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第1章 約束と再会編
第31話 成長したね
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私たちがサロンに到着して十分後、サロンの入り口に兄様とアーサー様の姿が見えた。
入り口を監視しながらキッチンで待機していた私は、兄様の到着と同時にお茶を淹れ始めた。後からいらっしゃったアーサー様も冷蔵庫からケーキを取り出し、取り皿を準備。
そして、2人でいつも座っている他のフロアよりも高くなっているあの席へ向かう。
そこにはすでにセレナ、リアムさん、マナミ様、兄様が座って待っていた。
机の短い辺の前には兄様が、兄様に向かって、右手にはリアムさん、セレナ、マナミ様の順で座っていた。左手の席は空席だったので、私たちが座るように空けていたみたい。
私はアーサー様に兄様の近い方に座ってもらおうと思ったのだが、アーサー様が「エレちゃんはシンと近い方がいいよね」と促されたので、私は兄様に近い方の席へ、私の隣にアーサー様が座るという形になった。
待ってもらっていた兄様はリアムさんとも面識があるのか、親し気に話していた。
私は各カップにお茶を淹れ、そして、兄様にカップを手渡す。
「兄様、お待たせしました」
「ありがとう」
兄様はティーカップを受け取ると、すぐにすぅと紅茶の香りをかいだ。
そして、目を閉じ穏やかな微笑みを浮かべる。
「この香りはキームンかい?」
「はい。以前に、兄様が好きおっしゃられていたので、今日はキームンティーにしました」
キームンティー――――東の国で収穫されるこの紅茶は華やかな香りと柔らかい甘さがある。 ストレートで飲んでも苦みは少なく、一緒にお茶をした時に兄様が好んで飲んでいたものだった。
兄様の好みに合わせてお茶を淹れたのだけど……。
だが、兄様の顔に喜びはなく。
「……」
言葉を失っているようだった。
もしや好みが変わった?
キームンティーは嫌いになってしまったのだろうか?
心配になっていると、兄様は額に手を当て俯き、小さくこぼした。
「僕の好みまでリークして淹れてくれるなんて……お兄ちゃん、死んでもいいや。いや、死ぬのはダメだな。これで1000年は生きれるぞ……」
というどうしようもない冗談を言いながら、兄様は1口1口紅茶を味わって飲む。
「本当に美味しいな……エレは誰に紅茶の淹れ方を教えてもらったの? 独学ではないよね? ガーディアン嬢に教えてもらった?」
私は横に首を振る。
「いえ、アーサー様に教えていただきました」
「へぇ、アーサーにか。アーサーも自分でお茶を淹れられたんだ……」
「僕もお茶ぐらい淹れることはできるよ」
「それは知らなかった。そっか、菓子を作る君ならできて当たり前か。アーサーはいつもエレとお茶をしてるの?」
「うん。毎日ではないけど、最低でも週に3回は絶対お茶をしてるね」
「…………」
自分で質問しておきながら、突然黙り込む兄様。
兄様はゆっくりティーカップを置き、そして、目を閉じすぅーと深呼吸をした。
「よしっ、エレ。兄ちゃんもエレと学園に通うぞ。そして、毎日エレが淹れた紅茶を飲む」
「もう……冗談はよしてください」
「冗談じゃないさー。エレとお茶を毎日できるのなら、どんな方法でもいい、ここに住むぞ。ああ、でも、俺はもうここを卒業しちゃったから、学生としていることはできないけど……教師とかならいけるから、よしっ、俺は先生になるぞ!」
兄様はすでに学園の卒業生。
私がいない学園は嫌だといって、飛び級制度を利用して2年で卒業している。
兄様は頭もいいし、教師になれなくはないと思うけど、次期当主としての勉強もある。もし、兄様が要領よくやって教員免許を取れても、当主の仕事が忙しくて、両立は無理だと思うが……。
「大丈夫! エレと過ごすためなら、何とかするさ!」
兄様の中では教師になることはすでに確定事項。
これは何を言っても聞かなさそう……。
父から聞いたことではあるが、兄様は卒業する年に私が軍に入ってしまったため、私が実家にいなくなったことがかなりショックだったらしい。
