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第二章

舞踏会

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 翌日のグルブラン宮殿の夜会は〈舞踏会バル〉としての招待状が来た。

 実は、わたしはダンスがあまり得意ではない。もちろん社交に必要だからダンスも習ったけれど、リンドホルムの田舎には、練習相手が弟くらいしかいないのだ。そして、弟は潰滅的にダンスが苦手だった。彼は一種の音痴で、拍の最初がわからない人なのだ。何度言っても、ステップの出だしを間違える。あまり言うと拗ねてしまうし、そのうち、わたしもダンスの練習が嫌いになってしまった。

 殿下とは何度か、旧ワーズワース邸での仮面舞踏会にも行ったし、踊ったこともある。殿下は普通に踊れるし、拍の出だしも間違わないけれど、どうしても苦手意識が抜けない。……自分より背の小さい相手か、父のように遥かに大きな相手としか踊ったことがなかったから、組んだ時の勝手が違って慣れない。わたしがあまりダンスが好きじゃないらしいのを察したのか、殿下から誘われることもほとんどなかったし。

 今夜の衣装はグレーのイブニングドレス。ハイウエストの切り替えで、スクエアネック、短く小さいちょうちん袖パフ・スリーブで、ミス・リーンのドレスにしては可愛らしいデザインだ。ウエストの切り替え部分に豪華な刺繍の入った金色のリボン、裾にかけて細かい金色の蔓薔薇模様の刺繍が施され、金色のリボンで作った小さな薔薇が、胸元と袖口にあしらわれている。それに真珠のロングネックレスを首元で三重に巻いて、チョーカー風にした。一つのジュエリーを幾通りもに見せる、殿下のアイディアだ。肘までの長手袋は白いレースのもの。髪はハンナが器用に結って、真珠のピンを飾る。
 
 殿下は今日も陸軍士官の正装。
 殿下と腕を組んで、少し早めにグルブラン宮殿に乗り付ける。――夜会の前に調印式があるからだ。

「会議はうまくまとまりましたの?」
「ああ。最後まで、毒ガスの禁止に反対している国の大使の席に、毒ガスで爛れた顔の写真を張り付けて、被害の悲惨さについて、微に入り細を穿って、苦しむ様子まで臨場感たっぷりに再現してやったら、おぞけを振るって禁止に同意したよ」
「……悪趣味ですわ」

 わたしが言えば、殿下は肩を竦める。

「被害の実態も知らず、単なる兵器だと思っていたんだ。一発で死ねる爆弾よりも質が悪い。……無知は罪だな」

 無事に毒ガスの禁止を盛り込んで、殿下は少しホッとしているようだ。

「俺は化学肥料と農薬の会社に出資したつもりだったんだ。その技術が、毒ガスに転用された。ものすごい金額が俺の懐に入ったが、その後にシャルローで死ぬ目に遭った。……天罰だと思ったね」
「殿下のせいじゃないわ」
「でも、目の前でお前の父親に死なれた。……もう、あんな思いはしたくない」

 調印式を終えて、舞踏会が始まる。グスタフ皇太子殿下が開会を告げ、大広間に音楽が流れる。
 ファースト・ダンスはグスタフ皇太子夫妻。

「フェルディナンドたちはまだ、来ていないのかな?」

 わたしもそれが気になって、周りを見回していると――。

 広間の扉が開いて、軍服姿のフェルディナンド大公が、紺色のローブデコルテを纏ったエヴァンジェリア王女をエスコートして入場する。ファーストダンスの途中だったアデーレ妃が立ち止まり、悲鳴を上げた。

『フェルディナンド! どういうことなの?!』
『落ち着きなさい、アデーレ!』
『でも、聞いてないわ! なんでグリージャの女を連れているの! マルティナはどうしたのよ!』

 ざわざわと、広間にざわめきが伝わる。
 皇太子妃がファースト・ダンスを途中でやめてしまうなんて、よくあることなの?

