255 / 276
255・肉屋のリットン
しおりを挟む両端を壁に囲まれた裏路地を歩く事数十分、飾り気の無い無骨な鉄の扉の前でケインが止まる。
ーーガンガンッ
ノックをすると扉の小窓がカシャンと開き、中からギョロリとした目玉が現れた。ギョロ目がケインを確認すると、扉がギィギィと重く軋みながら開いた。
「何だケイン、クレームならお断りだぜ」
中から顔を出したのは、元の色が分からない程に血と肉片に汚れたエプロンとマスクを付けた男だ。
「仕事中悪いなリットン、少し相談に乗って貰いたい」
「相談?」
ケインの背後に立つ俺達を警戒する様に睨み付け、リットンはマスクを外してタバコに火を付けた。
肉屋と言えばでっぷりと肥えた巨漢のイメージだが、リットンの|体貌「たいぼう》はまるで真逆だ。
左右から押し潰されたみたいな細身の高身長、胴体から伸びる手足は長い棒でも付けたかと思う程に細く長い。鋭く尖った顎と度が強過ぎる眼鏡が拡大する大きなギョロ目が相まって、何処となく虫を連想させる。……そうだな、もしもあだ名を付けるなら蟷螂ってのがピッタリだと思う。
扉にもたれ煙をふかしながらケインと話すリットンの奥では、「ドンッ バンッ 」と四~五人の従業員達が派手な音を出しながら肉や骨を叩き切っている。
ーーどうやらこの部屋は肉屋の加工場らしい。
恐らく、作業場への扉は裏路地沿い、店舗の入り口は反対側の表通り、ーーと分けてあるのだろう。
作業場から漂う血と肉が混ざり合う独特の生臭さが鼻をつく。その臭いに涎を飲み込むピリルとバルボが作業場へと突撃せぬ様、念の為二人の腰ベルトを掴んだ俺は、獣が肉へと変わる工程を感心しながら眺めていた。
「ーーと言う訳だ、君の店で買い取れないか?」
一頻りケインから事情を聞いたリットンは、ギョロ目を此方に向けると、その見た目に似合わぬ野太い声を出した。
「ケインの紹介なら是も非も無いが、獣人はまだ解体した事ないぞ」
そう言ってプッっと道端にタバコを吐き捨てたリットンは、挑発する様に手に持った大きなブッチャーナイフをピリルとバルボに向けクルクル回す。
「おぅ! 何やねん、ワイらに喧嘩売ってるんか? 3割引きなら買うたるぞ、この兄さんがなっ!」
「ブルゥィッ! バルッバルゥッ!」
「待て待て、元値が分からん物を3割引きでも俺に買わせようとするな!」
リットンへと詰め寄る二人の腰ベルトを引っ張って引き摺り戻す。二人は「ぐえっー」っと蛙が潰れた様な声を出して大人しくなった。
それにしても初対面なのに随分な挨拶だ。これじゃあ二人が怒るのも無理は無い。
「リットン、私が獣人差別を嫌ってるのを知っている筈だな?」
「あぁケイン、あんたはそうだったな。だが獲物っぽいのがそれしか見当たら無かったものでね。ーーそれにだ、俺は別に獣人を差別してる訳じゃない、貧民街の奴等が嫌いなだけだ」
どうやら貧民街の住民が嫌われているって話は本当らしい。ケインさんの紹介でもこの塩対応ならば、他店との交渉なんて絶望的なんじゃないだろうか。
「…………リットン、彼は私の恩人なんだ。これ以上の侮辱はーー」
「分かった分かった、冗談だ。ーーそれで? 買取って貰いたいって獲物はどこにあるんだ?」
大して悪びれもせず「獲物を見せろ」と宣うリットンは、ブッチャーナイフの背で肩をトントンと叩きながら裏路地を見回す。
ケインはそんなリットンの横柄な態度に首を振ると、俺に小さく耳打ちした。
「ーーすまない。だが私が知る限り、肉に関してリットン以上の腕と目利きを持つ男はこの街には居ない」
美味い飯を作る宿屋の主人がそう言うのだ、肉屋としての腕は確かなんだろう。それにどうせこの店以外に当ては無いのだ、多少の理不尽には目を瞑らなければ。
「おい、こっちは忙しいんだ。さっさと獲物を見せろ!」
苛つく様に腕を組むリットンが脅す様に野太い声を張る。しかし買い取る為に査定をするのは常識、横柄ではあるが至極まともなリットンの言い分に俺は顔を青ざめた。
(やっべ、何にも持たずに来ちゃった!)
