3 / 63
第壱章 ――霊峰
霊峰と、そして……
しおりを挟む――――
この世界の遥か彼方の、異境の地。
大昔、既に忘れられた古き伝承により、地上で現世と冥界が繋がる場所とされる、霊峰ハイテルペスト。
山は常に雲に覆われ、全ての生ける者を拒絶するかのような激しい吹雪と、鋭く切り立った岩壁…………、それに人が挑む事は即ち、死を意味していた。
しかし、山の急勾配の雪道を登り、遥か山頂を目指す、一人の青年がいた。
吹き荒れる吹雪を厚手のマントで防ぎ、青年は吹雪に挑むように前進する。
風でたなびくマントから伺える体格は、やや細身ではあるが逞しい。そして、彼が歩くたびに腰辺りから金属が当たる、カチャカチャとした音がする。
僅かに厚い雲から日の光が差すと、彼の首元がキラリと光る。その首には、金属製のネックレスか何かを、付けているのだろう。
彼は吹雪の中を、歩き、進む。
途中、息苦しくなったのか彼はフードを外し、顔を露わにする。
中から現れた顔は、とても整い、気高さを思わせる顔立ちをしていた。かつては、高貴な家庭で育ち、甘い顔立ちの美男子であったのかもしれない。
だが、今では鋭い目つきに険しい顔立ち、そして幾つもの傷跡が顔に刻まれている。おそらく傷は顔だけでなく、マントで隠れた身体にも無数にあるのだろう。
かつての青年がどんな人間であるかは、推察の域を出ない。しかし、何かが青年をここまで大きく変容させてしまったのは明らかだ。
それはここまでの長く過酷な旅によってか、長い歳月のせいか、もしくは――もっと、別の理由からか。
吹雪によって先が見えない中、行く先を指し示す石畳の道を、一つ一つ確かめながら進んで行く。
いつ誰がそれを用意したのかは知らないが、不自然に円形な灰色の石畳は、雪によって覆われる事はなかった。だが、石畳同士の間隔は大きく、注意深く進まなければすぐに見失う程だ。
この道が指し示すものは、青年の願い、彼が長年をかけた旅の終着点であった。
青年は家も家族も、これまでの生活は全て捨てて旅立ち、願いを完遂したいが為に、自身の心さえもそれに捧げた。
今ではただ、旅で追い求める物こそが、彼の全てだった。
山を登るにつれ、徐々に勾配は小さくなり、いつの間にか広い雪原に辿りつく。
これまでは険しく切り立った山道であり、加えて此処は山頂と言っても良いほどに、遥か高い地点であるはずだ。そう考えると、その光景は奇妙なものであった。
雪原にも石畳は存在したが、進むにつれそれらの間隔は短くなり、数も増えてゆく。
次第に進む道は石で敷き詰められ、やがて大きな広場に到達する。
広場の床は秩序正しく丸い石畳で敷き詰められ、辺りの前後左右には灰色の高い柱が立ち並ぶ。
柱には波打つような曲線模様が、全体に彫り込まれていた。
これは明らかに何者かによって作られた遺跡であり、神殿のような神秘さを醸し出している。
しかしその遺跡の殆どは無残に壊され、石畳も柱も半分以上は見る影すらない。まるで何者かが、大きく破壊したかのようだ。
そして広場の奥には、更に大きな影が存在した。
それは途轍もなく巨大な円形の門であり、かなり離れている為に定かではないが、それでも全体の大きさは直径十メートルを優に越える。
遠くで丸く口を開けるその門に対し、青年は懐から、古文書の写し取り出す。
「『霊峰に続く、神の足跡を辿る先に神門あり、その彼方こそが遥かなる常世と続く道なり』。……あれは、その神門。――――だが」
こう一人呟き、青年は門を見据える。
否、彼は門では無く、その前に立ち塞がる更に異質な存在…………、門とほぼ同等と巨体を持つ、銀色の鎧を身に纏ったかのような竜に対してだ。
「――『しかし心せよ、神門を守護する守り主に。彼の者は永久に、常世を生者に侵させはしないだろう』……か」
四本の脚は頑丈で爪は鋭く、尻尾には刀のように尖った逆刺が生えている。翼は今は閉じているが、開けばさらに二倍以上は大きく見えるだろう。そして頭には半透明な角が左右上下に二対生え、額には紫色に輝く水晶が輝いていた。
竜は今まさに冥界を侵さんとする者を、上から見下ろして威圧した。
額の水晶と同じく澄んだ紫色の目には、ここまでは見逃してやるが、更に先を行くのなら容赦はしないと言う、警告の意が表れている。
常人は到達することさえ叶わない霊峰の遺跡に君臨し、神々しいまでの威厳を見せるその姿は、見るもの全てを圧倒させるものである。
だが青年は、物怖じせずに竜を睨み、マントの中に手を掛ける。
「それでも……何者だろうと、俺の邪魔は…………させない!」
そう言い放ち、彼はその中から剣を抜き出した。
剣は両刃で大きく、鍛え上げられた剣先は鈍い光を放つ。
あくまで先に進む気か、愚か者め――、そう判断した竜は翼を大きく広げて戦闘態勢に入り、咆哮を上げた。
圧倒的な存在を前に、下手な小細工は通用しないと悟った青年は剣を構え、真っ向から竜へと立ち向かって行く。
敢然と向かい来る相手に対し、竜はその長い尻尾で薙ぎ払わんとしたが、彼は尻尾が衝突する寸前でその上へと乗り移り、跳躍をつけて竜に斬りかかる。
そのスピードによるエネルギーと、自身の剣の鋭さ。狙うは装甲の薄い竜の首元、一撃で首を裂き致命傷を与えるつもりだった。
そして剣は、見事に首元に命中した
しかし…………その必殺の一撃は、竜に傷一つすら与えなかった。それどころか、剣先にはわずかな刃こぼれが生じている。
