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第一章

婚約決定*

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 その夜、わたしは夕食と入浴を済ませ、暖炉の上に飾った、薔薇園ローズ・ガーデンの絵を見ていた。

 昼間、レコンフィールド公爵令嬢に「愛人」と罵られたことで、わたしも自分の行く末を考えなければならないと、思い始めていた。祖母が退院したら、アルバート殿下との関係も変わるだろう。

 さらに、殿下とレコンフィールド公爵令嬢は近々正式に婚約する。そう、ステファニー嬢が言った。国王陛下の裁可が降りたのだと。

 ……殿下はそんな話は何も仰っていなかった。でも、彼女が直々に、わたしに別れろと言ってくるくらいだから、確かなことなのだろう。
 殿下はわたし以外と結婚することなどない、一生、わたしだけだと誓ったけれど、そんな実効性の薄い誓いを信じるほど、わたしはもう、純真無垢ではない。

 殿下の婚約が決まったのなら、別れてもらおう。そういう約束――殿下は無意味な約束だと仰ったけれど――だったはず。

 殿下と別れて、そしてそれからどうするのか。
 このアパートメントを出て、仕事も辞めて。祖母のために空気のいい家を見つけ、新しい仕事も――。

 わたしは無意識に首を振る。
 祖母はわたしが働くことに反対だ。でも働かずにどうやって生きていくのだ。

 当座のお金だけでも、殿下に出してもらう? 手切れ金としていくばくか――。

 わたしが頭を抱える。
 莫大な入院費用まで出してもらって、この上、お金を要求するなんて、あまりに恥知らずだ。
 ならば、買ってもらった宝石を売るとか――。

 わたしは薔薇園の絵を見て、溜息をつく。

 三年前、リンドホルム城を追われて王都に出てきたばかりの時も、こうやってこの絵を見上げて溜息ばかりついていた。母の思い出の染みついた宝飾品を、二束三文で売り払いながら。……またあんな日々を送るのは、正直うんざりだ。

 ああでも、他にはもう方法が――。



 

 廊下からの物音が、殿下の訪れを知らせる。
 殿下には、昼間の、ステファニー嬢との一件を知らせておかなくてはいけない。きっと、ジョナサン・カーティス大尉から報告は上がっていると思うけど。

 出迎えの準備をする間もなく、コネクティング・ドアが開いて、殿下が寝室に入ってきた。金色の瞳が危険な輝きを湛え、明らかに怒り狂っていた。
 
「殿下?」

 わたしが声をかけると、殿下は長い脚でわたしに歩みよりながら、もどかし気に上着を脱ぎ、帽子を投げ捨て、立ち尽くすわたしに襲いかかるように抱きしめて、噛みつくようなキスをした。

「!……ま、待って……」
「待てない」

 殿下はわたしを寝台に押し倒して、性急に身体を求めてきた。殿下の身体からは強い煙草の香りがして、大きな体に押し潰されるように、怒りに任せて力ずくで身体を暴かれる。もとより逆らえる相手ではなく、わたしは殿下に貪られるままに、体を差し出すしかなかった。





 情事の後で、殿下が紙巻煙草シガレットを吸いながら忌々し気に言った。

「議会が俺の婚約を勝手に承認しやがった」

 殿下の怒りの原因はそれだった。
 レコンフィールド公爵とその一派は、殿下とステファニー嬢との婚約を強引に国王に認めさせ、そのまま議会にかけて承認を取り付けてしまったのだ。

 殿下は王太子でもないし、結婚相手には大きな制約はないはずだった。
 でも、王子の結婚である以上、議会の承認は必要だ。結婚の費用その他の特別予算は、議会の承認なしには下りないし、その後の、王子妃としての予算にも議会の承認が必要となる。

 ステファニー嬢は大戦前から、正式ではないが殿下の婚約者扱いを受けていた。折しも、四人目を妊娠していた王太子妃が流産してしまったらしい。その情報が議会の王統に対する危機意識を強め、第三王子の婚約に対し、深い議論もなくあっさりと通してしまったという。

