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第十一話 「妻をよろしくって言われたわよ」
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アンニーナに街を案内してくれるラウリの部下は、スティーナ・マイキオという若い女性だった。伯爵の私兵団に属していると紹介された。
女性は長い髪が主流のこの国で、黒いボブカットが斬新なのだ。ブラウンの瞳は猫の目のように人を引き付ける。男性と同じような軍服を着ているが、ぴったりとした厚手の生地が肩の細い丸みや大きめのバスト、引き締まったウエストを否応もなく強調させている。市場で働くリーアとはまた違ったかっこいい美女だ。
アンニーナは、王都から持ってきた紅茶とクッキーを振る舞った。
「今朝、パヤソン補佐官と話してきたわ。妻をよろしくって言われたわよ。アンニーナさん、大事にされているわね」
スティーナに思わぬことを言われて、アンニーナは混乱する。王都では不倫され三昧で、大事にされている自覚はもちろんない。だが、伯爵領では普通の夫婦みたいに過ごせるんじゃないかと、希望的観測で期待してしまう。何故なら、昨晩のラウリは優しかった。いつもはやることはやっても、いざ寝るときになると距離をとられる。なのに、アンニーナを気遣ってぎゅっと抱きしめて寝てくれたのだ。
「あら、いい香り。さすがは王都のものは違うわね。ところで、このあたりで家政婦を雇う家は珍しくて、なかなか見つからないの。そっちはもうちょっと待ってもらえる?」
スティーナの言葉に、我に返る。彼女の単刀直入な物言いが、アンニーナは好ましく感じられた。
――この人とは、仲良くなれそう。
ホッとした彼女は、緩やかに首を振る。目の前のカップからゆっくりと湯気が立ちのぼっていた。
「わたし一人なら、家政婦さんは必要ないです。主人は、わたしにやらせるのが嫌かもしれないんですけれど。当面は調理道具と掃除道具を揃えれば大丈夫です。お手間をかけてすみません。市場は近いですか?」
スティーナは、左腰のサーベルの柄を触りながら首を傾げた。
「あら? アンニーナさんは貴族のお嬢様じゃなかったの? パヤソン補佐官とは国から特別に許可してもらった貴賤結婚って聞いたけれど」
「貴族のお嬢様だなんて。結婚が許されたのは夫が王配殿下の乳兄弟なので、話が通りやすかったんです。それも父の代で貴族位を返上することが条件なので、わたしは完全に平民なんです」
父はその見返りに、ラウリに借金を肩代わりしてもらった。アンニーナはそれ以来、父とは会っていない。
「あら、そうなの?」
「むしろ、うちは父が働かなかったから普通の平民より貧しかったです。わたし、これでも料理や掃除は得意なんです」
「なんだか、パヤソン補佐官に聞いていたのとは違うわね」
スティーナの小さな呟きが、胸に刺さる。おそらく、ラウリの中ではアンニーナはいまだに誰かに世話をされずには生きていけない女なのだろう。
――あの人は、わたしを知ろうともしないから。
スティーナはおもむろに部屋のなかを見回した。
「ところで、この殺風景な部屋で生活するつもりなの? 冬は何日も巣ごもりになるのに、圧倒的に色が足りないわ。これじゃあ牢獄も一緒よ」
ずいぶんな言われようだが、アンニーナもそう思っていたので何も言えない。だが、ここにはどれだけ滞在するか何も聞いていない。それがはっきりするまで、家具や道具が無駄にならないように最低限の生活を送るつもりだった。おそらく、ラウリは王都にいたときと同様、家には寝に帰るだけの筈だから。
下を向いたアンニーナに、スティーナが声をかける。
「じゃあ、日中家にいるアンニーナさんのしたいように模様替えしたらどうかしら? 気分も晴れるわよ」
「でも、主人が気に入らなかったら?」
「ノンノン、問題ないわよ。あなたはこの家の主なのよ」
この家の主。前の屋敷では借りてきた猫のように身の置き場がなかったので、あまりにも贅沢な響きだった。
――わたしのための空間。
その響きにドキドキする。アンニーナは胸の前でぐっと両手を握った。
「アンニーナさん、お裁縫は得意?」
「一通りのことはできます」
お針子の仕事はそれなりに技術がいるので、家事の手伝いより効率的に稼ぐことが出来た。
「それは心強いわね。だったら、最初は家具を見て、次に生地屋に行きましょう」
「はい。お願いします」
実を言うと、今朝ラウリから嘘みたいな大金を預かった。夫は太っ腹だと周囲から聞いていたものの、その額を見てアンニーナはびっくりしたのだ。断りまくって最後は夫に面倒くさそうに押し付けられたが、あのお金をこれから使うと考えるとワクワクして仕方ない。
