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幕間 首席秘書官ロベルト・リーン大尉の業務日誌

結局……

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 結局、俺はアルバート殿下にこんこんと説教をかまして、レディ・ウルスラに挨拶して説得するのが先決だと納得させた。――というのは、おそらくハートネルが、そろそろ次ぎの一手として、ばーさん説得にかかるに違いないからだ。

 レディ・ウルスラが王家を恨んでいるのは、どうやらマックス・アシュバートンの戦死が原因ではなく、根はもっと深い。

 十二年前、十四歳の時点でレディ・ウルスラから釘を刺されている殿下に、はっきり言って勝算はない。だが、エルスペス嬢をアルバート殿下から本気で引き離したいならば、殿下が司令部に赴任した時点で、エルスペス嬢を無理矢理、辞めさせていたに違いない。経済的な要因もあるだろうが、レディ・ウルスラは殿下のことをそこそこ信用しているのだろう。――レコンフィールド公爵令嬢と婚約間近という噂のせいで、レディ・ウルスラが油断したのだとしたら、皮肉なことだ。

 信頼をアッサリ裏切った以上、殿下が、レディ・ウルスラの許しを得られる可能性は限りなく低い。だが、ここでハートネルの先行を許し、万一、奴が結婚の許可を得てしまったら万事休す、殿下の初恋もそこで終了だ。ダメ元でぶつかるしかない。

 それ以外にも、殿下とレディ・ウルスラは、一度ちゃんと話合うべきだと俺は考えていた。

 というのも、レディ・ウルスラの心臓はかなり悪いようで、町医者の誤魔化しの治療ではなく、設備の整った病院で、最新の治療を受けた方がいい。王都の郊外の療養院サナトリウムの、コーネル医師は心臓の権威だ。療養院のベッドは順番待ちだが、俺と殿下で交渉して、今度ベッドが空いたら入院可能、という確約を得ていた。――問題は、レディ・ウルスラにもエルスペス嬢にも、一言も相談していないことだ。

 金の出どころは殿下なんだから、殿下から説明するべきだと、俺は繰り返し言っているのに、なんのかんのと(実際、殿下はそれなりに多忙ではあったが)引き延ばしていた。理由を知れば何ということはない。殿下はレディ・ウルスラから、出入りを差し止められていたわけだから。

 エルスぺス嬢との交際を許してもらい、王都郊外の王立療養院への入院を勧める。
 前半部分はかなり絶望的だが、これはどうしても、レディ・ウルスラと殿下自身で話してもらわなければならない。

 殿下は蒼白な顔色をしていたが、それでも覚悟は決めたらしい。

「……わかった。言うよ。……本当は、全部カタがついてから、おばあ様のお許しをもらいに行くつもりだったんだが」

 帰国前の殿下の計画では、三男である殿下と、リンドホルム伯爵令嬢のエルスペス嬢との結婚は身分上の問題はないはずで、国王の許可を得た上でリンドホルムに向かい、エルスペス嬢にプロポーズし、そして難敵のおばあ様にエルシーと二人で立ち向かうつもりだったという。……俺に言わせれば、そんなのは計画じゃなくて、ただの妄想だ。

 現実には、エルスペス嬢の相続は却下され、白紙に戻したはずのレコンフィールド公爵令嬢との婚約話がまだ生きていて、とてもじゃないがエルスペス嬢にプロポーズできる状況ではない。しかも再会したエルスペス嬢は、殿下のことを全く覚えていない。そしておばあ様には十二年前に、孫娘に近寄るなと言われている。……詰んでるどころじゃない。最初っから、終わっとる。

 いつもの尊大な態度がウソみたいな殿下の萎れっぷりに、俺はちょっとだけ同情した。……むしろ、ここまで絶望的でも諦めない、不屈の精神に感服せざるを得ない。

 とにかく、エルスペス嬢のばーさんに会いに行くことにして奥の部屋を出れば、すでに終業時刻は過ぎていて、エルスペス嬢は帰宅した後だった。慌てて馬車で追いかけると、案の定、エルスペス嬢の腕をハートネルが掴み、何か話し合っている。

「あああああ! やっぱりあいつ――!」
「いやだから、そもそも殿下が悪いんだってば! 俺は馭者の横に移動しますから!」

 馬車で横に乗り付けて、殿下は高圧的に命令して、エルスペス嬢をハートネルから引き離して馬車に乗せ、彼女の家に向かう。どんどんダメな方向に舵を切っていく殿下に、俺の方が泣きたい気分だ。車輪の音に邪魔されて、馬車の中の二人の会話は聞き取れなかったけれど、殿下が必死に謝っている雰囲気だけは感じ取れたが、エルスペス嬢の感触はよくない。もう、手遅れなんじゃ――と俺が思っていた時、馭者が言った。

「あの家ですよね? でも辻馬車みたいなのが止まってますよ。……なんだろう?」

 馬車から降りたった人物の風貌と、大きな鞄を見て、俺は直感的にわかった。


 ――レディ・ウルスラが倒れたのだ。結婚のお許しどころじゃない。




 そこから先は、俺は脳みそをフル回転させて動いた。
 まず、レディ・ウルスラの入院と、その費用を殿下が全額負担することの言質を取る。

 最初は王立診療所に、だが、できれば療養院のコーネル医師の診察を受けさせたい。
 問題は、入院させた後の、エルスペス嬢の生活だ。メイドはレディ・ウルスラに付き添うことになるだろう。執事と二人っきりで、こんな下町で生活させるのか? 普通に考えて、エルスペス嬢が料理を作るなんてちょっと想像できない。料理人でも派遣するか?

