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206・バックハンドブロー
しおりを挟む鳴り続ける瀑声と、身体を揺さぶる低い振動。冷たい洞窟で気絶同然の眠りについていたガウルが目を覚ます。
麻痺しているのか、先程まで身体を蝕んでた痛みはもう感じない。今は ただひたすらに寒かった。
(……死ぬってのは、冷たくなるって事なんだな)
石を投げて落とした小鳥、罠に掛かって動かなくなった鼠、道端に転がった誰かの亡骸ーー思えばガウルが触れた死はどれも冷たかった。
その冷たさを覚悟したガウルが、少しでも体温を奪われぬ様にとその身を縮めたのは、最後にどうしてもあの化け物に一撃を喰らわせたかったからだ。
反撃もせずに、怯え、命乞いまでしたガウルが、最後の最後に灰色狼族としての誇りを取り戻す為の一噛み。
(何もせずにやられたなんて……俺だけじゃなく……兄貴まで……笑われちまう)
再生を促す為の本能から来る強制的な睡眠のおかげで傷は塞がりつつあるが、あまりにも血を出し過ぎた。
極度な貧血に意識が混濁する中で、ガウルは何度も何度も繰り返し想像する。油断し切った化け物が無防備に近付いたその時、この誰のとも分からない折れた骨がその腹を突き刺す瞬間をーー。
昏倒と覚醒、夢と空想。
幾度となく暗転を繰り返す意識は、次第に現実と妄想の境界線を曖昧にしてゆく。
ーーそして遂に時は来た。
ガウルの耳がピクリと動く。
口内に溢れた血の臭いで相変わらず鼻は効かないが、滝音に紛れて此方へと近付く足音と荒い息遣いが聞こえて来たのだ。
(……やっと戻って……きたな……)
体を丸め、うつ伏せに寝転がるガウルは、その腹の下に隠した骨を弱々しく握り締めた。
ーーギュッ ギュッ
濡れた皮を絞る様な足音が背後へと迫る。ガウルは近付く気配に向かって背中からゴロリと転がったーーと、同時に右手で逆手に握った骨を相手に向かって振り抜いた!
それはまるで寝ながらに放つバックハンドブロー。本来、立った状態で身体を回転させながら裏拳を打つこの技は、肘から先のスナップを効かせる事でその威力を増す。意図したものでは無かったものの、力が入らず脱力した今のガウルには正に打って付けの一撃であった。
「ーーぐふっ」
ーー折れた骨の鋭い切先がズブリと肉へと突き刺さる。
くぐもった呻き声と確かな手応えに、ガウルは痛む顎を歪めながら笑った。
「ははっ、ざまぁ……みろ」
一噛みを成し遂げたガウルは、そのまま意識を失った。
◇
「……ル、ウル……ガウル! しっかりしろ!!」
誰かの必死な呼びかけと激しく身体を揺さぶられる感覚に再びガウルは目を覚ます。重い目を開ければ、ヘイズが心配気な顔をしながら此方を覗き込んでいるのがぼんやりと見えた。
「ーーあ……あぃき?」
「やっと目を覚ましやがったな」
ガウルは此処に居るはずの無いヘイズを不思議そうに見上げる。そんなガウルの疑問に答える様にヘイズは言った。
「あのな、俺が何年お前の兄貴やってると思ってやがる。お前の行動なんざ全部お見通しなんだよ」
努めて明るく話しているヘイズだが、ガウルを見るその顔色は悪い。
(満身創痍じゃねぇか……こいつは思ってた以上にやべぇな)
砕けた顎の状態も酷いが、食べ終わったバナナの皮みたいにグチャリと地面に投げ出されている両足は特に最悪だ。このまま運べば、ズタズタな足が千切れてしまいそうに思えた。
「あぃき……ごめん……俺……」
「説教は後だ。傷が開く、あんまり喋るな」
本当ならば、この血で固まったズボンを切り裂いて足の状態を確認したいところではあるが、傷を見てガウルがショックを受けてしまう可能性もある。
ヘイズは小手代わりに手首に巻いていた布を外すと、地面に転がっている骨を添え木にして、ガウルの両足をミイラの様にグルグルと包み固定した。
「人手も道具も無えからよ、道中痛むかもしれねぇけど我慢しろよ」
「自業自得だからな」と言いながら使える物が無いかと巣穴を見回していると、ガウルが何か言いたげに口を動かしている。
「おい、顎やられてんだから喋るなよ」
「なぁ、あぃき……俺、やったよ……アイツに……一撃……やった……」
そう言って、ガチガチと身体を震わせながらも口角を上げるガウル。ヘイズは大きく驚くと、感心した様にガウルの手を強く握った。
「すげぇじゃねぇか! 流石、俺の弟分だ。俺にも出来ねぇ事をやったんだ……俺は、お前を誇りに思うぜ」
尊敬するヘイズに褒められガウルは嬉しそうだったが、ふと何かに気付き顔を曇らる。
「な、なぁ、あぃき……やっぱり俺……死ぬのかなぁ?」
握られたヘイズの手のあまりの温かさに、ガウルは自分が先程よりもずっと冷たくなっている事に気が付いたのだ。
「馬鹿言ってんじゃねぇ! いいか、これからお前に俺のとっておきを飲ませてやる」
そう言って、ヘイズはペンダントの様に首からぶら下げていた小瓶を外し、ガウルの目の前で揺らす。
「見ろ、こいつはポーションだ」
「ポーション……」
ヘイズが胸元から取り出した小瓶、その中身はあのポーションだと言う。
多少の傷どころか毒までも治すポーション、当然ながら物凄く値の張る薬である。街中の冒険者なら兎も角、貧民街の、それも中級冒険者程度では中々手には入らない品物だ。
「ったく、お前は運がいいぜ。偶然闇市で手に入ったポーションが早速役に立つとはな」
ヘイズはそう言って小瓶の蓋をこじ開けると、ガウルの口へゆっくりと注ぎ入れる。
熱い液体が喉に流れ込む。カーっと焼ける様な熱が喉に染み渡り、胸の奥からもポカポカとした温かさが込み上げてきた。
「……あっ……たかい」
「もう大丈夫だ。お前は死なねぇ」
身体が熱を持った事で、冷たい死から逃れられたとガウルは安堵する。すると気が抜けたのか、強烈な眠気が襲ってきた。
「いいか、目ん玉飛び出るくらい高い薬を飲ませてやったんだ。その分しっかり稼いでもらうからな!」
「…………あぁ、俺……頑張……よ……」
ヘイズの声が徐々に遠くなるーーガウルの意識は深いまどろみの中へと落ちて行った。
「……寝たか」
僅かに差した頬の赤みと静かな寝息、それを確認したヘイズの膝がガックリとその場に落ちた。
「…………はぁ、くっそ痛ぇ」
そう言って顔を顰めたヘイズの脇腹からは、ボタボタと赤黒い血が流れて落ちていた。
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