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第一章

草上のプロポーズ

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 アルバート殿下は明らかに機嫌が悪くて、いつもよりも運転も乱暴だった。スピードも上がっていて、わたしは恐ろしくて身を縮めていた。
 秋の風は冷たくて、わたしは持ってきたショールを思わず掻き合わせる。
 と、殿下が突然叫ぶ。

「エルシー、伏せろ!」
「ええ?」

 わたしが座席で頭を下げると、誰かが投げ捨てたらしい新聞がバサッと飛んできて、殿下がそれを腕で払いのける。背後に飛んでいくそれを見送って、わたしがホッと息をつくと、殿下が横目にわたしを見て言った。

「大丈夫だったか?」
「は、はい……何とか」
「……ったく、あっぶねーな!」

 殿下は呟くと、わたしがスピードにおののいている様子を見て、少しスピードを緩めてくれた。

「……悪かった。ちょっと、くさくさしていて……」
「いえ……」

 わたしは後ろを振り返る。なだらかにいくつも丘を越える道、わたしたちの車の後ろには、何人もいなかった。

「護衛の方たちは着いてこれますの?」
「何とかするさ、それが仕事だからな。それに、行先はわかってる。……いつもの城跡だから」

 遠くの丘に、崩れた城壁が見えてきた。





 
 ジュリアンとアンナが準備してくれたバスケットを殿下が後部座席から持ち上げ、わたしは丸めたブランケットを抱えて、二人で丘を登る。風は涼しいけれど日差しはまだ強い。適度に日影になった場所を選び、ブランケットを敷いて腰を下ろす。殿下がバスケットから料理を出す。コールドチキンとチーズが二種類、丸いパンと、チョコレート・マフィン、そして魔法瓶に入った紅茶。殿下はポケットからナイフを出すと、手際よくパンを切っていく。ついでにチキンも切り分け、パンに乗っけてわたしに差し出した。

「……いただきます。手際がいいのですね。王子様のくせに」
「軍隊に居ればこんなもんだ。塹壕ざんごうに籠ったこともあるからな」

 わたしは紅茶をカップに注ぎ、「お砂糖は?」と尋ねる。

「いらない。甘い物は苦手だ。チョコレート・マフィンも俺はいらないから、好きなだけ食え。好物だろう?」

 殿下はそう言って、自分はチキンを挟んだパンにかじりつく。

 ……昔も、そういう人がいた気がしたけれど……とわたしがふと考えこむ。

「どうした、エルシー」

 ハッとして顔をあげ、首を振って殿下にカップとソーサーを差し出す。

「いいえ、何でもありません」

 涼しい風に吹かれながら、野外で昼食を摂る。

「……護衛の方はよろしいの?」
「ジュリアンが護衛用の昼食も準備していた。護衛の心配はいいから、俺のことだけ考えていろ」

 殿下に窘められ、わたしが軽く肩を竦める。

「……俺は嫉妬深い方だ。俺の前で他の男のことを考えるな」

 殿下の嫉妬深さは、ハートネル中尉の件で思い知らされている。

「エルシー、俺はお前と結婚する。そう、父上にも宣言した」
「……わたしの了解も取らずに、勝手すぎます」

 わたしが軽く睨めば、殿下は気まずそうに視線を逸らし、チキンを挟んだパンにかぶりつく。

「でも現実問題、無理だと思います。わたしは身分も財産もないし、何より、国王陛下と議会の承認が出てしまったのでは……」

 殿下の意志とは関わりなく、婚約は正式に決まったと同様だ。

「新聞にも載ってしまって……」
「あれは正式発表じゃない」
「今更、覆せますか?……覆した上で、さらに平民のわたしと……無理ですよ」 

 もぐもぐとパンを飲み込んで、殿下が言う。

「平民と言ったって、お前は伯爵の娘なのは変わりがない。……というかだな、前の伯爵の母親と娘を追い出すってのも、奇妙な話だ。普通はそこまではしないだろ」
「祖母があの性格ですから……」

 わたしが目を伏せる。

「だが、お前は貴族の娘だ。父親が死んだとしても、別にリンドホルム伯爵の縁者として、俺に嫁いだって問題ない身分だった。代襲相続の勅許が降りなかったのも不自然だ。何か裏があったんじゃないかと、俺は疑っている」
「裏?」