でも、私が軍に行く理由を話していたら、納得してくれたし、さらにはお父様を色んなフォローをしてくれた。
私が軍人としてやっていけるのは兄様のおかげでもある。
兄様が本当に教師になりたいとおっしゃられるのなら、私も全力でサポートはするけれど、今の様子だと動機が不純なような気がする。
私といたいのなら、軍に行けばいいのに。
そこであれば、卒業後もずっとそこにいる。動くことはないだろう。
教師になりたいと本気か冗談か分からない様子で話す兄様。
彼の視線は私から机の中央に置かれたアーサー様のお菓子へと移っていた。
今日のアーサー様のお菓子はキームンティーと相性のいいレモンケーキ。
偶然ではあるけれど、アーサー様が作られたお菓子が兄様の好きな紅茶に合うケーキでよかった。
そのレモンケーキは黄色のアイシングがされた長方形の形のケーキで、切った瞬間ほんのりとレモンの香りがした。
それをアーサー様ご自身で切り分け、1つのお皿を兄様に手渡す。
兄様は早く食べたかったのかアーサー様を待つことはなく、受け取るとすぐにケーキを銀のフォークで一口サイズに切り、それを口へと運んだ。
「うーん、やっぱりアーサーの作るケーキは美味しいな……最高だよ。毎日俺の家で作ってほしい」
と言って、兄様はレモンケーキを口へどんどん運んでいく。
あっという間に兄様の分のケーキはなくなり、兄様はティーカップを片手にふっーと一息をついていた。
私も一皿いただき、レモンケーキを食べる。
口に入れた瞬間、爽やかなレモンの味がふわぁと広がる。
甘すぎず、口当たりもいい。とても食べやすいケーキだった。
思わず笑みがこぼれてしまうぐらいの美味しさ。
このケーキ、本当に最高だわ……。
「アーサー様、今日のケーキも美味しいです」
「それはよかったです」
率直な感想を述べると、アーサー様は優しく微笑む。
私も笑みを返し、さらに一口食べていく。このレモンケーキやみつきになりそう。
とひたすら食べていると、隣のアーサー様がフォークを持つ手を止めていることに気づいた。
「アーサー様は召し上がられないのですか? もしかして、お口に合わなかったのですか?」
そう問うと、アーサー様は苦笑いで横に首を振った。
「エレちゃんが食べているのを見ていると、こっちまで幸せになってしまうなー、って見とれていたんだよ」
「俺も同感~、エレって本当に美味しそうに食べるよね」
兄様もアーサー様と同じ意見なのか、うんうんと頷く。
「そうですか? 私はただ食べさせてもらっているだけなのですが……」
「エレちゃんはとっても美味しそうに食べてくれるから、作っている側からすると、本当に嬉しんだよ……って、あ。エレちゃんの分もうなくなっちゃったね」
「え?」
下を見ると、先ほどまで半分ぐらいあったレモンケーキの姿はなく、手にしていたのは何も乗っていないお皿だけ。
気づいたらなくなっていたため、私は2個目を貰っていると、兄様が私に目を向けているのに気づいた。
兄様は前かがみになり、足に肘を乗せ、真剣な表情で私を見ていた。
どうしたのだろう……私に何かおかしいところでもあるのだろうか……。
口にケーキがついてしまっているとか。
口元を拭いたが、ケーキのカスがついてはいなかった。
でも、兄様はまだ私をじっと見ていた。
笑顔はなく、徐々に心配そうな顔になっていく。
「エレ」
「はい。なんですか、兄様」
「もしも、アーサーに泣かされたら、俺に言うんだぞ。絶対にだ」
「アーサー様に泣かされたら、ですか?」
「ああ」
それはないと思うけど……。
私がアーサー様にご迷惑をおかけするということがあっても、私がアーサー様に泣かされるなんてことはないはずだ。
「あ、でも、エレシュキガルのことだから、逆にアーサーの方がエレに泣かされるか」
「アーサー様を泣かせるようなことはしませんよ。迷惑になるようなことは分かりませんが……」
私は戦いのことしか興味がなかったから知らないことが多いし、魔法や軍関係の以外のことをする際にはへまをしてしまうだろう。
でも、そこは教えていただきながら、時には技術を盗みながら改善していく。
