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幕間 首席秘書官ロベルト・リーン大尉の業務日誌
エルスペス・アシュバートン嬢
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アルバート殿下の強い希望もあって、俺は平民出身者としては異例の抜擢で、殿下の秘書官に採用された。殿下の命が危ない以上、当たり前だが側近の命も危ない。ぶっちゃければ命を張ってもいい、という志願者がいなかったらしい。俺以外の、侍従官のジェラルド・ブルックとジョナサン・カーティスは侯爵家と伯爵家の御曹司で、殿下が士官学校を出て以来、侍従兼護衛として仕えている側近。そして殿下の護衛の責任者には、特に勅命によって特務機関のマックス・アシュバートン中佐が当たることになり、その配下のラルフ・シモンズも護衛に加わる。殿下は士官学校は出たものの、成績は落第スレスレで、実戦経験もゼロ。一部隊を率いるなんて、不可能だ。だからマックス・アシュバートン中佐は、要するに部隊の実質的な指揮官だった。
俺たちが送られたのは、東西に長く伸びた戦線の、西側。その当時の一番の激戦地は、シュルフト帝国の主力と直接対決する東部戦線で、山のような戦死者が出ていた。中立を宣言していたグリージャに接した西部戦線はまだマシ、という触れ込みだった。――三年前の、あの日までは。
中立国だったはずの隣国グルージャが突如宣戦を布告し、中立地帯に近くて安全だったはずの西部戦線を、敵の大部隊が急襲した。――王族がいるとのリークがあったらしく、俺たちの部隊がいたシャルロー村にも奇襲攻撃があり、小さな、長閑な村は惨劇に見舞われた。村人をも巻き込んだ戦闘で、俺たちの部隊はほぼ壊滅。マックス・アシュバートン中佐が身をもって殿下を庇い、殿下はギリギリで難を逃れ、俺たちは奇跡的に命を拾った。
何とか戦場を逃れた俺たちが、友軍に合流できたのは三日後。二百人の部隊中、生き残ったのはわずか八人だった。――本国では殿下の生存は絶望視されていたらしい。
目の前でマックス・アシュバートン中佐に死なれて、殿下は変わった。
それまで、必要最低限のことしかしようとしなかった殿下が、危険を顧みず、自ら前線に立って兵士を鼓舞し、特には演説し、酒保で一般の兵士たちに交じって酒を飲み、語り合った。敵の攻勢を凌ぐために塹壕戦では、殿下ご自身も塹壕に入り、見張りまでこなした。
味方の誰も、第三王子がそこまでするとは思っていなかったから、圧倒的な劣勢の中でも兵士たちは団結し、長く苦しい塹壕戦に打ち勝ち、敵を追い込んだ。
少数の兵力で敵の背後に迂回し、挟み撃ちにするという、無茶な作戦を実行に移せたのも、殿下に対する将官以下の鉄壁の信頼があっての故だ。この時、殿下は自ら敵陣営への潜入部隊を率い、悪天候の中を泥まみれになって山道を迂回し、敵の砦を急襲して落とすことに成功した。――この戦いが、我が軍の勝利を決定づけた。
休戦協定が結ばれた時、俺たちが出征してから四年が過ぎていた。
戦争から戻ってきて、殿下が一番驚いたのは、レコンフィールド公爵令嬢が、いまだに結婚もせずに、アルバート殿下を待っていたことだった。
殿下や俺たちは、何か月も塹壕に籠ったし、王子の居場所は敵の攻撃の的になりかねないから、厳重な機密だった。だから、本国との手紙のやり取りも大きく制限された。当然、殿下はレコンフィールド公爵令嬢とも、出征以来、完全に没交渉だった。殿下の中では、レコンフィールド公爵令嬢とのことは、すでに終わった話のはずだった。
だが、レコンフィールド公爵も、もちろん令嬢自身も、殿下が生きて帰り、かつ、ステファニー嬢がまだ嫁いでいない以上、まだ婚約は有効だと言い張る。国王陛下もレコンフィールド公爵令嬢との婚約を急がせようとし、殿下はそれに反発した。
「……まったく、俺は誰が何と言おうが、ステファニーとは結婚しないぞ!」
王宮からの帰りの馬車の中で、殿下がブツブツ言う。
