先生、おねがい。

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番外編 酔っ払い心くん③

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 「はぁ?」


 相変わらず酔っ払った言動をする心の頭を、戸塚くんは口調とは正反対の優しい手つきで撫でる。


 「なんで泊んだよ。んなこと今まで一度もねえだろうが」
 「うぅ……また会える?」
 「当たり前だろ」


 (あーあ、恋人みたいにイチャイチャと……)


 別れを惜しむ恋人同士のような二人に苦笑が漏れる。

 けど、戸塚くんがずいぶん愛おしそうな目をしてるもんだから、ここは空気を読んで視線を外してあげることにした。流石に俺の前でこれ以上の変なことするわけないし。

 それに、なんだかもう、この二人の関係性については色々諦めてる。

 俺が至らなかったときに心を支えてくれていたのは戸塚くんだし、戸塚君にとっても心は恩人のようなものらしいから、お互いを特別に思うのは分かるし、そんな二人の気持ちを尊重したいとも思う。


 (心に恋愛感情がこれっぽっちもないことは分かってるし、実際、あんまりモヤモヤもしないしな)


 そう達観してたら、チッと馴染みある舌打ちが聞こえてきた。


 (え?)


 戸塚君の顔を見るけど、舌打ちしたようなそぶりはなく、涼しい顔で心のことを見つめてる。

 心の頭にあった手が頬をなぞり、クイッと顎を持ち上げた途端、嫌な予感が脳裏をよぎる。

 しかし、気づいた時にはもう手遅れで、俺の体が反応する前に、戸塚くんの唇が心の頬にチュッとリップ音をたてた。


 「ちょ!」


 慌てて心を引き寄せる。焦る俺を戸塚くんは鼻で笑った。


 「油断してっからだよ、この淫行教師が」
 「油断って……」
 「淫行教師のくせに余裕こいてんじゃねえよ、クソ淫行ヤロー」
 「ちょ、そんな連呼して、ご近所さんに聞かれたらどうすんの」
 「うっせ黙れ。自業自得だろ」
 「はは……」
 

 何も言い返せずに乾いた笑いを漏らすと、戸塚くんは俺を詰ることに満足したのか、シラけた表情でぷいっとそっぽを向いた。


 「つーかマジで帰るから。兄貴のこと下で待たせたままだし」
 「え、そうだったの?じゃあ、お礼とお詫びを兼ねてご挨拶したいんだけど……」


 実は、俺は未だに一度も戸塚くんのお兄さんと顔を合わせたことがない。

 週に何度か戸塚くんを勉強で夜遅くまでお預かりしてるし、ちゃんとご挨拶がしたいのだが、戸塚くんがどうしても許してくれないのだ。

 だから今日こそはと思ったのだけど、そんな俺に、戸塚くんのジト目が向けられる。


 「兄貴もあんたに謝りたがってたけど、わざわざとめてやったんだよ」
 「え?なんで?」
 「淫行教師ってバレてもいいわけ?」
 「うっ」


 確かに、俺にギュッギュと抱きついて楽しそうにしているこの状態の心を見たら、誤解を与えてしまうかも。


 (まぁ、『淫行』ではないんだけどな……ないよな?)


 だって合意なわけだし。俺も心も本気でお互いを想い合ってる。

 なんて自分に言い聞かせつつ、俺は諦めを示すように肩をすくめた。


 「じゃあ、またの機会にするよ。よろしく伝えてな」
 「……あぁ。望月もじゃあな」
 「うんっ、ばいばいっ」
 

 戸塚くんは俺の腕の中にいる心の頭をポンっと撫で、階段を降りて帰って行った。

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