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第二章
ウエバヤシさんの決断
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パートナーたちとの旅行から帰ってきた翌日は、さすがに仕事に行く気になれなかった。
肉体的に疲れることのない魂霊の身であるが、精神的に疲れることはある。
結局、精神的なガス欠からの回復に丸一日を充てることにした。
四体のパートナーたちも似たような感じだったと思う。
こうして帰宅の翌々日になってからようやく私は「精霊界移住相談所」に出勤した。
ほぼ二週間ぶりになる。
人間だった時代を含めて二週間続けて仕事を休んだのは、失業していた時期を除いてほとんどなかったはずだ。
人間時代ならかなり気が重い状況だが、今は至って気楽だ。
「こんにちは。久しぶり」
「あ、アーベル。久しぶりね」
「ケルークス」の店内に入ると、ユーリがタイマー片手にこちらに向かってきた。
店内を見回すと相談員はアイリスとフランシスの二人がいる。
それとは別に客が三組。精霊界からの客は確実に増えているようだ。
「スーラの実というものを入手したのだが……よければどうだろうか? 家ではグラネトエールにするみたいだ」
私は旅行の最終日にドライアドからもらったスーラの実を二鞘ユーリに手渡した。
「スーラ? 聞いたことないけどブリスなら知っているかも。ありがたく頂戴するね」
ユーリが鞘を抱えて厨房へと引き上げていった。
「アーベル、ちょうどよかった。もう少ししたら相談のお客が来る予定なのよ。アーベルとフランシスの出番もあると思うから待っていて」
アイリスが真面目な表情でそう言ってきたところからすると、割と重要な相談客が来るようだ。
復帰早々重大そうな仕事だが、私のできることは限られている。できることをするしかない。
ただ、フランシスと私の二人ともに出番があるというのはあまり多くないパターンだ。
私は冷たい緑茶をオーダーして、アイリスにどのような客が来るのかと尋ねた。
「ツアーに参加していたウエバヤシさんよ。工場のもと社長さんの」
なるほど、ウエバヤシさんなら私とフランシスは面識がある。
ツアー参加後の相談ということであれば精霊界についてはかなり理解が進んでいると思われる。
相談や質問の内容もより具体的なものになるだろう。
「事前にどのような相談をされるとか連絡は受けていないのですか?」
「特に連絡はないわね。何となく予想はつくけど……」
予想の中味をアイリスに聞いてみたが、「外れていたらウエバヤシさんに迷惑がかかる」と答えてくれなかった。
何となくその気持ちは理解できる。
ウエバヤシさんがやってきたのは、ユーリがタイマーをセットしてから二〇分ほどしてからのことだった。
最初はアイリスが一人で相手をするようだ。
私はフランシスと話をしながら待つことにした。
「ツアーから一ヶ月ちょっとか……人間が考える時間としては十分、ということかな?」
私の問いを聞いてフランシスが手にしていた本を閉じた。
「確かウエバヤシさんは会社を経営していたから、決断力はある方だと思う。どうするかを決めてきたのかはわからないが……」
フランシスの言葉から、彼はウエバヤシさんが今日結論を出すと思っているようだ。
確かにその可能性は高そうだが……
私はウエバヤシさんが結論を出す可能性は半分程度と勝手に想像している。
ツアーで精霊界を知ったことにより、新たな疑問などが沸き起こってくる可能性を考えているからだ。
ただ、ウエバヤシさんは年齢的に人間として残された時間がそれほど多くないはずだ。
「アーベルはウエバヤシさんが更に何かを聞いてくる可能性を考えているようだな。何を聞いてくるか予想もつかないが……」
「私にもわからない。ただ、アイリスの立場からすればツアーの効果で移住者が来た、という実績が欲しいとは思う」
「上の方が色々言ってきているのか?」
「そういう話は聞いていないが、やり方を変えると上の方からすぐにツッコミが入るとアイリスからよく愚痴られていたからな……」
私の言葉に一瞬だけフランシスが意味ありげな視線を向けた。
「……上の方はそんなに成果を焦っているのか?」
「直接上の方と話をしないからわからないが……」
そこまで言って言葉に詰まってしまった。
正直なところ「精霊界移住相談所」の上の方が何を考えているか、私にはよくわからないのだ。
「フランシス、アーベル、上に来て」
