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第三章

98:重なった偶然

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 メイが「タブーなきエンジニア集団」のメンバーに記録チップを貼り付けた一部始終は現場近くにあるOP社の治安改革センターのメンバーも目撃していた。

「……何だ? 何かが起きた訳ではなさそうだが……」

 目撃していたメンバーはそう呟いて少し迷ったのだが、結局何も行動を起こさなかった。
 メンバーはこの事件といえるかもわからない出来事をあまり重大視していなかったのだ。

 理由はいくつかある。
 まず、「タブーなきエンジニア集団」に対しては、ハドリより情報収集の命令は出ていたが、特別なルール違反がない限り手を出すなとされていた。
 そのため「タブーなきエンジニア集団」がビラ配りをしている時点では、その活動を阻止しなかった。ビラ配りはルール違反に該当しないからだ。

 メイが恐怖でへたり込んでしまった時点でメンバーは行動を起こそうとした。呟きもその直後のものであった。メイに暴行を加えられるのではないかと疑ったからだった。
 しかし、メイがすぐに逃げ出してしまったので、行動を起こせなかった。
 また、メイのいでたちがメンバーを躊躇させたのも事実である。

 (……これは……関わると上にどやされるかもしれないな……)
 メンバーの目にはメイが精神的に問題のある者に見えたのである。
 この印象が正しいとすると、彼女の証言が得られたとしても信憑性に疑問が持たれる。
 それにメンバーが見る限り暴行の事実は無かったし、現にそのとおりであった。

 そうであるならば、そのまま無視するのがベストだろう、とこのメンバーは考えたのであった。
 細かいことを気にする者であったならば、メイや「タブーなきエンジニア集団」のメンバーは拘束され、調べを受けた可能性が高い。
 調べを受ければメイの身元も判明してしまうだろうし、ECN社と「タブーなきエンジニア集団」が裏で繋がっているという疑いが明確なものになる。
 こうなってしまえばハドリがECN社と「タブーなきエンジニア集団」を同時に攻撃する口実になり、この両者がOP社に攻撃されるのは火を見るより明らかだ。

 実はメイの行動はこのようにいくつかの偶然が重なって見逃されたのである。
 こうした意味で彼女は非常に幸運だったと言えるだろう。

 一方メイは全力で逃げた後、隣の駅から電車に乗り込み、急いで自宅であるアパートの部屋へと戻ったのであった。隣の駅まで移動したのは、「タブーなきエンジニア集団」のメンバーに捕まらないようにと彼女が考えた結果であった。

 自室に入ると彼女は膝を抱えて涙を流し始めた。
 (社長、ごめんなさい……
 私、ここまでしかできませんでした。ごめんなさい、ごめんなさい……)
 メイは首を左右に振りながら子供のように泣きじゃくったのだった。

 彼女にとって、オイゲンの存在は大きすぎた。
「唯一、自分が在ることを許してくれる存在」
 その意味は重大だ。
 存在の危うい自分を救い上げ、消えてしまわないように繋ぎとめておいてくれる人━━
 メイにとって、オイゲンというのはそのような存在である。
 そのオイゲンからの指示だ。メイは、自らのすべてを賭して情報を届けたのだ。

 しかし、指示を思うようにこなしきれなかったという後悔の念が彼女を襲う。
 (やっぱり、私には何もできないんだ……)
 無力感に心の赴くまま、涙を流す。ただ、それだけであった。

 彼女自身は自らの行動をまるで評価していなかったが、それはあまりに過小な評価であった。
 少なくとも、メッセージを記録した記録チップは「タブーなきエンジニア集団」のメンバーの手に渡ったのだ。
 記録チップの中味を「タブーなきエンジニア集団」の誰かが読めば、彼女の目的は達成されるはずだ。

 彼女自身が知る由もなかったが、結果的に彼女はOP社に知られることなく記録チップを「タブーなきエンジニア集団」のメンバーに渡していた。
 彼女は目的を完璧に近い形で達成していたのだ。

 現状ではメイがオイゲンに事の次第を報告することは叶わないが、もしオイゲンがメイの行動を知れば彼はよくやったと彼女を褒めただろう。
 もともと他者にはやや甘い傾向のあるオイゲンだが、今回の件に関してはメイの行動を評価しない理由とはならない。

 それでもメイは無力感に囚われて、自分の居場所がないと感じている。彼女はそうした性質の持ち主なのだ。
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