「あるわけないだろ、焦るにしても取り乱し過ぎだ」

 殿下がわたしの耳元で囁く。隣にいたマールバラ公爵も眉を顰めている。

「……グスタフ皇太子は、フランツ皇太子が暗殺されて、急遽、皇太子に冊立された。アデーレ妃はそれまでは皇族の一夫人でしかなくて、あまり公式の場にも出なかったと聞いている。……慣れないにしても、失態だな」

 アデーレ妃は止めようとするグスタフ皇太子を振り切り、息子フェルディナンド大公のもとへ足早に近づき、なにやら食ってかかっている。フェルディナンド大公はエヴァンジェリア王女を背中に庇うようにして、母親に何か言い返しているが、はっきり言えば見苦しい親子喧嘩だ。

 グスタフ皇太子と侍従がアデーレ妃をフェルディナンド大公から引きはがし、侍従と侍女が左右を囲むようにして、アデーレ妃を広間の外に連れ出した。

 会場は騒然となって、なんとも微妙な雰囲気。即座に典礼長が、フェルディナンド大公と、グリージャのエヴァンジェリア王女によるダンスを告げる。こんな会場の空気の中、いきなりダンスを踊らされるエヴァンジェリア王女が心配だったけれど、さすが生まれながらの王族。フェルディナンド大公と息の合ったワルツを披露して、何とか会場は落ち着いた。

「まあ、あいつらが根回しもしないで舞踏会にやってきたせいだしな。自業自得だろ」
「アデーレ妃殿下はちょっと常軌を逸しているのではなくて? 息子の嫁候補が気に入らないからって、公式の舞踏会で我を忘れるなんて」

 わたしたちがそんな話をしていると、マールバラ公爵も頷く。

「アデーレ妃の母親は、アルティニアの属国の貴族の出で、皇家の離宮で侍女奉公をして、分家のグレンハウゼン家の大公に見初められたんだ。貴賤結婚と問題になったが、分家筋だったため、アデーレ妃の父は押し通し、アデーレ妃は嫡子の公女として生まれた。グスタフ大公との結婚に際しても、彼女の母の身分はかなり問題にされたけれど、皇太子ではなかったので有耶無耶になった。だが、フランツ皇太子のマリア妃とは、出生や教養をめぐって常に比較され、貶められてきたらしい。……自分が皇太子妃になって、これまでの恨みをこじらせてしまったんだな」

 それからマールバラ公爵はわたしを見て、言った。

「釣り合わぬは不縁の元、とも言う。アデーレ妃はもともと、皇太子妃なんかになる予定もなかったのに、突然、重責を押し付けられ、息子に全てを賭けて裏切られた気分だろうな」
「オズワルド小父様、エルシーはそんなことにはなりません」

 殿下が横から言うけれど、わたしはマールバラ公爵の言うことはもっともだと思う。……王家に嫁ぐプレッシャーは並大抵ではないだろう。

「……なってみないとわからないですけれど、殿下がわたしでなければ嫌だと仰るのですから、殿下には死ぬ気で守っていただくしかないですわ。それに、自分で言うのもなんですが、わたし、わりと図太いんですの」
「そのようだな」

 マールバラ公爵がくつくつと身体を震わせて笑う。会場のお仕着せをきた進行係が恭しく殿下に近づき、次のダンスを願い出る。反射的にわたしは嫌だと思ったけれど、殿下がわたしの手を取った。

「大丈夫だ、足を踏んだくらいでは俺は平気だから。気にしないでガンガン踏め」
「失礼な!……まだ踏んだことはないです!」

 会場の中央に進み出ると、ちょうどダンスを終えたエヴァンジェリア王女とフェルディナンド大公とすれ違う。

「綺麗よ、エリ―ス! みんなが見てるわ!」
「……プレッシャーと煽らないでいただけますかしら……」

 音楽が流れ、皆の注目を浴びながら殿下のリードに身をゆだねる。――相手が、ビリーじゃなくて本当によかった。

 キラキラ輝くシャンデリアの光を浴びながら、皇帝の宮殿で王子様とダンスを踊る。
 この先どうなるかわからないけれど、今はひと時、おとぎ話の気分を味わっても神様は許してくださるだろう。

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