アイリスの声が階段の方から聞こえてきた。どうやら二人同時の出番となるようだ。
「「失礼します」」
私とフランシスが応接室に入ると、ウエバヤシさんが手を挙げた。
ツアーで話をしたこともあり、お互いに面識はある。
「お元気そうで何よりです」
「ああ、おかげさまでピンピンしているよ」
ウエバヤシさんは八〇代と聞いているが、まだまだ元気そうだ。
人間でいられる時間も私の予想より多く残されているのかもしれない。
「こちらの準備はできました。ウエバヤシさん、どうぞ」
アイリスの言葉にウエバヤシさんは大きくうなずいた。
「先日はツアーに参加させていただいてありがとうございます。そちらのことを勉強するよい機会が得られました……」
ウエバヤシさんは淡々と話している。
話の感じから、私の予想 (というより想像か)は外れたと確信した。
「……精霊の皆さんは良い方ばかりですし、ツアーも楽しませていただきました。精霊と話をしたりマナを焼いたりしたのは興味深い経験でした。ですが……」
ウエバヤシさんがいったん言葉を切った。
来るな、と皆が身構えた。
「どうやら精霊界は私が住むには変化が少なすぎる世界のようです。皆さんのご協力には感謝しますが、移住を断念することをお許しいただきたい」
「そもそも私どもの許可が必要な話ではありません。ウエバヤシさんのご決断を私どもは尊重しますし」
頭を下げるウエバヤシさんにアイリスがその必要はないと言った。ここは所長から言ってもらうのがベストのはずだ。
「できれば私どもも今後、移住を勧める方をどう選ぶかの参考にしたいと思っております。もう少しお話を聞かせていただいてもよろしいですか?」
「構いませんが……」
アイリスの求めにウエバヤシさんは一瞬戸惑ったようであったが、現在の状況などを話してくれた。
もともとウエバヤシさんは何かの機械で使われる部品を製造する工場の社長だった。
現在は血のつながっていない後継者に経営を任せており、彼はいち職人として仕事を続けている。
昨年、一番下の孫が就職したそうで、孫が全員一人前になったところで精霊界に移住することを考えていたらしい。
「ですが、一職人として仕事をしていたら欲が出てしまいましてな。決断を先延ばしにしておりました。そんなときにツアーのお話を頂いたので、失礼ながら興味本位で参加させてもらいました……」
精霊たちとのやり取りは楽しかったとウエバヤシさんは言ってくれたが、決定的なのは「やることがあまりにも少ない」ことだったと教えてくれた。
「私は加工の仕事が好きですが、私のペースで仕事をしたらそちらの世界にもご迷惑がかかるでしょうし、そちらの世界の良さが無くなってしまうと思いました。それに私が耐えられそうもありません……」
ウエバヤシさんはそこまで言い終えると、静かにお茶をすすった。
それとほぼ同時にアイリスが私を肘で小突いた。私に話をしろというのだろう。
「話しにくいことをお話しいただいてありがとうございました。今後移住を希望して相談に来られる方にお話しする際の参考にもなります」
私はそう言って頭を下げた。色々調べ、考えた上での決断だ。ウエバヤシさんの決断を応援したい。
「それでは、お世話になりました。そちらに合っていそうな人がいればご紹介しようと思います。その節はよろしくお願いしますよ」
そう言い残して晴れやかな表情でウエバヤシさんは相談所を後にした。
私とアイリス、そしてフランシスは無言で「ケルークス」の店内に戻った。
その姿を見つけたユーリが飲み物のお代わりが必要かと尋ねてきた。
「……ユーリ、お願い」
「そうだな」
「私にも頼むよ」
それぞれが言葉少なに席に戻った。私としても言うべき言葉が見当たらなかった。
「……まあ、残念だけど次の候補者を探すしかないわね」
アイリスがお代わりのコーヒーに手をつけてから、ため息をついた。
「移住前に気付けて良かったと思います」
私もそのくらいしか言えない。
「アイリス、上の方から何か言われていたりはしているのだろうか?」
フランシスが恐る恐る尋ねた。彼の表情を見ると私に尋ねさせたかったようだが……
「今のところは何も。ツアーはどうだったか? くらいは聞かれたけどね」
「ならいい。おっと、長居してしまったな。そろそろ失礼するよ」
ばつが悪くなったのか、フランシスが飲み物を一気に飲み干して、そそくさと「ケルークス」を後にした。
「別に私に気兼ねするようなことでもないけどね」
アイリスが力なく笑った。
「……」
いつものようにアイリスがツッコミ待ちのボケを見せないので、私としても声をかけにくい。