 わたしが殿下の顔をじっと見る。

「勅許の請願はどうやって行った? 自分で王都に出てきたわけじゃないだろう?」
「それは、そうです。……弁護士の方に代理を――」
「その弁護士が、爵位と領地を掠め取りたい現伯爵の意向を汲んで動いたとしたら?」

 殿下の金色の瞳が、わたしをじっと見つめる。

「そんな――」
「それに――詳しくは言えないが、マックス・アシュバートン……お前の父親を疎ましく思う者が、王家のかなり上層部にいる。それは、要するに俺とステファニーを結婚させるように動いているのと、同じ人物だ」
「レコンフィールド公爵? 父は、レコンフィールド公爵と何かいさかいでも?」

 わたしの問いに、でも殿下は応えずに紅茶を啜る。
 殿下はソーサーにカップを戻し、視線をそこに当てたまま、言った。

「……すまない、エルシー。すべてが繋がっているかは、俺もまだわからないが、お前とお前の祖母のここ数年の苦境は、多分、俺と関係がある」

 わたしは目を見開いた。

「……少なくとも、マックスは俺を守るために死んだ。その功績もあるし、マックスには息子もいて、相続には問題ないと思っていた。まさかお前とお前の祖母が領地を追い出されているなんて、想像もしていなかった。……きちんと確かめなかった、俺の落ち度だ」
「もしかして……王都に戻られてすぐに司令部にいらしたのは……」

 殿下が気まずそうに眼を上げて、わたしを見る。

「帰国してすぐに、ストラスシャーのリンドホルム城まで、尋ねるつもりだった。……マックスが戦死した責任は俺にもある。墓にも詣でたかったし、遺族にも詫びなければと思っていた。それで、帰国前にマクガーニ中将との手紙のやり取りの中でそのことに触れた。そしたら、マックスの娘と母親は王都にいて、娘は陸軍で働いていると言うから――」

 殿下は申し訳なさそうに目を伏せ、言った。

「信じられなくて、矢も楯もたまらずに陸軍に行ったんだ。それで――」
「それで、強引にわたしを雇い続けることにしたのですね」

 何となく納得して空を見上げる。秋雲の浮かぶ青空を、鳶が優雅に舞っている。
 わたしは昨日の、ステファニー嬢の言葉を思い出す。
 戦死したわたしの父、アシュバートン中佐の遺族に報いるために、秘書官に登用して金銭的な援助をするために、愛人にしたと――。

「……もし、結婚する理由が父が死んだことに対する贖罪なのでしたら、わたしは――」
「違う!」

 殿下は即座に否定し、わたしをまっすぐに見つめて言った。

「結婚したいのは、お前が好きだからだ。俺は罪悪感で結婚相手を決めたりはしない。俺はお前がいい。お前以外とは結婚したくない。……お前は俺のことは別に好きじゃないかもしれないが」
「……好きじゃないってことは、ないです。ただ……」
「ただ、……なんだ? 身分のことは言うなよ? お前が下町の売春婦の娘だってなら、確かに、お前と結婚するのは至難の道かもしれないが、さっきも言ったように、本来なら第三王子の妃になるのに問題のない生まれのはずだ。少なくとも、貶められる生まれじゃない」

 はっきりと言われて、だがわたしは首を振る。

「でもそもそも、わたしを売春婦のように扱ったのは殿下だわ。祖母の入院費用が必要になって、経済的に追い詰められたわたしの苦境につけいって――」
「それは!」

 殿下は目を伏せて、それから辛そうにわたしから視線を逸らす。

「そう、すべきじゃないのはわかっていた。でも、不安だったんだ。あいつが――ハートネルがお前の周囲をうろついていたし、お前があいつの求婚を受け入れるんじゃないかと心配で――」
 
 殿下はわたしの顔をまっすぐには見られないようだった。

「すまない。俺のやり方が悪くて、結局、お前が周囲から貶められることになった。……グレンジャーも、それから、ステファニーも」

 そこで、殿下は思い出したように言った。

「ステファニーが、昨日、ミス・リーンの店に来たと聞いた。ジョナサンから報告を受けたが、かなりひどいことを言ったらしいな。……でも要するに、俺が悪いんだ。それはわかってる。でも、俺はどうしてもお前が欲しくて、我慢できなかった。……ジョナサンにも叱られた。本気で愛しているなら、俺が、貴族令嬢としてお前をもっと尊重するべきだったんだ、と」
「最初から、わたしを愛人にするつもりだったのでしょう?」
「違う!……そんなつもりはない。ただその……ロベルトがちょっと勘違いしたみたいで……」

