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第壱章  ――霊峰

霊峰と、そして……

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 ――――

 この世界の遥か彼方の、異境の地。
 大昔、既に忘れられた古き伝承により、地上で現世と冥界が繋がる場所とされる、霊峰ハイテルペスト。
 山は常に雲に覆われ、全ての生ける者を拒絶するかのような激しい吹雪と、鋭く切り立った岩壁…………、それに人が挑む事は即ち、死を意味していた。
 しかし、山の急勾配の雪道を登り、遥か山頂を目指す、一人の青年がいた。
 吹き荒れる吹雪を厚手のマントで防ぎ、青年は吹雪に挑むように前進する。
 風でたなびくマントから伺える体格は、やや細身ではあるが逞しい。そして、彼が歩くたびに腰辺りから金属が当たる、カチャカチャとした音がする。
 僅かに厚い雲から日の光が差すと、彼の首元がキラリと光る。その首には、金属製のネックレスか何かを、付けているのだろう。



 彼は吹雪の中を、歩き、進む。
 途中、息苦しくなったのか彼はフードを外し、顔を露わにする。
 中から現れた顔は、とても整い、気高さを思わせる顔立ちをしていた。かつては、高貴な家庭で育ち、甘い顔立ちの美男子であったのかもしれない。
 だが、今では鋭い目つきに険しい顔立ち、そして幾つもの傷跡が顔に刻まれている。おそらく傷は顔だけでなく、マントで隠れた身体にも無数にあるのだろう。


 かつての青年がどんな人間であるかは、推察の域を出ない。しかし、何かが青年をここまで大きく変容させてしまったのは明らかだ。
 それはここまでの長く過酷な旅によってか、長い歳月のせいか、もしくは――もっと、別の理由からか。
 吹雪によって先が見えない中、行く先を指し示す石畳の道を、一つ一つ確かめながら進んで行く。


 いつ誰がそれを用意したのかは知らないが、不自然に円形な灰色の石畳は、雪によって覆われる事はなかった。だが、石畳同士の間隔は大きく、注意深く進まなければすぐに見失う程だ。
 この道が指し示すものは、青年の願い、彼が長年をかけた旅の終着点であった。
 青年は家も家族も、これまでの生活は全て捨てて旅立ち、願いを完遂したいが為に、自身の心さえもそれに捧げた。
 今ではただ、旅で追い求める物こそが、彼の全てだった。



 山を登るにつれ、徐々に勾配は小さくなり、いつの間にか広い雪原に辿りつく。
 これまでは険しく切り立った山道であり、加えて此処は山頂と言っても良いほどに、遥か高い地点であるはずだ。そう考えると、その光景は奇妙なものであった。
 雪原にも石畳は存在したが、進むにつれそれらの間隔は短くなり、数も増えてゆく。
 次第に進む道は石で敷き詰められ、やがて大きな広場に到達する。
 広場の床は秩序正しく丸い石畳で敷き詰められ、辺りの前後左右には灰色の高い柱が立ち並ぶ。
 柱には波打つような曲線模様が、全体に彫り込まれていた。
 これは明らかに何者かによって作られた遺跡であり、神殿のような神秘さを醸し出している。
 しかしその遺跡の殆どは無残に壊され、石畳も柱も半分以上は見る影すらない。まるで何者かが、大きく破壊したかのようだ。


 そして広場の奥には、更に大きな影が存在した。
 それは途轍もなく巨大な円形の門であり、かなり離れている為に定かではないが、それでも全体の大きさは直径十メートルを優に越える。
 遠くで丸く口を開けるその門に対し、青年は懐から、古文書の写し取り出す。

