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第二章
食堂車
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食事を始めてしばらくして、髪をキッチリ撫でつけ、かっちりした服装をした男性二人組がやってきて、わたしたちの席の後ろに案内される。ロベルトさんが片手を挙げ、二人は殿下に向かって目礼した。
「外交部の官僚だ。今回の会議に同行する」
一人は四十代で髪に白い物が混じり、もう一人は三十そこそこ位に見えた。特に若い方の男性はあからさまにジロジロとわたしを見てきて、わたしが下を向くと、殿下も気づいて彼を見た。殿下に睨まれて、男は気まずくなったのか、視線を逸らした。その後は各テーブルで銘々、話が弾んで、わたしと殿下もぽつぽつ話をしながら食事を続ける。
魚料理はスズキ、肉のメインは猪肉の赤ワイン煮込みだった。
「なんだか不思議な気分」
わたしがよく煮込まれた猪肉を小さく切りわけながら言えば、殿下が顔を上げる。
「何が?」
「だって、動いている汽車の中で、こんな本格的なお料理が食べられるなんて」
「それがこの列車のウリだからな。……王都の、一流のシェフを引き抜いたらしいぞ? デザートもサボワン・ホテルのパティシエが乗っているそうだ」
「まあ、サボワンの……」
サボワン・ホテルは王都の老舗の一流ホテルで、そこのレストランもかなり格式が高い。……殿下にも一度、連れていっていただいたことがある。確かに美味しかった。
「でも、汽車の食堂車の厨房って、大変そうだわ。朝食も昼食も必要だし……本当に贅沢ね」
「鉄道の無い時代は馬車で走って、それぞれの町の宿屋に泊まって名物を食べていた。それはそれで楽しそうだけどな。……でも、汽車の寝台車なら、眠っている間も進むことができるから」
「あの座席がベッドになるなんて、信じられない」
「ダブルベッドじゃないのが、唯一の不満だな」
殿下が笑って、柔らかく煮込んだ肉を口に放り込む。メインが終わると数種類のチーズが並び、食卓が片付けられ、デザートは栗を使ったケーキが出た。甘いものが苦手な殿下はケーキは断り、ブランデーをオーダーする。
わたしたちが食後のコーヒーになるのを見はからったように、少し離れた席にいた初老の男性が近づいてきて、隣国ルーセンの訛りがあるものの滑らかなランデル語で、殿下に挨拶する。
「失礼、アルバート殿下。私はこの国際寝台車会社の重役の、リュシアン・ベジャールと申します。殿下の旅が快適でありますように」
殿下は一瞬、金色の瞳を見開いたが、すぐに微笑んでブランデーのグラスを置き、ベジャール氏に隣の席を薦めた。
「ああ、あなたが。お噂はかねがね。アルバート・アーネスト・ヴィクターです。……いかがです、おひとつ」
殿下が胸元から銀製の紙巻煙草入れを出して薦めれば、ベジャール氏は如才なく椅子に座り、殿下が差し出す煙草を一本取る。彼は自分のポケットからマッチを出して煙草に火を点けると、美味そうにくゆらせてから、給仕を呼んでブランデーを注文する。国際寝台車会社の本社は隣国ルーセンの首都に置かれ、この列車も我が国ランデルを抜けてルーセンを横断し、そこからアルティニア帝国の領域に入る。だから重役のベジャール氏もルーセン人なのだ。
「いかがです、この列車の印象は。……王族専用の特等車両の乗り心地は?」
「ええ、素晴らしい。非常に快適ですよ。……まだ、寝台の寝心地は試していませんがね」
殿下も煙草を咥えると、ベジャール氏が自然な動作でマッチを擦り、殿下の煙草に火を点ける。
「この車両は食堂車にも凝りましてね、わが社の社運を賭しているんですよ。殿下のような顧客にご満足いただきたいと思って。どうしても鉄道の旅は質実剛健に陥りがちだ。鉄道の旅にも、船旅のような優雅な時間を、と言うのがこの列車のコンセプトですよ。我が国は王制を廃しましたが、ノスタルジーはあります。他国の高貴な方にも楽しんでいただけるよう、さまざまな工夫を凝らしているんです」
「確かに、鉄道の旅はスピードだけを求めがちだが、存外、長旅になる。旅の過程を楽しむことも重要ですね。そういった意味で、この列車の試みは画期的だ」
