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第二章

グリージャの現状

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「ズルいわ、あんなの。断れるわけないわ」
「でも、言質は取った。……俺は、エルシーと絶対に結婚する」

 造花の花束と木彫りの馬を抱え、わたしは途方に暮れる。 

「プロポーズは本気だ。指輪だって用意してるところだが、宝石いしに拘り過ぎて、まだ、出来上がってないんだ。……本当は、すべて片がついてから改めてするつもりだったし。何もかも、後手後手に回って、すごく格好悪いな、俺……」

 わたしは首を振った。

「いいえ、この花で十分です。きっと、あの子たちの母親が作ったのね。素敵だわ」
「端切れだが、一見、本物みたいに見えるな。器用なもんだ」
「でも本当に……信じていいの? リジーの気持ちを疑うわけじゃないし、リジーのことは好きよ。でも、結婚できる気がしない。グリージャのことも、ステファニー嬢のことも……」

 わたしの問いに、殿下が花束を一つ一つ検分しながら、言う。

「グリージャの件は、ハーケンとその一派の先走りってことで、ランデル側としてなかったことで終わるだろう。グリージャの出方は気になるが、我が国の外交部ぐるみで話が進められることはない。……まあ最初から、ぶっつぶすつもりだったけど」

 殿下は花束を持ったわたしの手に口づけを落とし、言う。

「それより、ステファニーとの婚約をどう、破棄するかの方が、はるかに厄介だ。議会の承認した婚約を破棄し、さらに別の女と結婚するのを、議会に認めさせなきゃならん。今のところ、議会の大部分はステファニーの味方だ。……外遊に出る前に、お前と結婚できないなら、王位継承権も放棄して外交に亡命すると脅しをかけたら、王太子である兄上の方が青くなって、議会への根回しをすると約束してくれた。ただ正直言って、味方が兄上とマクガーニだけでは、議会の理解を得るのは難しいと思う。兄上には、表向きステファニーと結婚した上で、愛人として囲うのではだめなのか、と聞かれたが、当たり前だが、それは却下した」

 わたしは眉を顰めた。

「わたしは愛人は嫌です。……ステファニー嬢だって、それは許容しないでしょう」
「俺だって、お前を正真正銘の愛人にするつもりなんてない。……ただ実際問題、爵位のないお前を第三王子の妃にするのを、議会が認めるとは思えない。マクガーニの後見で何とかならないかとも思ったが、彼は自身の功績によってポートナム伯爵位を叙任された初代だから、貴族に対する政治力とか、影響力とか、そういうのは期待できない。できればもっと王家に近い、影響力のある大貴族の後押しが欲しいんだが――」
「そんな人が現れるとは思えないわ……」
 
 わたしがポツリと呟けば、殿下はわたしの隣に座って肩を抱き寄せる。わたしは殿下の大きな胸に頭をもたせかけて、髪を撫でられるままに目を閉じた。ガタン、ゴトン……列車の規則正し揺れと、すぐそばにある殿下の鼓動が聞こえる。殿下の胸を大きくて広くて、力強い腕はわたしを守ろうとしているのに、それでもわたしを守りきることはできていない。――王都は今頃、どうなっているのか。リンドホルム、あの城は――。

「エルシー……辛い目に遭わせてすまない。でも、俺はお前と結婚するし、必ず幸せにする。だから――」

 その時、扉をノックする音がして、わたしは殿下から身体を離した。

「殿下、カーティスです。今、よろしいですか?」
「ああ、入れ……って鍵かけたんだった。ちょっと待て」

 殿下が立っていて鍵を開けると、ジョナサン・カーティス大尉が一礼して個室内に一歩だけ入る。

「エヴァ……フロイライン・エヴァ・ディーゼルと今後について、少し相談してきました」
「ああ、ご苦労。そこに座ってくれ。……その前に、ジュリアンにコーヒーを三人分言いつけてくれるか」
「承知しました」