 ステファニー嬢の言っていたのは、このことだったのだ。国王の裁可を得て、議会の承認を得る。その過程に、殿下の意志が全く反映されていないことを、ステファニー嬢は知っていたのだろうか? 殿下は昼間、自分の婚約の件が議題に掛けられることを知り、慌てて王宮に出かけた。でも、議席を持っていない殿下には、議会の動向を左右することはできなくて――。

 殿下も怒り狂っているし、殿下の意志から出た婚約じゃない。でも――。
 議会が承認したものを、いまさら覆すなんて、無理だ。

 要するに殿下とレコンフィールド公爵令嬢との婚約は、正式に決まった。――ならば、わたしとのこの関係も、今日で終わりにするべきだと思う。
 
 秘書官のとして、殿下の性欲のはけ口になってきたけれど、婚約者がいるならそれは不貞行為だ。

 しかしわたしの正論は殿下の力でねじ伏せられ、殿下はわたしを解放するつもりはないと、はっきりと言い切ると、抵抗するわたしを無理矢理に抱いた。

 殿下の楔は鍵で、わたしの秘密の鍵穴をすぐに探し当て、こじ開けてしまう。次々と開かれる快楽の扉に、飼い馴らされてしまった身体は、あっさりと陥落する。もう、この身体は殿下のものなのだと、思い知らされるだけ――。
 
 ――神罰は本当に下るのよ。

 不意に、祖母の言葉が脳裏に蘇る。

 そうだ、これは神の許さない関係だ。
 今まではまだ、正式な婚約者はいないと言い訳もできた。でも、それももう、今夜まで。

 いずれ、この関係が明らかになれば、醜聞スキャンダルにまみれて潰されるのはわたし。
 婚約者のいる男と寝るなんて、自身や家族の誇りまで傷つけること。

 わたしを見下ろす殿下の金色の瞳が、ギラギラと残酷に煌めいて、わたしを圧倒する。逞しくしなやかな身体は、まるで美しい野性の獣のよう。いつもより狂暴な激しい行為でわたしを貪っていく。――激しすぎて、骨まで砕けてしまいそうで、なのに、求められる喜びで、心が融けていく。

「エルシー、お前は、俺の、ものだと誓った……一生、俺の……」

 殿下がわたしの耳元で、喘ぐように囁く。奥の一番深い場所を、何度も穿たれる。そのたびに、わたしの脳裏にチカチカと白い光が走る。体中が熱くて、溶岩に飲み込まれたみたい。もう、苦しいの。いけないことなのに、心も身体も全部、この人に奪われて、地獄の底まで堕ちていく――。

「あっあっ……あぁあ―――っ」

 襲ってきた波に抗えず、わたしの全身が震える。それを殿下が抱きとめ、両腕でわたしの腰をぐっと抱き込んで、さらに深く分け入ってくる。それ以上は、もう――。

「エルシー、俺も、……イく……」
  
 わたしの中で、殿下の楔がさらに質量を増して、ビクビクと震える。――いつもよりも、深い。わたしの深い場所が殿下を飲み込んでいるのに、むしろわたしが飲み込まれたように動くことができない。

「ああっ、あっ、あっ、……ああああっ」

 殿下の唇がわたしの唇を塞ぎ、舌が咥内を犯す。息ができない、苦しい、ああでも――。
 二つの場所で深く繋がったまま、わたしは長い長い絶頂にただ身体を震わせる。これ以上は無理だと思うほど膨れ上がった殿下の楔が、わたしの中で弾けて、熱い飛沫を吐き出し、わたしの中が熱いもので満たされる。

「くっ……うううっ……エルシー……」 
「ああっ……だめっ中で――」
 
 殿下は堪えきれないという風に、わたしの唇を離すと、喉ぼとけの浮いた喉を反らし、しばらく天を仰いでいた。殿下の汗が顎の下に蟠って、わたしの胸に落ちる。その冷たさでわたしは絶頂の余韻から引き戻され、あることに気づいて愕然とした。

