絵入り新聞をテーブルの上に戻し、別の、大手の一流紙を手に取る。――この新聞社の株のかなりの部分を、殿下が購入して傘下に入れていると聞いた。

〈愛するアシュバートン嬢との結婚を議会に認めさせるため、アルバート王子は彼女の弟・亡きウィリアム・アシュバートン卿の急死についても、調査をすすめているらしい〉

 そんな記事に、わたしがつい、眉を顰める。――これは、秘密裡に行っていたのではなかったの? 新聞に出てしまっていいのかしら。

 そんな報道が出た、数日後。

 その日、殿下はオーランド邸にいて、マクガーニ夫妻と娘のアグネス、それから息子のアレックスを招いていた。本来、年明け早々に招待する予定が、ジョージ殿下の逝去でのびのびになっていたものだ。ジェニファー夫人は安定期に入って、だがまだお腹も目立たず、傍目には妊娠に気づく人はいないだろう。アグネスは真っ先にユールに飛びつき、がっしと抱き込んで離そうとしない。

「かわいい~! いいな、わたしも欲しい!」
「きゅ~ん」

 身動きを封じられたユールが哀れっぽく救けを求めるが、アグネスは気にもしない。

「アグネス、可愛いのは今だけだ。その犬種はでっかくなるぞ?」

 アグネスを注意する、兄のアレックスは十六歳。休暇はもうすぐ終わり、来週にも寄宿舎に戻るのだと言う。何となくだが、ジェニファー夫人に対し、腰が引けている。――もともと自分の家庭教師ガヴァネスだった女性が、いつの間にか父親と恋に落ちて後妻になったら、微妙な年頃だし素直になれないかもしれない。

 その日は昼餐ちゅうさんを囲み、午後のお茶まで歓談する予定で、メイヴィス夫人が丹精込めた料理の皿が並ぶ、テーブルに向かう。殿下とわたし、マクガーニ夫妻とアレックス、ジェニファー、そしてカーティス大尉とシャーロット嬢。
 今日の料理、メインは鹿肉のステーキに、港町発祥のカレン・スキンクというスープ。鱈の燻製とジャガイモをミルクで煮たもので、アサリや人参も加わっている。他は豆のサラダ、ウサギ肉のプディング。食べ盛りのアレックスと、栄養が必要なジェニファー夫人のためにたっぷりと準備された。

 和やかな会話が食卓に繰り広げられる。殿下はアレックスの勉強について尋ね、わたしとシャーロット嬢は、アグネスとピアノの教本の話をした。

 昼食が終わって、殿方はシガー・ルームで煙草を、女性と子供たちは、ピアノのある音楽室でピアノを弾く。アレックスが意外にピアノが上手くて驚いた。新大陸の方で新しく生まれた、ラグタイムという曲だそうで、初めて聞く軽快なリズムに、アグネスが踊り、その周囲をユールが駆け回る。
 新しもの好きの殿下が好みそうだ。

「あっちではジャズっていう、黒人の音楽が流行り始めているんだそうです」

 そんな話をしているところに、呼び鈴が鳴って、ジェラルド・ブルック中尉がオーランド邸に駆け込んできた。
 
「リンドホルムの、ラルフから電報です。奴らが動いたと」
「何があった」

 ジェラルド・ブルック中尉はわたしと、それからジェニファー夫人やアグネス、そしてシャーロット嬢を見た。

「……女性のいるところでは……」
「……ビリーを殺した犯人について、進展があったのですね」

 わたしはジェニファー夫人らにはこのまま音楽室にいてもらい、居間に移動した。
 先に電報を読んでいた殿下が、立ち上がってわたしに歩みより、言った。

「エルシー、落ち着いて聞いてくれ。昨夜、ビリーの墓が墓あらしに遭った。予想はしていたので、見張りがすぐに曲者を捕らえたのだが……その中に、リンドホルム城の執事、アーチャーがいた」

 毒殺の証拠隠滅に、犯人がビリーの遺体を奪いに来るのは予想されていて、特務はそれを張っていた。網にかかったのはつまり――。
  

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

彼氏に身体を捧げると言ったけど騙されて人形にされた!

