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51・バクスの災難
しおりを挟むーー父の仕事の関係でノルジット家に出入りし始めたのはいつ頃からだっただろうか…。
あの頃、長男であるバクスは父に同行し商人のイロハを教わっていた。バクスの父がひょんな事からノルジット男爵との縁が繋がり、『ノルジット家御用達』の商人として屋敷の出入りを許される様になったのは最近の事だ。
御用達とは階級の高い貴族の屋敷に出入りが許された特別な商人達の事である。御用達商人は商人の中では格が高く、商人として目指すゴールの一つとされている。
「いいかバクス、苦労して取り入ったこの『ノルジット家御用達』という立場は俺の代で終わらせるつもりは毛頭無い。お前も今からよ~く顔を売っておくんだぞ?」
「男爵様に?でも父さん、男爵様とお話する時はいつも外で待ってろって…」
バクスの父がノルジット家で商談をする時、バクスは決まって部屋の外で待たされる。流石に大事な男爵様との商談に子供を同席させる訳にはいかない。
では何故バクスの父は商談にも同席出来ないバクスをわざわざ連れてノルジット家に来るのか?
「あっ、来たのかバクスっ!今日は何を持ってきたんだ?」
後から唐突に甲高い声を掛けて来たのはノルジット家の三男サイラスだ。茶色の巻き毛と幼い面立ち、小柄な所為か女の子に見間違えられる事も少なく無い。実際バクスも最初の頃、女の子向けのお人形をお土産として献上し癇癪を起こされた経験がある。
「おぉサイラス坊ちゃん!お邪魔しております。今日の御召し物もお似合いですな!今日もバクスと遊んでくれるのでございますか?」
「あぁ、いいぞ!今日はバクスに見せたい物があるんだ!」
サイラスはバクスの二つ下で歳も近いせいかよく懐いてくれている。屋敷に来た時は必ず顔を出せと言われている程だ。燥はしゃぐサイラスの様子を見ながらバクスの父はバクスの肩に手を置いて耳打ちする。
「バクス、お前が顔を売らなきゃいけない相手は未来の男爵様だ。」
「未来の……男爵様…」
そう、バクスの父は自分の子をノルジット家の子供達と幼い頃から引き会わせる事で将来的な商会の立場を磐石とする事を企んでいた。
これは別に特別な事では無い、貴族には二代三代にわたり繋がりのあるお抱え商人が居るのは普通である。
大っぴらには言えないが…そこそこの貴族であれば皆、少なからず裏の顔が有り裏の取引があるものだ。それは賄賂であったり、通常では手に入らないご法度の物の調達や禁止奴隷の売買などとても公おおやけには出来ない様な事もある。
その際にアッチコッチと商人を変えてしまうと秘密が漏れる事もあるだろうし、内容によっては商人に弱味を握られて立場が逆転してしまう可能性だってあるのだ。
その様な事が無い様に、長い年月を掛けて貴族と商人は密接した信頼関係を築いていくのだ。
「本当は長男のヨアヒム様が良いんだが……まぁ、サイラス坊ちゃんと仲良くしていれば、面倒見が良い男だと印象が良くなるかもしれんしな?しっかりやれよ!」
長男のヨアヒム様は既に18歳、10歳だった私が相手するには少し無理がある。次男のユージン様は王都の魔法学校におられる為、滅多にお会いする事は無い。そうなると必然的にサイラス坊ちゃんと親交を育む事になる。
「バクス!今日は俺の馬を見せてやる!すっごいデカいんだぞ?」
踊る様な軽やかなステップを踏みながら進むサイラスは上機嫌だ。
「あぁ、あの栗毛のドール種ですね!父も手に入れるのに苦労したようですが喜んで貰えて幸いです」
先程まで上機嫌だったサイラスは急にはたと止まると不機嫌そうに振り返り、バクスをキッと睨み付ける。そして右手に持っていた馬の調教用鞭を床に叩き付けた。
「何だ、せっかく驚かせようと思ったのに!」
「そ、それは…すみません!で、ですが、うちの商会から買われたのですから私が知っていても…」
それはそうだ、その馬を納入した時にはバクスも居たし、なんなら道中その馬の世話をしていたのもバクスなのだから。
「五月蝿いっ!そうだバクスお前、記憶を消せ!」
「えっ?ーーいや、それは…」
無茶苦茶な提案に一瞬目の前が遠くなるが、目尻に涙を溜めながら喚くサイラスを見ては蔑ろにはできない。
(あぁ、また余計な事を言ってしまった…)
バクスには相手の心情を考えずに余計な一言を言ってしまう悪い癖があった。「商人としては致命的だ」と父からも再三直す様言われてはいるのだが、不思議と悪癖ほど中々直るものでは無い。
「お前が馬の事を忘れれば驚かせる事が出来るだろう?さぁ、消せ!今すぐ消せ!」
◇
‥…あの後、記憶を無くしたふりをした私がサイラス坊ちゃんの馬を見ながら、またうっかり「もっと大きな馬もいますけどね」などと口走った為にえらい事になったんだっけ。
「誕生日までにその馬を見つけてこい!」と…。
父は馬を探すのに随分苦労した様だが、それに見入るだけの大金を男爵様からせしめる事ができ、「良くやった、流石俺の息子だ!」と褒めてくれた。だが、それが私が商人としての最初で最後の成功だった。
私の商才の無さを早々に見抜いた父は商会を引き継ぐのは長男の私では無く弟に託した。正直、つい余計な事を話してしまう自分の性格では海千山千の商人世界ではやっていけないだろうし、弟には確かに商人としての才能があった。
悔しい気持ちもあったが、少しホッとしたのも事実だ。
その後、暫く家業を手伝っていたバクスが運良く騎士団に入団。新たな人生の幕開けに希望を抱いていたが、なんとここでサイラスと再会してしまう。ここからがバクスの災難の始まりだった。
以前の様に様々な我儘をぶつけてくるサイラス、しかしここでサイラスを無下に扱うとノルジット家御用達として頑張っている父や弟に迷惑が掛かってしまう。
ーーこうしてバクスは騎士団に居ながらサイラスの御用聞き商人みたいな立場になってしまったのだ。
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