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第一章

療養院

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 午後、仕事を早めに切り上げ、ロベルトさんと馬車に同乗して療養院サナトリウムに向かった。
 王立の療養院は王都の東側に広がる森の中にある。もとは聖カタリーナ修道院の付属の療養所で、王家の最新の治療が受けられる療養院へと整備・拡張された。すぐ隣に聖カタリーナ修道院の尖塔が見える。
 祖母の入院しているヴィラは貴族用の独立した建物で、小さな居間と使用人用の寝室もある。

「お嬢様!」

 出迎えたジョンソンに、わたしは途中の果物屋で買ってきたバスケットと、花束をわたす。

「急にこんなことになって、ごめんなさいね。おばあ様のご様子は?」

 ジョンソンは笑顔でバスケットと花束を受け取り、言った。

「こちらの医師ドクターのお薬がよく効いたのか、昨夜からはずっとお加減もよくて……この部屋の環境もお気に召されたようでございます」
「そう、それはよかった……」

 わがままな祖母の、希望も聞かずに入院を決めてしまった。怒っているのではと、気が気ではなかったのだ。
 ジョンソンに先導されてわたしは病室に顔を出す。ロベルトさんは遠慮して居間で待つと言った。

「奥様、お嬢様がお見舞いにいらっしゃいましたよ」
「まあ、エルスペス、今頃なの?」
「ごめんなさい、おばあ様。遅くなってしまって……」

 ベッドの上に少しだけ身体を起こした祖母は、顔色もよくてホッとした。

「この病棟に入れたのはお嬢様がアルバート殿下にお願いしてくださったからですよ、奥様。殿下のコネで、いいお部屋をお取りいただけたのです」

 ジョンソンが言い、祖母は不満げに顔をしかめた。……王家の世話になったのが気に入らないらしい。

「そうなの、あの、何とか言う、茶色い髪の人にはお世話になったわ。お前、お礼を言っておいてちょうだい」
「ロベルトさん? 今、そこにいらっしゃるから、呼んできましょうか?」 
「歳をとったとはいえ、レディの寝室に男性を呼び入れないでちょうだい、エルスペス。お前は相変わらず、気配りのない」
「……ごめんなさい、おばあ様。じゃあ、後でわたしからお礼を言っておくわ」

 ジョンソンがわたしの持ってきた花を花瓶に活けて、窓際のチェストの上に飾る。

「ここは景色もよくていいわ。……あの、忌々しい、下町の家のように喧しくないし。ホッとするわ」
「そう、気に入ってよかったわ」
「本当にあの家は嫌いだったのよ。あの、クロフォード家から来たお前の母親の持ち物だったなんて、ぞっとするわ」
「……おばあ様……」

 その家があったからこそ、わたしたちは王都で暮らすことができたのに、祖母はまだ、悪態をついている。

「わたしは仕事があるからこちらには泊まりこめないけれど、メアリーとジョンソンがいるから、ゆっくりしてね」
「ええ、そうね、お前はマックスと同じで仕事仕事で……」
「ええ、ごめんなさい。でも、アルバート殿下のコネで入院させてもらえたから、今しばらくは仕事をやめるわけにもいかないの。わかって」

 祖母も、王立療養院への入院が殿下のコネのおかげだと理解しているのだろう、渋々ながら納得してくれた。
 しばらく祖母の相手をしていると、午後の回診の時間に当たっていたため、白衣を着た初老の医師と、若い看護婦ナースが入ってきた。

「お孫さんですかな、レディ・アシュバートン」
「エルスペス・アシュバートンと申します。祖母がお世話になります」
「コーネル医師です。心臓が専門でしてな」

 わたしは医師と看護婦に挨拶すると、診察に遠慮して席を外した。祖母にはメアリーが付き添い、ジョンソンと二人、居間へと下がる。
 
「その……私たちが奥様についているということは、お嬢様はまさかお一人で?」

 ジョンソンが小声で話しかけてきたので、わたしは慌てて首を振り、だが祖母に聞こえないように言った。

「実は、アルバート殿下が王都にお持ちのアパートメントに泊めていただいてるの。司令部にも近くて便利よ。……あの家は、ロベルトさんとも相談したけど、人に貸そうと思って――」

