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第三十七話 俺、……最低だな。

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 それから八年後。ウーノが女王と結婚し、彼専用の『別れさせ屋』は突如看板を下ろすこととなった。ウーノが飽きた女を側近のラウリが寝取る。この習慣が八年も続けられたのは、ウーノの意向だけでなくラウリの意思もそれなりに存在していたせいだ。主家に母を奪われた彼は、いつの間にか主の女を寝取ることに喜びを見出していた。ウーノの関心を引き留めようとする女を横から攫い、主一色だった頭のなかを自分の色に染め上げると底知れない勝利感に満たされたものだ。――なのに。
 
「もう寝取らなくていい」

 そのセリフに唖然とするラウリに、ウーノは聖人君子のごとく微笑んだ。

「ラウリ。君もわたしと同じように、好きな子と結婚して所帯を持てばいいじゃないか。わたしたちはいつまでも十代じゃないんだ。大人にならないと」
 
 晴れ晴れとクズを卒業したウーノの台詞は、頭では理解できても心が拒否した。結婚はパヤソン家存続のためにいずれはしなければならないが、少なくとも今ではない。なにより彼はまだ、唯一の相手を作ることが怖かった。世の中、大事なものほど、奪われ壊されてしまうのだから。
 結局、彼はウーノ以外の男から女を一時的にようになった。初めから人のモノなら、大切な存在にはなりえない。寝取りは趣味だったし、寝れば女の口は軽くなるから情報収集にも役立った。
 
 それから、さらに四年。祖母が突然連れてきた十八歳のアンニーナは、何故か亡くなった母親によく似ていた。髪と瞳の色は違う。ラウリの母はもっと造作がはっきりしてわかりやすい銀髪の美女だったが、全体の雰囲気がよく似ている。ラウリのなかの、セピア色の薄れた記憶が一瞬で蘇った。

 ――祖母ちゃん、よく見つけて来たな。
 
 彼の心は、我知らず躍る。この子を嫁にとは確かに言われたが、強要されたわけじゃない。アンニーナが気に入らなければ彼女に金を渡し、別の嫁ぎ先か勤め先を探してやることもできた。そうしなかったのは、ラウリが自らアンニーナを望んで妻にしたからだ。
 
 ハシバミ色の大きな瞳が、小動物みたいで可愛らしかった。茶色のふわふわとした髪は彼女の柔らかい雰囲気にぴったりだ。青白いほどの肌はそのまま彼女の無垢さを表しているようで、だったら一生白いままでいてほしいとすら願った。貴族の娘と聞いたが、特有の我儘や傲慢さは微塵も感じられない。見た目は華奢で、何かの拍子に触れたら柔らかくて、無条件で守ってやりたくなった。
 底なしの水差しが満ちていくようなありえない錯覚。彼女を見ているだけで、ラウリの乾いた心が潤うようだった。アンニーナと家族になるのが、何より嬉しい。小さな体が傷つかないように、ラウリの全身全霊で守って一生大切にしようと誓った。
 
 一方、アンニーナは自分を恐れていた。陽気で人好きのする彼は他人に怯えられた記憶がなく、そんな相手から好意を持ってもらうにはどうしたらいいのか分からなかった。打ち解けたいのにうまくいかず、短気な性格からついぶっきらぼうな態度をとってしまう。それでも、いつかはアンニーナが心を開いてくれるようにと、彼なりに辛抱強く距離を測った。

 そんなに愛おしい彼女を、どうして虐げるようになってしまったのか。
 
 そう、あれは結婚式の席だった。披露宴で緊張しているアンニーナは、なんとも初々しくて可愛かった。祖母が用意した、デコルテを見せない古めかしいデザインのウエディングドレス。隠されれば隠されるほど、細い腰のラインや頼りない肩口が強調されて、ラウリは初夜が待ち遠しかった。
 
 処女を抱いたことはなかった。うんと時間と手間をかけて、ラウリがアンニーナにぞっこんなこと、できれば自分も好きになってほしいと伝えよう。包み込んで抱きしめて、数多の夜を共に過ごそう。彼女との子どもならたくさん欲しい。それを考えると期待に胸が膨らんだ。だが今は、彼女が一刻も早く肩の力を抜けるように、自分が行かないと。
 
 ところが、ラウリが到着する前に、主賓のウーノが彼女に声を掛けた。アンニーナは彼には怯えた態度を見せなかった。相手が王配というのに。それどころか、花が綻ぶような笑顔を浮かべ、リラックスして幸せそうにウーノと話していたのだ。ラウリの心に醜い嫉妬と強い疑惑が芽生えた瞬間だった。

 ――俺には見せたことのない笑顔。俺と結婚するのに、どうしてウーノに笑いかけるんだ? 俺よりウーノといるほうが安らげるのか?
 
