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第10章 甲府中納言

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 吉之助と若者某が試合をしたのは、白砂が敷き詰められた書院の前庭。その書院は、御成書院と呼ばれていた。表の主要施設のひとつで、藩主が日常の執務を行う部屋である。吉之助は、まだ廊下で平伏している。

「そなたが狩野吉之助か。待ちかねたぞ。そこでは顔が見えぬ。ちこう寄れ」

 耳障りのよい丸味のある穏やかな声だ。吉之助は、「はっ」と答えると、目線を上げぬよう気を付けつつ、にじり寄るようにして体をわずかに室内に入れた。再び平伏。

「なるほど、大きな男だ。よい、遠慮するな。もそっと近くへ参れ」

 その声は、まぎれもなく上段之間の中央から。しかし、江戸時代の武士で、言われた通り、ずかずかと前に進む馬鹿はいない。
 相手は主君なのだ。しかも、ただの大名ではない。松平綱豊。甲府二十五万石の二代目藩主で、三代将軍・徳川家光の孫、四代家綱及び当代綱吉の甥にあたる。

 江戸の武士社会の上流階級と言えば、大名と旗本(上級幕臣)だ。その数は、時期による増減、さらに数え方にも諸説あるので正確に記すのは難しい。ただ、概ね、大名三百家、旗本五千家と考えてよいだろう。

 松平綱豊は、その内、最上位の五名に入る貴種中の貴種である。

 幕府の創始者・徳川家康は、将軍家(家康の三男・秀忠が継承)、尾張家(初代は家康の九男・義直)、紀州家(初代は家康の十男・頼宣)を御三家と定めた。
 しかし、三代家光の時代に、将軍家は別格とされた。替わって、紀州の分家扱いであった水戸家(初代は頼宣の同母弟・頼房)を加え、尾張・紀州・水戸の三家をもって御三家と定め直された。

 綱豊は、家康を起点とすれば、尾張、紀州の後塵を拝せざるを得ないが、家光を起点とする新基準によると、彼は家光に最も近い孫であり、尾張、紀州の上とされてもおかしくない。そういう人なのである。

 藩主就任によって授けられた参議の官職から、永らく、甲府宰相と呼ばれていたが、既に権中納言に昇進している。位階は正三位、歳は吉之助と同じ三十六歳。

 吉之助は、再び、にじり寄るように膝ひとつ分だけ前進して平伏した。

「ははは、これでは話が進まんぞ。許す。いいから、ここに来い」

 何せ大名の前に出るのは初めてだ。真に受けてよいのか。判断に迷い、旧知の西田春之丞に目を向けた。
「殿の仰せです。ひとまず、中央までお進みなさい」

 うん? 声が違うな。風邪でも引いているのか。

 吉之助が部屋の中央まで進み、再び平伏する。
「予が綱豊である」
「はっ」
「狩野吉之助、面を上げよ。よく顔を見せてくれ」
「はっ」
「なるほど。春之丞が申した通り、なかなかの面構えよ。なあ、詮房」
「仰せの通り」

 えっ? 誰だって?

 吉之助は思わず、「詮房」と呼ばれた男の顔を凝視してしまった。そっくりだ。しかし、よく見れば、春之丞ではない。春之丞にあった快活さや人懐っこさが、この男には全く見られない。

 男は、怪訝な顔の吉之助に対して、よく通りはするが、ひどく冷たい声音で言った。
「私は、用人職を拝命している間部詮房です。西田春之丞は、私の兄になります。その節は、兄が世話になりました。改めて、御礼申し上げる」

「これはご丁寧に。恐れ入ります。それで、西田様は、今、どちらに?」

 その問いには、間部より先に綱豊が答えた。
「春之丞は、惜しいことに、先日亡くなった。そして、息を引き取る前に、自分の代わりとして、そなたを推挙したのだ。そなたであれば、番方(武官)としても、役方(文官)としても、自分以上に役に立つであろう、とな」