「今回は残念だったけど、ツアー参加客だってあと三人いるんだし、次のツアーも控えているから大丈夫よ」
「ツアーに参加していない相談者も何人もいますからね……」
「そういうこと。次の相談客を待つかなー」
やはりウエバヤシさんの移住断念が効いているのだろう。言葉がいつものアイリスではない。
「ユーリ、追加注文いいかな?」
「えっ? さっき追加したばかりだけど?」
私は訝しがるユーリにアイリスの方を指差してから、ポテチの皿とコーラをみっつ注文した。
コーラはアイリスと私、ユーリの分だ。アイリスの分だけは氷抜きで常温にしてもらう。
少しして、ユーリがニヤリとしながらアイリスにコーラとポテチを運んでいった。
アイリスが顔をしかめた後、私の方に恨めしそうな視線を向けた。
アイリスの分だけは常温で出せと言ったはずなのだが……
流れる水の属性を持つアイリスは、氷や極端に冷たい飲み物が苦手なのだ。
炭酸飲料についてはどうだか、私もよく知らない。
「……」
アイリスが意を決したようにグラスの中のコーラを煽ると、口を膨らませて目を白黒させている。
「はぁ、はあっ! 冷たくないけど何よ、コレぇ!? エールやビールじゃないのに!」
アイリスが息を切らせてこちらを睨んできた。
どうやらエールやビール以外の炭酸飲料は初めてだったようだ。
「コーラという存在界の飲み物です。気分をリフレッシュさせたいときに飲むもの、という人間もいます」
「アイリスって、『ケルークス』にあるもので頼んでいないもの結構あるよね。コーラでそういう顔する精霊は珍しくないけど」
ユーリがアイリスの顔を見てケラケラと笑っている。
「ったく、何の罰ゲームなのだか……まあいいわ。ポテチで許しちゃる……」
むくれた顔でアイリスがポテチをつまみ始めた。ポテチを口にしている間はにやけているので、この分なら大丈夫そうだ。
「私も久々にコーラを楽しんでみるとしよう」
「アーベル、私の分も頼んでくれてアリガト」
ユーリがアイリスの前に座ってコーラのグラスを掲げた。
私も宙にグラスを掲げて応じた。
ウエバヤシさんに人間としての時間がどれだけ残されているのかはわからない。
彼の決断に幸あれ、でいいのだろうか?
肉体的に疲れることのない魂霊の身であるが、精神的に疲れることはある。
結局、精神的なガス欠からの回復に丸一日を充てることにした。
四体のパートナーたちも似たような感じだったと思う。
こうして帰宅の翌々日になってからようやく私は「精霊界移住相談所」に出勤した。
ほぼ二週間ぶりになる。
人間だった時代を含めて二週間続けて仕事を休んだのは、失業していた時期を除いてほとんどなかったはずだ。
人間時代ならかなり気が重い状況だが、今は至って気楽だ。
「こんにちは。久しぶり」
「あ、アーベル。久しぶりね」
「ケルークス」の店内に入ると、ユーリがタイマー片手にこちらに向かってきた。
店内を見回すと相談員はアイリスとフランシスの二人がいる。
それとは別に客が三組。精霊界からの客は確実に増えているようだ。
「スーラの実というものを入手したのだが……よければどうだろうか? 家ではグラネトエールにするみたいだ」
私は旅行の最終日にドライアドからもらったスーラの実を二鞘ユーリに手渡した。
「スーラ? 聞いたことないけどブリスなら知っているかも。ありがたく頂戴するね」
ユーリが鞘を抱えて厨房へと引き上げていった。
「アーベル、ちょうどよかった。もう少ししたら相談のお客が来る予定なのよ。アーベルとフランシスの出番もあると思うから待っていて」
アイリスが真面目な表情でそう言ってきたところからすると、割と重要な相談客が来るようだ。
復帰早々重大そうな仕事だが、私のできることは限られている。できることをするしかない。
ただ、フランシスと私の二人ともに出番があるというのはあまり多くないパターンだ。
私は冷たい緑茶をオーダーして、アイリスにどのような客が来るのかと尋ねた。
「ツアーに参加していたウエバヤシさんよ。工場のもと社長さんの」
なるほど、ウエバヤシさんなら私とフランシスは面識がある。
ツアー参加後の相談ということであれば精霊界についてはかなり理解が進んでいると思われる。
相談や質問の内容もより具体的なものになるだろう。
「事前にどのような相談をされるとか連絡は受けていないのですか?」
「特に連絡はないわね。何となく予想はつくけど……」
予想の中味をアイリスに聞いてみたが、「外れていたらウエバヤシさんに迷惑がかかる」と答えてくれなかった。