そう、俺は全くの手ぶらで此処まで来てしまったのだ!
な、何にも考えて無かった……。これじゃあサンプルも持たずに営業をかける、駄目営業マンみたいじゃないか!
「えーと……実は今、現物は持って来て無くて……」
おずおずしながら俺がそう正直に打ち明けると、リットンはギョロ目を更に大きく剥いて言った。
「ああっ? 獲物も持って来て無いのに買取なんて出来るかよ! ケイン、訳アリなのは分かるが、訳アリ過ぎるのは駄目だ」
「話しにならん!」リットンはそう吐き捨てると、再びマスクを装備して作業に戻ろうとした。無慈悲に閉まる扉の隙間に、間一髪、俺は片足を突っ込むと、足一本分の隙間からリットンに必死に訴える。
「いや、だってほらっ、獲物が大荷車一台分ぐらいあるからさ。決まってから持ってこようと思ったんだよ!」
力づくで扉を閉めようとしていたリットンは、大荷車一台分に興味が湧いたのか、少しだけ力を緩めた。
「…………獲物は何だ、デカいボアでも獲れたのか?」
「いや、ボアじゃない、一角兎だ」
「一角兎を大荷車一台分だと? それは本当の話か?」
リットンの目の色が一瞬で商売人のそれへと変わる。
肉は兎も角、コートや冬靴などにも使われる一角兎の毛皮はこれからの売れ筋である。
しかも近々第一王子であるルクフェン・サーシゥがイアマに訪れると言う噂から、貴族達がこぞって服を新調し出した事をリットンは知っていた。
(ーーそれが大荷車一台分。ウチだけで捌くにはちと多過ぎるが、悪い話じゃない。あちこちで売られて値崩れ起こされるぐらいなら全部ウチで買取る方がいい)
これからの需要を考えると利益も莫大な物になりそうだ。ーーそう結論付けたリットンの変わり身は早かった。
「そうかそうか、それじゃ持って来れないな。何、心配するな、俺が直接現地へ行って見てやるから」
「えっ、それはリットンが貧民街に来てくれるって事?」
「普段はあんな所、行きたくもないが……、まぁケインの紹介だしな。さぁ、俺の気が変わらないうちに案内しろ! 値段云々は見てからだ」
0
お気に入りに追加
34
あなたにおすすめの小説
【完結】【勇者】の称号が無かった美少年は王宮を追放されたのでのんびり異世界を謳歌する
雪雪ノ雪
ファンタジー
ある日、突然学校にいた人全員が【勇者】として召喚された。
その召喚に巻き込まれた少年柊茜は、1人だけ【勇者】の称号がなかった。
代わりにあったのは【ラグナロク】という【固有exスキル】。
それを見た柊茜は
「あー....このスキルのせいで【勇者】の称号がなかったのかー。まぁ、ス・ラ・イ・厶・に【勇者】って称号とか合わないからなぁ…」
【勇者】の称号が無かった柊茜は、王宮を追放されてしまう。
追放されてしまった柊茜は、特に慌てる事もなくのんびり異世界を謳歌する..........たぶん…....
主人公は男の娘です 基本主人公が自分を表す時は「私」と表現します
「おまえを愛することはない!」と言ってやったのに、なぜ無視するんだ!
七辻ゆゆ
ファンタジー
俺を見ない、俺の言葉を聞かない、そして触れられない。すり抜ける……なぜだ?
