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第二章

王妃の闇

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 殿下の話に、わたしは凍り付く。

 それは、とんでもない秘密ではないのか。この国は、嫡出の王子しか王位を継承できない。そして、今の話が本当なら、殿下は庶子だ。

「それって、つまり――」
「そう、重大なペテン。本当なら王位を継承できない庶子を嫡子に仕立て上げて、世の中全てを騙している。……でも、王妃が子を産むことを拒否した以上は、国王がもう一人、継承権を持つ王子を得るためには、王妃と離縁して新しい王妃を娶るか、庶子を嫡子と偽るか、どちらかしかない。国王は、偽る方を選んだ。……ローズの人生を犠牲にして」

 わたしは恐ろしくなって、思わず殿下に抱き着いていた。殿下がギュッと、わたしを抱きしめ、そっと唇にキスをする。啄むような口づけの後で、わたしが震える声で尋ねる。

「……おばあ様や、お父様はこのことを……?」
「もちろん、マックスは知っていた。マックスはもともと、軍の特務将校だ。もしかしたら、国王とローズが知り合ったのも、マックス経由かもしれない。ただ、……マックスは、ローズを愛して結婚するつもりだったみたいだから、どういう理由であれ、主君と恋人に裏切られて、傷ついただろうね。もちろん、孤児みなしごのローズを引き取り、我が子同然に育てた、レディ・ウルスラも」
 
 いったいどういう流れで、国王がローズと関係を持ったのかは、実のところ殿下にもわからないという。ただ、国王の子を身籠ったローズは身を隠し、王宮では王妃の懐妊を発表して、王妃はお腹に詰め物をして妊婦のフリをした。

「……よく、承知しましたね。わたしだったらそんな……」

 我が子が不治の病に侵されていると知った直後の、夫の裏切り。さらにその子を自分の子として育てなければならない。――孕んでもいない腹に詰め物をして過ごすなんて、屈辱以外の何物でもなかろう。

「拒否したら離縁される。プライドの高い王妃にはそれは受け入れられまい。自分の子供たちの将来だって不安だ。だから国王の命令を受け入れた。ただし、条件をつけた」
「条件……」

 殿下は一瞬だけ唇を噛みしめたように見えた。稲光が、寝室を青白く照らす。

「一つ目は、もし王子が生まれたら、彼の妃には王妃の実家の娘を迎えること。……万一、その王子が国王になったとしても、次の世代には王妃の実家、レコンフィールド公爵家の血が入る。それが約束されるなら、血のつながらない子供も育てられるだろうと」

 わたしは目を瞠った。……殿下とステファニー嬢の婚約は、そんな密約の末のものだったとは。殿下はさらに続ける。 

「二つ目は、子供を育てる乳母として、その子供の実の母を召し出すこと。……本当の母子を引き離すのは可哀想だ、というのが、王妃の上げた理由だ。でも、それは嘘だ。王妃は、夫の子を孕んだ女も、その子も許すつもりはなかった。王宮に呼び寄せて身近に置いて――その女を甚振るためだったんだ」
 
 殿下は、わたしを抱きしめる腕に力を籠める。

「ローズが産み落とした男児は密かに王宮に連れていかれ、王妃の子として発表された。その事実を知るのはごくわずかの医師と侍女、王妃とその弟のレコンフィールド公爵、そしてマックス・アシュバートンと、彼の母親、のみだ」

 ローズは王子の乳母として王宮に入るが、自分の子と名乗ることは許されない。ただ唯一、ローズの父の名ラインハルトを王子の名の一つとして、加えることが許された。――それを我が国風に直したものが、レジナルド。王宮では誰も呼ばない、名。

「それから、王妃は陰に日向にローズを甚振り続けた。俺という人質を取っているのも同然だから、ローズは逆らうことはできない。王妃は明らかに俺を疎んで、僅かな瑕疵で俺を鞭打とうとして、庇ったローズが代わりに打たれた。俺をわざと苛んで、俺がローズに懐くと、ローズが王子を甘やかすと言ってはまた、ローズを鞭打った。……何かがおかしいと思っていたけれど、幼い俺にはわからなかった。母が――王妃が俺を愛さないのはローズのせいなのか。でも、ローズが庇ってくれなければ、俺はもっと母から酷い仕打ちを受けるだけで――」 
「殿下――」
「……そう呼ぶな。俺はここでは、リジーだから。……二人っきりの時だけ、ローズは俺を密かにリジーって呼んだ。俺が壊れなかったのは、たぶん、ローズが俺を愛して、全身全霊で庇おうとしてくれたから」

