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第一章

最初の業務

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 ミス・ローリー・リーンの店で、わたしは奥の部屋に連れ込まれてほとんど裸に剥かれ、あちこちをしつこいほどに採寸された。それから最新の下着を着けさせられて、いろいろな絹の布地を身体にかけられ、顔映りを確かめられる。靴のサイズも計測され、踵の高い靴を履かされ、それで歩くように言われる。

「無理です! こんなの、絶対転びます!」

 普段、編み上げブーツしか履かないわたしは、針のように細いヒールに恐怖しか感じないし、無理に履いても膝がガクガクして生まれたての小鹿みたいになってしまう。

「大丈夫よ、あなたは歩き方ウォーキングはちゃんとできているんだから。……そうそう、ほら、慣れてきたじゃない!」

 ミス・リーンに叱咤激励され、子供の頃、祖母から歩き方を訓練されたことを思い出し、背筋を伸ばしてこわごわ歩いているうちに、何とか歩けるようになった。口やかましかった祖母に感謝せざるを得ない。お針子の一人がパールグレー地のイブニングドレスを持ってきた。一見、無地かと思ったら、薄っすらと幾何学文様の地紋が全体に染められていて、光の加減によって浮かび上がる。すとんとした直線的なシルエットだけれど、巧妙にタックとドレープを入れて地紋を浮かび上がらせ、さらに裾のスリットから動きにつれて覗くように、豪華な白いレースのペチコートを履く。薄い絹のストッキングをガーターベルトで吊って――こんな下着が存在することを、生まれて初めて知った――言われるままにそれらを着ると、お針子三人がかりで腰回りと背中を手直しする。着てきた白いブラウスと紺のスカートはどうなったのか。父の形見のタイピンを紛失しないか、気が気でない。だがわたしの気がかりなど置き去りに、グレーのドレス姿で部屋の外の、サロンで待っているらしい、殿下のもとに案内された。そのドレスも当たり前のように肌の露出が多くて、恥ずかしくて顔から火を噴きそうだ。

 サロンの赤いソファでくつろいで、カタログを見ていた殿下が、わたしに気づいて金色の瞳を細めた。

「似合うじゃないか」
既製服プレタポルテ型紙パターンから仕立てておいたんですけど、痩せてスタイルがいいから、少し手を入れるだけでピッタリだわ。よくお似合いよ」

 ミス・リーンが殿下に媚びるように言い、殿下も頷く。

「胸元が寂しいな」
「このドレスは、このネックレスに合わせてデザインしたんですよ」

 ミス・リーンが指示すると、片腕らしい小柄な中年の男がガラスケースを差し出す。中には豪華なサファイアとダイヤモンドのビブ・ネックレスとイヤリングのセットが――。

「おお、たしかにエルシーのブルー・グレーの瞳と、そのドレスに合いそうだな」

 殿下が同意すると、頷いた男性がその、おそらく目の玉の飛び出るような値段であろうネックレスを、わたしの胸元にかけてきた。確かにそのネックレスをすれば、首から胸元にかけてがかなり隠れるし、シンプルなドレスはこの豪華なネックレスを前提にデザインされたのだろうとは、思う。でも――。

 というより、このネックレス、たまたま持ってきたものとは思えない。明らかにドレスとセットで、そしてわたしの瞳の色に合わせて準備しておいたものだ。間諜スパイごっこのために、いったいいつから、そしていくらかけるつもりなの?

 なんだか気味が悪くなってきたわたしは、何とかこの場を抜けられないかと考える。こんな豪華なビブ・ネックレス、下手な首輪よりもたちが悪い。

「ま、待ってください! そんな高価そうなの……無理……」
「大丈夫だ、気にするな。さっきも言ったらだろ、単なる武装だ」

 しかし、抵抗も虚しく、半ば無理矢理にサファイアのネックレスをつけさせられる。だって迂闊に暴れて、ネックレスが壊れてしまったら、弁償できないもの。耳のイヤリングともども、これはもう、見た目は豪華だけど、枷と同じだ。その状態で殿下の隣に座るように命じられる。その位置だと、上背のある殿下からは胸元を見下ろす形になる。思いっきり覗かれている視線を感じて、わたしはふらついたフリをして、殿下の足を踏んでやった。

「痛て!」
「申し訳ありません、つい……」
「いやその、意外と胸があると……」

 言い訳にもならない言い訳をする殿下を睨みつければ、殿下は気まずそうに目を逸らした。次やったら、ピンヒールの踵をお見舞いしてやる!

