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第二章

ケルークスの増築

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「アーベルとフランシスは杭のところに柱を立てて。ブリスと私が固定するから~」
 アイリスの声が「ケルークス」の店内に響いた。

 ついに「精霊界移住相談所」の増築日がやってきたのだ。
 この日は相談業務もカフェの「ケルークス」も休業。
 一日で増築を終えようというのだから無茶という気もするのだが、作業を仕切るのは精霊たち。人間の常識とは異なるのだろう。
 かくいう私も今の「精霊界移住相談所」を建てる様子を全く見ていないので、一日というスケジュールの正しさを判断できるわけではない。

「ブリスは下側を固定して。私は上を固定するから」
「承知した」
 アイリスとブリスが手際よく柱を固定していく。

「じゃ、私たちが壁をはめていくわね」
 ユーリとエリシアが壁となる板を柱と柱の間にはめ込んでいく。
「ユーリ、エリシア、内側に回って!」
 板をはめ込み終わったところでアイリスが指示した。
 外側に魂霊がいると、板を壁に変えることができないのだそうだ。
 確かにこのペースなら二時間もかからずに「ケルークス」の部分の増築は終わりそうだ。

 ━━二時間後━━
「よーし南側の壁終わりっ! これでカフェの方はいいわね」
 たった二時間で「ケルークス」のスペースが倍近くになった。
 広くなった部分には追加のテーブルと、小さなステージを設置することになっている。

 先日のツアーでスペースの狭さが原因で作業がしにくかったことと、ステージの高さがないので見にくいという指摘があった。
 また、最近は「ケルークス」への精霊の来客が増えているので、席が足りないという問題も生じていた。

「アーベル、接客の指導ができそうな知り合いいないかしら?」
 ユーリから声をかけられた。
「ケルークス」の席数が増えた関係で、ユーリとブリスの二人体制で店をやりくりするのは難しくなった。
 そこで、新たにホール担当として二体の精霊を雇い入れることになったのだ。

「うーん、私は存在界で接客の仕事をしたことはないし、相談員にも接客業経験者はいないんじゃないかな……ニーナに頼んでみるのはアリだとは思うのだが」
 ニーナ本人の意思を確認する必要はあるが、彼女の物腰や態度は接客業向きであると思う。
「ニーナかぁ……確かに彼女なら接客向きに見えるし、礼儀正しいから指導役にはピッタリだと思う。アーベル、彼女に来てもらえるかな?」
 ほとんど思い付きでニーナの名前を出してしまったが、予想よりもユーリが乗り気だ。
「本人に確認してみる。本人が嫌がるのならこの話は無しだ」
「それでいいわ。嫌がっているのに無理矢理押し付けるのは私も本位でないもの」
 ユーリもそのあたりは理解してくれているようで安心だ。

「アーベル、ユーリ、二階の増築もやっちゃうから手伝ってよ」
 アイリスが階段のところで私とユーリを呼んだ。
 増築作業はまだ半分しか終わっていないのだ。
「すみません」「今行きますね」
 私はユーリと一緒に階段に向けて走った。

 二階の増築も「ケルークス」のときと要領は同じだ。
 柱を立てて、壁や屋根となる板をはめ込み、最後にアイリスとブリスが仕上げを行う。
 内装はユーリとエリシアの担当だ。こちらも仕上げはアイリスとブリスが行う。

 二階にはサロンと宿泊室を追加する。
 宿泊室は「ケルークス」の従業員が二名増えるため、彼らのためのスペースとなる。
 今日増築している分とは別に建物の北側に離れが既に建てられており、こちらはツアー客用の宿泊室と風呂とトイレが設置されている。
 前回のツアーの参加者は四名だったが、この増築により一度にツアー客を一〇名程度受け入れられるようになるはずだった。