俺はいったい、どうなっているんだ。
真実の愛を取り戻したいだけなのに。
異世界でのんびり暮らしてみることにしました
松石 愛弓
ファンタジー
アラサーの社畜OL 湊 瑠香(みなと るか)は、過労で倒れている時に、露店で買った怪しげな花に導かれ異世界に。忙しく辛かった過去を忘れ、異世界でのんびり楽しく暮らしてみることに。優しい人々や可愛い生物との出会い、不思議な植物、コメディ風に突っ込んだり突っ込まれたり。徐々にコメディ路線になっていく予定です。お話の展開など納得のいかないところがあるかもしれませんが、書くことが未熟者の作者ゆえ見逃していただけると助かります。他サイトにも投稿しています。
【本編完結】さようなら、そしてどうかお幸せに ~彼女の選んだ決断
Hinaki
ファンタジー
16歳の侯爵令嬢エルネスティーネには結婚目前に控えた婚約者がいる。
23歳の公爵家当主ジークヴァルト。
年上の婚約者には気付けば幼いエルネスティーネよりも年齢も近く、彼女よりも女性らしい色香を纏った女友達が常にジークヴァルトの傍にいた。
ただの女友達だと彼は言う。
だが偶然エルネスティーネは知ってしまった。
彼らが友人ではなく想い合う関係である事を……。
また政略目的で結ばれたエルネスティーネを疎ましく思っていると、ジークヴァルトは恋人へ告げていた。
エルネスティーネとジークヴァルトの婚姻は王命。
覆す事は出来ない。
溝が深まりつつも結婚二日前に侯爵邸へ呼び出されたエルネスティーネ。
そこで彼女は彼の私室……寝室より聞こえてくるのは悍ましい獣にも似た二人の声。
二人がいた場所は二日後には夫婦となるであろうエルネスティーネとジークヴァルトの為の寝室。
これ見よがしに少し開け放たれた扉より垣間見える寝台で絡み合う二人の姿と勝ち誇る彼女の艶笑。
エルネスティーネは限界だった。
一晩悩んだ結果彼女の選んだ道は翌日愛するジークヴァルトへ晴れやかな笑顔で挨拶すると共にバルコニーより身を投げる事。
初めて愛した男を憎らしく思う以上に彼を心から愛していた。
だから愛する男の前で死を選ぶ。
永遠に私を忘れないで、でも愛する貴方には幸せになって欲しい。
矛盾した想いを抱え彼女は今――――。
長い間スランプ状態でしたが自分の中の性と生、人間と神、ずっと前からもやもやしていたものが一応の答えを導き出し、この物語を始める事にしました。
センシティブな所へ触れるかもしれません。
これはあくまで私の考え、思想なのでそこの所はどうかご容赦して下さいませ。
(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
凡人がおまけ召喚されてしまった件
根鳥 泰造
ファンタジー
勇者召喚に巻き込まれて、異世界にきてしまった祐介。最初は勇者の様に大切に扱われていたが、ごく普通の才能しかないので、冷遇されるようになり、ついには王宮から追い出される。
仕方なく冒険者登録することにしたが、この世界では希少なヒーラー適正を持っていた。一年掛けて治癒魔法を習得し、治癒剣士となると、引く手あまたに。しかも、彼は『強欲』という大罪スキルを持っていて、倒した敵のスキルを自分のものにできるのだ。
それらのお蔭で、才能は凡人でも、数多のスキルで能力を補い、熟練度は飛びぬけ、高難度クエストも熟せる有名冒険者となる。そして、裏では気配消去や不可視化スキルを活かして、暗殺という裏の仕事も始めた。
異世界に来て八年後、その暗殺依頼で、召喚勇者の暗殺を受けたのだが、それは祐介を捕まえるための罠だった。祐介が暗殺者になっていると知った勇者が、改心させよう企てたもので、その後は勇者一行に加わり、魔王討伐の旅に同行することに。
最初は脅され渋々同行していた祐介も、勇者や仲間の思いをしり、どんどん勇者が好きになり、勇者から告白までされる。
だが、魔王を討伐を成し遂げるも、魔王戦で勇者は祐介を庇い、障害者になる。
祐介は、勇者の嘘で、病院を作り、医師の道を歩みだすのだった。
公爵令嬢のRe.START
鮨海
ファンタジー
絶大な権力を持ち社交界を牛耳ってきたアドネス公爵家。その一人娘であるフェリシア公爵令嬢は第二王子であるライオルと婚約を結んでいたが、あるとき異世界からの聖女の登場により、フェリシアの生活は一変してしまう。
自分より聖女を優先する家族に婚約者、フェリシアは聖女に嫉妬し傷つきながらも懸命にどうにかこの状況を打破しようとするが、あるとき王子の婚約破棄を聞き、フェリシアは公爵家を出ることを決意した。
捕まってしまわないようにするため、途中王城の宝物庫に入ったフェリシアは運命を変える出会いをする。
契約を交わしたフェリシアによる第二の人生が幕を開ける。
※ファンタジーがメインの作品です
【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?
みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。
ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる
色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる