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第9話 ミシュラン・ハイスポート
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記 [1985/4/x]
....ドリフト?
Nの奴、本当にドリフトなんかできるんだろうか?
Nを見舞った帰り道、俺はタクシーの安っぽいプラスチックの
ステアリングを回しながら、考えていた。
窓越しに、幾台もオートバイが行っては消え、通り過ぎる街角。
信号待ちをしている間も、単車が来るとつい、そちらを見てしまう。
RS-z、RZ250、XJ750...
この頃流行始めたヨーロッパ調のバイク達。
...そういやあ、よく椿ラインでNと遊んだっけな...。
この数年前、俺はXV750Eに乗っていた。
で、当時、RZ250のNとよく、椿ラインを往復して遊んでいたものだった。
何故、XVを選んだか、というと、コントロールが容易だったからだ。
どんなギアを選択しても、スロットルに従順に旋回する。
低いギアで全開にすれば、それこそNじゃないがテールスライドなんて
容易に出来た。
結果的に滑るだけだから、ドリフトじゃぁないが。
俺は一時、ヤマハに勤めていた事がある。
そこでは、完成車にキィをつけたままおいてあるので、昼休みに勝手に
乗り回してよく怒られた。
RD350LC、TT500、XS1100、XJ650E...。
一番面白かったのが、XV1000E(TR1)だった。
工場のコンクリートの床では面白いように後輪がスピンし、ダートラごっこ
なんて簡単だった。
その、バランスの良さ。
見た目、ツーリングバイクだが、乗って面白いバイク。
...で、国内版のXV750Eを買った、んだ。
この、XVにはいろいろ想い出が載っていた。
で、そいつが重すぎて、売り払ってしまった。
今思うと、若かったんだな..
真冬のスカイラインを夜通し走り回ったクリスマスの夜。
再会。
はしゃぎすぎた、夏。
雪の降る明け方、ベイサイド・ブリッジから投げた花束。
まるで、三文小説の主人公みたいに気取ってた自分、を少し恥じ、俺は
だれも見ちゃいないのに、照れ笑いした。
....お...
道端で手あげてる客が目に入り、俺は左ウインカーを出しながら
トゥ&ヒルでタクシーを停車させた..
日記 1985/10/x
そんな、何気ない日々は飛ぶように流れ、タクシーの仕事にも慣れた二年目。
CBX750Fのフロント・タイアの減りがひどくて、いきつけのモータースにタイアを頼んでた。
でも、ミシュランA48はなかなか入荷して来なかった。
で、減ったタイアのまんま走って、モータースにやって来た。
「いらっしゃい!」
T輪店のオヤジさん。
油まみれのつなぎ。真っ黒な爪、
いかにも、バイク好き、という感じ。で。
「こんちは」
俺はSHOEI RF・VOGUEを抱え、店に入った。
「....らっしゃい。」
この、無愛想な男は、ヤマハのセールスだ。
セールスマンのくせに、アイパーかけてチョン・グラ眼鏡。
まるでセールスマンっぽくない。
そこがとてもいい感じだ。
俺は、そいつのことは特に気にせずに、店の奥に入って。
タイアがいつ入るのかと、親父さんのおくさんに聞いたり、
世間話しをしたり。
入れてくれたコーヒーを飲んだりして。しばし、時間を潰していた。
やることない休みってのは、こんなもんだ。
ふと、セールスの話しが耳に。
「..RZV、そろそろ... 。」
...RZV?