ジャン・幸田
SF
 あたし姶良夏海。コスプレが趣味の役者志望のフリーターで、あるとき付き合っていた彼氏の八郎丸匡に頼まれたのよ。十日間連続してコスプレしてくれって。    それで応じたのは良いけど、彼ったらこともあろうにあたしを改造したのよ生きたラブドールに! そりゃムツミゴトの最中にあなたに身体を捧げるなんていったこともあるけど、実行する意味が違うってば! こんな状態で本当に元に戻るのか教えてよ! 匡! *いわゆる人形化(人体改造)作品です。空想の科学技術による作品ですが、そのような作品は倫理的に問題のある描写と思われる方は閲覧をパスしてください。

鋼の殻に閉じ込められたことで心が解放された少女

ジャン・幸田
大衆娯楽
 引きこもりの少女の私を治すために見た目はロボットにされてしまったのよ! そうでもしないと人の社会に戻れないということで無理やり!  そんなことで治らないと思っていたけど、ロボットに認識されるようになって心を開いていく気がするわね、この頃は。

【完結】愛とは呼ばせない

野村にれ
恋愛
リール王太子殿下とサリー・ペルガメント侯爵令嬢は六歳の時からの婚約者である。 二人はお互いを励まし、未来に向かっていた。 しかし、王太子殿下は最近ある子爵令嬢に御執心で、サリーを蔑ろにしていた。 サリーは幾度となく、王太子殿下に問うも、答えは得られなかった。 二人は身分差はあるものの、子爵令嬢は男装をしても似合いそうな顔立ちで、長身で美しく、 まるで対の様だと言われるようになっていた。二人を見つめるファンもいるほどである。 サリーは婚約解消なのだろうと受け止め、承知するつもりであった。 しかし、そうはならなかった。

会計のチャラ男は演技です!

りんか
BL
ここは山奥に作られた金持ちの学園 雨ノ宮学園。いわゆる王道学園だ。その学園にいわゆるチャラ男会計がいた。しかし、なんとそのチャラ男はまさかの演技!? アンチマリモな転校生の登場で生徒会メンバーから嫌われて1人になってしまう主人公でも、生徒会メンバーのために必死で頑張った結果…… そして主人公には暗い過去が・・・ チャラ男非王道な学園物語

でしたら私も愛人をつくります

杉本凪咲
恋愛
夫は愛人を作ると宣言した。 幼少期からされている、根も葉もない私の噂を信じたためであった。 噂は嘘だと否定するも、夫の意見は変わらず……

ヤンデレ・メリバは好きですか?

紅月
恋愛
「ヤンデレ、メリバは好きですか?」 そう聞いて来た白い髪の神様に向かって、私は 「大っ嫌いです。私はハピエン至上主義です」 と、答えたらちょっと驚いた顔をしてから、お腹を抱えて笑い出した。

珈琲のお代わりはいかがですか?

古紫汐桜
BL
身長183cm 体重73kg マッチョで顔立ちが野性的だと、女子からもてはやされる熊谷一(はじめ)。 実は男性しか興味が無く、しかも抱かれたい側。そんな一には、密かに思う相手が居る。 毎週土曜日の15時~16時。 窓際の1番奥の席に座る高杉に、1年越しの片想いをしている。 自分より細身で華奢な高杉が、振り向いてくれる筈も無く……。 ただ、拗れた感情を募らせるだけだった。 そんなある日、高杉に近付けるチャンスがあり……。

彼女の母は蜜の味

緋山悠希
恋愛
ある日、彼女の深雪からお母さんを買い物に連れて行ってあげて欲しいと頼まれる。密かに綺麗なお母さんとの2人の時間に期待を抱きながら「別にいいよ」と優しい彼氏を演じる健二。そんな健二に待っていたのは大人の女性の洗礼だった…

処理中です...