「アーサー様の婚約者である限り、それにふさわしい人間であるように頑張ります」
そう話すと、兄様は懐かしむような、愛おしむような笑みを浮かべる。
そして、小さく私に言った。
「エレは変わったね」
「……そうですか?」
「うん、変わったよ。もちろんいい意味でね。エレはいつも魔王を倒すことと軍のこと、後はご飯のことしか考えていなかっただろう? そこしか見えていなくて、婚約者のことなんて考えることも、俺のためにってお茶を淹れることも、友人と一緒にお茶をしたり勉強したりすることもなかった。でも、今は違う。今のエレには多くの友人がいて一緒にお茶をするし、戦い以外のことにも目が向き始めた」
兄様は柔らかく優しい微笑む。
それは心の底からのものだと分かった。
「エレは成長したね。本当に変わったよ」
ずっと会っていなかった兄様。
その兄様がこう話すのだ。きっと私は変わったのだろう。
変わったきっかけはおそらくアーサー様との出会いだと思う。
アーサー様が話しかけてくれなかったら、私は学園で1人のままだっただろうし、それがなかったら、セレナに友人になろうだなんて言わなかった。
マナミ様からペンダントを渡されても、『私には必要のないものだから』と言って断っていた。
だから、きっと――――。
「私が変われたのは、友人となってくれた皆さんのおかげです」
アーサー様やセレナと話すようになったから、戦い以外のことを知れた。
マナミ様と関わるようになったから、影魔法を戦術に入れ込もうと考えれるようになった。
短い期間ではあるけれど、多くのことをもらった。
兄様は私の言葉に大きくうなずいてくれた。
「俺も同意だよ。友人ほど影響力のある人物はいないからね。だから、みんなに感謝を言いたい。俺の妹と付き合ってくれてありがとう」
兄様は真剣な声で感謝を述べ、アーサー様やリアムさんたちに深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
私も兄様に並んで頭を下げる。
すると、マナミ様がフフフっと笑みを漏らした。
「お礼をしていただくなくても結構よ。私はエレシュキガルと過ごしてみるのも悪くないかなと思って、一緒にいるだけだから」
マナミ様がそう言うと、セレナたちも頷き優しく微笑む。
「まぁ、私にもし困りごとがあったら、お兄さんに頼むわ。あなた、なんでもできる有能さんって聞いているしね。もちろん、私の手を借りたい時は連絡してちょうだい」
と言って、マナミ様は名刺らしき小さな紙を人差し指と中指に挟んで、兄様に手渡す。
兄様も自分の名刺を差し出した。
「了解しました、殿下。なんでもお申し付けください」
「殿下は止めて。マナミでいいわ。敬語もなしでお願い」
「わかったよ、マナミ嬢」
切り替えが早い兄様がフランクな口調になると、マナミ様は満足そうに微笑んだ。
名刺を胸の内ポケットにしまう兄様はふぅーと息をつき、虚空を見つめる。
「これからのエレはどんどん変わっていくんだろうな……となると、俺も近くでエレが成長していくところを見ていたい……うぅ~、帰りたくないよ~。リアム、どうにかして俺を教師にして~」
「そう言われても、僕にはどうしようもできませんね。諦めるか、自力で大学に行くかしてください」
「よしっ、じゃあ、大学に行ってくる。エレ、1年待ってくれ。1年で戻ってくる」
うーん。
兄様が言うと、本気か冗談か分からなくなる。
そうして、兄様はレモンケーキをもう1切れ食べると満足して、「俺、頑張るから!」と謎の宣言をして、実家へと帰っていった。
私は校門で兄の背中を見送りながら、兄様の言葉を振り返っていた。
『これからのエレはどんどん変わっていく』――――。
隣をちらりと見る。
隣には夕日に照らされて輝く金色の髪をなびかせるアーサー様。
これまでの私はアーサー様と一緒に変わってきた。
これからの私も彼と一緒に変わっていくのだろう。
「アーサー様、私頑張ります」
突然の私の宣言に、かわいくこちらを見て首を傾げるアーサー様。
だが、尋ねることはなく、視線は真っすぐに戻り、「僕も頑張るよ」と笑顔で答えた。
