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第三章

オーランド邸

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 ビリーの次の継承権者だった、ジェームズ・アシュバートン。父の従兄の息子で、一、二度はリンドホルムにも来たことがあると言う。彼の父親は南部で、工場を経営する実業家の娘と結婚し、その事業を拡大した、産業資本家だ。息子のジェームズはその財産を受け継いだものの、工場経営は性に合わないと軍隊に入り、先の大戦で東部戦線に赴き、命を落とした。

 ジェームズ・アシュバートンが父方の祖父から継承した資産の、ほぼ半分ほどを、王都のリーマンロッド法律会計事務所が管理していた。ジェームズの戦死の報せは、その事務所にはいち早く知らされたが、もともと縁の薄かったリンドホルムのアシュバートン本家への知らせは、うんと後回しにされた。父やジェームズが戦死した頃は、西武も東部もわが軍の戦況は最悪で、本国との連絡も混乱していたせいだ。

 結果的に、ジェームズ・アシュバートンの戦死の報せは、ビリーが死に、わたしの代襲相続の請願が却下されるとほぼ同時に、リンドホルム城にもたらされたが、あの頃の記憶はあいまいだ。ビリーの死と代襲相続の却下で、カッスルは大混乱に陥っていたからだ。
 ――だが、ダグラス・アシュバートンは、ジェームズ・アシュバートンの戦死を知っていたならば――。

「サイラスも、当然知っていたと考えるべきだろうな」

 殿下の言葉に、わたしは打ちのめされる。
 サイラスがビリーを殺すはずがないという、わたしの主張が根底から覆される。

「でも――」

 わたしは、ほとんど声にならない声で呟く。

カッスルの誰もが、たぶんサイラスおじさまだって、わたしの代襲相続が認められると信じていました……」

 殿下はわたしを抱き寄せ、頭頂部にキスをして言った。

「いずれにせよ、ビリーの遺体は司法解剖に回す。……ビリーの眠りを妨げることになるが、罪を明らかにしなければ、ビリーも、マックスも、そしておばあ様だって眠れないだろう。必要なことなんだ。エルシー、堪えてくれ」

 やはり、ラルフ・シモンズ大尉に命じたのは――。
 わたしは殿下の胸に顔を寄せ、目を閉じる。胸の中に抱き込んだ、ユールのぬくもりが暖かい。






 昼前に、ロベルトさんと別れ、わたしたちは馬車で、王都の西郊外のオーランド邸に移動した。

「この年越しは嵐になるかもしれませんよ?」

 馬車に荷物を積み込みながら、灰色の空を見上げてジュリアンが言う。

「俺はこちらのアパートメントの片づけを済ませてから、夕方ごろにオーランド邸に向かいます」
「すまんな、急なことで」
「年越しの夜におふくろを一人にできないんで、今夜はノーラの家族のところに送っていきます。こちらこそ、わがままを言って申し訳ありません」

 ジュリアンが律儀に謝るのに、殿下が手を振った。

「いや、アンナは俺の恩人でもある。こちらこそ、すまんな」

 寒々とした王都の大晦日をあとに、わたしたちはオーランド邸に入った。






 執事のヴァルタ―さんの出迎えを受け、わたしは殿下の部屋の、続き部屋に案内される。――要するに女主人の部屋だ。ただの愛人なのにいいんだろうか?

 この邸には上級メイドがおらず、料理人とハウスメイドのみなので、畏れ多くもヴァルターさん自ら、わたしの荷物の当座の荷ほどきをしてくれる。自分でやると言ったのだが、にっこりと、だが強固に断られた。

「使用人の仕事を奪ってはなりません、ミス・アシュバートン」
「でも、わたしはただのですし」

 本当は愛人と言いそうになったのだが、辛うじてやめた。ヴァルターさんは言う。

「殿下はミス・アシュバートンのことを、奥様と同様に扱うように、とご命令を下されました。使用人の本分として、それに従うまでのことでございます」
「でも、あなたは昔から殿下に仕えていらっしゃった。レコンフィールド公爵令嬢とのことも、当然、ご存知なわけで――」
「ええ、もちろんです。もっと言えば、殿下の乳母であった、ミズ・ベルクマンのことも存じておりますよ」
「ローズも?!」
 
 わたしは思わず驚いて腰を浮かす。――こんな身近に、生きているローズを知っている人がいるなんて、気づかなかった。
 わたしのドレスをかけたハンガーを手に、ヴァルターさんが笑う。

「ええ、殿下より、ミス・アシュバートンはローズの縁者であるとお聞きしております。私はローズの殿下への献身ぶりも、この目で見ておりましたから」

 ――もしかして、初めてオーランド邸に来た時、ヴァルターさんの目が優しかったのは、わたしがローズの親族だと知っていたから?