「でも、そうもいかないのでは? ジョージ殿下のお加減もよくなくて、王太子殿下のところは三人連続で王女様。陛下も、殿下の結婚を焦っていらっしゃる」
ジェニングス侯爵家の嫡男で、自身もフィルツ子爵の爵位を持つジェラルド・ブルックは、俺たちの中で一番、貴族主義的な考え方をしている。ジェラルドは殿下は当然、レコンフィールド公爵令嬢と結婚するべきだと思っているのだろう。が、殿下はぶーたれた顔で首を振る。
「結婚はするさ。それが義務だと言うのもわかってる。必要だってんなら、何人でも男を産ませてやらあ! でもステファニーはイヤだ!」
「戦前は仲良く出かけていらっしゃったじゃないですか。俺も護衛としてご一緒しましたし」
「ステファニーの我儘を聞かないと面倒くさいんだよ! でも、俺はもう、周囲の言いなりの人生はやめたんだ!」
それから殿下は馬車の向かいの席で書類を見ていた俺に言う。
「そうだ、マックス・アシュバートンの娘のことだが――」
「ああ、マクガーニ中将の下で働いているって、ありましたね。……よかったじゃないですか、ストラスシャーまで行く手間が省けて」
「そんなわけあるか! マックスの息子が直後に急死して、娘も母親も領地を追い出されているなんて、俺は知らなかった! マックスは戦死だぞ? しかも俺を庇って! なんで娘の相続が認められてないんだ!」
「俺に言われましても……調査はさせますけどねぇ。何しろ三年も前で――」
俺が能天気に言えば、俺の隣にいたジョナサン・カーティスが、心配そうに眉を顰めた。
「マックス卿はリンドホルム伯爵でしたよね? ストラスシャーのかなりの名門ですよ。建国以来のはずです。そこのご令嬢が王都で事務職員とは」
ジョナサンもロックィル伯爵の嫡男で純然たる貴族だけど、ジョナサンはマックス・アシュバートン中佐を信奉していたから、そのご令嬢が零落しているというのが衝撃だったらしい。……俺もマックス卿には世話になったし、その家族のことは気になっていた。
「マクガーニ中将もその辺りのことに気を使われて、わざわざご自分の下で使っていらっしゃるのでしょう。中将閣下はマックス・アシュバートン中佐とは昔からの友人だそうですから」
ジェラルドの言葉に、何か考え込んでいた殿下が言った。
「――司令部に行けば、マックスの娘に会えるのだな?」
「そうですけど、何の名目で?」
俺が頷けば、殿下は即座に命令した。
「俺はマクガーニの後任になる。新し職場に下見だ! 今から行くと先ぶれを出せ!」
「今から? いくら何でも迷惑じゃあ――」
だが俺の常識など殿下には通じなくて、結局、俺は馬車を途中で止めて司令部に電話をかけに行かされた。
電話を一本入れておいたとはいえ、突然の訪問には違いない。
だいたい、殿下の我儘で、殿下の帰国はまだ、公にされていない。だから司令部はてんやわんやだっただろう。出迎えた、マクガーニ中将付きのクルツ主任事務官は、見るからに困惑していた。
「突然ですまない。俺は戦前は名ばかりの軍属で、まともな仕事もしていなかった。いきなり王都の陸軍司令なんて、どうしていいかわからない。少し、教えてもらおうと思ってな」
父親ほどの年齢のマクガーニ中将に、殿下がざっくばらんに言えば、中将閣下はごま塩になった髭をしごき、微笑んだ。
「こちらの、クルツ主任がいれば、事務仕事は何とかなりますよ。彼は有能ですから」
飾りのほとんどない、質実剛健な応接室のソファに俺たちが座を占めてから、殿下がおもむろに言った。
「マックス・アシュバートンの娘がこちらにいると聞いたが――」
「やはりそのことでしたか。ええ、事情は細かく聞いていないのですが、祖母と、使用人二人と王都に出てきたようです。金銭的援助を申し出ましたが、マックスの母親のウルスラ夫人は頑固な人で――」
マックス・アシュバートンは娘の代襲相続が却下されることは想定していなかったらしく、彼女はロクな信託財産も確保されていなかったという。