私の中の、アーサー様に対する『好き』という感情はまだはっきりしていない。
それでも、私は彼の隣でいれるよう頑張ろうと、決意した。
入り口を監視しながらキッチンで待機していた私は、兄様の到着と同時にお茶を淹れ始めた。後からいらっしゃったアーサー様も冷蔵庫からケーキを取り出し、取り皿を準備。
そして、2人でいつも座っている他のフロアよりも高くなっているあの席へ向かう。
そこにはすでにセレナ、リアムさん、マナミ様、兄様が座って待っていた。
机の短い辺の前には兄様が、兄様に向かって、右手にはリアムさん、セレナ、マナミ様の順で座っていた。左手の席は空席だったので、私たちが座るように空けていたみたい。
私はアーサー様に兄様の近い方に座ってもらおうと思ったのだが、アーサー様が「エレちゃんはシンと近い方がいいよね」と促されたので、私は兄様に近い方の席へ、私の隣にアーサー様が座るという形になった。
待ってもらっていた兄様はリアムさんとも面識があるのか、親し気に話していた。
私は各カップにお茶を淹れ、そして、兄様にカップを手渡す。
「兄様、お待たせしました」
「ありがとう」
兄様はティーカップを受け取ると、すぐにすぅと紅茶の香りをかいだ。
そして、目を閉じ穏やかな微笑みを浮かべる。
「この香りはキームンかい?」
「はい。以前に、兄様が好きおっしゃられていたので、今日はキームンティーにしました」
キームンティー――――東の国で収穫されるこの紅茶は華やかな香りと柔らかい甘さがある。 ストレートで飲んでも苦みは少なく、一緒にお茶をした時に兄様が好んで飲んでいたものだった。
兄様の好みに合わせてお茶を淹れたのだけど……。
だが、兄様の顔に喜びはなく。
「……」
言葉を失っているようだった。
もしや好みが変わった?
キームンティーは嫌いになってしまったのだろうか?
心配になっていると、兄様は額に手を当て俯き、小さくこぼした。
「僕の好みまでリークして淹れてくれるなんて……お兄ちゃん、死んでもいいや。いや、死ぬのはダメだな。これで1000年は生きれるぞ……」
というどうしようもない冗談を言いながら、兄様は1口1口紅茶を味わって飲む。
「本当に美味しいな……エレは誰に紅茶の淹れ方を教えてもらったの? 独学ではないよね? ガーディアン嬢に教えてもらった?」
私は横に首を振る。
「いえ、アーサー様に教えていただきました」
「へぇ、アーサーにか。アーサーも自分でお茶を淹れられたんだ……」
「僕もお茶ぐらい淹れることはできるよ」
「それは知らなかった。そっか、菓子を作る君ならできて当たり前か。アーサーはいつもエレとお茶をしてるの?」
「うん。毎日ではないけど、最低でも週に3回は絶対お茶をしてるね」
「…………」
自分で質問しておきながら、突然黙り込む兄様。
兄様はゆっくりティーカップを置き、そして、目を閉じすぅーと深呼吸をした。
「よしっ、エレ。兄ちゃんもエレと学園に通うぞ。そして、毎日エレが淹れた紅茶を飲む」
「もう……冗談はよしてください」
「冗談じゃないさー。エレとお茶を毎日できるのなら、どんな方法でもいい、ここに住むぞ。ああ、でも、俺はもうここを卒業しちゃったから、学生としていることはできないけど……教師とかならいけるから、よしっ、俺は先生になるぞ!」
兄様はすでに学園の卒業生。
私がいない学園は嫌だといって、飛び級制度を利用して2年で卒業している。
兄様は頭もいいし、教師になれなくはないと思うけど、次期当主としての勉強もある。もし、兄様が要領よくやって教員免許を取れても、当主の仕事が忙しくて、両立は無理だと思うが……。
「大丈夫! エレと過ごすためなら、何とかするさ!」
兄様の中では教師になることはすでに確定事項。
これは何を言っても聞かなさそう……。
父から聞いたことではあるが、兄様は卒業する年に私が軍に入ってしまったため、私が実家にいなくなったことがかなりショックだったらしい。
でも、私が軍に行く理由を話していたら、納得してくれたし、さらにはお父様を色んなフォローをしてくれた。
私が軍人としてやっていけるのは兄様のおかげでもある。
