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第4章 新見正友の出奔

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 翌日、狩野吉之助は、自称御家人・西田春之丞を荷車に載せて勝沼宿まで送った。西田は、旅籠に数日逗留し、足の具合を見ながら、ゆるゆる江戸に戻るという。二人はその晩、旬の山菜料理と地酒を楽しみながら、存分に語り合った。

 吉之助が春之丞と別れ、塩山の役宅に戻ったのは、次の日の夕七つ半(ほぼ午後五時)のことである。
 着替えを済ませ、勝沼で求めた江戸の菓子を出して妻の機嫌を取っていると、塩山一帯を統括する大庄屋・高木治兵衛がやって来た。

「狩野様。甲府の藩庁から手配書が届きました。台ヶ原で、藩の罪人が、監視の庄屋一家を斬殺して逃亡したそうです」
「かなり遠いな。甲府のさらに向こうではないか。こちらに向かっているという情報でも?」
「いえ、そこまでは。ただ、手配書が来ている以上、何もしないわけにも参りません」
「確かに」

 吉之助は、手配書を改めて見た。
「相手は侍か。取り敢えず、冬季の火の用心の体制で、夜間の見回りを強化しましょう。怪我人や死人を出しては馬鹿らしい。万一の際は、勝手に手を出さぬよう、徹底さして下さい」
「承知しました。周辺の村々に伝えます」

 さて、この逃亡した罪人、名を新見正友という。吉之助と同じ三十五歳。

 彼は、現甲府藩主・松平綱豊の元側近・新見正信の嫡子である。先代藩主の松平綱重は、三代将軍・徳川家光の次男として生まれ、甲府二十五万石を与えられた。名目上は一大名であるが、その地位は別格とされ、参勤交代も免除。江戸城の真ん前の桜田屋敷に居住し、甲府宰相と呼ばれた。

 現藩主である網豊の生母は、身分の低い側室であった。そのため、身籠ったことが分かると、彼女は桜田屋敷から追い出され、当時、綱重の近習頭を勤めていた新見正信に預けられた。

 綱豊は、新見正信が用意した根津の小さな邸宅で生まれ、正信の子・新見左近として育てられた。綱豊が藩主の跡継ぎとして認められ、桜田屋敷に迎えられたのは九歳のとき。そして、綱豊の復権により、新見正信もその側近として表舞台に返り咲いた。

 ところが、ここで問題が起きる。

 綱豊の側近には、新見正信の他に二名の重臣が充てられた。その二人が、網豊が育ての親の新見正信ばかりを重用することに不満を持ち、幕府に対して讒訴したのである。

 すなわち、松平網豊は、新見正信と主君の側室が密通して出来た不義の子である、と。

 しかし、この事件は、あっけなく終わった。松平綱重が、綱豊は自分の子に間違いない、と明言したからである。生母の側室はすでに亡くなっていた。である以上、三代将軍の次男、四代将軍の弟である綱重の言葉を否定できる者などいはしない。

 讒訴した二名には、当然、死罪が申し渡された。しかし、網豊が助命嘆願し、甲府領内での蟄居謹慎に変更された。

 これで一件落着と誰もが思ったところ、今度は、新見正信が、突然切腹して果てた。

 主家の名誉に泥を塗る不祥事を招いた責任を取る。そして何より、身の潔白の証として、ということであった。
 しかし、関ヶ原から七十年、家臣の勝手な切腹は許されない時代となっていた。結果、新見家は改易。正信の嫡子・正友、長女の美咲は、罪人の家族として江戸から甲府に連行された。二十五年前のことである。

 新見正友は、九歳で甲府に来た。妹は親戚に引き取られたが、嫡男の彼は、父の罪を引き継ぎ、お預けの身となった。

「預け」は、刑罰としては軽い部類に入る。決められた範囲内であれば行動の自由もある。しかし、武士として身を立てる機会はなく、絶望の中に思春期を迎え、さらに青年期を過ごしてきた。
 そんな彼の唯一の支えは、武士の誇り。忠義を貫き、潔く切腹した父の子であるという誇りだけであった。

