上 下
23 / 130
第一章

所長アイリスの企み

しおりを挟む
「あ、アーベル。今日は一人なんだ?」
 私が「ケルークス」に出勤すると、ユーリが声をかけてきた。
「今日は納品のつもりで来たのだけど……これはしばらく残ったほうが良さそうだな。ユーリ、今日はホットコーヒーで」
 カーリンから頼まれたアンブロシア酒の樽をみっつカウンターの上に置いて、私は店内を見回した。
 今回から一回当たりの納品量が二樽から三樽に増えるので、これでより多くの客にアンブロシア酒を楽しんでもらえると思う。

 店内には相談員と精霊の姿があったが、アイリスの姿がない。
 アイリスがいつも座っている奥の席に飲み物の器なども置かれていない。

「ベネディクト、アイリスは上かい?」
 私は背が高い人の好さそうな青年に声をかけた。
 彼も相談員の一人で名前をベネディクトという。相談員の中では一番新しい移住者になる。
「いいえ、僕は見ていません。ユーリが知っていると思いますけど……」
 ベネディクトも出勤してからそれほど経っていないようで、テーブルの上のタイマーに表示されている時間が四九時間台になっている。

 アイリスが不在では相談客が来たときに待ってもらうことになる。
 というのも、我々のような魂霊の相談員は相談客に対して話せることにかなり制約があるからだ。
 特に初めて相談に来た客の場合は話せることがまったくない。

 少ししてユーリが注文した品物を運んできたのでアイリスの行方について尋ねてみる。
「ユーリ、アイリスはどこへ行ったのだろう? これだと相談客が来ても待たせてしまうことになりそうだが……」
「何か今日来る予定の相談客がいるみたいで、準備するって飛び出していったわ。もうすぐ戻ると思うけど……」
 ユーリもそれ以上のことは知らないようだ。

「でも、全部の相談に対応できる相談員がアイリスだけっておかしくない? いくら疲れを知らない精霊でも、用事とかあったら回らなくなるよね、ここ」
「そうだな……自分たちにも答えられることはあるけど、うまくいっている移住者の色眼鏡で見た景色だけの話になると誤解されるというのも正論だから難しいところだ」
 私のような魂霊の相談員が必要以上のことを相談客に話すのを禁じられている背景として、「存在界から精霊界への移住では失敗が許されない」という事情がある。
 魂霊の相談員は移住の成功組であり、成功組だけに話をさせると相談客が必要以上に楽観的な判断をしかねないから無理もないだろう。

「耳が痛い話だな。相談員に適した精霊というのはあまり多くないのだ。相談員を増やすべく色々と試みてはいるのだが……」
 ベネディクトの向かいに座っていた精霊が会話に割り込んできた。
 紫を基調とした衣服に金の腕輪を付けた隙の無さそうな女性型のこの精霊、名をメイヴという。
 精霊の種類としての名前もメイヴであり、広い精霊界にただ一体という珍しい存在だ。
 種類としての名前と個体名が一致する精霊は、精霊の中でもかなり高位とされている。
 それでいて墓所を司る闇属性の精霊、という時点で危険そうな存在ということは予想できるだろう。

 実は彼女はベネディクトのパートナーなのだ。
 腹を割って話せばそれほど恐ろしい相手ではなく、むしろ人間よりも人間臭かったりする。
 ここで話をする分には問題ないが、彼女が溢壊などしようものなら存在界は大混乱に陥るだろう。
 さらに厄介なのは力がありすぎて「揺らいだ」だけでも存在界に影響を及ぼすというまったくもって扱いに困る存在であった。
 あった、というのはベネディクトが彼女と契約したおかげで、彼女の「揺らぎ」による存在界の被害が格段に減ったからだ。

 存在界で起きたアンデッドや幽霊による事件、怪奇現象の類のほぼすべてが、彼女の「揺らぎ」によって引き起こされたものである。
 ある時期からこうした事件を報じるテレビ番組や雑誌などが激減したが、これはメイヴがベネディクトという契約者を得たことで「揺らぎ」にくくなったことに起因している。
 その意味ではベネディクトは存在界にとっての恩人だろうし、怪奇現象で飯を食っていた人々にとっては食いぶちを奪った極悪人、ということになるだろう。

 また、メイヴは自他ともに認める嫉妬深い性質の持ち主だ。
 かつては契約もしていない人間に好意を抱いては、彼らが他の異性と接するだけで「揺らいで」いたそうだ。
 私も存在界から戻ってきたメイヴが嫉妬の炎を燃やし「揺らいで」いる場面に何度か遭遇したことがある。
 そのくせ、人間好きで自ら志願して存在界で移住の広報活動を行っていたというのだから開いた口が塞がらない。

 しかし、ベネディクトというパートナーを得てからは、彼一筋だ。
 ベネディクトも甲斐甲斐しく彼女を世話しており、案外よい組み合わせではないかと思う。
 ただ、メイヴが嫉妬深い性質のため、ベネディクトは彼女だけと契約しており、他にパートナーはいない。
 メイヴほどの大物と契約しているとなると、他の精霊も腰が引けるというのもあるとは思うのだが。

