蝶と共に

珈琲きの子

文字の大きさ
上 下
12 / 39
第一部 第三章

ティーロとして生きる

しおりを挟む


「ティ、体は大丈夫?」

 激しくされることには耐性がある上、アルがまるでワレモノみたいに俺の事を扱ってくれたこともあり、体にはほぼ負担はかかっていなかった。
 アルの質問に頷いてから、あれ?、とアルの顔を見つめた。聞き間違いかと。初めて味わった快感に脳味噌が蕩けて役に立たなくなっていたから、そう聞こえたんじゃないかと。

「よかった。…はぁ、ティ、可愛すぎだ…」

 いつも俺に何かを話しかけている時と同様に、独り言のように話し続けるアル。けれど、いつもと違うのはその意味を俺が理解しているという事。

「アル…? 言葉が…」
「ティ? 言葉がどうした? 言葉? …こと、――え?」

 目を見開き、数分間かそれぐらいに感じる時間、お互いがお互いを見つめていた。

「ティ!!!」

 先に動いたのはアルで、俺を力いっぱいその胸に抱きしめた。多少苦しかったけれど、それは嬉しい苦しみ。アルの体温を感じられて心が温かく浮き上がる。
 俺を腕の中から解放し、見つめながら「ティ、俺の言うことが分かる?」という問うてくるアル。それに頷けば、またギュウギュウと抱き締められた。それを何度も繰り返して、ようやく心を落ち着けたのか、アルはふぅとため息を吐いて、体を離した。

「こんなことが…本当に…」

 アルの下瞼には涙が溜まり、瞬きと共に綺麗な雫となって頬を伝った。こんなに喜んでくれるなんて。

「…ア、アル…、俺…」

 ブワっと感情が溢れ出てくる。何も感じないように無意識にかけていた心の枷が外れ一気に決壊した。

「あぁ…ティ…ティ、今まで、辛かったね…。これからは俺が必ず守るから」

 嬉しいような困ったような、そんな顔をしながらアルは俺の頬を撫で、頬を伝い落ちる涙を拭いた。

「ごめんなさい…アル…。…俺…本当は耳も聞こえて、声も出せたのに…ずっと…」
「ティ、そんなこと気にしなくていい。今、ティの声が聞けるだけで、ここにいてくれるだけで、それだけでいいんだ」

 そういって、また両手を広げて、俺を胸に抱き寄せた。
 温かい場所。本当にここにいていいんだろうか。俺はそっとその背中に腕を回した。
 こんな場所を見つけてしまったら、もうどこにも行けない。離れたくない。もう諦めたくない。ただアルの傍にいたいんだ。
 アルの胸に顔を埋めて、アルの背中に回す腕に力を込めた。
 
「ティ、俺の元に来てくれて、ありがとう」
「……っ…」

 あぁ。
 この感情をどうやって表現したらいいのだろう。
 今まで黒白のように感じていた世界に鮮やかに色が灯った気がした。
 
 俺の心は喜びに荒れ狂った。感情が抑えきれずに、嗚咽と涙に変わる。
 アルはそんな俺に何も言わず、ただただ頭をゆっくりと撫でた。

「ティーロ。話せるようになったら、一番にティーロの本当の名前を聞くつもりだったんだ。教えてくれる?」

 俺の名前…?
 前の世界の名前に何の意味があるのだろう。アルが付けてくれた名前ほど大切なものはない。

「俺の名前はティーロだよ。アルがくれた名前以外の名前なんて俺には必要ないから」

 アルは何とも言えない顔をして、それから俺を抱きしめて離さなかった。

「これ以上近づけないなんて悔しい」

 そんなことを呟きながら、俺の肺がぺしゃんこになってしまうんじゃないかというほどに抱きしめられた。

 そのまま抱き上げられて、お風呂で体の隅々まで洗われ、着替えまで手伝われて、羞恥心でいっぱいのまま再びベッドに連れて行かれた。
 大丈夫だと感じていたけれど、俺の足腰が立たなくなっていたからだ。アルに何度も謝られてしまった。