 カーティス大尉は一旦、出ていって、それからすぐに戻ってきて、わたしたちの向かい側の座席に座る。

「……エヴァ嬢は本当に、俺と結婚する気はないんだな?」

 殿下の問いに、だがカーティス大尉はわたしの膝の上の花束と木彫りの馬を見て、首を傾げていた。

「それは……?」
「あの……その、さっきの駅で物売りが来て……」
「お買い求めになったのですか!」
「わたしではなくて、殿下が……」

 わたしが上目遣いに殿下を見れば、殿下はニヤニヤ笑いながら言う。

「やっとプロポーズのオーケーをもらったぞ」
「あなたって人は……」

 カーティス大尉が溜息をつく。

「まあいいです。エヴァンジェリア……いえ、エヴァ嬢は、フェルディナンド大公と結婚するつもりでいます」
「しかし、そう、簡単にいくとは思えんが」
「僕もそう思います。率直に申し上げて、エヴァ嬢の見通しは甘いとしか」

 と、ノックの音がして、ジュリアンが三人分のコーヒーを運んできた。湯気のたつ熱いコーヒーにわたしはホッとする。

「フェルディナンドも、あの跳ねっかえりと結婚するつもりなのか?」
「少なくとも、エヴァンジェリア……じゃなくてエヴァ嬢はそう、信じています。自分たちは相思相愛だと」
「ステファニーみたいな女だな。二人の婚約が解消されてもう、数か月になるだろう? もともと、次期皇太子の妃が小国グリージャの王女じゃ釣り合わないって、反対があったと聞いている。フェルディナンドとエヴァンジェリア王女の結婚は、グリージャを引き入れるためのエサでしかなかった。たとえ本当に相思相愛でも、フェルディナンドが押し切れると思えん。今のアルティニアに、グリージャの面倒を見る余裕なんてないからな」

 ……アルティニア皇帝家は、大陸でも最古の、長い伝統と格式を誇っている。一方、グリージャは山がちで国力も小さく、王国としての伝統も短い。しかも敗戦で経済も破綻しかけていて、王家は革命一歩手前の危機にある。その王女と、次期皇太子候補筆頭のフェルディナンド大公との結婚が、すんなり許されるはずはない、と言う殿下に対し、カーティス大尉はただ、首を振るだけだ。

「その点に関しては、我々には全く情報がありませんので、何とも……」

 殿下はコーヒーを一口啜り、カップをソーサーに戻し、言う。

「ビルツホルンに着いて、あの女はどうするつもりだったんだ?」
「フェルディナンドに迎えに来てもらい、彼の住居に転がり込むつもりのようですよ? ビルツホルンは今、講和会議と軍縮会議でホテルも満員ですし、当然ながらグリージャの大使館も頼れませんから」
「グリージャ本国も、当然、動いているだろうな?」
「リーデンで足止めされていましたから、グリージャを出て一週間ほど経っているはずです。さすがに、家出に気づいているでしょう。行先だってある程度予想はつくでしょうし。ビルツホルンで捕獲される可能性の方が高そうです」

 殿下が顎に手を当てて考える。

「……俺との結婚を推進している一派に捕獲されると、厄介だな」
「僕が懸念しているのも、そのことです。同じ列車に乗っていたことを逆手に取られて、既成事実をでっちあげられると厄介です」
「笑えんな……」

 殿下が溜息をついた。

「……ハーケンの野郎はどうしている?」
「コールマン一等いっとう書記官が責任を持って、本国に送り返すと。先ほどの駅から本国に電報も打ちました。代わりの人員は間に合いませんが、アルティニアの大使館にも連絡済みなので、一人現地の役人を回してくれるでしょう」

 殿下がカーティス大尉に念を押す。

「外交部の方は、グリージャとの縁組はなかったことにする、という方向でいいんだな? 騙し討ちは無しだぞ?」 

 カーティス大尉が頷いた。

「コールマン書記官は、もともと、グリージャとの縁組に反対だったようです。殿下ご自身にその気がなく、グリージャの王女が他の男のもとに走っている状況で、結婚を強要するのはリスクが高すぎると、判断するでしょう」
「ならば最悪、我が国の大使館で彼女を匿っても、外交部に背中から打たれることはないんだな?」 
「……そうですね、最悪、我が国で匿わざるを得ないかもしれません……」

 わたしが目を見開いて、二人を見る。

 グリージャの王女を、我が国の大使館で匿う?