「すみません、相談の約束をしていたイドイという者ですが……」
 入口から男性の声が聞こえてきた。間違いなく相談客だ。
「はーい、二階に案内いたしますので、少々お待ちください」
 ユーリが入口の方に向かっていった。アイリス不在のときは彼女が相談客を応接室に案内するルールだ。

「困ったわね、アイリスはまだ戻っていないし……飲み物でも出した方がいいかしら?」
 二階から戻ってきたユーリが私に尋ねてきた。
 ベネディクトはメイヴの面倒を見るので手一杯だから仕方ないか。

「ちょっと待っていてくれないか? 建物の近くにいるかもしれないから外を見てくる」
「お願い」
 私にもアイリスの居場所は見当もつかないのだが、相談客がくることを知っているようだったから今なら近くにいるかもしれない。

 相談員用の入口から外に出ると、見慣れた緑のロングヘアの精霊がこちらに向かってきている。私のパートナーのメラニーだ。
「メラニー? どうしてここへ?」
「あ、アーベル。さっきアイリスが家に来てさ……」
 話を聞くと、アイリスが我が家にやって来て誰でもいいから来て欲しいと言われたそうだ。
 そこで手の空いていたカーリンとメラニーが名乗り出たのだが、水属性じゃない方がいいということでメラニーが行くことになったたらしい。

「よくわからない依頼だが……アイリスは?」
「後からついてくると言ってたから、もうすぐじゃないかな?」
 ならばもうすぐ姿を現しても良いはずだ、と思っていたところに
「あら? アーベル?」
 呑気にアイリスがゆっくり浮きながらこっちに向かってきた。

「アイリス! 相談の方が二階で待ってますよ!」
「あっ? 間に合わなかったかぁ~。メラニーはアーベルと一緒に下で待っていて!」
 アイリスが慌てた様子でピューと文字通り飛んでいった。

 私がメラニーを連れて「ケルークス」の店内に戻ると、店内の客が増えていた。
 近くの二人用のテーブルには輝く金髪をショートにした凛とした女性型の精霊の姿がある。
 熱心にマンガを読みふけっているのだが、その姿すら気品を感じさせる。
 彼女は相談員フランシスのパートナーのヴァレリィだ。
 フランシスの姿がないのでどこに行ったか尋ねたいところだが、マンガに集中しているようだから声をかけるのはやめにした。

「おっはよー、何かアイリスが面白いことするんだって? 興味あるから来ちゃったよ」
 反対側の席から、元気というより軽い声が飛んできた。相談員のエリシアだ。
「エリシアか。久しぶりだな」
「それなに? オイラがサボっているみたいじゃないか。これでも忙しく情報収集しているのだけどな、もう」
 心外だと言わんばかりにエリシアが頬を膨らせた。
 こんな言葉遣いだがエリシアは女性だ。しゃべらなければ都会的な洗練されたイメージなのだが……
 噂話が大好きで、このあたりでは情報通としても知られている。
 まあ、この言葉遣いのおかげで気楽に接することができるのは確かだ。

「単に時間が合わずに鉢合わせていないだけだろう。今日はパートナーを連れてきているのだな」
「アイリスがファビオを貸してくれっていうから、オイラがついてきたの。面白そうだし」
 どうやら彼女の向かいに座っている精霊の方が本命だったようだ。
 頭に二本の短い角が生えているが、それを除けば小柄な男性に見えるファビオという名の精霊が彼女のパートナーの一体だ。
 種類としてはグレムリン、科学を司ると言われている。
「俺はここに呼ばれた理由を知らないからな。まあ、エリシアが面白がっているならそれだけで来た価値はあるけどな」
 ファビオが誰に対して言っているのかわからない台詞を吐いた。

 まあ、今店にいる魂霊の相談員は全員パートナーを連れているから、余計な話をしない方が良さそうだ。
 私の左の席に座ったメラニーもしっかり私の腕を抱えているから、彼女の相手をすることにした。

 それにしても今日の「ケルークス」の店内は異様だ。
 相談員のパートナーとして契約している精霊の数がやたら多い。
 相談員が連れてきたというのなら理解できるが、少なくともメラニー、ファビオの二体はアイリスに呼ばれて来ている。
 メイヴはよくわからないが、ヴァレリィも単独で「ケルークス」に来るようなタイプではない。
 となると、アイリスが一枚噛んでいる可能性がある。
 アイリスは一体何を企んでいるのだろうか?
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

僕の家族は母様と母様の子供の弟妹達と使い魔達だけだよ?

