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第三章

王家の現状

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 聖夜に暖炉の前で寄り添いあっていたけれど、日付が変わるころ、わたしたちはベッドに入った。

「今夜は神聖な夜ですから……」

 わたしが言えば、殿下も頷く。

「わかってる。でも、だからこそ、今夜は一緒のベッドで眠りたくて、無理に抜けてきた」
「リジー?」
「俺の、家族と言えるのはお前だけだ。確かに、身体の欲もあるけど、それよりもただ、一緒にいたい。聖誕節を一緒に過ごし、同じベッドで眠り、一緒に朝食を摂る。愛人じゃなくて、妻になって欲しいんだ。妻でなければ意味がないと思っている。だから――」

 わたしは殿下の胸に縋りついた。温かい腕の中にいると、安心して涙が零れそうになる。

「リジー……会えなくて寂しかった」
「俺もだ。これからは毎年、一緒に過ごそう。エルシー、愛してる」




 聖夜は冷え込み、雪が降ったけれど、わたしとリジーのいる場所は、世界で一番、暖かかった。





 翌、聖誕節の朝はよく晴れていた。
 まだ朝も早い時間に、仔犬のユールがベッドに上ってきて、起こされてしまった。

「おいおい、どんな躾けだよ……」

 殿下が眠そうに目をこする。黒い癖毛はごわごわで、わたしは昔のリジーを思い出して思わず笑った。
 ユールに追い立てられるようにベッドを出て仕度をしていると、ジュリアンが朝食を運んできた。

「今朝はノーラがいませんので、少し簡単なもので」
「ああ、構わんよ。お前の休みは」
「明日の二十六日にいただきます」

 わたしは朝食の前に、殿下にプレゼントを渡す。

「その……時間が無くて、こんなもので申し訳ないのですけれど……」

 恐る恐る差し出す包みを見て、殿下が金色の目を瞠る。

「プレゼント! 俺に!」

 殿下が子供のようにはしゃいで包みを開ける。一つは百貨店で買った万年筆ファウンテンペン

「ああ、これ、便利だな。助かるよ」

 それからもう一つの刺繍入りのハンカチを見て、嬉しそうに笑った。
  
「エルシーが縫ったのか。……こんなこともできるんだな」
「たいした腕ではないので……おばあ様には叱られてばっかり」

 わたしが謙遜すれば、殿下も胸ポケットから小さな包みを出した。

「プレゼントはもう、いただいたわ。可愛いユールを」
「こっちが本命だ。受け取ってもらわないと困る」

 箱は王都の有名宝飾店のもの。

「いつもはバーナードの店経由で買うんだけど、これは俺が直接、注文して作らせた。気に入るといいけれど」

 中から出てきたのは、見事なサファイアの指輪。

「婚約指輪のつもりだ。俺はあんまり大きな宝石の指輪は嫌いなんだけれど、このくらいのは買わないとな」
「すごいわ……サイズもぴったりだけど、武器になりそうね」
「次にハートネルが来たらそれで撃退しろ」

 左手の薬指に嵌めた指輪を見ながら言えば、殿下が冗談めかして言う。ラルフ・シモンズ大尉から、一昨日のことは報告があったのだろう。

「その代りと言っちゃなんだが、マックスのあのタイピン、俺にくれないか」
 
 殿下の言葉にわたしが目を瞠る。

「お父様の……」
「お前の父親の形見なのはわかっている。マックスの遺体から、あれを外したのは、俺だ」

 わたしは頷いて、宝石箱から父のタイピンを取り出し、殿下のネクタイに嵌めた。

「愛してる、エルシー」 
「……わたしも」

 二人でキスを交わす足もとを、ユールがくるくると回って、足首に毛皮がすれてくすぐったい。ゴホン、と咳払いの声がして、ジュリアンが気まずそうに言う。

「あのー朝食が冷めてしまうので……」
「ああ、悪い。すぐに食べる」

 わたしたちはそうして、仲良く朝食を摂った。





「午後は教会に行こう。それから、少し付き合って欲しい場所がある」
「……ええ、構いませんけれど。外出しても大丈夫ですの?」

 わたしが不安になって尋ねれば、殿下は首を振る。

「俺は、お前とのことを隠すつもりはない。……駅では、ステファニーと鉢合わせるのがまずいし、別に見世物にするつもりもないから、時間をずらしたけれど。大手新聞社の買収も進んでいるから、悪意のある記事も書かれなくなるはずだ」

 殿下がニシンをナイフで切りながら言う。

「……昨日、父上と兄上一家には改めて、お前と結婚するつもりであると宣言した。姪たちは意味が分かっていないから、お前を連れてこいとうるさいし、義姉あね上は根っからの貴族だから、複雑な表情をしていたけど」
「国王陛下は、ステファニー嬢との結婚を望んでいらっしゃるのでしょう?」

 ……ローズを愛して、父から無理に奪い取った陛下に、わたしはあまりいい感情を持てない。

「俺が国王として即位する場合、レコンフィールド公爵の後押しがあった方がいい、と言うのが父上の意向だ。俺はそもそも即位したくないし、我が国はもともと議会が強い。最近は庶民院の力が強まっている。大貴族の後ろ盾がどうこう言う時代じゃない」

 殿下はそう言ってから、ニシンを口に放り込む。

「……父上は、マックス・アシュバートンに負い目がある」
「父に……」

 わたしはベイクドビーンズをスプーンで掬いながら、顔を上げた。……そうだ、どうして陛下は、父の請願を無視し、わたしへの代襲相続を却下したのか。

「父上は言った。公爵と、親グリージャ派が煩いからステファニーとの結婚を認めたけれど、まさか議会にまでかけるとは考えていなかった。さらに俺がマールバラ公爵を巻き込んだと知って、溜息をついていた。父上はもともと気が弱いから、マールバラ公爵も、レコンフィールド公爵も、苦手なんだ」
「……王妃陛下はいらっしゃらなかったのです?」

