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第一章

仮面舞踏会

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 アルバート殿下との食事を終え、もう一度、ミス・リーンの店まで戻って着換えてから、秘書官のロベルトさんに送られて家に帰ると、なんと玄関ホールで祖母が待っていた。

「おばあ様?!」
「いったい何事です? お前はこんな時刻まで!」
「えっと……その……」

 王子殿下にドレスを作ってもらった上に、夕食をご馳走になっていた、なんて愛人にでもなったかのようで、さすがに祖母には言えず、わたしが口ごもると、背後から付き添ってきたロベルトさんがキリっと礼儀正しく敬礼し、祖母に言った。

「アルバート殿下の主席秘書官、ロベルト・リーンです。殿下のご命令により、ご令嬢をお送りしてまいりました」

 祖母もロベルトさんの様子に、ハッと気づいて居住まいを立たす。

「……孫のエルスペスがお世話になります。ウルスラ・アシュバートンです。わざわざご足労をおかけします」
「本日は、数日後に控えた特別業務のための打ち合わせでして、ご令嬢をお借りいたしました。申し訳ございません」
「……特別業務……」
「は、殿下におかれましては、陸軍司令としての重要任務の一旦を担うために、ご令嬢の協力が欠かせません。もし、業務が伸びた場合は、必ず護衛をつけて送り届けますので、ご安心ください」
「……そうですか。でも、孫は七月で退職すると――」
「我々は前線での時間が長く、どうしても司令部での業務に不慣れであります。ご令嬢の協力がなければ、任務を遂行できない状態です。いましばらくは、このまま協力をお願いしたいと、殿下もおっしゃっておられます」
 
 どうしても必要な任務が「パーティーのパートナー」「間諜スパイごっこの片棒」だなんて、絶対に言えない。わたしが祖母とロベルトさんのやり取りをビクビクしながら見ていると、祖母も諦めたのか頷いた。

「そういうことなら。ですが、エルスペスは今は落ちぶれたとはいえ、未婚の、元は伯爵家の娘です。アルバート殿下はレコンフィールド公爵のご令嬢と結婚が決まっていると聞いております。いくら仕事でも、未婚の娘が夜遅くなるのは外聞も悪うございます。どうか孫娘の評判が落ちるようなことは、避けてくださらないと」
「もちろんです、レディ・アシュバートン」
「信じてよろしいのですね? アルバート殿下を」
「もちろんです、レディ」

 祖母はもはや伯爵夫人ではないけれど、ロベルトの言葉にはかつての栄光の日々をくすぐられたのだろう、満更でもなさそうな表情で、軽く頭を下げると寝室へと下がっていった。

「はあー」

 祖母がメアリーに付き添われて寝室に消えると、わたしは思わずため息をつく。

「どうも申し訳ありません、ロベルトさん」
「いや、いいよ。……うちの殿下が悪いんだしね」

 そして、わたしの耳元で囁く。

「ドレスはこっちで預かっておくから」 
「はい。この家にあんなものを持ち込んだら、大騒ぎになります」
「んじゃねー」

 ひらひらと手を振って、ロベルトさんは戻って行った。……ほんと、王子の秘書官って大変。
 



 翌日からの一週間は穏やかに過ぎた。わたしはいつも通り徒歩で出勤し、時間通りに働いて、書類をタイプで作成する。クルツ主任のチェックを受け、殿下のサインをもらう。……時々、本部までお使いに行く。本部の事務官とやり取りしていると、遠くからハートネル中尉が何か言いたげな表情で見ていたが、わたしは無視した。

 が、その金曜の夜が例のパーティ―だった。わたしは殿下と馬車に同乗して、十番街のミス・リーンの店に乗り付ける。奥の部屋で着換えさせられたドレスは、光沢のある鮮やかな青に、黒いレースが胸元と袖、スカートの裾にあしらわれて、そしてシルエットは非常に現代的モダンだった。腰回りはピッチリ身体に沿っていて、膝の上あたりから広がるような奇妙な形――人魚マーメイドラインと言うらしい。前の方が短くて膝頭ひざがしらが隠れるギリギリ、後ろは脹脛ふくらはぎを覆い、黒いレースが襞をつくって足を取り囲んでいる。