「採寸が済んだから、これからドレスのデザインを決めるんだ」
 
 そう言って、殿下がカタログのデザイン画を見せてくるが、わたしには何がなんだかわからない。

「こちらが最新流行のスタイルで……」
「あまりに流行を追ってもつまらないだろう。今度の集まりは貴族の邸でやるんだ。何しろ仮面舞踏会だしな。少しばかりクラシカルな雰囲気を取り入れる感じで――」
「でしたらこちらのように、アンティークのレースをふんだんに使ったデザインは如何です?シルエットは現代風で、素材感とディティールに凝ってみたら――」

 殿下とミス・リーンの会話は、わたしにはさっぱり理解不能で、ひたすら胸元のサファイアが重く、早く終わらないかとじっと座っていた。

「――エルシー、お前はどれがいい?」
「え? ええっ?!」

 ミス・リーンがニッコリと提示する数枚のデザイン画。申し訳ないが、その絵から実物のドレスを想像する能力は、わたしにはない。

「こちらデザインでお色目は黒か、ああでも、鮮やかな青もきっとステキね。……それとも深い緑はどうかしら……」
「えっと……わたしはその……動きやすければ、何でも……」

 しどろもどろ答えるわたしそっちのけで、殿下は別のデザイン画を手に取る。

「緑だったらこんな感じのデザインはどうだ? 今は直線的なシルエットが主流だが、スカートがふわっとしたのも悪くない。森の妖精みたいだ」
「あら、それもよろしいわ。生地は深緑のベルベッドかしら。それに黒いレース。素敵ねぇ」

 何やら話は勝手に進んで、知らない間に殿下はわたしのドレスを三着もオーダーしていた。……いつ着るのよ!

「そんなに着る機会がありません」
「なぜ、毎度毎度同じドレスで出かけるわけにいかんだろう?……ああそうだ、俺のスーツにもパートナーらしい工夫を――」
「もちろんですわ」

 ミス・リーンが頷く。

「こちらのペイズリー柄のドレスは共布でウェストコートを仕立てるのはいかがでしょう。スーツはいつものテーラーで? こちらから布地を送っておきますわ」
「ああ。差し当たって、あの青い奴を大至急で頼む。来週なんだ」
「なら、あの青いドレスの共布でタイとチーフを作りましょう。それならわたしの店で大丈夫」 
「そうだな、それとサファイアのカフスを……」
  
 どうやら殿下の小物とセットで仕立てるらしい。ペアルックとか正気とは思えない。本物の恋人でも恥ずかしいのに、ただの間諜スパイごっこに、馬鹿じゃないの?

 しかし、殿下は不気味なほど上機嫌で、タイやら小物について打ち合わせている。いつの間にか背後に控えていたロベルトさんが差し出す小切手帳にサラサラとサインし、ビリっとちぎって小柄な男性に渡す。そうしてわたしに色気の籠った金色の瞳で微笑みかけると、大きな手を差し出して言った。

「じゃあ、そろそろ行こうか、エルシー。レストランを予約してある」
「はいい?」
「……殿下、今夜はからね? お預けですよ?」
「わかってる」

 そう言って、殿下は茫然としたままのわたしの手を取って立ち上がらせると、ロベルトさんに向かって、片目をつぶって見せた。

また今度」

 殿下にエスコートされ、一歩踏み出したわたしは、唐突に脱いだ服のことを思い出す。

「その……わたしの服は……」
「ああ、それはちゃんと預かってる。鞄も。心配するな」 
「……タイピンも?」
 
 父の形見のピンについて触れると、殿下は微笑んで、なんと自分のタイを指さした。そこには父のタイピンがあった。

「それは俺が預かっている。大丈夫、安心しろ」
「あと、その……このドレスはあまりに肩が出ていて……その……」

 すぐに心得たミス・リーンがグレーのシフォンのショールを持ってこさせ、それで肩を覆って、わたしは少しだけホッとした。

「じゃあ、レストランはすぐそこだ。俺も腹が減った。付き合え。……これも業務の一環だぞ?」

 業務の一環と言われてしまうと断ることができず、わたしは仕方なく殿下の肘に手を置いて、ゆっくりと歩き出した。



 わたしはただの秘書官で、殿下の間諜スパイごっこに付き合うために、ドレスの採寸に来ただけのはずだった。なのに早速ドレスを着せられて、殿下とレストランで食事に付き合わされるらしい。

 おかしい。意味がわからない。いったい何が起きているの?
 そもそもアルバート殿下には、婚約者も同然のご令嬢がいらっしゃるはずでは――。

 あまりにも異常なことが同時に起きていて、わたしは冷静な判断力を欠いていた。
 特別業務だとかなんとか言っているが、知らない人が見たらただのデートだ。もし誰がに見られたら、大変なことになる――そんな簡単なことさえ、その時のわたしにはまったく思いもつかなかった。
 
 
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