「め、滅相もないことでございます」
「謙遜するな。予は、春之丞の目を信じておる。狩野吉之助、頼むぞ」
「ははっ」
「当面は用人付とする。何事も詮房の指示に従うように。詮房、頼んだぞ」
「かしこまりました」

 綱豊が立ち上がった。一同平伏。近習に先導され、上段之間の脇の引き戸から出て行こうとしたところで、綱豊が足を止めた。
「そうだ。狩野。そなたの狩野は、あの狩野だそうだな」
「はっ」
「春之丞から、絵師としての腕もなかなかのものだと聞いたぞ。富士の画がよい、とな。見たい。持参したか」
「い、いえ」

 すると、綱豊に目を向けられた安藤美作が、「これはしたり」と少しおどけたように己の額を軽く打った。
「腕が見たいと仰せでしたので、てっきり武芸のことかと」
「両方じゃ」
 吉之助はこの時点でも平伏しているので、綱豊の表情は確認できない。しかし、声にいら立ちや怒りは感じられない。主従の関係は良好なようだ。

「まあ、よい。次の機会には必ず持って参れ。よいな」
「はっ」

 疲れた。どっと疲れた。これが大名の圧というものか。とりあえず、志乃のところに戻りたい。

 しかし、そうは問屋が卸さない。両の拳で畳を突き、よいしょ、と立ち上がろうとしたところ、背後から肩に手を置かれた。
「狩野殿、私の部屋まで一緒に来て下さい」

 甲府藩における用人職は、元々、藩主の秘書室長に過ぎなかった。しかし、間部詮房という希代の才人がその地位を占めて以来、次第に権限を増し、今では藩主の職務代行者として藩政全般を取り仕切っている。

 間部の御用部屋は、その重責と多忙さに相応しく、表のほぼ中央にあった。広さは六畳間三つ分。手前の二間では間部の部下たちが、今も黙々と算盤を弾き、帳面に何かを書き込んでいる。

 吉之助は、奥の一間、すなわち間部個人の執務室で、文机を挟んで彼と対座することになった。飾り気が全くない。そして、両側の壁には背の高い書棚が並び、圧迫感が凄い。

 間部は裃姿である。背筋を伸ばし、端然と座る様は人形の如し。貼り付けたような微笑がちょっと怖い。
 その整った顔立ちは、見れば見るほど、そっくりだ。しかし、西田春之丞に怖さを感じたことはなかった。彼は表情豊かで、快活によく笑った。対して、この間部は・・・。

 間部は、吉之助や網豊の四つ下で三十三歳。彼の話では、春之丞は年子の兄だそうだ。そして、御家人・西田家は父親の実家で、本来、弟の間部が養子に行くはずであった。ところが、彼が先に綱豊の近習として取り立てられてしまったため、代わりに春之丞が西田家を継いだ。

「御家人と言っても、無役で、暇を持て余していたことから、私の仕事を助け、殿の耳目となって方々を見て回ってくれていたのです」

 そして、出先で傷を負い、当初は順調に回復していたが、夏の終わり頃、容体が急変して亡くなった、とのこと。ちょっとした傷でも膿んでしまうと命取りになる時代である。不思議なことではない。

「まさか、あの時の傷が原因で?」
「それは違います。問題の傷は、甲斐から戻った後、北関東を回っていたときに受けたものです」
「斬り合いですか」
「さて・・・」と、間部は言葉を濁した。
「何にせよ、惜しい方を。心からお悔やみ申し上げます」

 西田春之丞、あの好漢と二度と語り合えないのは残念だ。江戸で働くなら、彼のような男の下で働きたかった。

 素朴にそう思ったところで、間部と目が合った。見透かされたか。吉之助は、軽く咳払いして大きな体を廊下側に向けた。ちょうど一人の男が歩いて来た。それは、先程立ち合った件の若者であった。
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