 正友の身柄は、台ヶ原宿近くの村の庄屋に預けられた。台ヶ原は、釜無川(富士川)と尾白川に挟まれた山間に位置する。

 狩野吉之助と西田春之丞が笛吹川で出会う三日前。正友は、庄屋宅の母屋を訪ねた。彼が暮らす離れは手狭で、父が遺した書物や道具類は母屋で保管してもらっていたのだ。

 しかし、折悪しく、庄屋一家は留守であった。正友は、いつもは母屋に立ち入ることを遠慮しているが、この日はどうしたことか、自分自身で目当ての書物を探す気になった。

 場所は分かっている。庄屋は、中二階に並ぶ棚に帳簿などと一緒に父の蔵書も並べていたはずだ。案の定、すぐに見つかった。棚から書物を抜くと、横の帳面が倒れてきた。

 ふと、その帳面を手に取る。これが運命を分けた。

 その帳面は、父・新見正信の日記であった。しかも、死の直前に書かれた最後の一冊。パラパラと頁をめくるたびに、正友の顔が青ざめて行く。無意識に声が出た。
「待て、待て、待ってくれ。お保良の方(松平綱重の側室・綱豊の生母)は病死ではなく、父上が手にかけた、だと? 主命、如何ともなし難く。なんて書き方だ。こっちの短冊、これは、お保良の方からの恋文ではないか。ご丁寧に貼り付けてやがる。後は、悔恨の言葉を綿々と。父上の切腹直前の、最期の思いが、これか」

 頭の中で、何かが崩れる音がした。棚にある別の帳面に手を伸ばす。

「で、お保良の方を斬ったのは、いつだ? これは違う。こっちは、寛文二年(一六六二年)か。今の殿が生まれた年だな。なんだ、そればかりだ。母上が俺を生んだことについては何も書いてない。馬鹿にしてやがる。ここからは、寛文四年だ。何だと? 妹は、待て、待て、待ってくれ。美咲は、お保良の方と父上が通じて出来た子だというのか。それが露見してお保良の方は殺されたのか。ははは、馬鹿らしい。父上も父上だが、この側室もとんでもない阿婆擦れだ。元々、身分の低い女中だったと聞く。こうなると、今の殿も誰の子だか分からんな」

「しかし、一番悪いのは前の殿か。何せ三代将軍の子、正室にはさぞ高貴な姫を迎えていたはずだ。それに憚って身籠った側室を遠ざけた。そして、自分の都合で追放しておきながら、側室が他の男と通じると怒りに任せて命を奪う。しかも、その通じた男自身に女を討たせ、その男を家臣として使い続ける。結局、正室との間に子が出来ず、殺した側室が産んだ子を連れ戻して世継とした。とんでもない主従だ。反吐が出る」

「私は、いや、俺は、武士の子として、忠義の家臣の子として、黙って刑に服してきた。無意味だ。無意味だった。二十五年、俺は・・・。くそ、俺の人生を返せ!」

 天を仰ぐように視線を上に向けると、一面、屋根を覆う茅葺である。煤がこびり付き、闇夜のように真っ黒い。そして、正友の心も今や暗黒に染まりつつあった。

「このままでは済まさんぞ! 何かないか。これだけ藩主家の機密に関わっていた親父だ。他に何か遺していないのか。何でもいい。甲府藩をひっくり返せるような、何か、何か」

 正友は、無我夢中で次から次へと帳面をめくり、近くの紙の束にも手を伸ばしてガサガサと探った。
「これは役向きの書類か。字がかすれて読みにくいな。持出厳禁、何だ? 御調方、太田正成、島田、時、之か。これは確か、親父と同役の、讒訴した二人だ。何だと? 再調査、武田、隠し金山・・・」

 その時である。突然、背後から左の肩を掴まれた。

「新見様、何事ですか。勝手に上がるとは無礼・・・」
「無礼だと、無礼は貴様だ!」
 腰の脇差を抜き放ち、振り向きざま、真一文字に斬り下げた。庄屋が顔面を割られ、どうと倒れる。二十五年分の鬱憤を叩きつけた斬撃である。確認するまでもない。即死だ。その後、階下にいた庄屋の妻と息子夫婦をも刺し殺し、新見正友は姿を消した。
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