「ミス・アシュバートンがこちらでお過ごしになられるなら、レディース・メイドを雇うべきですが、殿下は上級のメイドがお嫌いでしてね。……少し、お時間がかかるかと存じます」

 わたしは不思議に思って首を傾げる。

「……何か、嫌な思い出でもあるのかしら?」
「あると思います。王宮ではずいぶん、辛い思いをなさいましたから」

 王妃に虐待されていたことと、関係があるのかもしれない。

「……雨が降ってまいりましたね。お昼にいたしましょうか」
「ええ、お願い。荷物は後でいいわ」

 わたしはヴァルターさんとともに、食堂に降りた。





 昼過ぎに振り出した雨は見る間に激しくなり、窓を雨の雫が叩く。オーランド邸の、広い庭の樹々が、風で揺れるのを見ながら、わたしは出窓に腰を下ろし、膝の上でユールの毛を撫でていた。

「せっかく広い庭があるのに、これじゃあ、お外に出れないわね」
「くう~ん」

 ユールも外に出たかったのか、丸々とした前脚で、しきりに窓枠を叩いている。

 部屋は庭に直接出られるサロンで、晴天なら光が降り注ぐ快適な場所だけれど、この天気では窓がカタカタと揺れて恐ろしい。でも、ユールの犬用ベッドをこの部屋に設置したのもあって、慣れさせるためにも、昼食の後はこの部屋でユールと遊んでいたのだが、夕暮れが近づくにつれ、寒さに強いユールと異なり、わたしは毛織のショールを羽織っても寒い。

「そろそろ、居間に入ろう。俺も寒くなってきた」

 向かい側の一人がけのソファに座り、スケッチブックにわたしとユールを素描していた殿下が、スケッチブックを閉じて言う。

「……中、見せてくれませんの?」
「恥ずかしいからいやだ」
「スケッチ見せてくれる、って前に言ってたのに。それにわたしを描いていたんでしょう?」

 当然、見る権利があると思うのに、殿下は照れ臭そうに首を振るばかりだ。

「ここは本当はアトリエにしたかったんだけど、偉そうなアトリエを構えるほど、絵が上手くならなかった。士官学校に入れられたのもあるけど……」
「油絵は最近はお描きにならないの?」
「戦地に行ってからは、そんな時間もなくってね。士官学校を出て、この邸を貰った時は余暇に描けるかと思ったが、休みになるとステファニーから呼び出されて、あまりまとまった時間が取れなかった。……あと、絵描きより投資家の才能の方があったらしくて、あの頃は暇があれば金儲けばかり考えていたから」

 ようやくゆっくり休みが取れそうだから、スケッチブックを買ってみたんだ、と殿下がはにかんだ。

「久しぶり過ぎて手が上手く動かない。下手過ぎて恥ずかしいから、今はダメ」

 立ち上がった殿下にエスコートされ、手を繋いで居間に向かう。ユールがぽてぽてと周囲を駆け回ってついてくる。

 ――何やら、玄関が騒がしい。出迎えたヴァルタ―さんが慌てて、ハウスメイドに何か命じている。
 
 外の雨風は相当で、バタンと開いたドアから、ジュリアンと小柄な人物がおずおずと入ってくるのに行き会う。
 本来、ジュリアンは使用人だから正面玄関から入るなんてあり得ないのだが――

 ジュリアンが支えるように連れてきた人物、大きすぎる外套を着ているのは、ジュリアンのものを着せ掛けたかららしい。その頼りない様子に、わたしは息が止まるかと思った。

「――シャーロット嬢?!」

 茫然と立ち尽くすわたしと殿下を見て、ジュリアンが恐縮そうに頭を下げる。

「夕刻におふくろを送って、アパートメントの戸締りをもう一度確認に戻ったんです。外は酷い嵐で。アパートメントの入口に、ずぶ濡れのミス・パーマーが立っていて……」

 昼過ぎにアパートメントの前に到着したものの、取次も頼めず、嵐の中を立ち尽くしていたらしい。

「事情はわからないのですが、ロックウィル伯爵邸には戻りたくないと言い張るので――」

 わたしと殿下は嵐の予感に、思わず顔を見合わせた。

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