普段は下町のチンピラのような言葉遣いだが、殿下だってその気になれば紳士らしい会話もできるのだ。
わたしがそんなことを考えながら、少し冷ましたコーヒーを一口飲んでいると、ベジャール氏がわたしの方をチラリと見て、小声で尋ねた。
「そちらのお美しいご婦人は? 殿下。ずいぶんと親密そうな――」
「ミス・アシュバートン。故リンドホルム伯爵の娘で俺の――恋人だ」
はっきり言い切った殿下に、ベジャール氏だけでなく、わたしも息を呑んだ。……殿下の背後の、外交部の二人が硬直するのが見えた。
「……新聞にあった女性ですかな。――その、議会が承認した方とは別のようですが」
「議会の承認した方とは、俺は戦争前に白紙に戻している。父上も公爵も、納得したはずだったのだがな。ミス・アシュバートンは俺の恩人とも言うべき人の娘で、父親が戦死した後、陸軍司令部で働いていた。今回も、公式には秘書官の立場で同行しているが、俺は父上の許しを得て、彼女と結婚するつもりだったのに、公爵が先走って厄介な騒ぎになった」
紫煙を吐き出しながらの殿下の言葉に、ベジャール氏が失礼にならないよう細心の注意を払ってわたしをチラチラと見る。わたしは無言でただ、目を伏せた。
「……リンドホルム伯爵……失礼、私は生憎、ランデルの貴族に詳しくなくて」
「先のリンドホルム伯爵のマックス・アシュバートンは戦死しているのに、どういうわけか、彼女の代襲相続が認められなかった。俺はマックスに恩もあるし、彼女の権利を取り戻したいと考えている。俺は国王になる予定もないし、ミス・アシュバートンと結婚するのに、何も問題はないはずだったのだがな」
殿下は灰皿に灰を落としながら言い、もう一つの手でブランデーのグラスを呷る。
「なるほど……恩人のご令嬢で、もともと伯爵令嬢でもある。身分的には問題ないということですかな」
ベジャール氏は納得して、しかし殿下をじっと見つめる。
「ですが……世論の理解を得るのは難しいのではないですかね? 私もですが、てっきり、殿下は公爵令嬢とご結婚なさると思っておりましたのに」
殿下は煙草を灰皿でもみ消し、二本目の煙草を取り出して、今度は自分で火を点ける。
「……俺とステファニーとは、もともと正式に婚約していたわけじゃない。俺は出征する前に、直前まで進んでいた婚約を白紙に戻して、彼女には俺の帰りを待たずに結婚するように言っておいた。……そこまでは、新聞でも報道されていると思うが」
ベジャール氏が頷く。
「ええ、わたしもそう、認識しております。……ですが、公爵令嬢は結婚もせず、殿下のお帰りを待ち続けた。ところが、殿下は帰還から半年もたたずに別の方と、というのは……」
ベジャール氏がわたしの方をチラリと見る。
「しかも、ずいぶん親密な仲で……個室もご一緒だと、車掌より報告が――」
「別に、俺はミス・アシュバートンとの仲を隠すつもりはない」
『親密な仲』だと言うのを殿下は特に否定はしない。わたしと殿下が一つの個室に泊まることは、鉄道会社の重役であるベジャール氏には筒抜けだから、今更、取り繕っても無駄なのだ。
「……なるほど。やはりお若い方は、先進的な恋愛観をお持ちのようだ」
ベジャール氏は煙草の火を灰皿でもみ消しながら言う。
「私のような年寄りには、ちょっと刺激的にすぎますが――なんにせよ、殿下とミス・アシュバートンが快適な旅を続けられることを祈るばかりですよ。何か要望がありましたら、遠慮なく言ってください。私はビルツホルンまでご一緒しますので。できる限り、誠意を持って対応させていだきます」
「ああ、ありがとう」
ベジャール氏はブランデーを飲み干すと立ち上がり、殿下と握手を交わして、わたしにも目礼すると、食堂車を出ていった。
それまで、にこやかに対応していた殿下は、途端に大げさに肩を竦めて、溜息を一つつく。わたしもコーヒーは飲み終わっていたので、殿下に声をかけた。
「でん――いえ、リジー、そろそろ……」
「ああ、そうだな――ロベルト、俺たちは戻る」
「はいはい~、俺たちはそちらの官僚氏らと打ち合わせていきますんで~」
護衛としてはラルフ・シモンズ大尉が戻ることになり、彼も煙草をもみ消して立ち上がる。気配を察した給仕がわたしのコートを持ってきて、殿下が受け取って着せかけてくださる。