 わずかでも生じた猜疑心は、カビのように増殖する。
 アンニーナはラウリではなく、もしかしたらウーノに嫁ぎたかったのではない? 彼女も没落したとはいえ、もともとは貴族だ。貴族の女は貴族の男と結婚したいに決まっている。ラウリは平民だ。お金に不自由させない自信はあるが、舞踏会や王宮には連れて行ってやれない。
 醜い嫉妬がその考えを生み出したと分かっていても、初めての恋に翻弄されるラウリは冷静でいられなかった。危険な思考だと分かっていても、止まらない。亡き母に似ている妻。

 ――母と同じように、主家に奪われて壊される。

 彼女が壊されたら、ラウリの心は跡形もないほど粉々になってしまう。披露宴中、ラウリは明るく振る舞いながらも、心の内はずっと不機嫌だった。その晩、相手が処女だというのに配慮も何もかも忘れた。彼女が自分を捨てていなくなる前に、ウーノたちに壊される前に、いっそ自分で壊してしまいたい。そんな気持ちで抱いてしまって、アンニーナの心と身体を手ひどく傷つけてしまった。せっかく、ラウリの気持を伝える初夜だったのに。

 正気に返ったときにはもう遅かった。大事なものを壊したラウリは自分の心もまた壊してしまった。もう後戻りできない。罪悪感と自己嫌悪が蜘蛛の糸にかかった餌のようにラウリの全身を締め付け、捨て鉢になった彼は、ついにアンニーナにあんな言葉をかけてしまった。

「俺は、おまえ以外の女も抱くから」

 煙草の白い煙越しに見た、絶望に染まった小さな顔は棺の中の母のそれに似ていた。坂を転がる石ころは、途中で止められない。それから彼女を見るたびに、痩せた母の死に顔が浮かぶようになった。ラウリは母に甘えられなかった悲しみと寂しさを克服していなかった。ただ、心の片隅にある古いトランクに手あたり次第に押し込め、鍵を掛けてまた転がしただけだ。あの最低の初夜で、ラウリはその鍵まで壊してしまった。
 
 それからは、もう最悪だ。ラウリはただ似ているというだけの全く関係のないアンニーナを母親代わりにして、傍にいてくれなかった八年間の悲しみと孤独をぶつけ始めたのだ。母への膨大な恨みつらみは、結婚前アンニーナに抱いた純愛や慈しみを見事に押し流してしまった。

 報復したかった。『母親』は子どものためなら自分を犠牲にする。理不尽なことも、当然ラウリのために耐えてほしかった。困らせたかった。何をしてもラウリから離れていかないことを確信したかった。
 だから、敢えて女の快楽を教えなかったのだ。ただただ痛いだけのセックスを強要して、アンニーナの気力体力を削がせた。ラウリはそれを『人形のようだ』と罵った。自分でそう躾けたのもかかわらず。
 その一方で自分は浮気を重ねた。アンニーナを苦しめて、泣かせて、自分のためにどこまで耐えられるか、試したかった。
 
 ――俺、……最低だな。

 相手を傷つけ虐げながら、一方で愛され許されることを望んでいる。幼児のやることなら許されても、いい年の男がやるとただの暴力だ。彼は生まれて初めて自分という存在を殺したいと思った。これでは、母を苦しめ死に至らしめた先代のピエティラ侯爵と何も変わらない。

 ――こんなことに気が付くなら、いっそリーアの夫に殺されてしまえばよかった。

 しかし、ラウリは生き残り、これから自分の犯した罪に向かい合わなければならない。
 
 海底に沈んでいた意識が、一気に浮上する。明るい光が見えやけに騒がしいと目を開けたら「あなた、あなた」を何度も自分を呼ぶアンニーナの泣き顔が目に入った。
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