青年は旅の中で、多くの怪物と戦って来た。しかし、竜を相手とするのは、これが初めてだ。まさか……ここまで装甲が固いとは、とても思えはしなかった。
地面に着地するやいなや、今度は邪魔者を押しつぶそうと、巨大な前足が迫る。
すぐに彼は横に飛びのいてこれを避けるが、突然、全身に強烈な衝撃を感じ、柱に叩きつけられた。
竜は前足を下した瞬間、早い速度で横に振り払い、激しく彼を叩き飛ばしたのだ。
叩きつけられた柱から青年は剥がれ落ち、そのまま倒れた。
骨が数本砕け、内臓のいくつかが潰れたかのような感覚、何より激しい痛みを感じながらも、彼は起き上がる。
ここまで山を登ってきたせいでかなりの疲労はあったが、それでもこの力の差は絶望的だ。青年は今まさに、それを学ばされた。
そんな彼を、止めを刺そうとする様子もなく、ただ竜は眺めていた。
これで諦めて、死なない内に引き返せ。青年には竜がこう伝えたいかのように感じた。
そしてギリッと歯噛みをする。
絶対に嫌だ、長年地獄のような旅を続けてまで、願いつづけた望みが目の前にある。その願いを今ここで諦められるなんて…………出来はしない。
強い決意で体を奮い立たせ、青年は再び剣を構えて竜に挑む。
その時一瞬、竜の表情に悲しみが見えた気がした。
竜は再び、尻尾を振るった。
もはや、青年にはそれを避ける力はない。
一瞬で彼は激しく弾かれ、遠くに飛ばされる。
弾かれた衝撃で青年の首元のネックレスが壊れ、砕けたチェーンに付けられていた、装飾の美しい二つの指輪が外れ飛ぶ。
薄れゆく意識の中、青年は必死に指輪へと手を伸ばすが、指輪は――次第に彼の元から遠ざかる。
彼方へと離れてゆく指輪を眺めながら、ついにその意識も失った。
0
お気に入りに追加
14
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
婚約者に消えろと言われたので湖に飛び込んだら、気づけば三年が経っていました。
束原ミヤコ
恋愛
公爵令嬢シャロンは、王太子オリバーの婚約者に選ばれてから、厳しい王妃教育に耐えていた。
だが、十六歳になり貴族学園に入学すると、オリバーはすでに子爵令嬢エミリアと浮気をしていた。
そしてある冬のこと。オリバーに「私の為に消えろ」というような意味のことを告げられる。
全てを諦めたシャロンは、精霊の湖と呼ばれている学園の裏庭にある湖に飛び込んだ。
気づくと、見知らぬ場所に寝かされていた。
そこにはかつて、病弱で体の小さかった辺境伯家の息子アダムがいた。
すっかり立派になったアダムは「あれから三年、君は目覚めなかった」と言った――。
【完結】忘れてください
仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
愛していた。
貴方はそうでないと知りながら、私は貴方だけを愛していた。
夫の恋人に子供ができたと教えられても、私は貴方との未来を信じていたのに。
貴方から離婚届を渡されて、私の心は粉々に砕け散った。
もういいの。
私は貴方を解放する覚悟を決めた。
貴方が気づいていない小さな鼓動を守りながら、ここを離れます。
私の事は忘れてください。
※6月26日初回完結
7月12日2回目完結しました。
お読みいただきありがとうございます。
【完結】王太子妃の初恋
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
カテリーナは王太子妃。しかし、政略のための結婚でアレクサンドル王太子からは嫌われている。
王太子が側妃を娶ったため、カテリーナはお役御免とばかりに王宮の外れにある森の中の宮殿に追いやられてしまう。
しかし、カテリーナはちょうど良かったと思っていた。婚約者時代からの激務で目が悪くなっていて、これ以上は公務も社交も難しいと考えていたからだ。
そんなカテリーナが湖畔で一人の男に出会い、恋をするまでとその後。
★ざまぁはありません。
全話予約投稿済。
携帯投稿のため誤字脱字多くて申し訳ありません。
報告ありがとうございます。
愚かな父にサヨナラと《完結》
アーエル
ファンタジー
「フラン。お前の方が年上なのだから、妹のために我慢しなさい」
父の言葉は最後の一線を越えてしまった。
その言葉が、続く悲劇を招く結果となったけど・・・
悲劇の本当の始まりはもっと昔から。
言えることはただひとつ
私の幸せに貴方はいりません
✈他社にも同時公開
【完結】7年待った婚約者に「年増とは結婚できない」と婚約破棄されましたが、結果的に若いツバメと縁が結ばれたので平気です
岡崎 剛柔
恋愛
「伯爵令嬢マリアンヌ・ランドルフ。今日この場にて、この僕――グルドン・シルフィードは君との婚約を破棄する。理由は君が25歳の年増になったからだ」
私は7年間も諸外国の旅行に行っていたグルドンにそう言われて婚約破棄された。
しかも貴族たちを大勢集めたパーティーの中で。
しかも私を年増呼ばわり。
はあ?
あなたが勝手に旅行に出て帰って来なかったから、私はこの年までずっと結婚できずにいたんですけど!
などと私の怒りが爆発しようだったとき、グルドンは新たな人間と婚約すると言い出した。
その新たな婚約者は何とタキシードを着た、6、7歳ぐらいの貴族子息で……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる