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第17章 新しい役職

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 吉之助と竜之進が浜屋敷に帰還したとき、すでに夜の四つ半(ほぼ午後十一時)を過ぎていた。とりあえず間部の執務室へ。予想通り、彼はまだ仕事をしていた。

「ご苦労様でした。殿には、明朝、私からご報告申し上げます。なお、任務中の支出について清算が必要な場合、いつどこで何にいくら使ったか、書面にして提出するように。後は、いつ呼び出しがあってもいいよう、御長屋で待機しておいて下さい」

 廊下に出ると、竜之進がうんざりした顔で言った。
「間部様のあれ、怒ってるんですかね?」
「さあな。しかし、どっと疲れたな。家に戻ろう。腹も減った。志乃が何かしら作ってくれているだろう」

 間部からの呼び出しは五日後に来た。そして、御成書院へ。平伏していると、頭の上に主君の声が降ってきた。
「両名とも、面を上げよ。内藤の隠居から書状が来た。英一蝶の希望も聞かず、先走って当家に面倒をかけたことを詫びている。また、二人が臨機応変に対処してくれたことについても礼を言いたい、とな。面目を施したぞ。よくやった」

「主命を果たせず、お叱りを受けて当然のところ、勿体ないお言葉です。それで、一蝶殿はどうなりましょうか」

「あの者は画を描いただけだ。過剰に罰しては公儀の狭量が世に笑われよう。予からも出羽守に釘を刺しておく。心配いたすな」
「恐れ入ります」

 そこで間部が軽く咳払いをした。
「両名とも姿勢を正すように」
 それに応じ、吉之助と竜之進は一度背筋を伸ばし、改めて平伏。この日、二人は、間部に言われて裃を着てきている。書院の中に間部の美声が響く。

「ご主君の御名をもって、両名に対して申し渡す。まず、狩野吉之助。其方儀、多年にわたり、山奉行配下山廻与力として職務に精励し、誠に神妙である。以後、ますます忠勤に励むべきこと。新たに、江戸詰め番方・新番衆上席番士を申し付ける。併せて納戸役補佐に任じる。家禄十五人扶持、役料四十五俵、御四季施代二十両を与える。また、記念品として時服二、羽織二を与える」
「ありがたき幸せ」

 あくまで大雑把な目安であるが、一人扶持で一年に米五俵をもらえた。米一俵三万円、一両(小判一枚)五万円で換算すると、吉之助の年収は、合計で四百六十万円ほどになる。なお、御四季施代とは、武士の体面維持に必要な着物代のことで、主に下級武士に対して支給された。

「次いで、島田時之嫡男・島田竜之進。此度、格別の思し召しをもって、島田家の藩籍を旧に復した上、江戸詰め番方・新番衆次席番士を申し付ける。家禄十人扶持、御四季施代十五両を与える。また、記念品として時服一、羽織一を与える」
「ありがたき幸せ」

 ここで綱豊が竜之進に声をかけた。
「竜之進。そなたのこれまでの不遇は、全くもってそなた自身のせいではない。さぞや辛かったであろう。よく耐えてくれた」
「勿体ないお言葉です。この島田竜之進、全身全霊をもってお仕えいたします」
「うむ。両名とも、しっかり励むように」
「はっ」
「職務に関する詳しくは、詮房に聞いてくれ。詮房、頼むぞ」
「かしこまりました」

 吉之助が、竜之進と共に御前を下がろうとすると、「吉之助、待て」と呼び止められた。

 まず、吉之助、と呼ばれたことに驚いた。思えば、先程、竜之進も下の名前で呼ばれていた。やはり、江戸での処遇が正式に決まったからだろう。君臣の距離がぐっと縮まった気もするが、逃れようのない深みにはまりつつある感も、ないではない。

「気付かぬか」
「は?」
 丸顔の綱豊が、にこりとして背後を指さした。なんと、これまで狩野安信の三幅対が掛かっていた床の間に、一蝶を迎えに出る前に間部に渡しておいた自作の富士図が掛かっているではないか。

「これは甲斐から見た富士だそうだな。気に入った。もらってよいか。ここに掛けておきたい」
「そ、それはなりません」
「なぜじゃ? 画代を所望か」
「滅相もございません。お気に入りいただいたことは、この上なき名誉にて、無論、画は献上いたします」

「よく分からんな。では、何が駄目なのだ?」
「はっ。恐れながら申し上げます。私は、修行途中で家を離れてしまったため、狩野派の正式な免状を得ておりません。絵師としては、もぐりの町絵師同然でございます。そのような者の作品を御書院に掛けては、殿の恥となりましょう」

「ははは。そなた、体は大きなくせに随分と細かなことを気にするのだな。構わぬ。予は、甲府藩主として、甲斐から見た富士の画をここに掛けたい。それだけのことだ。誰も文句は言うまい」

 そこまで言われれば本望だ。
「恐れ入りました。では、せめて、表具だけでも相応しいものに取り替えたいと存じます。しばしご猶予を」
「よかろう。当家では、屋敷内の絵画の管理も納戸役の職分だ。その表具の取り替えをそちらでの初仕事とせよ」
「はっ」
「だがな、吉之助、急いでくれ。この画については、すでにお照に話してしまった。お照が楽しみにしておるのだ」
「かしこまりました」

