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第二章

驟雨

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 祖母の葬儀の日、晩秋の空はあくまで高く、青く澄んでいた。
 三年ぶりに見上げる、リンドホルム城下の教会の尖塔が、その青空を切り裂くように聳え立っている。初代のリンドホルム伯爵が、王家からこの地を安堵されたのは王国の草創期。教会はその時に、初代の伯爵の寄進によって創建された。幾度かの修築を経て、この地域では最古の歴史を誇る。

 石造りの教会の中は冷え冷えとして、足もとから、冷気が立ち上ってくる。中央の祭壇の前には、たくさんの白い花で覆われた、祖母の柩。――三年前、花に飾られた弟の柩を見送り、今また祖母も。父の遺体は現地で火葬に付されて、小さな壺に入っていたけれど、空の柩に入れて花で飾った。……母を見送って以来、何人も家族を失って、とうとう一人ぼっちになったわけだ。

 祭壇の奥には、初代の伯爵とその妻の柩が安置されている。――妻は、王家に連なる姫君で、初代国王の庶子だとも言われるが、記録は曖昧ではっきりしない。ただ、わが家はその後、王都を遠く離れたこの地に根を張り、中央の政治に関わることなく領地経営に専念して、城だけは立派な田舎領主に成り果てていった。世の中が変わった今、昔ながらの貴族が、財産や城、体面を保った暮らしを維持していくのはもはや不可能で、たいていの貴族は何か新規事業や投資に手を出し、そして多くの場合失敗して、財産をさらに失う結果になっている。――サイラスも、そうなのだろう。

 牧師様のボソボソとした説教の間、わたしはそんなことをぼんやり考えていた。

 朝に、殿下――いや、リジーから聞かされた話が頭の中をぐるぐる回っている。
 弟のビリーは病死ではなくて、毒殺かもしれない。

 わたしは毒のことなんてわからない。ただ、サイラスのアレルギーという診断を信じるしかなかった。サイラスは父の従兄で早くから医学を志し、身体の弱かったビリーを幼いころから主治医として診てきた。……もし、ビリーを殺すなら、もっと早くに殺せていたのでは……。

 そこまで考えて、わたしは思い直す。

 もし、ビリーがもっと早くに――父が存命中に――死んでいたら、父は一人娘であるわたしの代襲相続を王家に願い出ていただろう。
 この国の法では、嫡出の男子のみ継承を認めるが、嫡出の男子がおらず、かつ嫡出の女子のみがいる場合、事前に王家に願い出て勅許が降りていれば、女児への相続が――厳密には、女児の産む男児への相続が――認められる。

 我が家は成人前とはいえ、嫡出の男子であるビリーがいた。しかし、襲爵直後にビリーは死んだ。事前に勅許を得た相続人がいない場合、法に従って、次に直系に近い男子に爵位は移る。その人は父の、別の従兄の息子になるはずだが、わたしは顔も名前もしかとは記憶していない。だが、父は戦死であったから、わたしへの代襲相続は認められるだろうと周囲は考えて、顧問弁護士を通じて王家に願い出た。しかし、結果として、申請は却下され、勅許は下りなかった。

 ちょうどその同じころに、法的には爵位を継承すべきとされた父の従兄の息子の、戦死の報せが我が家にもたらされたのだった。だから、法定相続の順位が繰り上がり、サイラスが継承者になった。

 ビリーが死んだ時、サイラスは継承予定者ではなかった――。






 葬儀が終わり、埋葬のために柩が墓地へと運ばれる時、それを担ぐ近親者の一人として殿下が進み出て、周囲がざわめいた。
 いかにも質のいい、黒い礼装に身を固めた背の高い黒髪の男。近隣ではついぞ見かけない男の姿に、背後のどこかで、囁く声がした。