「気持ちいいって感じたのが初めてだったから、きっと体が驚いたんだ。だからアルは謝らないで」
「ハァ…そんな可愛いことを言われたら、また襲いたくなるじゃないか…。ティの声が聞けるというだけで、理性を捨ててしまいそうなのに」

 襲われてしまいたい。
 そんな風に思えるのは、俺の心が正常に戻りつつあるからだろうか。望みや欲なんて全く感じなかったのに。
 ただ、わき腹には黄色くなりつつある大きな打撲痕があり、セックスをしている間もずっとアルはそこに触れないように、優しく気遣っていてくれた。
 アルを思えば、今は大人しく怪我を治すことに専念した方が良い。俺は勝手に拒絶されたと思っていたけれど、アルは俺の体を想ってくれたのだと今なら分かる。俺が向けられたことない思い遣り。それをアルから与えられることがどれほどに嬉しいか。

「ティーロ」

 アルが小さな箱を手に持って、ベッドの端に腰掛けた。その箱のふたをそっと開けて、俺に差し出す。

「結婚して欲しい」

 ?
 俺はアルの強い眼差しを受け止めたまま首を傾げた。また言葉が通じなくなってしまったかのように、言葉の意味を理解できなかった。

「ティーロ、俺と結婚して欲しい。…一生傍にいて欲しい」
「……けっ、こん…? 一生…?」

 コクリとアルが頷く。
 頭の中が真っ白になったように感じた。ただアルの瞳を見つめ返した。
 じわりじわりとその言葉が心に染みこんでくる。意味を理解した途端、涙がぽと、と手の甲に落ちた。
 それを皮切りに、涙が溢れてくる。

「アル…アル…俺…」

 俺の言葉を待つように、うんうん、と何度もアルは頷く。

「俺…アルと結婚したい。一生傍にいたい…」
「ティーロ…」

 アルも泣きそうに目を細めて俺を抱き寄せ、小さな箱の中に大切に置かれた指輪を俺の右手の薬指にゆっくりと嵌める。少し幅広の指輪には蝶の彫が入れられ、ところどころに赤い宝石が散りばめられている。

「同じ紋章を持つ者はこの指輪を交わすんだ。ティーロ、俺にも嵌めてほしい」

 アルの穏やかな眼差しに促されるように箱の中にある指輪を慎重に手に取り、差し出されたアルの左手に手を添えて、恐る恐る差し込んだ。
 
「ティーロ、愛してる」

 アルの瞳に俺が映る。俺は瞼を閉じた。唇にアルのものが触れたと同時にそっと押し倒される。
 指が絡み合えば、カチと指輪が小さな音を立てた。

 



 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

虐げられ聖女(男)なので辺境に逃げたら溺愛系イケメン辺境伯が待ち構えていました【本編完結】(異世界恋愛オメガバース)

美咲アリス
BL
虐待を受けていたオメガ聖女のアレクシアは必死で辺境の地に逃げた。そこで出会ったのは逞しくてイケメンのアルファ辺境伯。「身バレしたら大変だ」と思ったアレクシアは芝居小屋で見た『悪役令息キャラ』の真似をしてみるが、どうやらそれが辺境伯の心を掴んでしまったようで、ものすごい溺愛がスタートしてしまう。けれども実は、辺境伯にはある考えがあるらしくて⋯⋯? オメガ聖女とアルファ辺境伯のキュンキュン異世界恋愛です、よろしくお願いします^_^ 本編完結しました、特別編を連載中です!