 江戸時代の統治機構は、幕府、諸藩それぞれ異なるが、いずれにせよ、武士の仕事は大まかに言って三つに分かれていた。

 番方、役方、奥向き、である。

 番方は軍事部門、役方は行政部門、奥向きは主君とその家族の世話係。そして、納戸役は奥向きに属し、主君が用いる衣装や調度類を管理するのが仕事であった。
 吉之助は、この後一貫して、武士として番方、絵師として奥向きに属し、その二刀流で綱豊を守り、且つ支えることになる。

「ところで、新番衆の番士とは、具体的に何をすれば?」
 間部の御用部屋に戻ると、竜之進が素朴すぎる問いを発した。

「新番衆は、お二人のために新設した部署で、上席次席と言っても、当面は二人だけです。職制上は番頭の下になりますが、殿の特命を受けて動く遊撃部隊とお考え下さい。殿の耳目として、或いは手足として動いてもらいます」

「要は、特命のないときは非番、ということですな」
「心配ご無用。仕事は山ほどあります。殿からのご指示は私からお伝えしますが、私を通さずに御前に出る機会もあるでしょう。常に身だしなみに気を配り、殿中作法をしっかり身に付けておいて下さい」
「それは難しいなぁ。い、いや、頑張ります」

 次いで吉之助が尋ねる。
「先ほど、殿がおっしゃっていた、お照様、とはどなたのことでしょうか。姫君ですか」

「いえ。ご正室・近衛熙子様のことです。お照様という呼び方は、殿と奥の極限られた女性側近にしか許されていません。我らは、御前様、とお呼びします。くれぐれも失礼のないように」
 間部の表情が少し強張ったように思えたが、その意味は、この後、吉之助も嫌というほど思い知らされる。

 ちなみに、大名の正室は一般に奥方様と呼ばれたが、十万石を超える大大名では御前様、御三家(後の御三卿を含む)以上は御簾中様となる。そして、将軍の正室のみが御台様と呼ばれた。

 御長屋に戻ると、廊下に面した障子戸が少し開けられ、そこから煙と湯気が立っていた。志乃が夕飯の支度をしているのだろう。味噌を煮込むいい匂いに腹が鳴る。
「戻ったぞ」
「あら、あなた。お帰りなさいませ。竜之進様もお疲れ様でした」
「お邪魔します。この匂い、もしや、ほうとうですか」
「いいえ。深川めし、というものです。長屋のお仲間に教えていただきましたの」

 吉之助と竜之進が裃と袴を取り、くつろいで膳の前に座ると、志乃が、丼ぶりを三個出してきた。そこに炊き立ての白飯をよそい、上から、あさりと刻んだ生姜を味噌で煮込んだ汁をかけてくれる。
「これは美味そうだ」
「ちょっと待って下さいませ。上に三つ葉をこうして・・・」

 綱豊は穏やかな主だが、大名の圧はやはり凄い。腹も倍減る。吉竜両名は、黙々と深川めしを掻っ込み、ほぼ同時にお代わりを望んだ。志乃がお櫃の蓋を開けながら訊く。
「家禄十五人扶持、役料四十五俵ですか。その上に御四季施代まで。元が三十俵二人扶持でしょ。あら、どれくらい増えてますか」
「そうだな。ほぼ、四倍か」
「まあ、そんなに。もらい過ぎではありませんか」

「しかし、くれるってものを要らないとは言えないだろ」
「ありがたいこと。江戸では細帯なんて締めている方、もういませんものね。髪だってちゃんと結わないと、買い物にも出られません。色々と物入りな上、何でもかんでも高いですからね、江戸は。助かりますわ」

 この物語は、江戸中期が始まった辺りを舞台とする。そして、この頃から人々、特に女性の装いが大きく変わった。
 着物は、丈が引きずるほど長くなり、デザインも多様になる。帯も太さを増し、背中で大きな結び目を作るようになった。髪型は、長い髪を単に後ろで束ねるだけの形から、高々と結い上げるスタイルが定番となって行く。現代の我々がイメージする「和装」が出来上がるのが、概ねこの時代であろう。

「それはそうと、あなただけお役料がいただけるのはなぜですか」
「ああ、それは納戸役補佐の分だよ。今の納戸役は絵画とは無関係の人で、物品の管理だけをしているそうだ。私は、ちょっとした補修くらいは自分でやりたい。そうした道具も揃えないといけないから、帯代に全部使ってくれるなよ」
「はいはい」
「しかし、深川めしか。何年ぶりかな。子供の頃はそれほど美味いと思わなかったが」

 そこで竜之進が呟いた。
「ところで、あさりって、食べていいんでしたっけ?」
 三人はしばし顔を見合わせ、その後、弾けるように大笑いした。

 江戸幕府第五代将軍・徳川綱吉。その治世の象徴・生類憐れみの令については、近年、動物愛護の精神や福祉政策的観点から再評価する向きもある。しかし、罪と罰の不均衡、密告や拷問による冤罪の恐れ、さらには、一般庶民の日常生活にまで多大な不利益をもたらしたことを考えると、やはり悪法であったと言わざるを得ない。

 後年廃止された時点で、江戸城下に発せられた御触れは百十六にもなる。この元禄十年(一六九七年)二月時点で、すでに百近い。しかも、発令は不定期、内容的にもとりとめがなく、今やその全容を把握する者は、ほとんどいないという状況になっていた。
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