「『霊峰に続く、神の足跡を辿る先に神門あり、その彼方こそが遥かなる常世と続く道なり』。……あれは、その神門。――――だが」

 こう一人呟き、青年は門を見据える。



 否、彼は門では無く、その前に立ち塞がる更に異質な存在…………、門とほぼ同等と巨体を持つ、銀色の鎧を身に纏ったかのような竜に対してだ。

「――『しかし心せよ、神門を守護する守り主に。彼の者は永久に、常世を生者に侵させはしないだろう』……か」

 四本の脚は頑丈で爪は鋭く、尻尾には刀のように尖った逆刺が生えている。翼は今は閉じているが、開けばさらに二倍以上は大きく見えるだろう。そして頭には半透明な角が左右上下に二対生え、額には紫色に輝く水晶が輝いていた。
 竜は今まさに冥界を侵さんとする者を、上から見下ろして威圧した。
 額の水晶と同じく澄んだ紫色の目には、ここまでは見逃してやるが、更に先を行くのなら容赦はしないと言う、警告の意が表れている。


 常人は到達することさえ叶わない霊峰の遺跡に君臨し、神々しいまでの威厳を見せるその姿は、見るもの全てを圧倒させるものである。
 だが青年は、物怖じせずに竜を睨み、マントの中に手を掛ける。

「それでも……何者だろうと、俺の邪魔は…………させない!」

 そう言い放ち、彼はその中から剣を抜き出した。



 剣は両刃で大きく、鍛え上げられた剣先は鈍い光を放つ。
 あくまで先に進む気か、愚か者め――、そう判断した竜は翼を大きく広げて戦闘態勢に入り、咆哮を上げた。
 圧倒的な存在を前に、下手な小細工は通用しないと悟った青年は剣を構え、真っ向から竜へと立ち向かって行く。
 敢然と向かい来る相手に対し、竜はその長い尻尾で薙ぎ払わんとしたが、彼は尻尾が衝突する寸前でその上へと乗り移り、跳躍をつけて竜に斬りかかる。
 そのスピードによるエネルギーと、自身の剣の鋭さ。狙うは装甲の薄い竜の首元、一撃で首を裂き致命傷を与えるつもりだった。
 そして剣は、見事に首元に命中した
 しかし…………その必殺の一撃は、竜に傷一つすら与えなかった。それどころか、剣先にはわずかな刃こぼれが生じている。


 青年は旅の中で、多くの怪物と戦って来た。しかし、竜を相手とするのは、これが初めてだ。まさか……ここまで装甲が固いとは、とても思えはしなかった。
 地面に着地するやいなや、今度は邪魔者を押しつぶそうと、巨大な前足が迫る。
 すぐに彼は横に飛びのいてこれを避けるが、突然、全身に強烈な衝撃を感じ、柱に叩きつけられた。
 竜は前足を下した瞬間、早い速度で横に振り払い、激しく彼を叩き飛ばしたのだ。
 叩きつけられた柱から青年は剥がれ落ち、そのまま倒れた。
 骨が数本砕け、内臓のいくつかが潰れたかのような感覚、何より激しい痛みを感じながらも、彼は起き上がる。
 ここまで山を登ってきたせいでかなりの疲労はあったが、それでもこの力の差は絶望的だ。青年は今まさに、それを学ばされた。


 そんな彼を、止めを刺そうとする様子もなく、ただ竜は眺めていた。
 これで諦めて、死なない内に引き返せ。青年には竜がこう伝えたいかのように感じた。
 そしてギリッと歯噛みをする。
 絶対に嫌だ、長年地獄のような旅を続けてまで、願いつづけた望みが目の前にある。その願いを今ここで諦められるなんて…………出来はしない。
 強い決意で体を奮い立たせ、青年は再び剣を構えて竜に挑む。
 その時一瞬、竜の表情に悲しみが見えた気がした。
 竜は再び、尻尾を振るった。


 もはや、青年にはそれを避ける力はない。
 一瞬で彼は激しく弾かれ、遠くに飛ばされる。
 弾かれた衝撃で青年の首元のネックレスが壊れ、砕けたチェーンに付けられていた、装飾の美しい二つの指輪が外れ飛ぶ。
 薄れゆく意識の中、青年は必死に指輪へと手を伸ばすが、指輪は――次第に彼の元から遠ざかる。 
 彼方へと離れてゆく指輪を眺めながら、ついにその意識も失った。

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