 殿下がわたしに向けて、わかりやすく説明してくれた。

「グリージャ政府内は今、真っ二つに割れている。ランデルにすり寄って武力で革命を叩き潰すか、共和制に移行する覚悟で改革を断行するか。前者の、ランデルにすり寄ってランデルの武力に頼りたい奴らが、すり寄る手段として、王女をランデルに差し出そうとしてるってことだ。……フェルディナンドが王女を引き取ってくれれば、俺にとっては一番、助かる。でもフェルディナンドが王女を追い出した場合、王女は行き場を無くし、グリージャの大使館に駆け込むしかないが、大使館が王女の味方とは限らない」  
「つまり、大使館が王女と殿下との結婚を推し進める一派かもしれないから、それよりは、我が国の大使館で匿った方がマシってことですか?」
「その通り。ありもしない噂を流されると、俺も困る」

 殿下とエヴァ嬢がすでに関係があるかのように吹聴されてしまうと、相手の身分が身分なだけに、最悪、結婚させられることになる。

「その……殿下にはがありますからね。女に手が早いと思われてしまうと、くだらない噂も信憑性が増します」
「前科……」

 カーティス大尉は言いにくそうに言葉を濁したけれど、要するにわたしとの愛人スキャンダルのことだ。
 爵位のない、平民のわたしと違って、一国の王女が相手では、スキャンダルも傷が大きい。もちろん、二人の間には何もないし、エヴァ嬢は殿下との結婚を嫌って国を出たくらいだが、グリージャの大使館が王女のスキャンダルをでっちあげても、ランデルの王子との結婚を強行するのではと、懸念しているのだ。

「いくら何でもそこまではと、お前は思うかもしれないが、グリージャの王制は本当に危機的状況らしい」
「そんなに、切迫していますの?」

 殿下はわたしの言葉に肩を竦める。

「だから、ランデルの狂犬を王配に迎えて、ランデルの武力で革命を押さえ込もうって魂胆なんだろう。まったく、便利遣いされたもんだ」

 ――つまり、このままでは革命はほぼ免れないと考える一派が、殿下の持つ武力で革命勢力を鎮圧し、そしてそのまま、ランデルの支配下に組み入れてしまおうと――。
 
「では、エヴァ嬢の周囲で嘘を言っていた人達は、自力で王制を維持するのをもう、諦めているってことなのですね?」

 わたしの問いに、殿下は金色の瞳を一瞬見開いて、笑った。

「そう。……さすが、エルシーは昔から、物の理解が早いな。もっと意地の悪い言い方をすれば、革命によってすべてがひっくり返り、持っている権益を失うくらいなら、外国に王女と王家を売り渡して、自分の取り分だけは確保したいと考えているってことだ。属国になっても、表向き王家が維持されれば貴族としての権益は守れるから」
「よその国に頼るなんて、卑怯だわ?」
「まったくだ。ついでに、隣国の危機に乗じて、王子を王配に送り込んで保護国化しようとしている我が国の一部の奴らは、さらに卑怯だな」

 それから、殿下は思い出したように、わたしとカーティス大尉に言う。

「……そう言えば、ハーケンの野郎は、お前にも卑猥な言葉を吐いたらしいな。まったく、あのクソ野郎がっ」
「卑猥な言葉?……ええと、あれは『国家機密』じゃなくて?」

 途端に、カーティス大尉がブブッとコーヒーを噴き出し、慌ててハンカチで口を押える。殿下もまた、呆れたような表情で言った。

「ビッチが『国家機密』になるって……ビリーの間諜スパイ小説の読みすぎだ」

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