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255・肉屋のリットン

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 両端を壁に囲まれた裏路地を歩く事数十分、飾り気の無い無骨な鉄の扉の前でケインが止まる。

ーーガンガンッ

 ノックをすると扉の小窓がカシャンと開き、中からギョロリとした目玉が現れた。ギョロ目がケインを確認すると、扉がギィギィと重く軋みながら開いた。

「何だケイン、クレームならお断りだぜ」

 中から顔を出したのは、元の色が分からない程に血と肉片に汚れたエプロンとマスクを付けた男だ。

「仕事中悪いなリットン、少し相談に乗って貰いたい」
「相談?」

 ケインの背後に立つ俺達を警戒する様に睨み付け、リットンはマスクを外してタバコに火を付けた。

 肉屋と言えばでっぷりと肥えた巨漢のイメージだが、リットンの|体貌「たいぼう》はまるで真逆だ。
 左右から押し潰されたみたいな細身の高身長、胴体から伸びる手足は長い棒でも付けたかと思う程に細く長い。鋭く尖った顎と度が強過ぎる眼鏡が拡大する大きなギョロ目が相まって、何処となく虫を連想させる。……そうだな、もしもあだ名を付けるなら蟷螂カマキリってのがピッタリだと思う。

 扉にもたれ煙をふかしながらケインと話すリットンの奥では、「ドンッ バンッ 」と四~五人の従業員達が派手な音を出しながら肉や骨を叩き切っている。

 ーーどうやらこの部屋は肉屋の加工場らしい。

 恐らく、作業場への扉は裏路地沿い、店舗の入り口は反対側の表通り、ーーと分けてあるのだろう。

 作業場から漂う血と肉が混ざり合う独特の生臭さが鼻をつく。その臭いに涎を飲み込むピリルとバルボが作業場へと突撃せぬ様、念の為二人の腰ベルトを掴んだ俺は、獣が肉へと変わる工程を感心しながら眺めていた。

「ーーと言う訳だ、君の店で買い取れないか?」

 一頻ひとしきりケインから事情を聞いたリットンは、ギョロ目を此方に向けると、その見た目に似合わぬ野太い声を出した。

「ケインの紹介なら是も非も無いが、獣人はまだ解体バラした事ないぞ」

 そう言ってプッっと道端にタバコを吐き捨てたリットンは、挑発する様に手に持った大きなブッチャーナイフをピリルとバルボに向けクルクル回す。

「おぅ! 何やねん、ワイらに喧嘩売ってるんか? 3割引きなら買うたるぞ、この兄さんがなっ!」
「ブルゥィッ! バルッバルゥッ!」
「待て待て、元値が分からん物を3割引きでも俺に買わせようとするな!」

 リットンへと詰め寄る二人の腰ベルトを引っ張って引き摺り戻す。二人は「ぐえっー」っと蛙が潰れた様な声を出して大人しくなった。
 それにしても初対面なのに随分な挨拶だ。これじゃあ二人が怒るのも無理は無い。

「リットン、私が獣人差別を嫌ってるのを知っている筈だな?」
「あぁケイン、あんたはそうだったな。だが獲物っぽいのがそれしか見当たら無かったものでね。ーーそれにだ、俺は別に獣人を差別してる訳じゃない、貧民街の奴等が嫌いなだけだ」

 どうやら貧民街の住民が嫌われているって話は本当らしい。ケインさんの紹介でもこの塩対応ならば、他店との交渉なんて絶望的なんじゃないだろうか。

「…………リットン、彼は私の恩人なんだ。これ以上の侮辱はーー」
「分かった分かった、冗談だ。ーーそれで? 買取って貰いたいって獲物ブツはどこにあるんだ?」

 大して悪びれもせず「獲物を見せろ」とのたまうリットンは、ブッチャーナイフの背で肩をトントンと叩きながら裏路地を見回す。
 ケインはそんなリットンの横柄な態度に首を振ると、俺に小さく耳打ちした。

「ーーすまない。だが私が知る限り、肉に関してリットン以上の腕と目利きを持つ男はこの街には居ない」

 美味い飯を作る宿屋の主人がそう言うのだ、肉屋としての腕は確かなんだろう。それにどうせこの店以外に当ては無いのだ、多少の理不尽には目を瞑らなければ。

「おい、こっちは忙しいんだ。さっさと獲物ブツを見せろ!」

 苛つく様に腕を組むリットンが脅す様に野太い声を張る。しかし買い取る為に査定をするのは常識、横柄ではあるが至極まともなリットンの言い分に俺は顔を青ざめた。

(やっべ、何にも持たずに来ちゃった!)

 そう、俺は全くの手ぶらで此処まで来てしまったのだ! 
 な、何にも考えて無かった……。これじゃあサンプルも持たずに営業をかける、駄目営業マンみたいじゃないか!

「えーと……実は今、現物は持って来て無くて……」

 おずおずしながら俺がそう正直に打ち明けると、リットンはギョロ目を更に大きく剥いて言った。

「ああっ? 獲物ブツも持って来て無いのに買取なんて出来るかよ! ケイン、訳アリなのは分かるが、訳アリ過ぎるのは駄目だ」

 「話しにならん!」リットンはそう吐き捨てると、再びマスクを装備して作業に戻ろうとした。無慈悲に閉まる扉の隙間に、間一髪、俺は片足を突っ込むと、足一本分の隙間からリットンに必死に訴える。

「いや、だってほらっ、獲物が大荷車一台分ぐらいあるからさ。決まってから持ってこようと思ったんだよ!」

 力づくで扉を閉めようとしていたリットンは、大荷車一台分に興味が湧いたのか、少しだけ力を緩めた。

「…………獲物は何だ、デカいボアでも獲れたのか?」
「いや、ボアじゃない、一角兎アルミラージだ」
 
一角兎アルミラージを大荷車一台分だと? それは本当の話か?」

 リットンの目の色が一瞬で商売人のそれへと変わる。
 肉は兎も角、コートや冬靴などにも使われる一角兎アルミラージの毛皮はこれからの売れ筋である。
 しかも近々第一王子であるルクフェン・サーシゥがイアマに訪れると言う噂から、貴族達がこぞって服を新調し出した事をリットンは知っていた。

(ーーそれが大荷車一台分。ウチだけで捌くにはちと多過ぎるが、悪い話じゃない。あちこちで売られて値崩れ起こされるぐらいなら全部ウチで買取る方がいい)

 これからの需要を考えると利益も莫大な物になりそうだ。ーーそう結論付けたリットンの変わり身は早かった。

「そうかそうか、それじゃ持って来れないな。何、心配するな、俺が直接現地へ行って見てやるから」
「えっ、それはリットンが貧民街に来てくれるって事?」

「普段はあんな所、行きたくもないが……、まぁケインの紹介だしな。さぁ、俺の気が変わらないうちに案内しろ! 値段云々は見てからだ」

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