 ジョンソンが目を剥く。

「その――王家の方に対して不敬を承知で申し上げますが、事情が事情とはいえ、未婚の令嬢を独身のアルバート殿下の家に泊めるなんて、何かあったら――」
「何もないわ!……本当よ。使用人の方々もよくしてくださるし。ただ、わたしは一人では生活したことがないから、ホテルに泊まるのも恐ろしくて、甘えてしまったの。でも、このことはおばあ様には言わないで。きっとあなたと同じ心配をして、お怒りになるに違いないから」

 怒るだけならやり過ごせばいいのだが、強い怒りは心臓への負担になる。

 ジョンソンは何か言いたげであったが、無言で首を振り、溜息をつく。

「奥様も口では厳しいことを仰いますが、お嬢様のことは大変、心配していらっしゃるのです。……特に、王家の方に対しては、どうしてもその――昔からの不満と疑いが重なっておりまして……」
「昔から?……おばあ様は、お父様の戦死以前から、王家に不満があると言うの?」

 ジョンソンはハッとして口を閉ざし、曖昧な笑みを浮かべて首を振った。

「お許しくださいませ、これ以上はわたしの口からは――。ただ……もとは奥様のお身内の方が発端ほったんでございましたので。その縁で、亡くなられた旦那様が王家と深く関わり、従軍なさった。その挙句あげくの戦死でございましたので、奥様としてもお心の向ける先がないのかもしれません」

 初めて耳にする話に、わたしはパチパチと瞬きした。

「……おばあ様の、お身内の方……? お父様はアルバート殿下の護衛をしていたと、殿下はおっしゃったわ。それと、おばあ様のお身内の方が関係があるってこと?」

 意味がわからず、わたしがジョンソンに問い返すけれど、ジョンソンはただ、首を振る。

「私も全てを把握しているわけではございません。私は奥様のメイドだったメアリーの縁で、奥様のご用をうけたまわるようになっただけでございまして。すべての種は、私が奥様にお仕えする以前に蒔かれていたように、私はお見受けしております。――もちろん、お嬢様のお生まれになるずっと前のことです」

 おばあ様のご実家は、リンドホルムよりもさらに西の、アーリングベリという街の子爵家だと聞いている。そしておばあ様ご自身のさらにおばあ様は、外国の貴族家の出だとも。そちらの家の身内の縁で、お父様はアルバート殿下の護衛になった――。

 ……ふと、おばあ様が以前、少しだけ口にされた、ローズという名を思い出す。
 たしか、おばあ様の従妹の娘で、おばあ様が後見人となって、リンドホルム城に引き取られた女性だと。
 おばあ様はお父様と結婚させるつもりだったのに、何かの理由でそれがかなわなかった。
 ……だから、王都の商家出身の、わたしの母がとりわけ気に入らなかったのだとも。

 すべての出来事がぼんやりとして、推測するにも材料が足らなすぎるようだ。――ビリーがよく読んでいた小説の探偵だったら、こんな断片的な材料から、素晴らしい推理で真実に辿りつくのだろうが、何しろ、わたしは推理小説で犯人を当てたためしがない。

 わたしは、しばらく考えていたが、ふいに話を変えた。

「ねえ、食堂に飾っていた薔薇園ローズ・ガーデンの絵を描いた人のことを、ジョンソンは憶えている?」

 ジョンソンはハッとして目を見開く。

「もしかして、お嬢様は憶えてはいらっしゃらないので?」
「何となく、黒髪の人だったのは憶えているのだけど……名前もわからなくて……」
「確かに、お嬢様はずいぶんお小さい時分ですから、無理はないかもしれませんね。実は私どもも、その方のなどは詳しくは知らされていなかったのでございます。旦那様がしばらく城で預かると言って連れておいでになり、だいたい、半年ほどご滞在になられたでしょうか。その後はそれっきりでございました」
「……じゃあ、おばあ様はその人に会っているの?」
「ええもちろん。お会いになっておられますよ?ですが……」

 ジョンソンは首を傾げるようにして、言った。

「今、そうと知らされずにお会いになっても、おわかりにはならないかもしれませんね。あの年頃の方は、ずいぶんと面変わりなさいますから」 
 
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