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第二章

リジーの真実

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 夜、わたしは入浴を済ませて寝仕度をし、メアリーが淹れてくれた温かいミルクを飲んでから、ベッドに入った。

 わたしが昔から使っているもので、それほど大きくはない。殿下のアパートメントで眠っているベッドの半分くらい。……あんな大きなベッドを用意するなんて、殿下は最初から、身体目当てだったのだ。

 ゴロゴロゴロ……

 遠雷が聞こえる。城を取り囲む荒れ地ムーアは天候が崩れやすい。ザワザワと庭の樹々が揺れ、ビュービューと強い風が荒れ狂っている。少しだけ窓が開いていたらしく、窓から吹き込んだ風で、カーテンが大きく煽られる。

 閉めにいかないと――起き上ってベッドから降りようとした時、ピカッと窓の外が青く光り、わたしはハッと身を竦める。
 すぐにドドーンと大きな雷鳴が轟き。わたしはベッドから動けなくなってしまった。
 雷は苦手だ。……子供の時は怖くてたまらなかった。まだ、今でも一人の夜は怖い。

 王都の家は小さくて、すぐそばに人の気配が感じられた。だから、雷も怖くなかったのだけれど――。

 キィ……と微かな音がして、空気が流れる。わたしはドキッとして身を固くした。誰かが入ってきたのだ。

「エルシー……起きてるか?」
「!!」

 わたしが息を呑んだ気配を感じたのだろう、彼が言った。

「俺だ。……静かに……」
「殿下……」
「ここではリジーと呼べ」

 殿下はそう言うとそっと扉を閉め、ゆっくりとベッドに近づいてきた。翻るカーテンを見て、先に窓辺にいき、窓を閉める。青白い稲光が、殿下の姿を一瞬、浮かび上がらせる。シャツにトラウザーズだけの軽装だ。つづいて雷鳴が窓枠にビリビリと震わせた。

「きゃ……」

 思わず耳を塞いだ私を見て、殿下が笑う。

「相変わらず、雷は苦手なのか」
「だって……」

 殿下はベッドサイドに近づくと、ベッドに腰を下ろし、身を縮めるわたしを抱き寄せた。

 だめ――。

 そう、思って拒もうとした瞬間、稲光と雷鳴がほぼ同時に襲ってきて、わたしはつい、殿下に縋りついてしまう。

「エルシー……済まない。こんなことになると、思わなかったんだ。……おばあ様の、ことも」

 殿下の硬い胸に抱きしめられて、わたしの抵抗などあっさり砕け散っていた。殿下の大きな手がわたしの頬を包み、顔を上げさせる。唇が下りてきて、塞がれる。熱い舌が入ってきて、中を犯される。身体の芯が溶けたようにぼうっとなって、わたしはただ、貪られるままに身を任せる。
 
 息が苦しくなったころに、ようやく解放されて、わたしは一生懸命に息を吸う。殿下の唇がわたしの首筋を這い、大きな掌が、薄い寝間着の上から、ねっとりとわたしの身体の線を辿る。耳元で、殿下も深い溜息をつきながら言った。

「エルシー……愛してる。もう、お前無しではいられない。エルシー……」
「だめ……今日は……それに……もう……」

 殿下はもう一つ溜息をついてから、わたしの身体を離すと、額に額をつけて、言った。

「わかってる。……明日はおばあ様の葬式だし、何もしない。ただ、話をしにきただけだ。……ベッドに入れてくれ。昔みたいに」

 そう言われて、わたしは思い出す。
 昔、リジーがこの城にいた時。夜中の雷が怖くて眠れないわたしを抱きしめて、一緒に眠ってくれたことを。

「もう、子供じゃないわ……」
「何もしないから。約束する」

 殿下はさっさと靴を脱いで、ベッドにもぐりこむ。

「このベッド、こんなに狭かったか?」
「でん……じゃなくて、リジーが大きくなりすぎたのよ」
「エルシーもだろう。今の半分くらいの大きさだった」
「そんな小さいわけないでしょう! リジーこそ、倍ぐらいに大きくなったんじゃないの?」

 あの頃のリジーはもっと痩せていて、背も低かった。あの頃のわたしたちには十分な広さだったけれど、今のわたしたちにはこのベッドはかなり狭い。
 
「ああ、懐かしいな……」 
 
 殿下は天蓋を見上げて、しみじみと言った。それからわたしを強引に腕枕すると、そのままぎゅっと抱き寄せ、額に口づける。

「……リジー……なの? 本当に? でも、どうして――」
「その話をしにきた。でもその前に……エルシー、お前、俺のこと忘れてただろう?」
「それは……」

 リジーが額と額をひっつけ、至近距離で見つめる。

「司令部で会った時、俺はすぐにエルシーだとわかった。大きくなって、女らしくなって……それでも、一目でエルシーだとわかったのに、お前は俺を見ても何も思わないらしくて……でもきっと、名乗っていないからだと。でも、リジーって名前出しても、お前は何も反応しなくて……本当に忘れられてるって、正直ショックだった」
「う……」