 わたしの問いに、殿下は眉間に皺を寄せた。

「母上はバールの離宮にいる。ジョージ兄上の看病という名目だが――兄上が亡くなったら、修道院に入ることになると思う」
「ええ?! 修道院?」

 わたしは思わずスプーンを取り落としそうになった。
 この国はかつて、教会と王室が深刻に対立したことがあり、その時の王様がかなりの数の修道院を潰してしまった。現在残るのは、王家に忠誠を誓ったほんの一部の修道院だけ。王都から遠い山奥や海辺の修道院は、巡礼者や求道に生きる僧侶の修行の場になると同時に、王族や高位貴族の幽閉地としても利用されると聞いているが……。

 茫然とするわたしに、殿下が言った。

「表向きは、兄上が亡くなったことで気落ちして、神に祈りを捧げて生きることを自ら希望した――という形をとるが、実際は違う。でも、それは秘密だ。公にはできない」

 そうして殿下はトーストに齧りつきながら言う。

「……兄上は、そろそろいけないらしい。年内、もたないと言われている。もう、意識がないそうだ」

 本音を言えば、殿下は戦争が終わるまで、ジョージ殿下が生きているとは思っていなかったらしい。

「王妃は、自分の大事な息子が弱っていくのに、憎い女の産んだ俺が、健康そのものに育っているのが許せなかったらしい。だんだん、おかしくなって……俺が死ねばジョージの病気が治るとか、俺にジョージの病気を移して呪わせようとか、常軌を逸した行いがはなはだしくなって……奇行が明るみ出る前に、王都から追い払ったそうだ」
「そうだったのですか……」

 それで、最近、王妃陛下は公式行事にも出席されなくなったのだ。

「レコンフィールド公爵や首相のウォルシンガムが、ステファニーと俺の婚約を急いだのもそのせいだ。兄上が死ねば、しばらく慶事は行えなくなる。……マールバラ公爵が反対に回るのは、想定していなかったようだが」

 朝食後も、ユールを膝に抱いたわたしに、殿下は暖炉の前で話を続けた。

 まず、マールバラ公爵の反対は、議会に対し一定の影響力を持つらしい。
 
「オズワルド卿は俺の次ぎの継承権を持っている。俺の結婚問題が、一番影響を与える人物と言ってもいい。その彼が自身の不在時に、俺の婚約の承認が勝手に議決されたことに不満を表明した。多くの議員が、その不満を当然のものと考えた」

 マールバラ公爵が、アルバート殿下の望む令嬢を妃に推薦する、という情報も出たことで、貴族院にも動揺が広がった。――騒動の元になった愛人が、没落したとはいえ貴族令嬢であること、さらにその父親が殿下の命を庇って戦死した事実も報道され、同情が広がっているという。

「ただ――これはやりようによっては諸刃の剣なんだ。俺を庇って死んだ父親の、代襲相続が却下されている。これをつつくと戦死者遺族を刺激する可能性がある」

 戦争は終わり、講和会議でかなりの額の賠償金と、有利な条約を締結できたとはいえ、戦死者は戻らないし、戦争の被害も全てが埋め合わせられるわけではない。敵国の王家が温存されたことに不満を抱いたり、賠償額が不十分だと感じる者もいる。戦死者が報われていない、との世論を喚起する可能性があった。

「俺は革命を起こしたいわけじゃないんだ」

 わたしの膝の上でうつらうつらするユールのモコモコの毛皮を、殿下の大きな手が撫でる。

「それに……ステファニーの件も……」

 わたしがハッと凍り付いた気配を感じ取ったのだろう、殿下がわたしの肩口に顔を寄せ、溜息を零す。

「俺の考えが甘かった。俺はステファニーは何も知らない子供で、王妃に言いように利用されてるだけだと思っていた。王子妃になると言いくるめられ、甘やかされ、ちやほやされて、王子の俺に我儘を言って悦に入っているだけの、愚かで子供っぽい女だとばかり。婚約を白紙に戻せば、いつ戻るかわからない俺のことなんか忘れて、すぐに別の男に嫁に行くだろうと、たかを括っていた。まさか、ゴシップ紙や王都の噂を本人が真に受けて、俺と相思相愛だと信じ込んで、俺の帰りを待っているなんて、想像もしていなかった」

 わたしは殿下の、めずらしく固めていない、黒い癖毛に手を伸ばし、それを撫でる。

「仕方ありませんわ。噂を真に受ける人は多いけれど、本人まで真に受けるなんて、思う人はいません」
「……ステファニーは、俺がステファニーを愛していたわけじゃないことは、理解したらしい。俺が今、愛しているのはエルシーだけだってことも。そこで、大人しく身を引いてくれれば、大事にならずに収まってくれるはずなんだが――」

 殿下が顔をあげ、本当に困惑した表情でわたしを見た。

「なんだか予想もしない方向に決意を固めてくれて、俺はどうしたらいいかわからない」
「いったい、何を言い出されたのです?」

 殿下が眉間に深い皺を刻み、言った。

「……俺に愛されなくとも、妃の役目は果たすから、お前を愛人として囲ってもいいとか言い出した。最初聞いたときは、頭に血が上って殴りつけそうになった。本当にふざけている」
「それはつまり、彼女が正妻で、わたしが愛人ってこと?」

 彼女の意図が理解できずに尋ねれば、ぶすっとした表情で殿下が言った。

「本当にふざけてるだろう。あくまで自分が正妻だなんて、図々しい」

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