 足元にボリュームがあるため、上半身は小さめに、亜麻色の髪はタイトにまとめて、黒いレースの髪飾りをつける。ミス・リーンはボブヘアにしたかったようだが、祖母への言い訳が思いつかないので断固拒否した。やや開いた胸元を飾るのは、やはりサファイアとプラチナのネックレス。お揃いの、長く垂れる耳飾り。踵の高い黒い靴を履いたわたしに、ミス・リーンが差し出したのは――。

「今日の催しは仮面舞踏会だから、これを――」

 銀の地に、黒い、蜘蛛の巣のようなレースを飾りつけた仮面。

「こ、こんなの着けるんですか?」
 
 いかにも視界が悪く、ハイヒールと合わせ技で絶対に転ぶ。

「だって仮面舞踏会だもの」
「なんだってそんな……」
が女連れで顔出せるのは、その手の催しだけよ。……戦争が終わって、みんなちょっとばかり羽が伸ばしたい、そういう手合いがはしゃぐための会なのよ」

 今回の大戦で、爵位貴族の既得権益はかなり削られ、多くが財政難に喘いでいる。ノーブレス・オブリージュの意識が高いため、貴族出身士官の死亡率は、平民出身士官の数倍に上るとも言う。後継者を失い、領地が宙に浮いてしまった大領主もいる。没落に瀕する貴族階級に代わって、機を見るに敏な商業資本家の一部――つまり、爵位を持たない中産階級ブルジョアジー――が力を伸ばした。だが、社交界はまだまだ、貴族の牙城だ。正式な舞踏会、晩餐会となると、爵位や家柄、格式が物を言い、新興の資本家は成金と馬鹿にされる。

 彼ら新興の成金が金に飽かせて開く催し――戦争末期から、王都で密かに開かれていたのが、仮面舞踏会なのだそうだ。……そんなものが開かれていたなんて、日々の食事にも事欠くわたしたち貧乏人は全く知らなかった……。

 仮面をつけると、周囲が見えにくくて、フラつくわたしを見かね、ミス・リーンがアドバイスする。

「直前までは仮面を外しておいた方がいいわ。……酔うわよ?」
「……今日はお酒を飲まないことにします」

 仮面に酔うなんてこと、想像したこともなかった。わたしがミス・リーンの腕にすがるようにしてソファのあるサロンに出て行くと、すでにかっちり盛装した殿下が待っていた。黒く艶やかなイブニングコートに、わたしのドレスと共布で仕立てたタイとポケットチーフの青が鮮やかだ。普段、背後に流して固めている前髪を前に垂らし、お揃いの蜘蛛の巣模様の仮面をかぶれば、よくよく観察しなければアルバート殿下とは気づかれない……と本人は言うが、本当にそうだろうか?

 わたしの懸念に、殿下は苦笑した。

「大丈夫だ。俺はここ数年、前線にいて、王都には戻っていない。新聞に載る写真、肖像は戦争前の、まだ十代のガキの時のものだし、最近の写真は戦争中の、軍服でしかも遠景のものしか認めていない。――敵側に顔が知られたら、狙われる可能性があったからな。だから、王都の、それもこんな会でチャラチャラ遊んでるやつらが、俺の今の顔を知るわけないんだ」

 殿下はわたしの前に腕を差し出して言う。

「さ、視界が悪いなら俺に縋れ。ちゃんとエスコートしてやるから」
「はあ……乗りかかった船ですからお伴いたしますけど……」

 わたしが渋々、殿下の腕に黒いレースの手袋をした手をかけると、殿下がクスリと笑う。

「ああ、それから、俺は、……リジーだ。リジー・オーランド」
「リジー?」

 なんとなく聞き覚えがあるような気がして、わたしが首を傾げる。

「……それが偽名ですか?」
「偽名……というかだな、おしのびの時はそれで通してる。俺の洗礼名がレジナルドなんだ」
  
 殿下は第三王子ではあるが、オーランド伯爵の爵位も持っていて、お忍びの時はこちらを名乗るということなのか。

「エルシー、楽しんできてねー」
「……仕事なんですよね?」

 陽気に手を振るミス・リーンに見送られ、わたしは殿下のエスコートで、いかにも身分ある人のお忍び風の馬車の乗り込んだ。
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