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第二章

婚姻政策

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 グリージャの王女と、殿下が、結婚?

 あまりの突飛な発言に、わたしは凍り付いてしまう。――意味が、わからないんだけど。

「ああ、もちろん、速攻で拒否したし、あり得ないと断言した。今度口にしたら列車から叩き落すと脅しておいた。選りにもよってグリージャの王女となんて、絶対あり得ない」

 殿下は固まったわたしを抱き寄せて、頬にキスをする、

「どういう……ことなんです?」
「政治の……というか、外交の問題はキナ臭いからな。ビルツホルンで現在行われている、講和会議の重要な議題の一つが、敗戦国の王家の処遇だというのは、聞いているだろう?」

 わたしはのろのろと頷く。

 この度の大戦で、わがランデル王国と隣接する大国、ルーセン共和国を中心とする連合国は、大陸の中・東部を領有するシュルフト帝国、アルティニア帝国を中心とする同盟軍と戦い、途中、中立を宣言していたグリージャ王国が帝国側に参戦する危機を乗り越え、五年に渡る戦いを制して勝利をもぎ取った。その講和会議が、アルティニア帝国の首都・ビルツホルンで開かれている。

 戦争末期、敗色濃厚となったアルティニア帝国で帝国議会が時の皇帝を退位に追い込み、グスタフ皇太子を中心に、講和に踏み切った。現在、帝政は一旦停止して、帝国議会が政治の主導権を握っているが、おそらくはグスタフ皇太子が即位し、立憲君主制の元で国の再編が行われる予定だ。七つの領邦の君主の中から選挙で皇帝を選ぶシュルフト帝国では、敗戦の責任を取ってシュタウフェン家の皇帝ルードヴィヒ五世は退位し、現在は暫定的にブルンスマイヤー家のアクセル大公が摂政として、全権代表を務めている。平和条約締結後に改めて選挙を行い、皇帝を選出する予定だが、共和制への移行も噂されている。

「シュルフトとアルティニアはいいんだ。もともとが大国だから、議会もあるし、多少、賠償金を搾り取ったところで、国がなくなることはない。戦勝国側の、一部の過激派は王家を取り潰せと息巻くけれど、やり過ぎると共産化して、革命が他国にも波及するかもしれない。それは困るから、王家は温存する方向で議論は進んでいる」

 殿下はそう言って、わたしの髪を撫で、じっと目を見つめる。

「……問題は、グリージャだ」

 グリージャは、わが国と隣国ルーセン、そしてシュルフト帝国に囲まれた小国だ。言語的にはシュルフト帝国やアルティニア帝国と同じシュルフト語を話すが、我が国の王家とも通婚関係がある。――実は、おばあ様のおばあ様はグリージャの貴族の出だ。
 
 もちろん、グリージャ王家はシュルフトの七大公家や、アルティニアの皇帝家とも婚姻関係があって、どちらの陣営に与するか迷い、中立を宣言していたにも関わらず、突如、帝国側について我が国に宣戦を布告した。その時の奇襲攻撃で殿下の部隊は潰滅し、父は戦死したのだ。殿下の部隊だけで二百人近く、全体では一万人を超える我が軍の兵士が死傷したと聞いている。

 むしろ我が国の国民感情としては、シュルフト帝国やアルティニア帝国は正々堂々と戦った敵国だが、グリージャは卑怯な裏切り者、という認識だ。

「グリージャは国が小さい。議会も一応はあるが、国を代表するような求心力はない。そんな国で王家を潰せばどうなるか」

 政情不安から内乱が勃発し、騒乱は国外にも飛び火するかもしれない。

「何より、共産化するとやばい。あいつら、コミンテルンとかいう地下組織を作って、外国にまで革命を輸出しようとしているからな」
「グリージャの共産化を防ぐために、グリージャの王家を存続させなければならない、ということですか?」

 わたしの問いに、殿下が眉間に皺を寄せたまま、頷く。

「そうなんだが……その王家にロクな人材が残っていない」

 グリージャ国王のコンラート四世は病弱で、その母のディートリンデ王太后が国政に容喙ようかいし、例の突然の裏切りにも彼女が関わっているという。

「王太后を隠居させて離宮に幽閉したのはいいが、国王の容態も悪化して、戦後処理なんてできそうもない。国王周辺の意向としては、国王は退位して長男のアーダルベルト王太子を即位させたいのだが――」
「アーダルベルト王太子に、何か問題が?」

 わたしの問いに、殿下が極めてバツの悪そうな表情をした。

「アーダルベルト王太子は三十歳になるはずだが、非常に評判が悪い。愛人の家に入り浸って、正妃は愛想をつかして離縁したいと言っているとか。……彼女はシュルフト帝国の、ブルンスマイヤー家の出なんだが」
「……どっかの誰かさんみたいですね……」

 殿下は嫌そうに眉を顰め、肩を竦める。

「アーダルベルトの愛人は七つくらい年上の未亡人で、遺産目当てに夫を毒殺したんじゃないか、なんて言われているんだぞ? 年下の可愛い恋人と、ようやく長い初恋を叶えた、俺と一緒にしないでくれ」
「……ご自身の行状を美化するのがお上手ですこと……」