と――。
「ねえ、やっぱりそうだわ。あなた、ミス・アシュバートンよねぇ。レディ・ウルスラのお孫さんの――」
いきなり声をかけられ、わたしはギョッとして振り返る。そこに立っていたのは、上品そうな老婦人二人組。……どこかで見たことが――と、思うそばから気が付いた。
「ええっと――レディ・アランと、レディ・リーガル……でしたっけ。いつぞやは――」
「ああ、やっぱり! お久しぶりですこと! まあ、こんなところで偶然!」
「知り合いか? エルシー?」
殿下に聞かれ、わたしは慌てて小声で言う。
「祖母の――療養院でお会いしたのです」
殿下が目を見開いた。
「入院していたのはわたくしだったのだけどね、あの後、すぐに退院して――この後、暖かい南の方に転地療養に行くのよ」
ふっくらした方の老婦人が言い、痩せた、やや厳しい雰囲気の老婦人が補足をする。
「ええ、リーデンで南のシクラサ行きの長距離列車に乗り換えますの。姉は呼吸器がよくないので、暖かくて空気のいい、海辺の町で療養しようと思いましてね」
「そうでしたの。……お元気におなりになって、よかったです」
「あなたはどちらまで? レディ・ウルスラはまだ療養院に?」
「それは――」
善良な笑顔で何気なく聞かれて、わたしは絶句してしまう。思わず口元を押えて俯いたわたしを、殿下がそっと抱き寄せ、優しい口調で言った。
「彼女は軍の仕事で東の――ビルツホルンまで。……レディ・ウルスラは亡くなって、葬儀もすんだのですが、彼女は家族もいなくなってしまったので、一人にするよりは仕事をしていた方がいいだろうと」
「んまあ! なんてこと!」
「そんな、全然、存じ上げませんでしたわ! 王都の新聞に死亡広告はお出しにならなかったのね!」
「……ええ……王都には特に知り合いもおりませんでしたので、地元の方でだけ……」
半ば涙声になってしまったわたしを気遣うように、殿下が二人の老婦人に言う。
「レディ・ウルスラが最後に、王都でもご友人に恵まれたようで、幸いです。……リーデンまで三日ほどある。もしよければ、また、彼女と話をしてください」
「え、ええ、もちろんですとも」
「では、失礼します」
殿下に支えられるようにして、わたしは食堂車を後にした。
「外交部の官僚だ。今回の会議に同行する」
一人は四十代で髪に白い物が混じり、もう一人は三十そこそこ位に見えた。特に若い方の男性はあからさまにジロジロとわたしを見てきて、わたしが下を向くと、殿下も気づいて彼を見た。殿下に睨まれて、男は気まずくなったのか、視線を逸らした。その後は各テーブルで銘々、話が弾んで、わたしと殿下もぽつぽつ話をしながら食事を続ける。
魚料理はスズキ、肉のメインは猪肉の赤ワイン煮込みだった。
「なんだか不思議な気分」
わたしがよく煮込まれた猪肉を小さく切りわけながら言えば、殿下が顔を上げる。
「何が?」
「だって、動いている汽車の中で、こんな本格的なお料理が食べられるなんて」
「それがこの列車のウリだからな。……王都の、一流のシェフを引き抜いたらしいぞ? デザートもサボワン・ホテルのパティシエが乗っているそうだ」
「まあ、サボワンの……」
サボワン・ホテルは王都の老舗の一流ホテルで、そこのレストランもかなり格式が高い。……殿下にも一度、連れていっていただいたことがある。確かに美味しかった。
「でも、汽車の食堂車の厨房って、大変そうだわ。朝食も昼食も必要だし……本当に贅沢ね」
「鉄道の無い時代は馬車で走って、それぞれの町の宿屋に泊まって名物を食べていた。それはそれで楽しそうだけどな。……でも、汽車の寝台車なら、眠っている間も進むことができるから」
「あの座席がベッドになるなんて、信じられない」
「ダブルベッドじゃないのが、唯一の不満だな」
殿下が笑って、柔らかく煮込んだ肉を口に放り込む。メインが終わると数種類のチーズが並び、食卓が片付けられ、デザートは栗を使ったケーキが出た。甘いものが苦手な殿下はケーキは断り、ブランデーをオーダーする。
わたしたちが食後のコーヒーになるのを見はからったように、少し離れた席にいた初老の男性が近づいてきて、隣国ルーセンの訛りがあるものの滑らかなランデル語で、殿下に挨拶する。