何となくその気持ちは理解できる。
ウエバヤシさんがやってきたのは、ユーリがタイマーをセットしてから二〇分ほどしてからのことだった。
最初はアイリスが一人で相手をするようだ。
私はフランシスと話をしながら待つことにした。
「ツアーから一ヶ月ちょっとか……人間が考える時間としては十分、ということかな?」
私の問いを聞いてフランシスが手にしていた本を閉じた。
「確かウエバヤシさんは会社を経営していたから、決断力はある方だと思う。どうするかを決めてきたのかはわからないが……」
フランシスの言葉から、彼はウエバヤシさんが今日結論を出すと思っているようだ。
確かにその可能性は高そうだが……
私はウエバヤシさんが結論を出す可能性は半分程度と勝手に想像している。
ツアーで精霊界を知ったことにより、新たな疑問などが沸き起こってくる可能性を考えているからだ。
ただ、ウエバヤシさんは年齢的に人間として残された時間がそれほど多くないはずだ。
「アーベルはウエバヤシさんが更に何かを聞いてくる可能性を考えているようだな。何を聞いてくるか予想もつかないが……」
「私にもわからない。ただ、アイリスの立場からすればツアーの効果で移住者が来た、という実績が欲しいとは思う」
「上の方が色々言ってきているのか?」
「そういう話は聞いていないが、やり方を変えると上の方からすぐにツッコミが入るとアイリスからよく愚痴られていたからな……」
私の言葉に一瞬だけフランシスが意味ありげな視線を向けた。
「……上の方はそんなに成果を焦っているのか?」
「直接上の方と話をしないからわからないが……」
そこまで言って言葉に詰まってしまった。
正直なところ「精霊界移住相談所」の上の方が何を考えているか、私にはよくわからないのだ。
「フランシス、アーベル、上に来て」
アイリスの声が階段の方から聞こえてきた。どうやら二人同時の出番となるようだ。
「「失礼します」」
私とフランシスが応接室に入ると、ウエバヤシさんが手を挙げた。
ツアーで話をしたこともあり、お互いに面識はある。
「お元気そうで何よりです」
「ああ、おかげさまでピンピンしているよ」
ウエバヤシさんは八〇代と聞いているが、まだまだ元気そうだ。
人間でいられる時間も私の予想より多く残されているのかもしれない。
「こちらの準備はできました。ウエバヤシさん、どうぞ」
アイリスの言葉にウエバヤシさんは大きくうなずいた。
「先日はツアーに参加させていただいてありがとうございます。そちらのことを勉強するよい機会が得られました……」
ウエバヤシさんは淡々と話している。
話の感じから、私の予想 (というより想像か)は外れたと確信した。
「……精霊の皆さんは良い方ばかりですし、ツアーも楽しませていただきました。精霊と話をしたりマナを焼いたりしたのは興味深い経験でした。ですが……」
ウエバヤシさんがいったん言葉を切った。
来るな、と皆が身構えた。
「どうやら精霊界は私が住むには変化が少なすぎる世界のようです。皆さんのご協力には感謝しますが、移住を断念することをお許しいただきたい」
「そもそも私どもの許可が必要な話ではありません。ウエバヤシさんのご決断を私どもは尊重しますし」
頭を下げるウエバヤシさんにアイリスがその必要はないと言った。ここは所長から言ってもらうのがベストのはずだ。
「できれば私どもも今後、移住を勧める方をどう選ぶかの参考にしたいと思っております。もう少しお話を聞かせていただいてもよろしいですか?」
「構いませんが……」
アイリスの求めにウエバヤシさんは一瞬戸惑ったようであったが、現在の状況などを話してくれた。
もともとウエバヤシさんは何かの機械で使われる部品を製造する工場の社長だった。
現在は血のつながっていない後継者に経営を任せており、彼はいち職人として仕事を続けている。
昨年、一番下の孫が就職したそうで、孫が全員一人前になったところで精霊界に移住することを考えていたらしい。
「ですが、一職人として仕事をしていたら欲が出てしまいましてな。決断を先延ばしにしておりました。そんなときにツアーのお話を頂いたので、失礼ながら興味本位で参加させてもらいました……」
精霊たちとのやり取りは楽しかったとウエバヤシさんは言ってくれたが、決定的なのは「やることがあまりにも少ない」ことだったと教えてくれた。
「私は加工の仕事が好きですが、私のペースで仕事をしたらそちらの世界にもご迷惑がかかるでしょうし、そちらの世界の良さが無くなってしまうと思いました。それに私が耐えられそうもありません……」
