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55・善人
しおりを挟む「おい平民っ! その男から離れろっ!!」
ミードの叫びにヨイチョの手が一瞬止まる。
「大丈夫、気にしないで良いよ」
突然の事に不安そうな目を向ける血だらけの男に、再び濡らした布を当てながらヨイチョはそう声を掛ける。優しい言葉に男は安心した様に笑うとヨイチョの左肩を縋る様に掴んで言った。
「はぁ、あんたは善人なんだなぁ…」
「あはは、当然だよ。困った時はお互い様だから」
この場で一番不安なのは彼だ。何者かに襲撃を受け瀕死の重傷を負い、分隊の仲間も失った…。
もしこれが自分だったら…あの重傷を負った女性がナルだったら?
想像もしたくない悲惨な目に遭い、自身も傷を負って項垂れている可哀想な男を目の前にして離れろだって?
平然とそんな事を言い放つミードの神経が理解出来ない。探していた人じゃ無かったから放っておけという事か?
ーーだとしたら『貴族主義者』とはなんと傲慢な奴等なんだろう!
ヨイチョがこの時感じた不信感と不快感が、ミードの言葉に込められた意味を読み取る事を阻害した。
(平民だの貴族だの言ってる場合じゃ無いってのにーーこれだから『貴族』ってやつは好きになれないんだ)
ヨイチョやナルが住んでいたのはそこそこ大きな農村だ。収穫量も多く飢えた事こそ無かったが、毎年二度もある高額な納税時期に親達が頭を抱えているのを見るのは一度や二度では無い。
そして、その税金の行先が地元の領主…つまり貴族である事を知ってから、幼いヨイチョが貴族にあまり良い印象は持てなかったのは当然であろう。
ーー敬い、時に理不尽に耐え、媚びへつらう。
一般的な村民にとって、貴族とは嫌気と畏敬の象徴である。
貴族の機嫌を損ねると首が飛ぶ、自分の首一つで済むならまだ良い方だ。その粛清には家族も含まれる事だってあるのだ。過去には一つの村が丸々粛清の対象になった事もあると聞く。
だから貴族様には逆らうな、そう言い聞かされて育ってきた。
実際にはそんな事は全く無いのだが、人を従えるには舐められるより畏敬の念がある方が上手く行く事を知っている貴族達は敢えてその噂を否定する事は無かった。寧ろ積極的に流布する者も居たぐらいだ。
そんな訳で、多くの村民と貴族の間には隔絶した壁がある。
ヨイチョやナルは騎士団に入団する事で貴族の存在が身近になり、以前程の苦手意識は無くなった。が、やはり横柄な態度を取る貴族に対しては未だに悪感情は湧いてしまう。
「…見た目程 怪我は無いみたいだね? 良かっーー痛っ!?」
「…ホント善人だなぁ、マジ反吐が出るくらいによぉ?」
敢えてミードの言葉に逆らう様に男の手当てを再開したヨイチョの肩を突如鋭い痛みが走った!
「ーーえっ?えっ?」
頭の中まで響く様なズキンッとした鋭い痛みに思わず肩に目をやる。
すると、肩の後ろから人差し指程の太さがある黒い鋭利な物体が肩から生えていた。ーーいや違う、肩を掴む男の手から黒く鋭い棘が生え、それがヨイチョの肩を貫いてるのだ!