「失礼、アルバート殿下。私はこの国際寝台車会社の重役の、リュシアン・ベジャールと申します。殿下の旅が快適でありますように」
殿下は一瞬、金色の瞳を見開いたが、すぐに微笑んでブランデーのグラスを置き、ベジャール氏に隣の席を薦めた。
「ああ、あなたが。お噂はかねがね。アルバート・アーネスト・ヴィクターです。……いかがです、おひとつ」
殿下が胸元から銀製の紙巻煙草入れを出して薦めれば、ベジャール氏は如才なく椅子に座り、殿下が差し出す煙草を一本取る。彼は自分のポケットからマッチを出して煙草に火を点けると、美味そうにくゆらせてから、給仕を呼んでブランデーを注文する。国際寝台車会社の本社は隣国ルーセンの首都に置かれ、この列車も我が国ランデルを抜けてルーセンを横断し、そこからアルティニア帝国の領域に入る。だから重役のベジャール氏もルーセン人なのだ。
「いかがです、この列車の印象は。……王族専用の特等車両の乗り心地は?」
「ええ、素晴らしい。非常に快適ですよ。……まだ、寝台の寝心地は試していませんがね」
殿下も煙草を咥えると、ベジャール氏が自然な動作でマッチを擦り、殿下の煙草に火を点ける。
「この車両は食堂車にも凝りましてね、わが社の社運を賭しているんですよ。殿下のような顧客にご満足いただきたいと思って。どうしても鉄道の旅は質実剛健に陥りがちだ。鉄道の旅にも、船旅のような優雅な時間を、と言うのがこの列車のコンセプトですよ。我が国は王制を廃しましたが、ノスタルジーはあります。他国の高貴な方にも楽しんでいただけるよう、さまざまな工夫を凝らしているんです」
「確かに、鉄道の旅はスピードだけを求めがちだが、存外、長旅になる。旅の過程を楽しむことも重要ですね。そういった意味で、この列車の試みは画期的だ」
普段は下町のチンピラのような言葉遣いだが、殿下だってその気になれば紳士らしい会話もできるのだ。
わたしがそんなことを考えながら、少し冷ましたコーヒーを一口飲んでいると、ベジャール氏がわたしの方をチラリと見て、小声で尋ねた。
「そちらのお美しいご婦人は? 殿下。ずいぶんと親密そうな――」
「ミス・アシュバートン。故リンドホルム伯爵の娘で俺の――恋人だ」
はっきり言い切った殿下に、ベジャール氏だけでなく、わたしも息を呑んだ。……殿下の背後の、外交部の二人が硬直するのが見えた。
「……新聞にあった女性ですかな。――その、議会が承認した方とは別のようですが」
「議会の承認した方とは、俺は戦争前に白紙に戻している。父上も公爵も、納得したはずだったのだがな。ミス・アシュバートンは俺の恩人とも言うべき人の娘で、父親が戦死した後、陸軍司令部で働いていた。今回も、公式には秘書官の立場で同行しているが、俺は父上の許しを得て、彼女と結婚するつもりだったのに、公爵が先走って厄介な騒ぎになった」
紫煙を吐き出しながらの殿下の言葉に、ベジャール氏が失礼にならないよう細心の注意を払ってわたしをチラチラと見る。わたしは無言でただ、目を伏せた。
「……リンドホルム伯爵……失礼、私は生憎、ランデルの貴族に詳しくなくて」
「先のリンドホルム伯爵のマックス・アシュバートンは戦死しているのに、どういうわけか、彼女の代襲相続が認められなかった。俺はマックスに恩もあるし、彼女の権利を取り戻したいと考えている。俺は国王になる予定もないし、ミス・アシュバートンと結婚するのに、何も問題はないはずだったのだがな」
殿下は灰皿に灰を落としながら言い、もう一つの手でブランデーのグラスを呷る。
「なるほど……恩人のご令嬢で、もともと伯爵令嬢でもある。身分的には問題ないということですかな」
ベジャール氏は納得して、しかし殿下をじっと見つめる。
「ですが……世論の理解を得るのは難しいのではないですかね? 私もですが、てっきり、殿下は公爵令嬢とご結婚なさると思っておりましたのに」
殿下は煙草を灰皿でもみ消し、二本目の煙草を取り出して、今度は自分で火を点ける。
「……俺とステファニーとは、もともと正式に婚約していたわけじゃない。俺は出征する前に、直前まで進んでいた婚約を白紙に戻して、彼女には俺の帰りを待たずに結婚するように言っておいた。……そこまでは、新聞でも報道されていると思うが」