 ━━数時間後━━
「ふぅ、二階はこんなものかしら。これで今回は終わりね。あー疲れた」
 アイリスがだるそうに肩を叩いた。

 本当に五時間そこそこで増築作業が完了してしまった。
 建物を建てたり修繕することに関しては実際の作業よりも、材料集めや事前準備の方がより大変らしい。

「アーベルぅ、肩揉んで」
 アイリスが「ケルークス」での自分の指定席にだらしなく座った。

「はいはい。精霊って肩凝らないって聞いたのですけど」
「精神的なものらしいのよ。私も『揺らいで』きたのかなぁ……」
 さり気なくアイリスが脅迫してきた。困ったものだが、他の精霊に聞いてもアイリスには多少の揺らぎがあるようなので、なだめておく必要がある。
 他の相談員に頼もうにも、フランシスは新刊を買ってとっとと家に戻ってしまっていたし、エリシアは非力なのでアイリスのお眼鏡にかなわないのだ。

「あ~、我ながら人間っぽいと思うけど、労働のあとのマッサージとエールはたまらないわねぇ」
 アイリスが今にも溶けて液体になるのではないかというくらいのダレっぷりで、グラスのエールを飲み干していた。彼女の場合、冷たい飲み物が苦手なのでグラスのエールはぬるめだ。
 今日のメインの作業者だったから、このくらいは許容すべきか。

「アイリス、アーベルに甘えるのはいいけど、『ケルークス』はこれからどうするワケ? さすがに研修なしでピアとクアンに接客させるわけにはいかないわよ」
 エールのお代わりを運んできたユーリが、だらけているアイリスにジト目を向けた。

「お店のことは店長に任せるわよ。さっきアーベルと相談していたみたいだし、アテ、あるんでしょ?」
「まだ決まった訳ではないですけど……」
「ニーナがウンと言わなければ振出しに戻る、ですからね……」
 そうは言ったが、私が頼むとニーナが断れなくなるような気がする。引き受けてくれたら、埋め合わせが必要そうだ。

「それにしてもこんなに早く増築の許可が下りるなんて、オイラは想像もしていなかったよ」
 広くなった「ケルークス」の店内を見回してエリシアがあんぐりと口を開いていた。
「あー、移住者があまり増えていないから、上の方も必死なのよ。幸いウチはサリが来てくれたから、それほどうるさく言われていないけど、他所は結構大変みたいよ」
 他人事のように言いながら、アイリスはお代わりのエールを一気に飲み干した。
 グラスだし、アイリスは酔わないタイプの精霊らしいけど、さすがにペースが早いような……

「アブなそうな精霊が増えていたりするの? サリが契約相手を決めるのにはもう少しかかりそうな気がするとオイラは思うんだけどな」
 エリシアは何かに気付いたらしい。うちの相談所に出入りする中ではトップの情報通だから、私が知らない情報を持っているのだろう。

「今すぐ溢壊しそうなのはいないけどね。溢壊したらアブなそうな連中はこのあたりにもウジャウジャいるからその中でサリと相性が良さそうなのがいるといいけどね」
「何か意味深だね。契約の場は見たい気もするけど、こればかりは運もありそうだし」
「あら? お望みならシフト入れてもいいわよ?」
「オイラが来てもいいの?!」
 エリシアが意外と言わんばかりに立ち上がった。

「サリはそういうの気にしないって言っていたからいいんじゃない? 今回、応接室も拡張したから契約の場に立ち会える人数も増やせるしね」
 そうだった。今回の増築では応接室も拡張されていた。
 かつての応接室だと、相談員が三人入るのが精一杯だった。
 だから多数の相談員の話を聞く必要がある場合は、何度も相談員が交代していたのだ。

「そうねぇ、その気になれば私と同じ立場の相談員がもう一人来れば二ヶ所に分かれて相談を受け付けられるもの。契約や相談の場に七、八人同席しても大丈夫じゃない?」
 アイリスが意味深な笑みを見せた。
 二ヶ所で同時に相談を受け付けられる、という点が私には気になる。
 精霊の相談員が増員されるのだろうか?