俺は、奴が帰ったあと、親父さんに話しを聞いた。
「ねえ、RZVがどうとかって、今... 。」
親父さんは、静かに答える。
「ああ、そろそろ打ちきりだってさ。」
「打ちきり、って生産?」
俺は、ちょっと気になった。
「ん、なんだか全く売れないから、って。」
事実、RZVの価値を認めるような変わり者は少なかった、当時。
なにせ、1984年当時で82.5万。
これだけ出せば750が買えておつりが来るのだし。
今一つ高級感に欠ける細部の造り(ステップが鉄、ガス・タンクキャップが
安っぽいメッキ、カウリングがRZ250RRと同じに見える、とか。)で、
実際、ほとんど町で見かけることは無かった。
俺は、なーんとなく聞いてみる。
「ねえ、親父さん、タイアまだ?ミシュランのA48。」
親父さんは答える。
「ああ、まだみたいだな。あそこはいい加減だから。」
俺は、一時タイアのセールスをしていた関係からよく解るが、
タイアのディーラーでも、当時はコンピュータ処理などは無く、
個々のセールスの腕前、責任感などにかなり輸入タイアの入荷は左右された。
もっとも、現在のように、気に入らないお客に意地悪する、なんてセールスは
ほとんどいなかったから、まともな奴とつきあえばまあ、安心だった。
そこんとこは今よりも楽だったが。
で、こんな田舎でフランスのタイアを選ぶ奴、は少なかったし、
タイア二本で運送してくれる訳もなく、注文がまとまるまで来ない。という(笑)
ふと、気づく。
「ねえ、RZVってミシュランだよね、タイア。」
「ああ、A48/M48だぞ。」
「..... '84のRZV、まだあるかな。」
... おいおい..^^;
親父さん、ヤマハに電話して聞いてみた。
「あるらしい、なんでも、売れ残ってたのがあると。
ガスタンクは新品つけるっていうけど、どうかな?」
「あ、それいいね。」
..とまあ、なんともあっけなく、「夢のマシン」は手にはいることに。
まあ、きっかけなんてのはどうでもいいか。
俺は、この頃タクシーの仕事にも飽きて来ていて、そろそろ辞めようか、と
思っていた。
82万には遠かったが、頭金くらいにはなったから。
で、CBX750を25万で下に出して、(まあ、車検が残り半年の不人気車だから、そんなもんだろう。
モリワキフォーサイトと、O&Tのバックステップがついてるし。)
実際、この後しばらく売れず、親父さんが足に使っていて「燃費わり」と
ぼやいていた。
..そりゃ、メインジェット#50番もでかくすりゃ、燃費も悪いだろう。(笑)
その代わり、といってはなんだが、6000rpmから爆発するパワーがあるんだから。
..... そんな感じで、俺とRZVの17年は、始まることになった。んだ。
ちなみに売れ残ったミシュランは、Nの忍者に納まった。(笑)
....ドリフト?
Nの奴、本当にドリフトなんかできるんだろうか?
Nを見舞った帰り道、俺はタクシーの安っぽいプラスチックの
ステアリングを回しながら、考えていた。
窓越しに、幾台もオートバイが行っては消え、通り過ぎる街角。
信号待ちをしている間も、単車が来るとつい、そちらを見てしまう。
RS-z、RZ250、XJ750...
この頃流行始めたヨーロッパ調のバイク達。
...そういやあ、よく椿ラインでNと遊んだっけな...。
この数年前、俺はXV750Eに乗っていた。
で、当時、RZ250のNとよく、椿ラインを往復して遊んでいたものだった。
何故、XVを選んだか、というと、コントロールが容易だったからだ。
どんなギアを選択しても、スロットルに従順に旋回する。
低いギアで全開にすれば、それこそNじゃないがテールスライドなんて
容易に出来た。
結果的に滑るだけだから、ドリフトじゃぁないが。
俺は一時、ヤマハに勤めていた事がある。
そこでは、完成車にキィをつけたままおいてあるので、昼休みに勝手に
乗り回してよく怒られた。
RD350LC、TT500、XS1100、XJ650E...。
一番面白かったのが、XV1000E(TR1)だった。
工場のコンクリートの床では面白いように後輪がスピンし、ダートラごっこ
なんて簡単だった。
その、バランスの良さ。
見た目、ツーリングバイクだが、乗って面白いバイク。
...で、国内版のXV750Eを買った、んだ。
この、XVにはいろいろ想い出が載っていた。
で、そいつが重すぎて、売り払ってしまった。
今思うと、若かったんだな..
真冬のスカイラインを夜通し走り回ったクリスマスの夜。
再会。
はしゃぎすぎた、夏。
雪の降る明け方、ベイサイド・ブリッジから投げた花束。
まるで、三文小説の主人公みたいに気取ってた自分、を少し恥じ、俺は
だれも見ちゃいないのに、照れ笑いした。
....お...
