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楽しい茨城ライフ
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その頃の俺はフリーターだったから、時間は自由。
で、Yが引越しに呼ぶので都度アソビに行って。
しばらく滞在する。
84年頃の茨城は、バブル景気のちょっと前。
で、東京から少し離れてて、土地が広い。長閑。
道路がいい。
そういうわけで、結構なカーマニア(なのかな)が多くて。
Yは暇なので、昼飯を食べにどこかへ行く。
例えば、岩井あたりの沓掛街道との交差点にある
四つ六庵、と言うおそば屋さん。
ここへも、俺もお父さん、Y、俺の三人でお昼食べに行って。
冷やしタヌキうどんとか。
そーいう時はバイクじゃくて、バラードCR-Xで行くのだけど
これのリアシートがまあ・・・・ホモロゲ用の2+2と言う感じで
ほんとに1マイルシート。(と言う名称だった)。
イヌもまいるワンマイル。(笑)と、Yは笑っていた。
このCR-xは、面白い仕掛があって
屋根の後ろにベンチレーションがあって。
天井のレバーを引くと「かぱっ」と開いて風が入ってくる。
いかにも当時のホンダらしい、面白アイテムだった。
サンルーフ仕様もあったらしいけど、あんまり見たことはなかった。
最初は1.5iで、110ps、これで十分だと俺は思っていた。
なにせ、重量が720kgしかないのだ。
前後フェンダー、ドアの下部がABS樹脂である。
そういうものを作るのはさすが、ホンダだ。
後に、バラードCR-X Si、インテグラのZCエンジンを載せたものが出て
Yのお父さんはこれに乗り換えた。
130psになったが、770kgになった。
茨城時代のYのお父さんが乗っていたのは、このタイプ。
後にただのCR-Xになって。「Lotus7」に出てくるのはこのタイプ。
筆者も持っていた。
最初のSiは820kg、130ps。
後にVTECが出た時マイナーチェンジして
880kgになってしまった。
因みにVTECは970kgもある。
Yはそれも乗っていた。
それはともかく。
その四つ六にもフリーターのお兄さんが居て
バイク好き、クルマ好き。で、おそば屋さんでバイトしながら
バイクを買おうと頑張っている、と言う人。
その人のお友達で、いろんな車好きに会えた。
ひとりは、街道沿いで古着屋さん「レインボウ」をしている人で
ロータス・エランを3台かな。一台は走るので、あとは部品取り。
相当好きらしい。
その人のお友達で、フェラーリ365を持っている人とかが
時々遊びに来たりして。
あのいい音を聞かせてくれたりした。
そういう人たちが住んでいる、田舎。
当時、いい感じだった。
そのエランさんは、人望のある人で・・・若い人が集まるお店だった。
その中には女の子もいて、「500の元カノ」に出てくるあの子も
そのひとり。
NSR80を買ったはいいけれど、お金が払えなくなって
レインボウさんが買い取ってくれて、お店のディスプレイにして。
「お金出来たら買い戻しナ」と言ってくれるような、そういう人だった。
バイクブームだったからか、つくばサーキットの傍だからか。
バイク好きの女の子も多かった。
道路は綺麗、まっすぐ。畑ばかりで何も無い。
夜になったら、本当に真っ暗で
いけどもいけども、何も無い。
10kmくらい走ると、ようやく、SPARと言うコンビニが見えたりして。
まだその頃、コンビニって出来始めた頃だった。
「いいなぁ、こんなとこに住みたいな」と思った。
タクシーでもするか(笑)。なーんて。
Yも俺もタクシーの免許は取ったので、それで。
そういう、フリーター、だけどライダー、みたいな人も
つくばサーキットの傍には結構居て。
小林大くんとかもそのひとりだった。
「500の元カノ」に出てくるイオベさんもそうで
後にRS500を買って、プライベーターで結構いいところまで行ったと思う。
この頃、その「レインボウ」に時々来ていた。
一緒に、ホンダの北島さんとかも来ていた。
太ってるので「デーブ北島です」(アーブ・カネモトのつもり)とか言って
