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第36話 俺は菜乃を大好きだよ

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 Vtuber事務所へのり込んできたカレンは、橘さんをそそのかして俺と菜乃の関係を引き裂こうとしてきた。
 だが、協力関係になった事務所のトップV、歌劇アンナを演じる宝塚さんの力を借りて、カレンを帰らすことに成功した。

 その後に栗原専務へ騒動を報告したが、橘さんは事務所内で結論が出るまで活動自粛になった。

「中村さん、ホントありがとう。マジ助かりました」
「まずは家で休んで。あと、事務所から連絡が来るまで、外出しない方がいいですよ?」

 憔悴しょうすいしきった橘さんは、応接室から出るとすぐに俺へ頭を下げた。
 近いうちにお礼をしたいと、顔を赤らめて言われたが丁重に断る。 
 彼女は帰り際、数回振り返ってお礼を言っていた。

 感謝には理由がある。
 実は栗原専務への説明で、俺が橘さんをかなりフォローした。
 なぜなら、彼女もカレンの被害者だと思えたから。
 橘さんの素行は元から悪かったらしいが、カレンがそそのかしたのは間違いない。
 そして今後、俺もどうなるか分からない。
 カレンがVtuberの身バレに関与すれば、関係者の俺も何らかの責任を取らねばならないからだ。

 俺にとってカレンは幼馴染みだ。
 17年間身近で過ごした、幼馴染みとしての絆と彼女との思い出がある。
 だから俺は、愛とか恋とか関係なく、今でもカレンを完全な他人として扱えないでいる。
 だが、カレンの迷惑行為がこのまま続くなら、ハッキリと拒絶を突き付けなくてはと、彼女との高2までの思い出もすべて捨て去るしかないと、そう思った。

 騒動報告の後にみんなで打ち合わせをしたが、菜乃は終始元気がなかった。
 いざ帰る段になって彼女が不安を口にする。

「帰り道に美崎さんがいるかも……」

 すると、宝塚さんが俺の肩をたたく。

「中村さんは姫川さんと同じ学校なんですよね? 気心が知れてるなら送ってあげては?」

 菜乃をフォローしろと背中を押された。

「ええ。今日は遅いし、彼女を家まで送ります」
「でも、途中で変な寄り道はしちゃだめですよ?」

 今度は物理的に背中をトンと押された。
 俺たちは笑いながら事務所を後にする。

 事務所を出てからはふたりして無言になった。
 気遣って話しかけはしたが、会話は弾まなかった。
 そのまま、菜乃の家の最寄り駅に到着する。

「まだちょっと、帰りたくないよ……」

 それまで静かだった彼女が駅から出たところで、俺の制服のそでをつまんだ。
 その言葉に一瞬どきっとしたが、彼女の落ち込んだ顔を見て自分の考えを恥じる。

「どっかで話そうか」
「……うん」

 夜8時を過ぎなので、あの喫茶店は開いていない。
 ふたりとも制服姿なので居酒屋に入ることもできず、カラオケボックスに入る。
 ここなら何を話しても誰にも聞かれない。

「何か食べようか?」
「私、あまりお腹空いてないかな」

 俺の腹は空いていたが、落ち込む菜乃の前でガツガツ食う気にもなれない。
 結局、ふたりともコーヒーを頼んだ。

 俺たちは歌いもせず、ソファに並んで座ったままでいた。
 少しして、うつむいていた菜乃が顔を上げる。

「私、悔しい」

 彼女の瞳が涙で潤んでいた。
 俺はてっきり、カレンの無茶苦茶にショックを受けたのかと思っていた。

「私、Vtuberとして全然なの。みんなと比べて全然で……」
「菜乃はこれからだよ。大丈夫、今だってファンが増えてる最中なんだから!」

 ファン急増中だと伝えた。
 実際、菜乃のお気に入り登録者はものすごい勢いで増えている。
 俺と会ったときは3.2万人だったが、今は16万人を超えている。
 確実に人気Vtuberへ近づいている。
 だが菜乃は首を横に振った。