 殿下が口の中でもごもご言う。それからわたしの方を眩しそうに見た。

「さっきも言ったが、お前の代襲相続が却下された件は、何か裏があると思っている」
「裏?」

 急に話が飛んだので、わたしは首を傾げる。

「戦死者に娘しかいない場合は、代襲相続は通常、認められる。それに、マックス・アシュバートンは出征前に国王に対して、相続に関する請願書を提出していた。……これは、国王の勅命で戦地に向かう貴族が、古来から慣習的にやってきたことで……マックスは国王の勅命で俺の配下についていたから」
「……そんな制度が……」
「昔は、今よりももっと相続が煩雑だった。自分が戦死した後の家族や領地がどうなるのか、国王の保証がなければ安心して戦場にも行けないだろう? ビリー……マックスの息子は身体が弱かった。万一の際には娘に継承させるよう、あの周到なマックスが手を打たないはずがない。俺は国王に提出する前の、その原本も見ているから間違いない」

 ならば、なぜ、わたしの代襲相続は認められなかったのか。当然、起こりうる疑問に、殿下が答える。

「表向きの却下理由は、書類の不備となっている」
「不備?……そんな馬鹿な。あり得ないわ……」

 顧問弁護士に頼んで、申請を出したはずだ。

「そう、あり得ない。そもそも、国王の元に、既に請願が送られているはずだから。つまり――」

 殿下は二切れ目のパンとチキンにかぶりつき、飲み込んでから言う。

「父上……国王が握りつぶしたんだ」
「国王……陛下が? ……なん、……で?」

 およそ、田舎貴族だったわがリンドホルム伯爵と、国王陛下が関わることなんて――。

 理解できずに茫然とするわたしを、殿下が申しわけなさそうに見る。

「今はまだ言えないが、この淵源は国王と、俺と……とにかく王家が関わっている。いや、一番関わっているのはたぶん、俺で――だからとにかく、今はお前の爵位を何とか取り戻せないかと、いろいろ調べていて……」

 爵位を取り戻せれば祖母は喜ぶだろうか? でもそもそも、何でそんなことに――。

「俺は最初、お前の祖母が相続を拒否したのかと思ったんだ。……そのくらい、王家のやり方はひどいから」
「祖母が拒否……? そりゃ、祖母はその……王家に対して不満があるようですが……」
「……そうだな。でも俺の予想よりもさらに王家の方が酷かったという話だ。お前に代襲相続が認められていて、そして、ステファニーとの婚約がちゃんと白紙に戻っていれば、お前との結婚だって問題なかったはずなんだ。何せ、俺は三男だしな」

 殿下は溜息をついてから、初めて知った事実に茫然とするわたしを勇気づけるように微笑む。

「今回のことで、俺は王家やレコンフィールド公爵のやり口にほとほと愛想が尽きた。……俺だっていっぱしに、王子として国に尽くすつもりではあったんだがな。だがあくまで、王家にとって必要なのは何でも言うことを聞く人形のような王子様で、俺の意志も気持ちもどうでもいいってことだ。……でも俺は、それに怒る権利があるし、ステファニーとの結婚を議会ぐるみで強制するようなら、俺は王位継承権も全部捨てて、国外に亡命するつもりでいる。だからその時は、着いてきて欲しい」
「……へ? ……亡命? 殿下が?」 
「俺は国を捨てても、お前と結婚したい。何、金ならあるんだ。戦争前に投資した航空機と電力企業の株が大当たり! ちゃんと、外国の銀行に預けてあるし、たとえ共産革命が起きても、俺の資産は大丈夫!一生、贅沢させてやるし、おばあ様の入院だって、五十回分は楽勝でいける!」
「そんなに何度も入院しませんよ!」

 熱っぽい瞳で見つめられて、わたしはさらに混乱した。

「……エルシー。結婚してくれるよな? いやだと言うなら、力ずくで攫うぞ?」

 わたしは息を詰めて、殿下の金色の瞳を見返す。

「それは……おばあ様のお許しがないと……」
「また、おばあ様か……」

 殿下は眉を顰めたけれど、すぐに笑って、わたしの髪を一房すくいあげてキスをした。

「じゃあ今度、一緒におばあ様にお許しを貰いに行こう」

 ――すごく昔に、同じ笑顔を見たことがあるような気がした。
 
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