闇夜の現し人(ヤミヨノウツシビト)
ファンタジー
ー 母さんは、「絶世の美女」と呼ばれるほど美しく、国の中で最も権力の強い貴族と呼ばれる公爵様の寵姫だった。 しかし、それをよく思わない正妻やその親戚たちに毒を盛られてしまった。 幸い発熱だけですんだがお腹に子が出来てしまった以上ここにいては危険だと判断し、仲の良かった侍女数名に「ここを離れる」と言い残し公爵家を後にした。 お母さん大好きっ子な主人公は、毒を盛られるという失態をおかした父親や毒を盛った親戚たちを嫌悪するがお母さんが日々、「家族で暮らしたい」と話していたため、ある出来事をきっかけに一緒に暮らし始めた。 しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。 『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』 さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。 〈念の為〉 稚拙→ちせつ 愚父→ぐふ ⚠︎注意⚠︎ 不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

辺境伯家ののんびり発明家 ~異世界でマイペースに魔道具開発を楽しむ日々~

Lunaire
ファンタジー
壮年まで生きた前世の記憶を持ちながら、気がつくと辺境伯家の三男坊として5歳の姿で異世界に転生していたエルヴィン。彼はもともと物作りが大好きな性格で、前世の知識とこの世界の魔道具技術を組み合わせて、次々とユニークな発明を生み出していく。 辺境の地で、家族や使用人たちに役立つ便利な道具や、妹のための可愛いおもちゃ、さらには人々の生活を豊かにする新しい魔道具を作り上げていくエルヴィン。やがてその才能は周囲の人々にも認められ、彼は王都や商会での取引を通じて新しい人々と出会い、仲間とともに成長していく。 しかし、彼の心にはただの「発明家」以上の夢があった。この世界で、誰も見たことがないような道具を作り、貴族としての責任を果たしながら、人々に笑顔と便利さを届けたい——そんな野望が、彼を新たな冒険へと誘う。 他作品の詳細はこちら: 『転生特典:錬金術師スキルを習得しました!』 【https://www.alphapolis.co.jp/novel/297545791/906915890】 『テイマーのんびり生活!スライムと始めるVRMMOスローライフ』 【https://www.alphapolis.co.jp/novel/297545791/515916186】 『ゆるり冒険VR日和 ~のんびり異世界と現実のあいだで~』 【https://www.alphapolis.co.jp/novel/297545791/166917524】

魔境に捨てられたけどめげずに生きていきます

ツバキ
ファンタジー
貴族の子供として産まれた主人公、五歳の時の魔力属性検査で魔力属性が無属性だと判明したそれを知った父親は主人公を魔境へ捨ててしまう どんどん更新していきます。 ちょっと、恨み描写などがあるので、R15にしました。

【完結】言いたいことがあるなら言ってみろ、と言われたので遠慮なく言ってみた

杜野秋人
ファンタジー
社交シーズン最後の大晩餐会と舞踏会。そのさなか、第三王子が突然、婚約者である伯爵家令嬢に婚約破棄を突き付けた。 なんでも、伯爵家令嬢が婚約者の地位を笠に着て、第三王子の寵愛する子爵家令嬢を虐めていたというのだ。 婚約者は否定するも、他にも次々と証言や証人が出てきて黙り込み俯いてしまう。 勝ち誇った王子は、最後にこう宣言した。 「そなたにも言い分はあろう。私は寛大だから弁明の機会をくれてやる。言いたいことがあるなら言ってみろ」 その一言が、自らの破滅を呼ぶことになるなど、この時彼はまだ気付いていなかった⸺! ◆例によって設定ナシの即興作品です。なので主人公の伯爵家令嬢以外に固有名詞はありません。頭カラッポにしてゆるっとお楽しみ下さい。 婚約破棄ものですが恋愛はありません。もちろん元サヤもナシです。 ◆全6話、約15000字程度でサラッと読めます。1日1話ずつ更新。 ◆この物語はアルファポリスのほか、小説家になろうでも公開します。 ◆9/29、HOTランキング入り!お読み頂きありがとうございます! 10/1、HOTランキング最高6位、人気ランキング11位、ファンタジーランキング1位!24h.pt瞬間最大11万4000pt!いずれも自己ベスト!ありがとうございます!

祝・定年退職!? 10歳からの異世界生活

空の雲
ファンタジー
中田 祐一郎(なかたゆういちろう)60歳。長年勤めた会社を退職。 最後の勤めを終え、通い慣れた電車で帰宅途中、突然の衝撃をうける。 ――気付けば、幼い子供の姿で見覚えのない森の中に…… どうすればいいのか困惑する中、冒険者バルトジャンと出会う。 顔はいかついが気のいいバルトジャンは、行き場のない子供――中田祐一郎(ユーチ)の保護を申し出る。 魔法や魔物の存在する、この世界の知識がないユーチは、迷いながらもその言葉に甘えることにした。 こうして始まったユーチの異世界生活は、愛用の腕時計から、なぜか地球の道具が取り出せたり、彼の使う魔法が他人とちょっと違っていたりと、出会った人たちを驚かせつつ、ゆっくり動き出す―― ※2月25日、書籍部分がレンタルになりました。

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

処理中です...