 殿下が辛い告白を躊躇うように、目を閉じてわたしを抱きしめる。殿下の唇がわたしのこめかみを這い、閉じた瞼を辿る。

「……俺が十三歳の時、ローズは死んだ。その時、俺は王妃から聞かされたんだ。お前はこのローズという卑しい女の腹から生まれたのに、その女を母とすら呼んでやらなかったってね。……いかにも、楽しそうに笑いながら――」

 まるで遠い国の昔話をするかのように、殿下は淡々と語るけれど、わたしは王妃の抱く心の闇にゾッとした。だって、そもそも王妃が国王陛下を拒んだから、国王は次善の策としてローズとの間に子供を作ったのだろう。――妻として、夫の裏切りは許せないかもしれない。でも、果たしてローズが国王陛下の意向に逆らうことができたのか、そして、なにより、生まれた殿下には何の罪もないのに。

「どうして……そんな……」
「俺は……ローズの葬式に出ることも許されなかった。死んだのは、ただの乳母だと。そしてそれ以後、庇ってくれる人のいなくなった俺に対する虐待は、ますますひどくなった」

 食事を抜かれることも頻繁になり、些細なことで王妃は三男を鞭打った。庇おうとする者は初めはいたが、すべて王妃によって王宮を追われた。そのほかの者は、王家と王妃の醜聞を外に漏らすことを禁じられ、虐待は内にこもった。

「国王陛下は、助けてはくださらなかったのですか?」

 思わずわたしが問えば、殿下は鼻で笑った。

「あの人は、見たいものしか見ない。俺が生まれた後、国王と王妃は完全な仮面夫婦になって、王妃はジョージのいる離宮に行って、行事以外では顔も遇わさなくなった。国王も、触らぬ神に祟りなし、ただ、俺の様子を養育係を通じて聞くだけだ。その養育係は王妃を恐れて、真実を外に漏らさなかった。表向き、人の目のあるところでは王妃は俺に普通に接したし、厳しくするのは躾けだと言われれば、外野は口は出せない」

 子供を躾ける時に、鞭を使うのは一部ではよく、あるのだと言う。……祖母は厳しかったが、暴力を振るうことはなかったし、食事を抜かれたこともない。

「でも、王宮には人もいっぱいいるのでしょう? 王子が虐待されているのを、見て見ぬ振りをするなんて、信じられない」

 わたしの疑問に、殿下が少しだけ笑った。

「王妃も、長男のフィリップ兄上の前では、多少取り繕っていたんだ。兄上もそれとなく気を配ってくれていたしね。でも、ちょうど兄上が結婚して別の宮殿に移り、王妃に意見できる者はいなくなった。……それに、虐待が常態化してくると、周囲もなんとなく麻痺してきくるもんだ。俺が何も言わないのをいいことに、王妃に便乗して俺を苛めて欝憤を晴らすやつも出てくる始末だ。もちろん、全員がそうじゃなくて、助けようとしてくれる者もいた。――今、俺のアパートメントの料理人のアンナもそうで、俺が食事を抜かれた時に、周囲の目を盗んで食べ物をくれたりした。アンナは外に訴えるべきだと言ったけれど、俺が止めたんだ。下手すればアンナがクビにされちまうからな」

 そんな状態が一年ほど続いたある日、殿下は王宮の池に落ちた。

「その数日、ロクな飯も食わせてもらってなくて朦朧としてたのもあるけど、もしかしたら俺は、無意識に自殺を図ったのかもしれない。実はよく覚えていないんだ。……ただ、普段は行かない王宮の庭の、かなり深い池に落ちて……たまたま見ていた衛兵に助けられて、侍医が呼ばれた」

 通常であれば王妃の息のかかった者たちによって、内密に処理されていただろうが、その時呼ばれた医師が、新たに王宮に配属されたばかりの若い医師で、明らかに栄養状態の悪い王子を見て仰天し、そこからようやく、国王陛下が王妃の虐待の事実を知ることになる。国王も衝撃を受けるが、さらに大きな秘密を抱え込む立場では、王妃を糾弾することができない。――王子への虐待を大っぴらに糾弾して、王妃が真実を暴露したら大変なことになる。

 国王にできることは、王子を王宮から隔離することくらいだった。

「そうして呼ばれてきたのが、マックス・アシュバートンだった」
「父が――」
「マックスはずっと領地に帰って、地方で軍務をこなし、数年前に結婚していた。マックスは、表向き寄宿学校に入れたことにして、俺をリンドホルム城に連れていったんだ。……そこには、ローズの母親代わりだったレディ・ウルスラ……おばあ様と、マックスの妻と、二人の子供たち。エルシーとビリーがいて……なんて言うか、俺の人生に初めて、一筋の光が差したみたいな、そんな日々だった」

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