「マックスの母親の体調がよくなくて、薬代が家計を圧迫しているようです。令嬢を臨時の事務職員として採用しましたが、その給金でギリギリ、やっているようです。ですが――」
マクガーニ中将がちらりと殿下を見る。
「陸軍大臣となれば、雇い続けるのは無理――か」
「年頃ですので、いい縁談があれば、と思っていますが、なかなか、一朝一夕には」
溜息をついたマクガーニ中将に、クルツ主任が零す。
「しかしあれでは、嫁の貰い手があるかどうか――」
「え? ブスなの?」
思わず聞いてしまい、俺がハッとして口を押える。……何しろ、マックス・アシュバートン中佐は結構な武闘派で、わりといかついタイプだった。あの父親似の娘だったら、ちょっとヤバい。
だがクルツ主任は首を振る。
「いえ、容姿はいいのですが、何しろ愛想がなくて。誰に言い寄られても取り付く島もない態度で、『氷漬けの処女』なんて渾名までつけられてしまい――」
「処女なのか?」
それまで黙って聞いていた殿下が、いきなり身を乗り出し、食い気味に聞き返す。え? そこに喰いつく? 俺はびっくりして、殿下を諫めようとしたが、しかし、ちょうどノックの音がして、俺たちはハッとした。
「シ! 彼女ですよ!」
何となくドアの方を注目していると、お茶の盆を捧げて、亜麻色の髪をした若い女が入ってきた。
背はそれほど高くないが、痩せて、スタイルはいい。飾りのない白いブラウスに、紺のロングスカート。小さな黒いタイを締めて、サファイアのタイピンで止めている。
あのタイピンに俺は見覚えがあった。
マックス・アシュバートン中佐の、胸にいつも光っていたサファイア。シャルロー村の襲撃の時、殿下は目の前で息絶えた彼の血まみれの胸から、自らそのタイピンを外し、ナイフで髪を少しだけ切って、遺体はその場に残してくるしかなかった。事件の後で遺体は改めて回収したはずだけれど、痛みがひどくて現地で火葬したのだった。
貞潔を意味するサファイアは、令嬢のどこか冷たい美貌によく、似合っていた。
年は十八・九、抜けるような白い肌に、灰色がかった青い瞳、化粧っ気もなく、事務職員の制服は飾りも色気も何もなかったが、なおさら、清楚で初々しい雰囲気を際立たせる。俺たちを見てもお愛想笑いひとつせず、ツンとすました猫のように、上品な身のこなしでテーブルの上に盆を置くと、優雅な手つきでお茶を淹れていく。
そしてその一挙手一投足を、殿下はギラギラした瞳で食い入るように見つめていた。俺はその視線を見た時に、背筋に寒気が走った。だって、それは喩えて言うなら、獲物を見つけた肉食獣の目だったから――。
俺たちが送られたのは、東西に長く伸びた戦線の、西側。その当時の一番の激戦地は、シュルフト帝国の主力と直接対決する東部戦線で、山のような戦死者が出ていた。中立を宣言していたグリージャに接した西部戦線はまだマシ、という触れ込みだった。――三年前の、あの日までは。
中立国だったはずの隣国グルージャが突如宣戦を布告し、中立地帯に近くて安全だったはずの西部戦線を、敵の大部隊が急襲した。――王族がいるとのリークがあったらしく、俺たちの部隊がいたシャルロー村にも奇襲攻撃があり、小さな、長閑な村は惨劇に見舞われた。村人をも巻き込んだ戦闘で、俺たちの部隊はほぼ壊滅。マックス・アシュバートン中佐が身をもって殿下を庇い、殿下はギリギリで難を逃れ、俺たちは奇跡的に命を拾った。
何とか戦場を逃れた俺たちが、友軍に合流できたのは三日後。二百人の部隊中、生き残ったのはわずか八人だった。――本国では殿下の生存は絶望視されていたらしい。
目の前でマックス・アシュバートン中佐に死なれて、殿下は変わった。
それまで、必要最低限のことしかしようとしなかった殿下が、危険を顧みず、自ら前線に立って兵士を鼓舞し、特には演説し、酒保で一般の兵士たちに交じって酒を飲み、語り合った。敵の攻勢を凌ぐために塹壕戦では、殿下ご自身も塹壕に入り、見張りまでこなした。
味方の誰も、第三王子がそこまでするとは思っていなかったから、圧倒的な劣勢の中でも兵士たちは団結し、長く苦しい塹壕戦に打ち勝ち、敵を追い込んだ。
