上 下
35 / 53

第三十五話 「人を壊して回るのが趣味なんだから」

しおりを挟む
 心なしか、自分の呼吸が浅い。脂汗がでて、息苦しい。ラウリは目の前の橙色の液体を注視した。
 
「……喉が渇きました。頂いてもいいですか?」

 ジュリアンは、にっこりと笑う。
 
「君のために用意させた朝食だよ。王都まで長いだろう、サンドイッチも食べなさい。遠慮はいらないよ」
「ありがとうございます」
 
 だが、見た目は最高級のオレンジジュースとサンドイッチは何故か、味がしなかった。液体の冷たさは感じたものの、あとは砂を喉に流し込んでいるようだ。それでも、ラウリは今取り入れたばかりの情報を体内から押し出し消してしまおうと、がむしゃらに食べ物を摂取するしかなかった。本当に消してしまえれば、どんなに良かったか。

 人がその光景を見たらさぞ驚くだろう。大貴族の麗しき当主と、平民の侍従の少年。天と地の地位の差があるにも関わらず、向かい合って食事をしている。そのうえで少年の食事マナーは最低で、当主はそれを愉しそうに見つめていた。

「だから、君が貴族の子弟と同じ教育を受けていることを重く捉えないでほしい。これはわたしたち家族のなのだから」
 
 ジュリアンの清らかな笑顔を目にして、ラウリは急に吐き気を覚える。食べたばかりのモノを戻さなかったのは幸いだ。さすがに無礼が過ぎる。
 金髪の当主が爽やかに去り、ラウリは深く垂れた首をあげるとふらふらと馬車止めに戻る。朝からどっと疲れて、馬車で座れることをこれほどありがたく感じることはなかった。そのとき、丁度ウーノがエントランスから出てくる。白皙の頬に、赤い手形が浮いていた。
 馬車が出るなり、ラウリはいつもの習慣でウーノの頬の具合を確認した。
 
「ひどい顔だな。誰にやられたんだ? ……メイドか?」

 女絡みに違いないと、薬箱から塗り薬を出す。ウーノはたいして落ち込んでおらず、普段と変わらぬ天使の微笑みを浮かべた。
 
「母上だよ。おまえこそ酷い顔色だぞ。兄さんに捕まったんだろ? 気を付けろよ。あの顔で蛇みたいな性格なんだ。どうしてか、人を壊して回るのが趣味なんだから」

 ラウリの背中がぞくっとして、塗り薬を落としそうになる。

 ――俺は、玩具にされたのか。

 妙に腑に落ちた。ジュリアンは暇つぶしの玩具を馬車止めの前で拾って、あの風通しの良い東屋でそれが自分の言葉ひとつで勝手に壊れていくのを愉しんでいたのだ。
 ウーノは言わんこっちゃない、と額に手のひらを押し当てる。
 
「何を言われたか知らないが、全力で忘れろ。代わりに、女の裸でも思い浮かべるんだ」

 女の裸なんか見たことない。ラウリはそう言い返そうとしたが、藪蛇になるのでやめておいた。無言でウーノの頬にクスリを広げ、話題を変える。
 
「おまえは、なんで遅かったんだよ?」

 ウーノは『昨日、猫見た』程度の軽いノリで返してきた。
 
「夜這いされたんだよ。てっきり新入りのメイドだと思ってありがたく頂戴したら、なんと行儀見習いのために家で預かっていた子爵令嬢だったんだ。もう母上がカンカンに怒ってさ、とばっちりもいいところだよ。僕はただ出されたデザートを食べただけなのに」

 ラウリは開いた口がふさがらなかった。どこから突っ込んでいいのか、分からない。だいたい前提が間違っている。メイドは屋敷を綺麗に保つために雇われているわけであり、ドラ息子がありがたく頂戴するために置かれているわけではない。

 ――兄貴が蛇なら、弟はクズだろ。

 豚は近しい血ばかりで繁殖させると、良質の肉が取れなくなるという。この国の貴族は全人口の一パーセントにしか満たないのに貴族同士で結婚することに捉われすぎていて、その異常さに気づいていないと外国人の教授が発言して罷免されたことがあった。今ラウリは身をもって、それに同意する。

 ――先生は正しかった!
 
 ウーノは何を思ったか、ラウリの肩を抱き寄せると、その耳元で囁いてきた。

「ラウリ、お前まだ童貞だろ? 今度、とびっきりのお姉ちゃん紹介してやるよ」
「俺はいいよ」

 ウーノに着いたままの女物の香水が、ラウリの鼻孔を刺激する。香しいけれど、すこし怖かった。
 
「遠慮すんなよ。アーリエっていう、二十五歳の巨乳美女」
「ばっ! それ、養護の先生だろ……っ!?」

 呆れた。夜中に寮を抜けようとするウーノについて行こうとして、何度か断られたことがあった。まさか、学生たちにも人気の高い保健医のもとへ通っていたとは。

 ――俺たち、まだピュアピュアの十四歳のはずだぞ!