キャンピングカーで往く異世界徒然紀行

タジリユウ
ファンタジー
《第4回次世代ファンタジーカップ 面白スキル賞》 【書籍化!】 コツコツとお金を貯めて念願のキャンピングカーを手に入れた主人公。 早速キャンピングカーで初めてのキャンプをしたのだが、次の日目が覚めるとそこは異世界であった。 そしていつの間にかキャンピングカーにはナビゲーション機能、自動修復機能、燃料補給機能など様々な機能を拡張できるようになっていた。 道中で出会ったもふもふの魔物やちょっと残念なエルフを仲間に加えて、キャンピングカーで異世界をのんびりと旅したいのだが… ※旧題)チートなキャンピングカーで旅する異世界徒然紀行〜もふもふと愉快な仲間を添えて〜 ※カクヨム様でも投稿をしております

ヒロイン不在の異世界ハーレム

藤雪たすく
BL
男にからまれていた女の子を助けに入っただけなのに……手違いで異世界へ飛ばされてしまった。 神様からの謝罪のスキルは別の勇者へ授けた後の残り物。 飛ばされたのは神がいなくなった混沌の世界。 ハーレムもチート無双も期待薄な世界で俺は幸せを掴めるのか?

異世界に転移したショタは森でスローライフ中

ミクリ21
BL
異世界に転移した小学生のヤマト。 ヤマトに一目惚れした森の主のハーメルンは、ヤマトを溺愛して求愛しての毎日です。 仲良しの二人のほのぼのストーリーです。

雪狐 氷の王子は番の黒豹騎士に溺愛される

Noah
BL
【祝・書籍化!!!】令和3年5月11日(木) 読者の皆様のおかげです。ありがとうございます!! 黒猫を庇って派手に死んだら、白いふわもこに転生していた。 死を望むほど過酷な奴隷からスタートの異世界生活。 闇オークションで競り落とされてから獣人の国の王族の養子に。 そこから都合良く幸せになれるはずも無く、様々な問題がショタ(のちに美青年)に降り注ぐ。 BLよりもファンタジー色の方が濃くなってしまいましたが、最後に何とかBLできました(?)… 連載は令和2年12月13日(日)に完結致しました。 拙い部分の目立つ作品ですが、楽しんで頂けたなら幸いです。 Noah

エロゲ世界のモブに転生したオレの一生のお願い!

たまむし
BL
大学受験に失敗して引きこもりニートになっていた湯島秋央は、二階の自室から転落して死んだ……はずが、直前までプレイしていたR18ゲームの世界に転移してしまった! せっかくの異世界なのに、アキオは主人公のイケメン騎士でもヒロインでもなく、ゲーム序盤で退場するモブになっていて、いきなり投獄されてしまう。 失意の中、アキオは自分の身体から大事なもの(ち●ちん)がなくなっていることに気付く。 「オレは大事なものを取り戻して、エロゲの世界で女の子とエッチなことをする!」 アキオは固い決意を胸に、獄中で知り合った男と協力して牢を抜け出し、冒険の旅に出る。 でも、なぜかお色気イベントは全部男相手に発生するし、モブのはずが世界の命運を変えるアイテムを手にしてしまう。 ちん●んと世界、男と女、どっちを選ぶ? どうする、アキオ!? 完結済み番外編、連載中続編があります。「ファタリタ物語」でタグ検索していただければ出てきますので、そちらもどうぞ! ※同一内容をムーンライトノベルズにも投稿しています※ pixivリクエストボックスでイメージイラストを依頼して描いていただきました。 https://www.pixiv.net/artworks/105819552

腐男子ですが、お気に入りのBL小説に転移してしまいました

くるむ
BL
芹沢真紀(せりざわまさき)は、大の読書好き(ただし読むのはBLのみ)。 特にお気に入りなのは、『男なのに彼氏が出来ました』だ。 毎日毎日それを舐めるように読み、そして必ず寝る前には自分もその小説の中に入り込み妄想を繰り広げるのが日課だった。 そんなある日、朝目覚めたら世界は一変していて……。 無自覚な腐男子が、小説内一番のイケてる男子に溺愛されるお話し♡

どのみちヤられるならイケメン騎士がいい!

あーす。
BL
異世界に美少年になってトリップした元腐女子。 次々ヤられる色々なゲームステージの中、イケメン騎士が必ず登場。 どのみちヤられるんら、やっぱイケメン騎士だよね。 って事で、頑張ってイケメン騎士をオトすべく、奮闘する物語。

処理中です...