「アルバート殿下の代理人だそうだけど、レディ・ウルスラの遠い親族だそうだよ」
「まあ、そうなの、アルバート殿下の……」

 牧師様が聖典の祈りを唱え、聖歌隊の少年がベルを鳴らしながら柩を先導し、わたしは最も近い位置で柩に着いて行く。

「エルスペスお嬢様だよ! お綺麗になりなすった!」

 昔のわたしを見憶えている人が物見高く言う声が聞こえるが、わたしはそれを無視し、まっすぐ柩を見つめて歩く。わたしを守るようにマクガーニ中将が並んで歩いてくれた。

 領主一族の墓が並ぶ墓地の一角に、祖母の柩が埋められ、土がかけられていく。晴れていた青空が俄かに曇り、厚い雲が垂れこめはじめ、ちょうど土が全て覆い、牧師様のお祈りが終わったあたりから、ポツリ、ポツリと雨の雫が落ちる。
 秋口の天気が変わりやすいのは、いつものこと。降り出した雨に牧師様が早口に解散と言い、参列者が屋根のある場所へと散っていくが、わたしはその場から動くことができなかった。そのまま、霧雨のような雨の中に立ち尽くしていたわたしが、ふと我に返った時、どれほどの時が発っていたのか。

 わたしはそれほど濡れてはいなかった。わたしの隣に殿下が立って、どこかから借りてきた蝙蝠傘こうもりがさを挿しかけていたから。

「でん――」
「リジーだ。……もう、行こう。この後、あの庭を見せてもらうことになっている」

 あ、とわたしが思い出す。

「……申し訳ありません」
「謝るな。……たった一人の身内に死なれたんだ。哀しくないはずがない」

 殿下はそう言って、祖母の産められた土の山を一瞥してから、わたしに白いハンカチを差し出す。それで初めて、自分の頬を涙で濡れていることに気づいた。

 わたしは大人しくハンカチを受け取り、目の下を軽く押えると、殿下がわたしの背中に手を当てて、促すようにして、二人、歩き出す。

「さっきは、おかしなことを言って悪かった。まだ、証拠は不十分で……ただ……」
「ただ……?」

 驟雨しゅううの中、傘を差しかけられた腕に手をかけて縋るようにして、わたしは殿下を見上げる。殿下の金色の瞳がわたしを見下ろして、少しだけ迷うように彷徨った。

「……その……正直言って、ここは危険だ。あの、ダグラスとかいうクズ野郎もいるし――」
「わたしも、まさかここに厄介になろうとは思っていません。……ここに、わたしの居場所はないわ……」

 ……王都にもないけど。

「本当は、王都の俺の、アパートメントか、郊外の邸の方に住んで欲しいが、マクガーニが絶対にダメだって譲ってくれない」
「……そりゃあ、そうでしょうね」
 
 殿下は溜息交じりに言った。

「エルシーと結婚したいのなら、一緒に住んではダメって。……どうせ結婚するんだから、いいじゃないかって思うんだが」
「……同棲している愛人との結婚なんて、認められるわけないでしょう」

 わたしが呆れたように言えば、殿下も眉を顰めた。

「……本気で結婚したいなら、貴族の令嬢としてもっと尊重しろと。……以前、ジョナサンにも叱られたんだがな。マクガーニはもっと遠慮がなくて、自分の息子だったら殴っているとまで……」

 殿下がわたしの方に少しだけ身をかがめるようにして、耳元で言う。

「……すまなかった。お前に再会できたことで舞い上がって、周囲が見えなくなっていた。俺は、戦争でそれなりの功績も上げたし、多少の我儘も通せると、思い上がっていた。……お前が、どう思うのか、周囲からどう見られるのか、深く考えていなかった。……俺が、全部悪い」
「でん……じゃなくて、リジー……」
「お前が、俺のことをすっかり忘れていると気づいた時に、お前はもう、俺の記憶の中の小さなエルシーじゃなくて、一人の大人の女なんだと思ったら、どうしても、歯止めが効かなかった。……愛してる。エルシー。どれだけ時間がかかっても、どれだけの人間を敵に回しても、王子としての地位を失っても、俺はお前と結婚したい。だから――これから先は俺がお前を守るから、だから、信じて側にいて欲しい。エルシー……」

 わたしたちが教会に戻るころ、雨は小止みになり、青い空に虹がかかる。




 祖母の魂は、あの虹の橋を渡って、天に昇ったのだろうか。


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