「サリがいいって言ったら、オイラを同席させて! 何が何でも行くからさ!」
 この一言でサリの契約時にエリシアが立ち会うことになった。ちょっと口の軽い奴なので、心配と言えば心配だが……
 まあ、この件に関してはサリの意思次第だと思うので、サリがオーケーならそれで良いと思う。

 むしろ私が気になるのは、「ケルークス」の今後だ。
 相談客に対して精霊界を紹介するという意味では役に立っていると思うが、スペースを拡張したところで移住者が増加するとも考えにくい。
 私は思い切ってこの疑問をアイリスにぶつけてみた。

「……確かに『ケルークス』がどこまで移住者を増やせているかはわからないところもあるけど、これでも結構役に立っているのよ? ユーリに失礼じゃない?」
 アイリスに指摘されて、自分の至らなさに気付かされる。
 ユーリは今厨房に引き上げているが、「ケルークス」は彼女が心血注いで造り上げた場所だ。
 私の質問はユーリに対する配慮が足りなかったと言わざるを得ない。

「配慮が足りませんでした。ユーリに後で謝っておきます」
「……その必要はないわ。私も最初増築には反対だったから。二人で面倒見切れないと思ったし」
 いつの間にか私の背後にユーリが立っていた。
「いや、すまない。我々相談員はいつもこの店に世話になっているわけだし……」
「それだけじゃないわよ。精霊の『揺らぎ』の進行を抑えるのにも役に立っているの。それが証明できたから拡張が認められたわけ。近いうちに他の何ヶ所かの相談所にもカフェスペースが設置されることになったわよ」
 アイリスの言葉に私とユーリは顔を見合わせた。
 それを見たエリシアは笑いを堪えている。もしかしたらこのことを知っていたのかもしれない。
 
「店を空けるのは難しいかもしれないけど、私は他のカフェを見てみたいな」
 ユーリがアイリスをチラチラと見ている。
 彼女が店を空けるなら、上司であるアイリスの許可が必要になるからだ。

「アーベル、他の店の視察はうちの運営の参考になると思うかしら?」
 アイリスが真面目な口調で私に尋ねてきた。テーブルの上で溶けた姿勢なので、色々と台無しになっているのだが……
「どうして私に聞くのでしょうか? 私は存在界でカフェの仕事などしたことないですよ。利用する方だってそんなに経験あるわけじゃないです」
 私が存在界に住んでいた時代、仕事柄近所にカフェがあるような環境に無かった。
 だからあまりカフェを利用した経験がない。
 その私に意見を求められても困るというのが正直なところだ。

「アーベルを含めた魂霊の意見は参考になるのよ。ここだってそうした意見で変えているところは沢山あるし、今ここにいる魂霊はユーリとアーベルとエリシアだけだし……」
 アイリスがイヤイヤをするような仕草を見せた。言葉と行動がまるで合っていない。
 ここで私はハッとあることに気付いた。
 アイリスが意見を求めるのは「揺らぐぞ」という半ば脅しのような意思表示だ。

「ユーリもここ以外でのカフェの業務経験は少ないみたいですし、所長と一緒に視察に行くというのは有効だと思います」
 暗にアイリスにも休めと言ったのだが、伝わっただろうか?

「「……(ジーッ)」」
 アイリスとユーリは顔を見合わせた後、二人で私の方をじっと見ている。
 その後ろでエリシアは笑いを堪えながらテーブルを叩いている。何だこれは。

「魂霊がユーリ一人だと客の視点が不安ね……」
「『ケルークス』に来店する精霊のお客様って、男性型の精霊が多いのよね……」
 アイリスとユーリが何かを期待するような視線を私に向けている。

「男の相談員だとアーベルくらいしか適任いないもんね。覚悟決めたら?」
 エリシアまでそんなことを言い出した。まあ、覚悟を決めるほどのことではないが。

「私にもついて来いという意味ですよね……?」
「「「そ」」」
 私が行ったところでどんな発見ができるかわからないのだが……
 建物の増築からえらい話になってしまった気がする。
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