「もっと活躍したい。健太になんでも私に任せてって言いたい。瑠理ちゃんは凄いし、宝塚さんも頼れるし。なのに私は、あの橘さんにも敵わない」
「菜乃……」

「悔しい。健太、私、悔しいよ……」
「いや……それは俺もだよ」

「え?」
「俺だって自慢の彼女を守りたい! 俺に任せろって言いたい。でもまだヘボで頼りにならないから」

「健太は凄いよ?」
「ど、どこが⁉」

「どんなトラブルでも平然としてるし、切り抜けちゃうし」
「いや、そういうのだけは何とかできるけど」

「そんなの普通はできないの! だってあの栗原専務や宝塚さんが、健太を頼りにするのよ?」
「配信事故をしのいだら評価されただけだから」

「それにカッコイイから、瑠理ちゃんだって真利ちゃんだって健太を狙ってるし」
「る、瑠理はただの友達だって! それに真利が俺を狙うとかないだろ? 従妹いとこなだけだし」

「ただの従妹いとこが、キスしてもいいよ、なんて言う訳ないでしょ!」
「あれは真利が勘違いして……あ、そうか。勘違いでもキスに同意したのはそういうことか……」

「鈍感! にぶちん! そんなの女の子を傷つけるだけだよっ! 健太のバカ! やってることがカルロスの設定と変わらないじゃない!」
「あのなあ、菜乃。一体何を言いた……」

 早口でまくし立てる彼女の真意を計りかねて、問いただそうとしたが、やめた。
 菜乃の瞳から涙が零れたから。

「あ、あれ。私、健太に文句言いながら、何で泣いてるの?」

 自分の涙の理由に戸惑った彼女は、そのままぽろぽろと涙を流した。

 俺は彼女を横から抱きしめた。
 両手で菜乃のことを包む。

 菜乃は俺の腕の中で大人しくしていた。
 俺の胸に頬を当てていたが、ぼそりとつぶやく。

「……全然足らない」
「え?」

「これじゃヤダよ!」
「あ、ごめん。嫌だった!?」

 慌てて包んだ両腕を離すと、菜乃は「あっ」と声を出してから俺を見上げる。
 彼女は泣き顔のまま、俺の目をじっと見つめた。

「健太はこういうとき、女の子がどうされたいか分からないの?」
「え、えと、ごめん……」

「初配信の放送事故でも乗り切っちゃうのに?」
「トラブルとは勝手が違くて……」

「私はね、健太が好きなんだよ。言ったよね?」
「そう言ってくれたね」

「女の子はね、好きな人から愛をささやかれると、それだけで元気になれるんだよ?」

 菜乃は泣き顔で不満そうにしている。

 あ、そうか!
 これは俺が悪かった。
 好きな子にこんなことを言わせてしまった。
 俺は何も分かってなかった。
 隣にはいつも幼馴染みのカレンがいて、他の女性と過ごしたことがなかった。
 カレンはくちごたえを許さず、俺はいつもただ言いなりになるだけだった。
 でも違うんだ。
 好き同士って違うんだ。
 恋人って、互いの気持ちを伝えあう存在なんだ。
 俺は菜乃に好きだってこと、ちゃんと伝えてない。

 横に座る彼女の肩に触れて、こちらに向かせる。

「菜乃っ!」
「う、うん!」

 俺は自分のひざを揃えて、太ももを2回叩いた。
 菜乃がキョトンとする。

「こっちにおいで」
「え?」

「俺がひざまくらをしてあげるから」

 菜乃は意味が分かって顔を真っ赤にすると、そのままコテンと体を横に倒した。
 俺の太ももに彼女の頭がのっかった。
 菜乃は身体を横向きにして、恥ずかしそうに向こう側を見ている。
 横向きの彼女の頭を撫でてあげる。
 ツヤツヤして綺麗な栗色の髪。