――これは無駄遣いじゃなくて、必要な買い物なんだから。
女性は長い髪が主流のこの国で、黒いボブカットが斬新なのだ。ブラウンの瞳は猫の目のように人を引き付ける。男性と同じような軍服を着ているが、ぴったりとした厚手の生地が肩の細い丸みや大きめのバスト、引き締まったウエストを否応もなく強調させている。市場で働くリーアとはまた違ったかっこいい美女だ。
アンニーナは、王都から持ってきた紅茶とクッキーを振る舞った。
「今朝、パヤソン補佐官と話してきたわ。妻をよろしくって言われたわよ。アンニーナさん、大事にされているわね」
スティーナに思わぬことを言われて、アンニーナは混乱する。王都では不倫され三昧で、大事にされている自覚はもちろんない。だが、伯爵領では普通の夫婦みたいに過ごせるんじゃないかと、希望的観測で期待してしまう。何故なら、昨晩のラウリは優しかった。いつもはやることはやっても、いざ寝るときになると距離をとられる。なのに、アンニーナを気遣ってぎゅっと抱きしめて寝てくれたのだ。
「あら、いい香り。さすがは王都のものは違うわね。ところで、このあたりで家政婦を雇う家は珍しくて、なかなか見つからないの。そっちはもうちょっと待ってもらえる?」
スティーナの言葉に、我に返る。彼女の単刀直入な物言いが、アンニーナは好ましく感じられた。
――この人とは、仲良くなれそう。
ホッとした彼女は、緩やかに首を振る。目の前のカップからゆっくりと湯気が立ちのぼっていた。
「わたし一人なら、家政婦さんは必要ないです。主人は、わたしにやらせるのが嫌かもしれないんですけれど。当面は調理道具と掃除道具を揃えれば大丈夫です。お手間をかけてすみません。市場は近いですか?」
スティーナは、左腰のサーベルの柄を触りながら首を傾げた。
「あら? アンニーナさんは貴族のお嬢様じゃなかったの? パヤソン補佐官とは国から特別に許可してもらった貴賤結婚って聞いたけれど」
「貴族のお嬢様だなんて。結婚が許されたのは夫が王配殿下の乳兄弟なので、話が通りやすかったんです。それも父の代で貴族位を返上することが条件なので、わたしは完全に平民なんです」
父はその見返りに、ラウリに借金を肩代わりしてもらった。アンニーナはそれ以来、父とは会っていない。
「あら、そうなの?」
「むしろ、うちは父が働かなかったから普通の平民より貧しかったです。わたし、これでも料理や掃除は得意なんです」
「なんだか、パヤソン補佐官に聞いていたのとは違うわね」
スティーナの小さな呟きが、胸に刺さる。おそらく、ラウリの中ではアンニーナはいまだに誰かに世話をされずには生きていけない女なのだろう。
――あの人は、わたしを知ろうともしないから。
スティーナはおもむろに部屋のなかを見回した。
「ところで、この殺風景な部屋で生活するつもりなの? 冬は何日も巣ごもりになるのに、圧倒的に色が足りないわ。これじゃあ牢獄も一緒よ」
ずいぶんな言われようだが、アンニーナもそう思っていたので何も言えない。だが、ここにはどれだけ滞在するか何も聞いていない。それがはっきりするまで、家具や道具が無駄にならないように最低限の生活を送るつもりだった。おそらく、ラウリは王都にいたときと同様、家には寝に帰るだけの筈だから。
下を向いたアンニーナに、スティーナが声をかける。
「じゃあ、日中家にいるアンニーナさんのしたいように模様替えしたらどうかしら? 気分も晴れるわよ」
「でも、主人が気に入らなかったら?」
「ノンノン、問題ないわよ。あなたはこの家の主なのよ」
この家の主。前の屋敷では借りてきた猫のように身の置き場がなかったので、あまりにも贅沢な響きだった。
――わたしのための空間。
その響きにドキドキする。アンニーナは胸の前でぐっと両手を握った。
「アンニーナさん、お裁縫は得意?」
「一通りのことはできます」
お針子の仕事はそれなりに技術がいるので、家事の手伝いより効率的に稼ぐことが出来た。
「それは心強いわね。だったら、最初は家具を見て、次に生地屋に行きましょう」
「はい。お願いします」
実を言うと、今朝ラウリから嘘みたいな大金を預かった。夫は太っ腹だと周囲から聞いていたものの、その額を見てアンニーナはびっくりしたのだ。断りまくって最後は夫に面倒くさそうに押し付けられたが、あのお金をこれから使うと考えるとワクワクして仕方ない。
――これは無駄遣いじゃなくて、必要な買い物なんだから。
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