 今朝のラウリは立て続けにショックを受けすぎて、瀕死状態だ。もう、祖母と家政婦のマルヤの居る家に帰りたかった。祖母ちゃんの作った激マズプリンが食いたい。

「そうだけど心配するなって。アーリエちゃん、医者だからケアは完璧だし。上に乗るのが好きだから、こっちは何もしなくていいし我を忘れるほど気持ちいいんだぜ。童貞のおまえにぴったりだろ?」

 我を忘れるほど気持ちいいと、どういう気持ちよさなのだろう? ラウリは保健医の包帯を巻く器用な手を思い出して、ぎゅんっと息子が反応した。

「はは。ラウリ、勃ちかけてるぞ」

 耳元でささやかれて、反射的にウーノを突き放した。顔が真っ赤になって、恥ずかしいし悔しくてたまらない。
 
「うっせぇ! 死ね!」
「はは、その反応懐かしいな、僕にもそんな時代があったかな?」
「おまえが早く捨てすぎなんだよ! くっそ! 気持ち悪いな!」
「DT、可愛いな。額縁に収めて飾っておきたいくらいだよ」
「黙れってば。その……そんなにいいなら、どうして俺に紹介するなんて言うんだ?」

 空気の入れ替えのために馬車の窓を開けたラウリを横目に、ウーノは首を傾げる。

「うーん。最近の僕の好みとはちょっと違う感じ? 最近、綺麗よりかわいい子のほうがいいんだよね。ほら、食堂のミーアちゃんみたいな」

 ウーノの新しいターゲットはさておき。
 我を忘れるとは、先ほどのジュリアンから聞いた話も綺麗さっぱり忘れることが出来るのだろうか。ラウリは忘れたくて仕方なかった。現実逃避したかった。覚えていて、なんになるのだ。母は六年も前に死んでしまったのに。
 ラウリは膝の上で両手の拳を握った。
 
「わかった。おまえの言うとおりにするよ」
「やったぁ! 実はアーリエちゃんがおまえに興味を示しててさ。ラウリは学年のなかでも背が高くて顔が良くて目立つだろ? 庶民だけど成績もいいし。よし、善は急げだ。今晩にでもアーリエちゃんのところに連れて行ってやるよ」
「……わかった」
「ちんこ、しっかり洗っていけよ。戻ってきたらお祝いしてやるから」
「うるせぇ!」

 こうしてラウリはウーノの思惑通り、彼専属の『別れさせ屋』の道を歩むこととなったのだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】一緒なら最強★ ~夫に殺された王太子妃は、姿を変えて暗躍します~

竜妃杏
恋愛
王太子妃のオフィーリアは、王太子の子を身に宿して幸せに暮らしていた。 だがある日、聖女リリスに夫を奪われれ、自分に不貞の濡れ衣を着せられて殺されてしまう。 夫とリリスに復讐を誓いながら死んだ……と思ったらなんと翌朝、義弟リチャードの婚約者・シャーロットになって目が覚めた! 入り込んでしまったシャーロットの記憶を頼りに、オフィーリアは奔走する。 義弟リチャードを助けるため、そして憎き二人に復讐するため、オフィーリアが周囲の人々を巻き込んで奮闘する物語です。 ※前半はシリアス展開で残虐なシーンが出てきます。 後半はギャグテイストを含みます。 R15はその保険です。苦手な方はお気をつけて下さい。

【R-18】記憶喪失な新妻は国王陛下の寵愛を乞う【挿絵付】

臣桜
恋愛
ウィドリントン王国の姫モニカは、隣国ヴィンセントの王子であり幼馴染みのクライヴに輿入れする途中、謎の刺客により襲われてしまった。一命は取り留めたものの、モニカはクライヴを愛した記憶のみ忘れてしまった。モニカと侍女はヴィンセントに無事受け入れられたが、クライヴの父の余命が心配なため急いで結婚式を挙げる事となる。記憶がないままモニカの新婚生活が始まり、彼女の不安を取り除こうとクライヴも優しく接する。だがある事がきっかけでモニカは頭痛を訴えるようになり、封じられていた記憶は襲撃者の正体を握っていた。 ※全体的にふんわりしたお話です。 ※ムーンライトノベルズさまにも投稿しています。 ※表紙はニジジャーニーで生成しました ※挿絵は自作ですが、後日削除します