兄様が本当に教師になりたいとおっしゃられるのなら、私も全力でサポートはするけれど、今の様子だと動機が不純なような気がする。
私といたいのなら、軍に行けばいいのに。
そこであれば、卒業後もずっとそこにいる。動くことはないだろう。
教師になりたいと本気か冗談か分からない様子で話す兄様。
彼の視線は私から机の中央に置かれたアーサー様のお菓子へと移っていた。
今日のアーサー様のお菓子はキームンティーと相性のいいレモンケーキ。
偶然ではあるけれど、アーサー様が作られたお菓子が兄様の好きな紅茶に合うケーキでよかった。
そのレモンケーキは黄色のアイシングがされた長方形の形のケーキで、切った瞬間ほんのりとレモンの香りがした。
それをアーサー様ご自身で切り分け、1つのお皿を兄様に手渡す。
兄様は早く食べたかったのかアーサー様を待つことはなく、受け取るとすぐにケーキを銀のフォークで一口サイズに切り、それを口へと運んだ。
「うーん、やっぱりアーサーの作るケーキは美味しいな……最高だよ。毎日俺の家で作ってほしい」
と言って、兄様はレモンケーキを口へどんどん運んでいく。
あっという間に兄様の分のケーキはなくなり、兄様はティーカップを片手にふっーと一息をついていた。
私も一皿いただき、レモンケーキを食べる。
口に入れた瞬間、爽やかなレモンの味がふわぁと広がる。
甘すぎず、口当たりもいい。とても食べやすいケーキだった。
思わず笑みがこぼれてしまうぐらいの美味しさ。
このケーキ、本当に最高だわ……。
「アーサー様、今日のケーキも美味しいです」
「それはよかったです」
率直な感想を述べると、アーサー様は優しく微笑む。
私も笑みを返し、さらに一口食べていく。このレモンケーキやみつきになりそう。
とひたすら食べていると、隣のアーサー様がフォークを持つ手を止めていることに気づいた。
「アーサー様は召し上がられないのですか? もしかして、お口に合わなかったのですか?」
そう問うと、アーサー様は苦笑いで横に首を振った。
「エレちゃんが食べているのを見ていると、こっちまで幸せになってしまうなー、って見とれていたんだよ」
「俺も同感~、エレって本当に美味しそうに食べるよね」
兄様もアーサー様と同じ意見なのか、うんうんと頷く。
「そうですか? 私はただ食べさせてもらっているだけなのですが……」
「エレちゃんはとっても美味しそうに食べてくれるから、作っている側からすると、本当に嬉しんだよ……って、あ。エレちゃんの分もうなくなっちゃったね」
「え?」
下を見ると、先ほどまで半分ぐらいあったレモンケーキの姿はなく、手にしていたのは何も乗っていないお皿だけ。
気づいたらなくなっていたため、私は2個目を貰っていると、兄様が私に目を向けているのに気づいた。
兄様は前かがみになり、足に肘を乗せ、真剣な表情で私を見ていた。
どうしたのだろう……私に何かおかしいところでもあるのだろうか……。
口にケーキがついてしまっているとか。
口元を拭いたが、ケーキのカスがついてはいなかった。
でも、兄様はまだ私をじっと見ていた。
笑顔はなく、徐々に心配そうな顔になっていく。
「エレ」
「はい。なんですか、兄様」
「もしも、アーサーに泣かされたら、俺に言うんだぞ。絶対にだ」
「アーサー様に泣かされたら、ですか?」
「ああ」
それはないと思うけど……。
私がアーサー様にご迷惑をおかけするということがあっても、私がアーサー様に泣かされるなんてことはないはずだ。
「あ、でも、エレシュキガルのことだから、逆にアーサーの方がエレに泣かされるか」
「アーサー様を泣かせるようなことはしませんよ。迷惑になるようなことは分かりませんが……」
私は戦いのことしか興味がなかったから知らないことが多いし、魔法や軍関係の以外のことをする際にはへまをしてしまうだろう。
でも、そこは教えていただきながら、時には技術を盗みながら改善していく。
「アーサー様の婚約者である限り、それにふさわしい人間であるように頑張ります」
そう話すと、兄様は懐かしむような、愛おしむような笑みを浮かべる。
そして、小さく私に言った。
「エレは変わったね」
「……そうですか?」