「菜乃は頑張ってるよ」
「ホント?」

「ああ、もちろん」
「私、ダメな子じゃないの?」

「ダメ? そんなことない。菜乃は素敵だよ」
「どれくらい?」

 彼女は寝返りを打つように、コロンと身体を回して、こちら側へ横向きになった。
 涙は止まっていて、頬に濡れた跡が光っている。
 でもさっきまでの悲しそうな顔ではなくて、恥ずかしそうに頬を染めて、期待した表情で俺を見ていた。

 お、俺のひざの上に天使がいる……。
 やばいくらいの可愛いさだ。
 そ、それにめちゃくちゃいい匂いがする。
 めまいがするほど甘い香りで脳がとけそうだ。

「誰よりも素敵だと思う」
「信じられないよ」

「なんで?」
「だってまだ健太の気持ち、聞いてないもん」

 菜乃が小さく口を尖らせる。

 そうか、俺、ちゃんと気持ちを伝えてないんだ。
 俺はもうとっくに菜乃のことを好きなのに、彼女の告白に応えてなかったんだ。
 校舎裏で菜乃に告白されてから、もうずいぶん日数が過ぎた。
 告白されて、家へ遊びに行って、秋葉原でデートして、俺の家へ来てもらって、会議室でキスまでして。
 それなのに俺は、自分の気持ちを伝えていない。
 あまりに酷すぎた。

「ごめんな、菜乃。俺、不誠実だった」
「ホント、不誠実だよ?」

 責める言葉とは裏腹に猫みたいに甘えた声。

 菜乃はまたも身体を回すと、仰向けになった。
 仰向けになったせいで首の角度が急になり、上目遣いになっている。

「あのね、ひざが高くて首が苦しいの。首の下から手を入れて支えて欲しいな」

 可愛くお願いされた。
 言われるがままに、手首を彼女の首の下に入れて支える。
 華奢で細い首。
 彼女の体温が手の平を通して伝わる。
 俺は下を向いて、ひざの上の菜乃を見つめた。
 彼女の首下に手を入れて前かがみなため、菜乃の顔が近い。
 彼女は瞳を輝かせて俺の言葉を待っている。

「菜乃」
「うん」

「俺は菜乃が好きだ」
「嬉しい。とっても。でもどのくらい?」

「大好きだよ」
「うーん。そのぐらいじゃ、私の方が好きかもよ?」

「いや、たぶん菜乃が俺を好きなよりもずっとだ」
「じゃあ、好きをちゃんと伝えてくれたら、とっておきのご褒美あげるね」

「ちゃんと? ちゃんとってどうすれば……」
「また? それくらい自分で考えなさい!」

 少し呆れた様子の菜乃は、また口を尖らすとそれから笑った。

「もう! しょうがないなぁ」

 言葉とは反対でとても嬉しそうに返事した後、彼女はそのまま目をつむった。
 女性が男性の前で目を閉じる。
 それは待っているから。

 俺は身体を曲げて、ひざの上のお姫様に優しく口づけをする。
 彼女はただ、されるがまま。
 大人しく俺に唇を奪われていた。
 超可愛い菜乃とゼロ距離。
 柔らかな唇と、甘い香りが俺の脳を刺激する。

 おおお、女の子の首すじの感触が手に!
 菜乃の唇、柔らかくて最っ高ぉぉだ!!
 距離近すぎて、甘くていい匂いが凄いする!
 や、やばい、俺の意識、飛びそう!

 たっぷり長い時間をかけたキスを終えると、菜乃がぱっちりと目を開けた。

「うん! 満たされたっ」
「俺も!」

 すると菜乃は俺のひざに頭をのせたまま、口角を上げてニマッと笑った。

「じゃあ、ご褒美をあげなきゃね!」
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