ウエバヤシさんはそこまで言い終えると、静かにお茶をすすった。
それとほぼ同時にアイリスが私を肘で小突いた。私に話をしろというのだろう。
「話しにくいことをお話しいただいてありがとうございました。今後移住を希望して相談に来られる方にお話しする際の参考にもなります」
私はそう言って頭を下げた。色々調べ、考えた上での決断だ。ウエバヤシさんの決断を応援したい。
「それでは、お世話になりました。そちらに合っていそうな人がいればご紹介しようと思います。その節はよろしくお願いしますよ」
そう言い残して晴れやかな表情でウエバヤシさんは相談所を後にした。
私とアイリス、そしてフランシスは無言で「ケルークス」の店内に戻った。
その姿を見つけたユーリが飲み物のお代わりが必要かと尋ねてきた。
「……ユーリ、お願い」
「そうだな」
「私にも頼むよ」
それぞれが言葉少なに席に戻った。私としても言うべき言葉が見当たらなかった。
「……まあ、残念だけど次の候補者を探すしかないわね」
アイリスがお代わりのコーヒーに手をつけてから、ため息をついた。
「移住前に気付けて良かったと思います」
私もそのくらいしか言えない。
「アイリス、上の方から何か言われていたりはしているのだろうか?」
フランシスが恐る恐る尋ねた。彼の表情を見ると私に尋ねさせたかったようだが……
「今のところは何も。ツアーはどうだったか? くらいは聞かれたけどね」
「ならいい。おっと、長居してしまったな。そろそろ失礼するよ」
ばつが悪くなったのか、フランシスが飲み物を一気に飲み干して、そそくさと「ケルークス」を後にした。
「別に私に気兼ねするようなことでもないけどね」
アイリスが力なく笑った。
「……」
いつものようにアイリスがツッコミ待ちのボケを見せないので、私としても声をかけにくい。
「今回は残念だったけど、ツアー参加客だってあと三人いるんだし、次のツアーも控えているから大丈夫よ」
「ツアーに参加していない相談者も何人もいますからね……」
「そういうこと。次の相談客を待つかなー」
やはりウエバヤシさんの移住断念が効いているのだろう。言葉がいつものアイリスではない。
「ユーリ、追加注文いいかな?」
「えっ? さっき追加したばかりだけど?」
私は訝しがるユーリにアイリスの方を指差してから、ポテチの皿とコーラをみっつ注文した。
コーラはアイリスと私、ユーリの分だ。アイリスの分だけは氷抜きで常温にしてもらう。
少しして、ユーリがニヤリとしながらアイリスにコーラとポテチを運んでいった。
アイリスが顔をしかめた後、私の方に恨めしそうな視線を向けた。
アイリスの分だけは常温で出せと言ったはずなのだが……
流れる水の属性を持つアイリスは、氷や極端に冷たい飲み物が苦手なのだ。
炭酸飲料についてはどうだか、私もよく知らない。
「……」
アイリスが意を決したようにグラスの中のコーラを煽ると、口を膨らませて目を白黒させている。
「はぁ、はあっ! 冷たくないけど何よ、コレぇ!? エールやビールじゃないのに!」
アイリスが息を切らせてこちらを睨んできた。
どうやらエールやビール以外の炭酸飲料は初めてだったようだ。
「コーラという存在界の飲み物です。気分をリフレッシュさせたいときに飲むもの、という人間もいます」
「アイリスって、『ケルークス』にあるもので頼んでいないもの結構あるよね。コーラでそういう顔する精霊は珍しくないけど」
ユーリがアイリスの顔を見てケラケラと笑っている。
「ったく、何の罰ゲームなのだか……まあいいわ。ポテチで許しちゃる……」
むくれた顔でアイリスがポテチをつまみ始めた。ポテチを口にしている間はにやけているので、この分なら大丈夫そうだ。
「私も久々にコーラを楽しんでみるとしよう」
「アーベル、私の分も頼んでくれてアリガト」
ユーリがアイリスの前に座ってコーラのグラスを掲げた。
私も宙にグラスを掲げて応じた。
ウエバヤシさんに人間としての時間がどれだけ残されているのかはわからない。
彼の決断に幸あれ、でいいのだろうか?
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【https://www.alphapolis.co.jp/novel/297545791/166917524】
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