「うん、変わったよ。もちろんいい意味でね。エレはいつも魔王を倒すことと軍のこと、後はご飯のことしか考えていなかっただろう? そこしか見えていなくて、婚約者のことなんて考えることも、俺のためにってお茶を淹れることも、友人と一緒にお茶をしたり勉強したりすることもなかった。でも、今は違う。今のエレには多くの友人がいて一緒にお茶をするし、戦い以外のことにも目が向き始めた」
兄様は柔らかく優しい微笑む。
それは心の底からのものだと分かった。
「エレは成長したね。本当に変わったよ」
ずっと会っていなかった兄様。
その兄様がこう話すのだ。きっと私は変わったのだろう。
変わったきっかけはおそらくアーサー様との出会いだと思う。
アーサー様が話しかけてくれなかったら、私は学園で1人のままだっただろうし、それがなかったら、セレナに友人になろうだなんて言わなかった。
マナミ様からペンダントを渡されても、『私には必要のないものだから』と言って断っていた。
だから、きっと――――。
「私が変われたのは、友人となってくれた皆さんのおかげです」
アーサー様やセレナと話すようになったから、戦い以外のことを知れた。
マナミ様と関わるようになったから、影魔法を戦術に入れ込もうと考えれるようになった。
短い期間ではあるけれど、多くのことをもらった。
兄様は私の言葉に大きくうなずいてくれた。
「俺も同意だよ。友人ほど影響力のある人物はいないからね。だから、みんなに感謝を言いたい。俺の妹と付き合ってくれてありがとう」
兄様は真剣な声で感謝を述べ、アーサー様やリアムさんたちに深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
私も兄様に並んで頭を下げる。
すると、マナミ様がフフフっと笑みを漏らした。
「お礼をしていただくなくても結構よ。私はエレシュキガルと過ごしてみるのも悪くないかなと思って、一緒にいるだけだから」
マナミ様がそう言うと、セレナたちも頷き優しく微笑む。
「まぁ、私にもし困りごとがあったら、お兄さんに頼むわ。あなた、なんでもできる有能さんって聞いているしね。もちろん、私の手を借りたい時は連絡してちょうだい」
と言って、マナミ様は名刺らしき小さな紙を人差し指と中指に挟んで、兄様に手渡す。
兄様も自分の名刺を差し出した。
「了解しました、殿下。なんでもお申し付けください」
「殿下は止めて。マナミでいいわ。敬語もなしでお願い」
「わかったよ、マナミ嬢」
切り替えが早い兄様がフランクな口調になると、マナミ様は満足そうに微笑んだ。
名刺を胸の内ポケットにしまう兄様はふぅーと息をつき、虚空を見つめる。
「これからのエレはどんどん変わっていくんだろうな……となると、俺も近くでエレが成長していくところを見ていたい……うぅ~、帰りたくないよ~。リアム、どうにかして俺を教師にして~」
「そう言われても、僕にはどうしようもできませんね。諦めるか、自力で大学に行くかしてください」
「よしっ、じゃあ、大学に行ってくる。エレ、1年待ってくれ。1年で戻ってくる」
うーん。
兄様が言うと、本気か冗談か分からなくなる。
そうして、兄様はレモンケーキをもう1切れ食べると満足して、「俺、頑張るから!」と謎の宣言をして、実家へと帰っていった。
私は校門で兄の背中を見送りながら、兄様の言葉を振り返っていた。
『これからのエレはどんどん変わっていく』――――。
隣をちらりと見る。
隣には夕日に照らされて輝く金色の髪をなびかせるアーサー様。
これまでの私はアーサー様と一緒に変わってきた。
これからの私も彼と一緒に変わっていくのだろう。
「アーサー様、私頑張ります」
突然の私の宣言に、かわいくこちらを見て首を傾げるアーサー様。
だが、尋ねることはなく、視線は真っすぐに戻り、「僕も頑張るよ」と笑顔で答えた。
私の中の、アーサー様に対する『好き』という感情はまだはっきりしていない。
それでも、私は彼の隣でいれるよう頑張ろうと、決意した。
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