少数の兵力で敵の背後に迂回し、挟み撃ちにするという、無茶な作戦を実行に移せたのも、殿下に対する将官以下の鉄壁の信頼があっての故だ。この時、殿下は自ら敵陣営への潜入部隊を率い、悪天候の中を泥まみれになって山道を迂回し、敵の砦を急襲して落とすことに成功した。――この戦いが、我が軍の勝利を決定づけた。
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殿下や俺たちは、何か月も塹壕に籠ったし、王子の居場所は敵の攻撃の的になりかねないから、厳重な機密だった。だから、本国との手紙のやり取りも大きく制限された。当然、殿下はレコンフィールド公爵令嬢とも、出征以来、完全に没交渉だった。殿下の中では、レコンフィールド公爵令嬢とのことは、すでに終わった話のはずだった。
だが、レコンフィールド公爵も、もちろん令嬢自身も、殿下が生きて帰り、かつ、ステファニー嬢がまだ嫁いでいない以上、まだ婚約は有効だと言い張る。国王陛下もレコンフィールド公爵令嬢との婚約を急がせようとし、殿下はそれに反発した。
「……まったく、俺は誰が何と言おうが、ステファニーとは結婚しないぞ!」
王宮からの帰りの馬車の中で、殿下がブツブツ言う。
「でも、そうもいかないのでは? ジョージ殿下のお加減もよくなくて、王太子殿下のところは三人連続で王女様。陛下も、殿下の結婚を焦っていらっしゃる」
ジェニングス侯爵家の嫡男で、自身もフィルツ子爵の爵位を持つジェラルド・ブルックは、俺たちの中で一番、貴族主義的な考え方をしている。ジェラルドは殿下は当然、レコンフィールド公爵令嬢と結婚するべきだと思っているのだろう。が、殿下はぶーたれた顔で首を振る。
「結婚はするさ。それが義務だと言うのもわかってる。必要だってんなら、何人でも男を産ませてやらあ! でもステファニーはイヤだ!」
「戦前は仲良く出かけていらっしゃったじゃないですか。俺も護衛としてご一緒しましたし」
「ステファニーの我儘を聞かないと面倒くさいんだよ! でも、俺はもう、周囲の言いなりの人生はやめたんだ!」
それから殿下は馬車の向かいの席で書類を見ていた俺に言う。
「そうだ、マックス・アシュバートンの娘のことだが――」
「ああ、マクガーニ中将の下で働いているって、ありましたね。……よかったじゃないですか、ストラスシャーまで行く手間が省けて」
「そんなわけあるか! マックスの息子が直後に急死して、娘も母親も領地を追い出されているなんて、俺は知らなかった! マックスは戦死だぞ? しかも俺を庇って! なんで娘の相続が認められてないんだ!」
「俺に言われましても……調査はさせますけどねぇ。何しろ三年も前で――」
俺が能天気に言えば、俺の隣にいたジョナサン・カーティスが、心配そうに眉を顰めた。
「マックス卿はリンドホルム伯爵でしたよね? ストラスシャーのかなりの名門ですよ。建国以来のはずです。そこのご令嬢が王都で事務職員とは」
ジョナサンもロックィル伯爵の嫡男で純然たる貴族だけど、ジョナサンはマックス・アシュバートン中佐を信奉していたから、そのご令嬢が零落しているというのが衝撃だったらしい。……俺もマックス卿には世話になったし、その家族のことは気になっていた。
「マクガーニ中将もその辺りのことに気を使われて、わざわざご自分の下で使っていらっしゃるのでしょう。中将閣下はマックス・アシュバートン中佐とは昔からの友人だそうですから」
ジェラルドの言葉に、何か考え込んでいた殿下が言った。
「――司令部に行けば、マックスの娘に会えるのだな?」
「そうですけど、何の名目で?」
俺が頷けば、殿下は即座に命令した。
「俺はマクガーニの後任になる。新し職場に下見だ! 今から行くと先ぶれを出せ!」
「今から? いくら何でも迷惑じゃあ――」
だが俺の常識など殿下には通じなくて、結局、俺は馬車を途中で止めて司令部に電話をかけに行かされた。
電話を一本入れておいたとはいえ、突然の訪問には違いない。
だいたい、殿下の我儘で、殿下の帰国はまだ、公にされていない。だから司令部はてんやわんやだっただろう。出迎えた、マクガーニ中将付きのクルツ主任事務官は、見るからに困惑していた。
「突然ですまない。俺は戦前は名ばかりの軍属で、まともな仕事もしていなかった。いきなり王都の陸軍司令なんて、どうしていいかわからない。少し、教えてもらおうと思ってな」
父親ほどの年齢のマクガーニ中将に、殿下がざっくばらんに言えば、中将閣下はごま塩になった髭をしごき、微笑んだ。
「こちらの、クルツ主任がいれば、事務仕事は何とかなりますよ。彼は有能ですから」
飾りのほとんどない、質実剛健な応接室のソファに俺たちが座を占めてから、殿下がおもむろに言った。
「マックス・アシュバートンの娘がこちらにいると聞いたが――」
「やはりそのことでしたか。ええ、事情は細かく聞いていないのですが、祖母と、使用人二人と王都に出てきたようです。金銭的援助を申し出ましたが、マックスの母親のウルスラ夫人は頑固な人で――」
マックス・アシュバートンは娘の代襲相続が却下されることは想定していなかったらしく、彼女はロクな信託財産も確保されていなかったという。
「マックスの母親の体調がよくなくて、薬代が家計を圧迫しているようです。令嬢を臨時の事務職員として採用しましたが、その給金でギリギリ、やっているようです。ですが――」
マクガーニ中将がちらりと殿下を見る。
「陸軍大臣となれば、雇い続けるのは無理――か」
「年頃ですので、いい縁談があれば、と思っていますが、なかなか、一朝一夕には」
溜息をついたマクガーニ中将に、クルツ主任が零す。
「しかしあれでは、嫁の貰い手があるかどうか――」
「え? ブスなの?」
思わず聞いてしまい、俺がハッとして口を押える。……何しろ、マックス・アシュバートン中佐は結構な武闘派で、わりといかついタイプだった。あの父親似の娘だったら、ちょっとヤバい。
だがクルツ主任は首を振る。
「いえ、容姿はいいのですが、何しろ愛想がなくて。誰に言い寄られても取り付く島もない態度で、『氷漬けの処女』なんて渾名までつけられてしまい――」
「処女なのか?」
それまで黙って聞いていた殿下が、いきなり身を乗り出し、食い気味に聞き返す。え? そこに喰いつく? 俺はびっくりして、殿下を諫めようとしたが、しかし、ちょうどノックの音がして、俺たちはハッとした。
「シ! 彼女ですよ!」
何となくドアの方を注目していると、お茶の盆を捧げて、亜麻色の髪をした若い女が入ってきた。
背はそれほど高くないが、痩せて、スタイルはいい。飾りのない白いブラウスに、紺のロングスカート。小さな黒いタイを締めて、サファイアのタイピンで止めている。
あのタイピンに俺は見覚えがあった。
マックス・アシュバートン中佐の、胸にいつも光っていたサファイア。シャルロー村の襲撃の時、殿下は目の前で息絶えた彼の血まみれの胸から、自らそのタイピンを外し、ナイフで髪を少しだけ切って、遺体はその場に残してくるしかなかった。事件の後で遺体は改めて回収したはずだけれど、痛みがひどくて現地で火葬したのだった。
貞潔を意味するサファイアは、令嬢のどこか冷たい美貌によく、似合っていた。
年は十八・九、抜けるような白い肌に、灰色がかった青い瞳、化粧っ気もなく、事務職員の制服は飾りも色気も何もなかったが、なおさら、清楚で初々しい雰囲気を際立たせる。俺たちを見てもお愛想笑いひとつせず、ツンとすました猫のように、上品な身のこなしでテーブルの上に盆を置くと、優雅な手つきでお茶を淹れていく。
そしてその一挙手一投足を、殿下はギラギラした瞳で食い入るように見つめていた。俺はその視線を見た時に、背筋に寒気が走った。だって、それは喩えて言うなら、獲物を見つけた肉食獣の目だったから――。
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