【完結】【R18】素敵な騎士団長に「いいか?」と聞かれたので、「ダメ」と言ってみました

にじくす まさしよ
恋愛
R18です。 ベッドでそう言われた時の、こんなシチュエーション。 初回いきなりR18弱?から入ります。性的描写は、普段よりも大人向けです。 一時間ごとに0時10分からと、昼間は更新とばして夕方から再開。ラストは21時10分です。 1話の文字数を2000文字以内で作ってみたくて毎日1話にしようかと悩みつつ、宣言通り1日で終わらせてみます。 12月24日、突然現れたサンタクロースに差し出されたガチャから出たカプセルから出て来た、シリーズ二作目のヒロインが開発したとあるアイテムを使用する番外編です。 キャラクターは、前作までのどこかに登場している人物です。タイトルでおわかりの方もおられると思います。 登場人物紹介はある程度話が進めば最初のページにあげます イケメン、とっても素敵な逞しいスパダリあれこれ大きい寡黙な強引騎士団長さまのいちゃらぶです。 サンタ×ガチャをご存じの方は、シンディ&乙女ヨウルプッキ(ヨークトール殿下)やエミリア&ヘタレ泣き虫ダニエウ殿下たちを懐かしく思っていただけると嬉しいです。 前作読まなくてもあまり差し障りはありません。 ざまあなし。 折角の正月ですので明るくロマンチックに幸せに。 NTRなし。近親なし。 完全な獣化なし。だってハムチュターンだもの、すじにくまさよし。 単なる獣人男女のいちゃいちゃです。ちょっとだけ、そう、ほんのちょっぴり拗れているだけです。 コメディ要素は隠し味程度にあり 体格差 タグをご覧下さい。今回はサブタイトルに※など一切おきません。予告なくいちゃいちゃします。 明けましておめでとうございます。 正月なのに、まさかのクリスマスイブです。 文字数→今回は誤字脱字以外一切さわりませんので下書きより増やしません(今年の抱負と課題)

〈短編版〉騎士団長との淫らな秘め事~箱入り王女は性的に目覚めてしまった~

二階堂まや
恋愛
王国の第三王女ルイーセは、女きょうだいばかりの環境で育ったせいで男が苦手であった。そんな彼女は王立騎士団長のウェンデと結婚するが、逞しく威風堂々とした風貌の彼ともどう接したら良いか分からず、遠慮のある関係が続いていた。 そんなある日、ルイーセは森に散歩に行き、ウェンデが放尿している姿を偶然目撃してしまう。そしてそれは、彼女にとって性の目覚めのきっかけとなってしまったのだった。 +性的に目覚めたヒロインを器の大きい旦那様(騎士団長)が全面協力して最終的にらぶえっちするというエロに振り切った作品なので、気軽にお楽しみいただければと思います。

【R18】9番目の捨て駒姫

mokumoku
恋愛
「私、大国の王に求婚されたのよ」ある時廊下で会った第4王女の姉が私にそう言った。 それなのに、今私は父である王の命令でその大国の王の前に立っている。 「姉が直前に逃亡いたしましたので…代わりに私がこちらに来た次第でございます…」 私は学がないからよくわからないけれど姉の身代わりである私はきっと大国の王の怒りに触れて殺されるだろう。 元々私はそう言うときの為にいる捨て駒なの仕方がないわ。私は殺戮王と呼ばれる程残忍なこの大国の王に腕を捻り上げられながらそうぼんやりと考えた。 と人生を諦めていた王女が溺愛されて幸せになる話。元サヤハッピーエンドです♡ (元サヤ=新しいヒーローが出てこないという意味合いで使用しています)

皇帝陛下は皇妃を可愛がる~俺の可愛いお嫁さん、今日もいっぱい乱れてね?~

一ノ瀬 彩音
恋愛
ある国の皇帝である主人公は、とある理由から妻となったヒロインに毎日のように夜伽を命じる。 だが、彼女は恥ずかしいのか、いつも顔を真っ赤にして拒むのだ。 そんなある日、彼女はついに自分から求めるようになるのだが……。 ※この物語はフィクションです。 R18作品ですので性描写など苦手なお方や未成年のお方はご遠慮下さい。

愛されていないけれど結婚しました。~身籠るまでの蜜月契約~

りつ
恋愛
 シンシアの婚約者、ロバートは別の女性――自分よりも綺麗で、要領がいい子を愛している。彼女とは正反対の自分と結婚しなければならない彼に申し訳なく思うシンシアは跡継ぎを産んで早く解放してあげたいと思っていたけれど……

侯爵夫人の甘やかな降伏

尾崎ふみ緒
恋愛
サマセット侯爵エドワード・タウンゼントを伯父に持つジェレミーは、伯父の右腕として公務を支える日々だった。そして、侯爵とは親子ほども歳の違う伯父の侯爵夫人ヘレンとは兄妹のように親密な関係でもあった。 だが、ジェレミーには仲が良い彼らにも決して言えない秘密があった。 それは、ヘレンへの恋心。 自分の思いを押し殺し、彼らのために生きる日々だったが、ジェレミーの思いは突如として暴発してしまう……。

処理中です...