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1.ディードリンデ※

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「絶対にディーお姉ちゃんを迎えに来るから。それまで村の誰とも結婚しないで」
「もちろんよ、ずっとイーヴォのこと待ってる。だから、泣かないで」
 
 ディートリンデは、傍目も気にせず泣きじゃくる少年を抱き締める。小柄で手足が細くてふわふわの金髪と碧い大きな瞳で、女の子のように可愛いイーヴォ。彼女より背が低くて、つむじまで愛しい。
 村で産まれた子どものほとんどは、生涯を村で過ごす。幼いころから親と共に農作業に励み、長じては同じ村かあるいは近隣の村から連れ合いを見つける。だが、イーヴォはその土地の領主に賢さを認められ、特別に街の学校に入学することが決まっていた。

「約束だからね、ディーお姉ちゃん。僕以外の男とえっちしないで!」

  領主の遣いや村の大人たちが一様にむせ、ディートリンデの顔から湯気が出そうなほど熱くなる。しがみついていた細い肩を、両手で引き離した。

「イーヴォ!」

 怒ったところで反省したためしがない年下の幼馴染は、頬を膨らませてまだまだ言い足りないという顔をする。
 
「絶対の絶対だからねっ、 キスもダメだから!」
「変なこと言ってないで早く行きなさいよ、お待たせしてるじゃないのっ!」
「だってっ! ディー姉ちゃん、美人なのに人が良すぎるから僕は心配なんだよ!」
「もうっ!」

 ディードリンデは居たたまれなくて、両手で顔を隠した。これ以上イーヴォの口を開かせてはいけない。大人たちに断って、少年の腕を掴んで木陰まで引っ張っていく。

「どうしたの、ディー姉ちゃん」

 問いかけたイーヴォの頬を挟んで、焦点を合わせた。初めてだから、うまく出来るか分からない。

「お姉ちゃん……?」
「黙っていて」

 驚く少年の綺麗な瞳が間近に迫る。柔らかい唇に一瞬だけ自分のそれを重ねた。
 
「ほら、これでいいでしょ?」

 かなり恥ずかしいけれど、こうでもしないとイーヴォはいつまでも出発しない。ディートリンデは首まで熱くしながら、唇を拭った。
 イーヴォはしばらく固まっていたものの、次第に顔をうっとりと緩ませ紅潮させる。そして、両手を上げて飛び上がった。

「やったぁっ! 僕、お姉ちゃんとキスした!」
「やだっ、言わないでよ……っ!」
「ディーお姉ちゃん、約束だよ! ぼくが帰ってきたら結婚だからね!」
 
 少年は元気よく馬車に乗る。ディートリンデは、周りの生ぬるい視線が居たたまれなかった。
 
「いってらっしゃい、元気でね」

 イーヴォは、名残惜しそうに窓の向こうから彼女を見つめている。ディートリンデも一人、馬車が見えなくなるまでその場に立ち尽くしていた。
 
 イーヴォが、この村に帰ってくることはないだろう。あの子は賢いだけではない。素直で明るくて、誰からも愛される。要領が良くて、手先も器用だ。そのうえ、ハッとするほど綺麗な顔立ちで、今は女の子みたいだけど成長すればハンサムな青年となるに違いない。街で出世して恋人が出来れば、村の女の子のことなど忘れてしまう。
 それを想像するだけで胸が痛くなる。
 
 ――それでも。

「あなたが迎えに来てくれるのを、わたしはずっと待っているわ」

 見上げた空は雲一つない抜けるような水色で、キラキラと光り輝いていた。

 *
 
 将軍ベルメッキオが国境付近で隣国からの侵攻をせき止め、勝利を掴んだ。中でも参謀であるアルムスター少佐の立てた戦術が功を奏し、多勢に無勢のなか敵に大打撃を食らわせることに成功する。捕らえた敵将が王の秘蔵っ子の第三王子とあって、莫大な身代金が手に入った。戦争をして損をするどころか儲かったのだ。おかげで、国中がお祭り騒ぎだ。
 だが、村はずれの林まで呼び出されたディートリンデは、今日の曇り空のような暗澹たる気分だった。

「ぐ……っ!」

 彼女は、その一突きに身体を崩しそうになる。太い幹にしがみついて、どうにか耐えた。トーマスの腰の動きはいつも乱暴だ。前戯もろくに施さぬまま、後ろから挿入されることがほとんどで、その都度引き裂かれるような痛みに襲われる。