「どう、して――」

 今まで、中では出さないでいてくれた。
 殿下は牛の腸や最新の樹脂ゴムを使用した避妊具は嫌がったけれど、それでも膣外での射精だけは守ってくれていた。最低限、子供ができないようにしているのだと、思っていたのに。

 わたしの上に圧し掛かったまま、殿下が荒い息を吐いて、髪や顔にたくさんのキスをする。甘やかすような優しいキス。でも――。

「言っておくが、外で射精したところで、妊娠する時はするんだぞ? 今まではたまたま、運がよかっただけだ」
「だからって……! 結婚が決まった今になって! 赤ちゃんできたらどうするんですか!」

 殿下はわたしの髪を撫でながら、至近距離からわたしの顔を見下ろして言った。

「別に産めばいい。俺はお前を孕ませることに決めた」
「はああああ?」

 絶句するわたしを正面から見つめて、殿下は決意を込めて言う。

「今度という今度は俺も怒っている。……俺は、ステファニーとは婚約していないし、今後も結婚するつもりはない、他に好きな女がいると、何度も父上にも公爵にも言ってきたんだ。でも、表立っては婚約について発言しなかった。公の場で婚約を拒否すれば、恥をかくのはステファニーだからだ。俺はなるべくステファニーや公爵家の名誉を傷つけないように、できる限り穏便に、向こうが引いてくれるのを待つつもりだった。……なのに、俺が黙っている隙をついて、勝手に父上の裁可を得て、俺に事前の一言もなく、勝手に議会にかけやがった! 俺を馬鹿にするにもほどがある!……俺は死んでもステファニーとは結婚しないと、啖呵を切ってきた!」
「そんな……!」
「……エルシー、俺は絶対、お前を手放さないかならな!」

 殿下はギラギラした金色の瞳で宣言すると、その夜は明け方近くまでわたしを犯し続けた。






 翌朝の朝刊の一面は、第三王子アルバート殿下と、レコンフィールド公爵令嬢、レディ・ステファニー・グローブナーの婚約が議会の承認を得た、との記事がでかでかと出た。

 殿下はその記事を一瞥するとぐしゃぐしゃに握り潰し、放り投げて言った。

「エルシー、今日は出かけるぞ。仕事は休みだ! けったくそ悪い!――ジュリアン! 弁当作っとけ! 一日中、車で走り回ってやる!」

 ジュリアンに指示を出してから浴室に行った殿下を見送り、わたしは重い身体を引きずって、ぐしゃぐしゃになった朝刊を拾い上げる。

 そこには殿下の写真も載っていたが、かなり前のものなのか、ボケていて顔ははっきりしない。反対に、ステファニー嬢の写真は最近のものらしく、鮮明だった。

 記事によれば、ステファニー嬢の父・レコンフィールド公爵は国王の寵臣で次期首相の最有力候補者、そして王妃陛下の弟にあたる。……つまり殿下の母方の従妹だ。当然、「幼少時から婚約の話は幾度も出ていたが、先の大戦で殿下が従軍するにあたり、命の危険を思い、自分の帰還を待たずに結婚するようにと言いおいて出征された」とある。

 ……記事を読む限りは、殿下とステファニー嬢は幼馴染の相思相愛の仲で、戦争による長い別離を経た後、ようやく婚約に至ったように見える。

 わたしははあ、っと大きく息を吐いて新聞を置き、寝間着の前を掻き合わせる。

 身動きすると、殿下の放ったものがわたしの中から零れて、すごく気持ち悪い。

 ――殿下はわたしを孕ませる気満々だけど、本当に妊娠したら、いったいどうなっちゃうの。
 
 一刻も早く掻きだして洗わないと!
 
 わたしは意を決してベッドから起き上がった。

 
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