ベジャール氏が頷く。
「ええ、わたしもそう、認識しております。……ですが、公爵令嬢は結婚もせず、殿下のお帰りを待ち続けた。ところが、殿下は帰還から半年もたたずに別の方と、というのは……」
ベジャール氏がわたしの方をチラリと見る。
「しかも、ずいぶん親密な仲で……個室もご一緒だと、車掌より報告が――」
「別に、俺はミス・アシュバートンとの仲を隠すつもりはない」
『親密な仲』だと言うのを殿下は特に否定はしない。わたしと殿下が一つの個室に泊まることは、鉄道会社の重役であるベジャール氏には筒抜けだから、今更、取り繕っても無駄なのだ。
「……なるほど。やはりお若い方は、先進的な恋愛観をお持ちのようだ」
ベジャール氏は煙草の火を灰皿でもみ消しながら言う。
「私のような年寄りには、ちょっと刺激的にすぎますが――なんにせよ、殿下とミス・アシュバートンが快適な旅を続けられることを祈るばかりですよ。何か要望がありましたら、遠慮なく言ってください。私はビルツホルンまでご一緒しますので。できる限り、誠意を持って対応させていだきます」
「ああ、ありがとう」
ベジャール氏はブランデーを飲み干すと立ち上がり、殿下と握手を交わして、わたしにも目礼すると、食堂車を出ていった。
それまで、にこやかに対応していた殿下は、途端に大げさに肩を竦めて、溜息を一つつく。わたしもコーヒーは飲み終わっていたので、殿下に声をかけた。
「でん――いえ、リジー、そろそろ……」
「ああ、そうだな――ロベルト、俺たちは戻る」
「はいはい~、俺たちはそちらの官僚氏らと打ち合わせていきますんで~」
護衛としてはラルフ・シモンズ大尉が戻ることになり、彼も煙草をもみ消して立ち上がる。気配を察した給仕がわたしのコートを持ってきて、殿下が受け取って着せかけてくださる。
と――。
「ねえ、やっぱりそうだわ。あなた、ミス・アシュバートンよねぇ。レディ・ウルスラのお孫さんの――」
いきなり声をかけられ、わたしはギョッとして振り返る。そこに立っていたのは、上品そうな老婦人二人組。……どこかで見たことが――と、思うそばから気が付いた。
「ええっと――レディ・アランと、レディ・リーガル……でしたっけ。いつぞやは――」
「ああ、やっぱり! お久しぶりですこと! まあ、こんなところで偶然!」
「知り合いか? エルシー?」
殿下に聞かれ、わたしは慌てて小声で言う。
「祖母の――療養院でお会いしたのです」
殿下が目を見開いた。
「入院していたのはわたくしだったのだけどね、あの後、すぐに退院して――この後、暖かい南の方に転地療養に行くのよ」
ふっくらした方の老婦人が言い、痩せた、やや厳しい雰囲気の老婦人が補足をする。
「ええ、リーデンで南のシクラサ行きの長距離列車に乗り換えますの。姉は呼吸器がよくないので、暖かくて空気のいい、海辺の町で療養しようと思いましてね」
「そうでしたの。……お元気におなりになって、よかったです」
「あなたはどちらまで? レディ・ウルスラはまだ療養院に?」
「それは――」
善良な笑顔で何気なく聞かれて、わたしは絶句してしまう。思わず口元を押えて俯いたわたしを、殿下がそっと抱き寄せ、優しい口調で言った。
「彼女は軍の仕事で東の――ビルツホルンまで。……レディ・ウルスラは亡くなって、葬儀もすんだのですが、彼女は家族もいなくなってしまったので、一人にするよりは仕事をしていた方がいいだろうと」
「んまあ! なんてこと!」
「そんな、全然、存じ上げませんでしたわ! 王都の新聞に死亡広告はお出しにならなかったのね!」
「……ええ……王都には特に知り合いもおりませんでしたので、地元の方でだけ……」
半ば涙声になってしまったわたしを気遣うように、殿下が二人の老婦人に言う。
「レディ・ウルスラが最後に、王都でもご友人に恵まれたようで、幸いです。……リーデンまで三日ほどある。もしよければ、また、彼女と話をしてください」
「え、ええ、もちろんですとも」
「では、失礼します」
殿下に支えられるようにして、わたしは食堂車を後にした。
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