なかに出さないで。後の処理が大変なんだから」
「うっせぇ。わかってら」

 ディートリンデは、労りのない言葉にイライラした。独りよがりな突きに苛まれながら、唇を噛みしめる。
 
「わたしが妊娠したら、間違いなくあんたの子よ。ちゃんとわたしの面倒を見られるっていうなら、好きに出したら……ぐふっ」

 トーマスは突然、彼女の顔を幹に押し付けた。ごつごつとした木肌に額が擦られ、痛くてたまらない。

「静かにしろよ、小うるさい女だな」
「痛い……っ、放してよ……っ」
「くそ……っ!」

 トーマスは彼女の柔肉に痕が付くほど握り込んで、勢いよく引き抜く。青臭いにおいが立ち込めると同時に、むき出しの尻へ生ぬるい白濁液がかけられる。ディートリンデは懸命に吐き気をこらえた。

「これからは呼んだらすぐ来いよ。おまえの身なんか、どうにでもなるんだぞ」
「言われなくても、わかっているわよ」
 
 彼女はスカートを下ろすと、その場を後にする。下半身は言うまでもなく、額はひりひりするし髪も乱れているが、今はここを離れることしか頭にない。ズボンを上げる男を振り向きもせずに家路を急いだ。トーマスが背後で何か言ってるが聞きたくない。
 家の浴場に駆け込むなりスカートをたくし上げ、甕から掬った水を陰部にかけた。秋が深まると真水も冷たいが、しのごの言っていられないのだ。タイル地の浴場にペタンと座り込んでしばらくたったころだろうか、ようやく吐き気が収まってくる。今朝から何も食べていないので吐くものはないはずだが。
 タイルに両手をついて肩を大きく上下させると、家の外で若い女性たちの声が聞こえてきた。

「ねぇ、イーヴォが八年ぶりに帰ってきたって! 出征してお国から報奨金をもらったらしいよ」
「戦争で大活躍したアルムスター少佐という人がもともと庶民で、貴族じゃなくても出世する道が開けたってね。イーヴォも、実は出世してるかもよ」
「さっき見たけれど、めちゃくちゃかっこよくなっていたよ。あなた、まだいい人いないでしょ? イーヴォのお嫁さんに立候補したら?」
「やだ……けしかけないで。本気になっちゃうじゃないの」
「彼のお嫁さんになったら、街で贅沢に暮らせるわ。こんな田舎で百姓しなくてもいいのよ」
 
 まんざらでもない少女たちの声が、ディートリンデの耳を打つ。

 ――イーヴォが、帰ってきている?
 
 思わぬ衝撃に、彼女の呼吸は今にも止まりそうになった。
 そのとき、少女たちの一人が何かに気が付いたのか、突然声を上げる。
 
「いやだ、ここ淫売女の家よ。早く通り過ぎましょう。分かっていたら別の道を通ったのに」
「トーマスに身体を売って援助してもらっているんでしょ? やだ、汚い。きっとろくな死に方しないわよ」
「ちょっと綺麗だからってお高く留まっちゃって。充分行き遅れなのに。きっと、トーマスの妻の座を狙っているんだわ。ほんと最低」
 
 あからさまな悪口に、ディートリンデは歯を食いしばって嗚咽をこらえる。トーマスの慰み者へなるために独身を通したわけではないけれど、結果的にそうなってしまった。村長の息子なんて、全然好きじゃない。粗暴で人を殴ることしか知らなくて、威張り腐っている。そんな男の妻の座を狙っていると揶揄られて、悔しくてたまらないのに表へ出て言い返すことも出来なかった。

 トーマスは、二つ向こうの村の村長の娘との結婚が決まっている。なのに、ディートリンデの亡き父親の借金のカタに彼女の処女を奪い、それ以来ちょくちょく押しかけては先ほどのような暴挙に及ぶ。
 ディートリンデは、べたべたに濡れたスカートの裾に視線を落とした。
 
「イーヴォ……」

 自分の震える肩を抱く。どうしようと訳も分からぬ混乱に陥った。せっかく彼が八年ぶりに帰ってきたのに、合わせる顔がない。こんな自分を見せたくない。自分の薄汚れた噂話をイーヴォに聞かれたくない。あの天使のように可愛らしい顔が、嫌悪に歪むところを見たくない。

 ――どうすればいいの?

 ディートリンデは、冷たいタイルの壁に頭を傾ける。こうすれば、頭が冴えるような気がした。
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