道端で手あげてる客が目に入り、俺は左ウインカーを出しながら
トゥ&ヒルでタクシーを停車させた..
日記 1985/10/x
そんな、何気ない日々は飛ぶように流れ、タクシーの仕事にも慣れた二年目。
CBX750Fのフロント・タイアの減りがひどくて、いきつけのモータースにタイアを頼んでた。
でも、ミシュランA48はなかなか入荷して来なかった。
で、減ったタイアのまんま走って、モータースにやって来た。
「いらっしゃい!」
T輪店のオヤジさん。
油まみれのつなぎ。真っ黒な爪、
いかにも、バイク好き、という感じ。で。
「こんちは」
俺はSHOEI RF・VOGUEを抱え、店に入った。
「....らっしゃい。」
この、無愛想な男は、ヤマハのセールスだ。
セールスマンのくせに、アイパーかけてチョン・グラ眼鏡。
まるでセールスマンっぽくない。
そこがとてもいい感じだ。
俺は、そいつのことは特に気にせずに、店の奥に入って。
タイアがいつ入るのかと、親父さんのおくさんに聞いたり、
世間話しをしたり。
入れてくれたコーヒーを飲んだりして。しばし、時間を潰していた。
やることない休みってのは、こんなもんだ。
ふと、セールスの話しが耳に。
「..RZV、そろそろ... 。」
...RZV?
俺は、奴が帰ったあと、親父さんに話しを聞いた。
「ねえ、RZVがどうとかって、今... 。」
親父さんは、静かに答える。
「ああ、そろそろ打ちきりだってさ。」
「打ちきり、って生産?」
俺は、ちょっと気になった。
「ん、なんだか全く売れないから、って。」
事実、RZVの価値を認めるような変わり者は少なかった、当時。
なにせ、1984年当時で82.5万。
これだけ出せば750が買えておつりが来るのだし。
今一つ高級感に欠ける細部の造り(ステップが鉄、ガス・タンクキャップが
安っぽいメッキ、カウリングがRZ250RRと同じに見える、とか。)で、
実際、ほとんど町で見かけることは無かった。
俺は、なーんとなく聞いてみる。
「ねえ、親父さん、タイアまだ?ミシュランのA48。」
親父さんは答える。
「ああ、まだみたいだな。あそこはいい加減だから。」
俺は、一時タイアのセールスをしていた関係からよく解るが、
タイアのディーラーでも、当時はコンピュータ処理などは無く、
個々のセールスの腕前、責任感などにかなり輸入タイアの入荷は左右された。
もっとも、現在のように、気に入らないお客に意地悪する、なんてセールスは
ほとんどいなかったから、まともな奴とつきあえばまあ、安心だった。
そこんとこは今よりも楽だったが。
で、こんな田舎でフランスのタイアを選ぶ奴、は少なかったし、
タイア二本で運送してくれる訳もなく、注文がまとまるまで来ない。という(笑)
ふと、気づく。
「ねえ、RZVってミシュランだよね、タイア。」
「ああ、A48/M48だぞ。」
「..... '84のRZV、まだあるかな。」
... おいおい..^^;
親父さん、ヤマハに電話して聞いてみた。
「あるらしい、なんでも、売れ残ってたのがあると。
ガスタンクは新品つけるっていうけど、どうかな?」
「あ、それいいね。」
..とまあ、なんともあっけなく、「夢のマシン」は手にはいることに。
まあ、きっかけなんてのはどうでもいいか。
俺は、この頃タクシーの仕事にも飽きて来ていて、そろそろ辞めようか、と
思っていた。
82万には遠かったが、頭金くらいにはなったから。
で、CBX750を25万で下に出して、(まあ、車検が残り半年の不人気車だから、そんなもんだろう。
モリワキフォーサイトと、O&Tのバックステップがついてるし。)
実際、この後しばらく売れず、親父さんが足に使っていて「燃費わり」と
ぼやいていた。
..そりゃ、メインジェット#50番もでかくすりゃ、燃費も悪いだろう。(笑)
その代わり、といってはなんだが、6000rpmから爆発するパワーがあるんだから。
..... そんな感じで、俺とRZVの17年は、始まることになった。んだ。
ちなみに売れ残ったミシュランは、Nの忍者に納まった。(笑)
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