 わたしの呟きを聞こえないふりで誤魔化し、殿下が続ける。

「まあ要するに、アーダルベルトの国内人気は最悪ってことだ。小国のグリージャは戦争で経済的にも疲弊しているのに、王太子が戦争中から愛人宅に入り浸りではね……この国難に、そんな国王を戴きたいと思う奴はいまい」
「……他に王子様はいらっしゃらないので?」
「色ボケ王太子の下には、王女しかいない。これが問題の、エヴァンジェリア王女だ」

 殿下がわたしをじっと見つめた。

「つまり、その方が、殿下の縁談のお相手?」
「ああ。二十歳になるはずだが、他には王女はいないからな」
「でも……よりによって、グリージャの王女のお相手にアルバート殿下を、というのは、非常識ではありませんの?」

 グリージャの突然の宣戦布告によって、アルバート殿下の部隊が大きな被害を受けたのは、有名な話だと思っていた。敗戦後に、被害者とも言える王子と加害国グリージャの王女の縁談なんて、国民感情からも受け入れがたい話だ。
 わたしの表情を読み取って、殿下が苦々しげに頷く。

「俺もそう思うし、俺自身も嫌だ。……そもそも、中立を宣言していたグリージャが、突然、同盟軍側に着いたのも、彼女に関係がある。――三年前、当時十七歳だったグリージャの王女と、アルティニア帝国のグスタフ皇太子の長男、フェルディナンド大公との婚約が調った。王女を未来の帝国皇后に、というのが、グリージャの中立破棄の理由だ」

 わたしは思わず息を呑んだ。わたしたちの間に沈黙が流れ、ゴトン、ゴトンと列車の揺れのリズムが響く。殿下が、窓の外の風景を眺めながら、心底忌々し気に言った。

「今時、アルティニアの皇后になったところで旨味があるとは思えんが、グリージャのディートリンデ王太后はかつて、アルティニアの皇太子妃になれずに、小国グリージャに嫁いだことを根に持って、どうしても、自分の孫娘を皇后にしたかったらしい」
「……それで、中立を破棄……」

 わたしは王妃やら皇后やらを望むべき立場に立ったことがないから、グリージャの王太后の気持ちはさっぱり理解できない。皇太子妃ならともかく、皇太子の長男の嫁になったところで、将来、皇后になれるとは限らないのでは……。
 そしてそんな理由で中立が破棄され、奇襲攻撃を受け、父を含めた多くの将兵が命を失った。殿下自身、危うく死ぬところだったわけで、何と言うか、やるせなくて涙が――。

 思わず俯いて涙を拭ってしまったわたしに気づき、殿下が慌てて、わたしを抱き締めた。

「すまない、こんな話をして、お前を傷つけて――本当に、こんな話を耳にすると、とっとと共産革命でも何でも、起きてしまえと思わざるを得ないのだが、共産化の影響はグリージャ一国では済まないから――」
「いえ、申し訳ありません。大丈夫です」

 殿下の胸に抱き留められ、ガタン、ガタン、と揺れる汽車の振動を受け止める。

「……俺も、裏側のくだらない事情を知ったのは最近のことだ。どのみち、グリージャは我が国と開戦に踏み切ったせいで、結果、国境地帯を占領され、休戦協定の前に降伏を表明する羽目になった。――ま、占領したのは俺なんだけど」

 殿下の言葉を聞きながら、わたしは頭の中に地図を思い描く。グリージャは昨年のうちに降伏し、王太后も幽閉されて政治の表舞台から締め出された。その過程で、フェルディナンド大公とグリージャのエヴァンジェリア王女との婚約も破棄されたらしい。

「それで、グリージャとしては我が国との関係を改善し、ついでに出来の悪いアーダルベルトを廃嫡したいらしいのだ」
「……それで、アルバート殿下と王女の結婚を?」

 殿下が渋い表情で頷く。

「グリージャは女子の継承は可能だが、未婚の女王というのは前例がなく、かつ、王配が政治に深く関わることになるそうだ。グリージャとしては、この上、シュルフトやアルティニアから迂闊な王族を迎え入れるのは嫌だと。……それで、グリージャ側から内密の打診があったらしい。我が国にも、王配を送り込んでグリージャを実質的に保護国化したい、という一派がいて、俺は婚約もしていなくて、ちょうどいいと」

 未婚の王族男子は殿下と第二王子のジョージ殿下だけで、しかし、ジョージ殿下はもう、いつ死んでもおかしくないくらいの容態なのだそうだ。つまり、我が国だって王太子殿下に男児が生まれていないから、王家の継承は危機的状況なのだ。別の国に王配を送り込んでいる場合ではないだろうに。

 わたしが呆れたように呟けば、殿下も頷く。

「父上も同じ考えで、速攻で断ってはいる。父上は俺が帰国したらステファニーと正式に婚約させ、親グリージャ派を封殺するつもりだったらしい。――でも、俺が婚約を拒否したことで、話がややこしくなって――」
「……その動きを封じ込めるために、ステファニー嬢との婚約を急いだのですか……」

 わたしが呟くと、殿下がわたしを抱き締め、耳元で囁く。

「……もう、本当に勘弁してほしい。マクガーニに何を言われようが、ハンプトンから船に乗って新大陸に逃げるべきだった。王子だからって、国の思惑に振り回されるのは、もうたくさんだ」

 ……ああそれで、あの外交部の若い方の官僚が、わたしをジロジロと見ていたのだ、とようやく、合点がいったのだった。  
 
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