「俺の、アパートメントに泊めれば――」
「それを承知すると思いますか? あんなことやっといて」
「それは――」

 気まずそうに視線を彷徨わせ、殿下は言った。

「でも他に方法はないだろう。俺は今夜は晩餐会の後は父上に呼び出されて帰りは遅くなる。彼女がどうしても拒否する場合は、俺は郊外の邸に戻るから、何とか説得しろ」

 殿下は入院手続きその他に付き合う時間はないから、王宮から迎えの馬車を寄越してもらうことにして、しばらくエルスペス嬢の家で待機する。馬車を降りた殿下は、小さな、古びた家を見て眉を顰めた。

「……こんな、小さな家に住んでいたなんて――」


 



 
 入院手続きを済ませ、エルスペス嬢を王都のアパートメントに送り届けて、俺が王宮の殿下の控え室に顔を出した時、殿下は晩餐会を終えて国王陛下の私室に伺候するための、着替えの最中だった。

「どうだった、エルシーは……それから、おばあ様は?」

 タイを結びながら早口に尋ねる殿下に、俺がかいつまんで報告する。レディ・ウルスラは無事、王都郊外の療養院に、エルスペス嬢は王都のアパートメントに落ちついたと。

「あの家は不動産屋を通して少し手を入れて、人に貸すことにします。レディ・ウルスラが退院したら、別の家を用意しましょう。……あそこは病人には騒がしいし、空気もよくないっすから」
「ああ、俺もその方がいいと思う。……エルシーは?」
「ほんの身の廻りのものと……それから、食堂の暖炉マントルピースの上に飾ってあった、絵を大事に抱えて、アパートメントに移りましたよ。殿下のことは警戒しているみたいだけど」
「……あの、絵を?」
「ええ、あの変な絵。大事なものだって言って」

 殿下が大きな手で口元を覆う。

「……殿下?」
「あれ、俺が描いたんだ。昔――それで、エルシーが欲しいって言うからやって……まだ、あんな風に飾ってたなんて」
「ええ、そうなんすか? 抽象絵画にしては中途半端だなって。ていうか単純に下手――っと」

 俺が慌てて口をふさぐが、殿下は感極まったような表情で、無言で何かを噛みしめていた。




 幼すぎた彼女は殿下を憶えていなかったけれど、まったく何もかも忘れ去ったわけじゃなかった。
 思い出の欠片を抱き締めるように、王都の小さな家に、殿下の絵を飾っていた彼女。    

 忘れられず思い続けた殿下のアパートメントに、思い出の絵を大事に抱えて、思い続けた初恋の彼女がやってきた。男の激情が暴発しても、これはもう、しょうがないかなと、俺は思う。最初の夜を我慢しただけでも、よく頑張った方だ。

 レディ・ウルスラの許しを得る前に、殿下は思いを遂げてしまった。本気で結婚を望むなら、身体の関係ができてしまったのは、はっきり言えば悪手だ。でも、長く渇いた砂漠を旅して、ようやくオアシスにたどり着いた旅人に、水を飲むななんて言えるわけがない。少なくとも、俺には言えない。溺れるようにエルスペス嬢にのめり込む殿下の様子に、俺から事情を聞いたジョナサンたちも、静観するしかないと、腹をくくった。

 二人の間に立ちはだかる障害は大き過ぎる。一時の激情が去れば、殿下も冷静に、二人の未来に思い致すはず。その日まで、せめてエルスペス嬢が理不尽に傷つけられないよう、見守るしかない。


 

 


 でも、二人の束の間の蜜月すら、権力の前にあっさり断ち切られる。

 レコンフィールド公爵は、ステファニー嬢とアルバート殿下の婚約の認可を国王から得ると、それを殿下に断りもなく、議会にかけて勝手に承認を得てしまった。――さすがに、そこまでするとは殿下も考えていなかった。もちろん、俺もだ。嫌がる殿下に、無理矢理に娘を嫁がせて、いったい何がしたいのか? 今のご時世、王子の外戚になったことろで、たいした権勢を振るえるわけでもない。殿下の、ステファニー嬢に対する心証は、最悪のところまで堕ちてしまっているというのに。

 そしてさらに、レコンフィールド公爵家の顧問弁護士がレディ・ウルスラに接触し、エルスペス嬢とアルバート殿下の関係を暴露し、二人を別れさせるように要求した。孫娘がアルバート殿下と関係を持った理由に、彼女は当然、思い当たっただろう。それは貴族として誇り高く生きてきた彼女にとって、きっと耐え難いことだったに違いない。

 倒れたレディ・ウルスラはそのまま亡くなった。


 エルスぺス嬢はその死を自分の責任だと捉え、殿下に別れを切り出した――。
 彼女に去られた殿下は、俺に彼女が必要となるはずの喪服の手配を命じると、それ以外の何もかもうっちゃって、王都のアパートメントで三日三晩、酒浸りで過ごした。レコンフィールド公爵令嬢との正式な婚約披露にも、もちろん欠席だ。国王陛下の命令を受けて、無理矢理、連れ出そうとやってきた侍従連中も、あまりにベロベロな殿下の状態に、諦めて帰っていったくらいだ。無理強いすれば、自殺しかねない、と普段温厚なジョナサンの脅しが効いたのもあるが。

 四日目の朝にマクガーニ中将がやってきて、極めて軍隊式に、殿下は文字通り叩き起こされ、鬼の説教を食らってようやく、目を覚ましたらしい。

 エルスペス嬢とマクガーニ中将は、その晩の夜行でリンドホルムに向かう。もし本当に彼女を守りたいならば、殿下も再び立ち上がらなければならない。
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