「俺はよぉ…思いやりとか優しさってのはよぉ、余裕ある奴の特権だと思うのな?」
「ーーがあ"ぁっ!」
グリグリと男が手を捻る度に、肩を貫いた棘が傷を抉り広げゴリゴリと骨を砕く。
「だってそうだろ? 自分が死ぬ程腹減ってんのに他人に飯やる馬鹿はいねぇよな?」
肩に刺さる棘はまるで植物が成長するかの様に徐々に太く長くなり、それに伴いミチミチと音をたてて骨が砕け傷口が広がってゆく。
「ほ~ら、お前さんだって、これから殺されるって分かったら、もう俺に優しくなんて出来ねぇだろ? なっ?」
「ぐぅぅ…は、離れーーろっ!」
ヨイチョは必死に逃れ様とするが、男の力は思いの外強く、地面に根が生えた様にびくともしない。
「つまり、善人ってのは心に余裕がある奴ってこった。 俺に対して余裕って…そりゃ俺を下に見てるって事だろう? そいつは頂けねぇな…」
「ーー平民どけっ! 氷柱ッ!」
ミードが放った氷柱は男の足元に突き刺さる。攻撃を難なく躱した男は、まるで怪我など一切していないかの動きでヨイチョを肩を突き飛ばすと同時に距離を取る。
「はっはっ、足を狙ったのか? 馬鹿だなぁ、こういう時は頭を狙うもんだ」
突き飛ばされたヨイチョが悶絶する、黒い棘はまだ肩に残ったままだ。
「あがぁっッツ!!」
肩から飛び出た棘は、まるで、それそのモノが自分の神経であるかのように少し触れただけで激痛が走った。
「悪いが、俺は遊びで怪我するつもりは無いんだよなぁーー」
男はそう言うと、まだ血に塗れた顔でニカっと笑い足元に落ちていた兜をミードに向かって蹴り出した。
まるでパスするかの様に蹴り出された兜は、緩い放物線を描き飛んでくる。
クルクルゆっくり縦に回るその兜には…
ーーまだ中身が入っていた。
「ーーッ!? 悪趣味なっ!」
こちらの動揺を誘うのが目的なのか、対したスピードも無いせいで兜の中身がいやに目立つ。
その回転する虚な目が親しい者じゃ無いのがせめてもの救いだが、見覚えはある。
時にすれ違い、食堂に、訓練場に、視界の端に…騎士団での生活の中でよく見る背景として馴染んでいた目が其処にある。
(今は集中だ、相手の術中に嵌るな!)
真っ直ぐに飛んで来る兜を躱すのは大して難しくない、ミードは兜を躱すと同時に魔法を放つ。
「氷結拘束ーーウグッ!?」
ところが躱した筈の兜は、急遽不自然な軌道を描きグンっと加速したと思うとミードの胸に向かってバチーンッと突き刺さった。
頭部は全体の10%程の重さがあると言われている、つまり兜の中身は5~6kg。ボーリングの球程の重量が詰まった兜がまともに胸を直撃したのだ、軽鎧越しとはいえ堪ったものではない。
ーー 心臓が鼓動を忘れたかと思うほどの衝撃に息が止まる!
「ウッーーぐっ……な、何だ、軌道が変わっ……た!?」
「ほぅ?やるね、やるねぇ」
ニヤケ顔の男は感心した様に凍りついた自分の足元を見ると両手で態とらしく喝采する。
ミードは先程躱された氷柱の溶けた水を男の足元まで伸ばし再度氷結拘束で男の左足を凍結させていたのだ。
しかし、男は凍結した左足を振り上げると、その勢いのまま地面を踏み締め氷を強引に砕いてしまった。
「狙いは良い!だが弱い、弱いね? こんな魔力じゃ表面しか凍らねぇな?やっぱり間抜け共じゃこれが限度か?」
「こ、この俺を間抜けだと! お前こそ、この程度の攻撃で勝った気になるなよ!」
「はっはっはーーいいね!じゃあこの程度ならどうだぁ?」
男が両腕を振り上げる、その背後にふわりと二つの兜が浮かんだ。その兜から間隔を空けて滴る鉄臭い液体はまだ中身が中に有る事を告げていた。浮かんだのはそれだけでは無い、千切れた腕、潰れた足、辺りの肉塊が次々と浮かんでゆく!
「ーーなっ!? まさかお前…死霊魔法士!」
「さて…ね? そういや…お前さんは善人じゃあ無さそうだったが…まぁ死んどけ?」
男が腕を下すと同時に、浮かぶ全ての肉塊がミードに向かって一斉に襲いかかった!
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