 わたしは殿下の視線に耐えられず、顔を背けようとしたけれど、殿下がわたしの頭をガッチリ支えて、動かすことができない。

「しかた……ないじゃないですか。小さかったし……あの後、おばあ様がリジーの話は絶対にしてはダメって……」

 わたしが言い訳のようにモゴモゴと言えば、殿下は鼻の頭に皺を寄せて、仕方ない、という風に溜息をついた。
 
「まあ、しょうがないな。……俺にとって、あの半年の日々は暗闇の中に差した一筋の光みたいなものだった。でも、エルシーにとって、俺はほんのわずかな時間を共にした、訪問者に過ぎない」
「そんな……ことは……」
「責めてるんじゃない。……エルシーは光そのものであまりに眩しすぎたから――」

 殿下が愛おしそうにもう一度、わたしの額に口づける。それは、いつもアパートメントのベッドの上で繰り返された、情欲を孕んだものとは違う、優しいキス――。

 そう、昔、こんな風にいつもキスしてくれていた――。 

「リジー? ……でも、なんで偽名で?」
「偽名じゃない。オーランドってのは俺の爵位で、リジーはレジナルドの略だ。アルバート・アーネスト・ヴィクター・レジナルド。長ったらしいけど、それが俺の名前だから。王宮の家族にはバーティって呼ばれていたけど、俺の――本当の母親はこっそりリジーって呼んでた。その人の、父親の名前から取ったって、後から聞いた」

 本当の、母親。つまり殿下は――。

「……その人が、ローズ?」
「そうだ。本当の名はローゼリンデ・ベルクマン。レディ・ウルスラの従妹が隣国の伯爵家に嫁いで生まれたが、幼い時に母親を亡くし、父親が後妻を娶って、やがてその父親も死んだ。あちらの親族は養育を拒否したので、レディ・ウルスラが後見人としてリンドホルムに引き取った。マックス・アシュバートンとは兄妹のように育って、将来的にはマックスの妻にするつもりでいた。……でも、結婚が本決まりになる前に、王都に出かけて、運命が狂った」 

 殿下はわたしの髪を撫でながら、静かな声で話す。感情の読めない声。

「本当のところ、何があったのかは知らない。お互い望んだのか、あるいはただの火遊びなのか。……でも、ローズは国王エドワード陛下に出会って、その子を妊娠した」

 ゴロゴロと激しい雷鳴の直後に、どこかに落雷した音が響く。青白い光が揺らめいて、殿下の整った輪郭を浮かび上がらせた。

「……その頃、国王と王妃の夫婦仲はもう、冷めていた。だが、身体の弱かったジョージに先天性の病が発覚した。進行性で、治癒の見込みはない、と。……王妃は悲嘆にくれ、一方の国王は跡継ぎが王太子のフィリップ一人だけであることに、危機感を覚えた。このことをきっかけに、二人の間には、修復不可能な溝ができてしまった」

 この国では、嫡出の男子しか王位の継承権がない。ジョージ殿下が不治の病であるとすれば、残る王子は王太子のフィリップ殿下ただお一人。国王陛下は兄上を亡くして王位に即き、他に男兄弟はいない。つまり、フィリップ殿下に万一のことがあれば、王位は国王の従兄のマールバラ公爵に受け継がれることになる。

「……父上とマールバラ公爵は、あまり仲がよくない。あの人はなんというか、過激な王統派で……共和制論者と共存するのも難しい。まして、今流行りの共産主義者なんて、毛嫌いしている。主義主張はまあ、勝手にすればいいんだが、国王になるには今のご時世には向いてない人だな」

 国王陛下はどうしても、もう一人嫡出の男児が欲しかった。国王として、後継者の不安を取り除こうと思うのは当然のことだ。でも――。

「少なくとも、時期が悪かった。……我が子が不治の病で長くは生きられないと申告されたばかりの王妃にとっては、もう一人子供をという国王の発言は、怒りと絶望しか生まなかっただろう」

 殿下はわたしの耳元に唇を近づけて、囁くように言う。

「……この状況下で、国王はローズと出会った。ローズはね、王妃と同じ青い目で、髪は王妃より少しだけくすんだ金髪だった。しかも元は隣国の貴族で、後見人は王都から遠い、田舎の伯爵夫人。煩い係累もなく、秘密の子供を産ませるには、うってつけだった」 
「!!……じゃあ……」
「ローズが、どういう理由で国王を受け入れたのかは、知らない。とにかくローズは身籠って――国王は、王妃に子を孕んだフリをするように命じた。それが受け入れられないならば、離婚するしかない、と」

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