受けたり受けなかったり(笑)。
楽しい84年だった。
で、Yが引越しに呼ぶので都度アソビに行って。
しばらく滞在する。
84年頃の茨城は、バブル景気のちょっと前。
で、東京から少し離れてて、土地が広い。長閑。
道路がいい。
そういうわけで、結構なカーマニア(なのかな)が多くて。
Yは暇なので、昼飯を食べにどこかへ行く。
例えば、岩井あたりの沓掛街道との交差点にある
四つ六庵、と言うおそば屋さん。
ここへも、俺もお父さん、Y、俺の三人でお昼食べに行って。
冷やしタヌキうどんとか。
そーいう時はバイクじゃくて、バラードCR-Xで行くのだけど
これのリアシートがまあ・・・・ホモロゲ用の2+2と言う感じで
ほんとに1マイルシート。(と言う名称だった)。
イヌもまいるワンマイル。(笑)と、Yは笑っていた。
このCR-xは、面白い仕掛があって
屋根の後ろにベンチレーションがあって。
天井のレバーを引くと「かぱっ」と開いて風が入ってくる。
いかにも当時のホンダらしい、面白アイテムだった。
サンルーフ仕様もあったらしいけど、あんまり見たことはなかった。
最初は1.5iで、110ps、これで十分だと俺は思っていた。
なにせ、重量が720kgしかないのだ。
前後フェンダー、ドアの下部がABS樹脂である。
そういうものを作るのはさすが、ホンダだ。
後に、バラードCR-X Si、インテグラのZCエンジンを載せたものが出て
Yのお父さんはこれに乗り換えた。
130psになったが、770kgになった。
茨城時代のYのお父さんが乗っていたのは、このタイプ。
後にただのCR-Xになって。「Lotus7」に出てくるのはこのタイプ。
筆者も持っていた。
最初のSiは820kg、130ps。
後にVTECが出た時マイナーチェンジして
880kgになってしまった。
因みにVTECは970kgもある。
Yはそれも乗っていた。
それはともかく。
その四つ六にもフリーターのお兄さんが居て
バイク好き、クルマ好き。で、おそば屋さんでバイトしながら
バイクを買おうと頑張っている、と言う人。
その人のお友達で、いろんな車好きに会えた。
ひとりは、街道沿いで古着屋さん「レインボウ」をしている人で
ロータス・エランを3台かな。一台は走るので、あとは部品取り。
相当好きらしい。
その人のお友達で、フェラーリ365を持っている人とかが
時々遊びに来たりして。
あのいい音を聞かせてくれたりした。
そういう人たちが住んでいる、田舎。
当時、いい感じだった。
そのエランさんは、人望のある人で・・・若い人が集まるお店だった。
その中には女の子もいて、「500の元カノ」に出てくるあの子も
そのひとり。
NSR80を買ったはいいけれど、お金が払えなくなって
レインボウさんが買い取ってくれて、お店のディスプレイにして。
「お金出来たら買い戻しナ」と言ってくれるような、そういう人だった。
バイクブームだったからか、つくばサーキットの傍だからか。
バイク好きの女の子も多かった。
道路は綺麗、まっすぐ。畑ばかりで何も無い。
夜になったら、本当に真っ暗で
いけどもいけども、何も無い。
10kmくらい走ると、ようやく、SPARと言うコンビニが見えたりして。
まだその頃、コンビニって出来始めた頃だった。
「いいなぁ、こんなとこに住みたいな」と思った。
タクシーでもするか(笑)。なーんて。
Yも俺もタクシーの免許は取ったので、それで。
そういう、フリーター、だけどライダー、みたいな人も
つくばサーキットの傍には結構居て。
小林大くんとかもそのひとりだった。
「500の元カノ」に出てくるイオベさんもそうで
後にRS500を買って、プライベーターで結構いいところまで行ったと思う。
この頃、その「レインボウ」に時々来ていた。
一緒に、ホンダの北島さんとかも来ていた。
太ってるので「デーブ北島です」(アーブ・カネモトのつもり)とか言って
受けたり受けなかったり(笑)。
楽しい84年だった。
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