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第一章

40:ウォーリー、耐え忍ぶ日々

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 自らが勤務するメディットの食堂で、アイネスは苛立ちながら食事をしていた。
 もちろん、苛立ちの原因はウォーリー・トワという問題児である。

 ウォーリーの面倒を見るようにアイネスに頼んだのはオイゲンであるが、アイネスはオイゲンに苦情を言う気にもなれなかった。
 ウォーリーのあまりの異端ぶりに呆れて、というのが理由の一つであるが、それだけではない。
 ウォーリーの医療費こそECN社から支払われているものの、彼は現在ECN社の社員ではない。
 これはECN社の医療費支払システムの問題であり、ウォーリーの意志とは関係が無い。

 オイゲンに苦情を言わない理由はアイネスの性格にあった。
 ウォーリーが現在ECN社の社員ではない以上、ECN社の責任者に責任を問うのは筋違いである、とアイネスは考えているのである。

 一方、アイネスはウォーリーの担当医、と書いたが、現在の状況ではそれは必ずしも正しくない。
 手術の執刀までは確かにアイネスがウォーリーを担当していたが、当初の予定では手術後は別の医師がウォーリーを担当する予定だった。

 しかし、ウォーリーの突拍子もない行動に、この医師がノイローゼ気味になったため、アイネスが再びウォーリーの相手をすることになったのである。
 アイネスとしては知己であるオイゲンに「よろしく頼みます」といわれた患者の治療を放棄することはできない。
 実はECN社社長のオイゲン・イナのファーストネームである「オイゲン」はアイネスの父のファーストネームでもある。
 ECN社の二代目社長カズト・イナは、若かりし頃に大事故に遭いその生命の危機を迎えたことがある。
 このとき彼の命を救った医師こそ、オイゲン・アイネス、すなわちヴィリー・アイネスの父であった。

 カズトは医師としてのオイゲン・アイネスの病や怪我に立ち向かう毅然とした態度に感じいった。
 後年、カズトは生まれた自分の息子に、かつての命の恩人の名前をつけた。
 これが現在のECN社社長であるオイゲン・イナだったのだ。

 アイネスがオイゲンの話を聞くとき、彼の頭には同じファーストネームを持つ厳格な父の姿が頭に浮かんでしまうのである。
 五〇歳近くになった今でも、彼にとって父の存在は絶対だったのだ。
 このことがアイネスの頭を悩ませ、結局ウォーリーの担当から離れられないという結果を生んだのである。

 また、オイゲンが人の好さそうな若者に (事実それに近いのであるが)見えるのも、アイネスが彼への責任追及をためらう要因である。
 あくまでも、彼はアイネスに知り合いを助けるように依頼しただけの立場であるのだから、その期待には応えたい。
 しかし、相手に責任を問うのは筋違いである。
 その二つの思惑が葛藤となって、アイネスの精神を混乱させたのであった。

 一方、そんなことはつゆ知らず、ウォーリーは点滴を終了した後、リハビリと称して病院内を歩き回っていた。

 いまやメディット内で一番の有名人と化したウォーリーには、入院中の患者にも多くの知り合いがいる。
 病室を回ってこうした知り合いと談笑するのもウォーリーの日課であった。

 ウォーリー本人に聞けば、「これもリハビリのうち」と答えたかもしれない。
 ウォーリーは彼なりに危機感を持っていた。リハビリを急ぐのもこの危機感のためである。
 半年で病院を出る、と公言した以上、自分を慕ってくる者のためにもそれは守らなければならない。そういう面ではウォーリーは案外律儀である。

 病院を出るからには、仕事ができる状態になっていないと意味がない。ウォーリーは休むことなど考えていなかった。
 一日でも早くここを出て、自分を慕ってくる者のために行動したかった。

 他にも理由がある。五月の半ばにICUから一般病棟へ移動してからは、電子新聞やニュース番組などを見ることで、社会の情報も入るようになってきた。
 彼が勤務していたECN社がOP社と提携したことは予想がついていたが、五千名以上が犠牲となった「エクザローム防衛隊」の事件のことを知ったときはさすがに怒りを隠せなかった。
 ハドリが自社の社員の犠牲を前提にビルの爆破を指示したことは、OP社の一部従業員以外に知られておらず、当然のごとくウォーリーもこの事実を知らない。

 ただ、直感的に「あのハドリならあえて自社の従業員を犠牲にすることくらいはやりかねない」とは感じている。
 OP社に請われて入社した幹部が最初の三ヶ月のうち、一ヶ月だけ目標の成果を上げられなかったという理由だけで解雇されたという話なども聞いており、ウォーリーが知るOP社は「人を使い捨てる」会社となっている。
 自らが勤務していたECN社が実質的にOP社の傘下に入った状況では、ECN社を出てウォーリーのもとに馳せ参じる者も他に出てくるかもしれない。
 その者達のことも考えなければならない。

 しかし、事態は必ずしもウォーリーの望む方向に進んでいない。
 アイネスの治療プログラムは慎重に進められている。
 当初の予定よりは進行が早まっているとはいえ、今のペースでは年内に退院できるかどうか、といったところだ。
 一方でウォーリーのタイムリミットは最悪で九月末である。少なくとも三ヶ月は今のプログラムを短縮しなければならない。

 ウォーリーが入院期間を短縮する上での最大のネックは薬剤の投与に関することであった。
 リハビリのプログラムはある程度先が読めるし、特に準備が必要ないのでウォーリーの意思で先行できる。

 しかし、投与する薬品は担当医師であるアイネスが承知しない限り、出されることがない。
 こればかりはウォーリーもお手上げなのだ。さすがに薬剤倉庫に侵入してまで薬剤を手に入れるのは彼の価値観に合わなかった。
 このため、現時点でのウォーリーにとって最大の課題は薬剤の投与プログラムを短縮し、できるだけ早くすべての薬剤の投与を済ませることであった。
 回復が早いことをアピールして、アイネスに薬剤の投与プログラムを短縮させるのも、ウォーリーの作戦の一つであった。

(それにしても、だ。俺がこうしているうちに、とんでもないことになっているな……)
 ウォーリーは窓から外を見ながらそう感じていた。

 半ば喧嘩別れのように飛び出してきたとはいえ、ECN社の動向は気になるのである。
 ウォーリーにとって特に気になることが三つあった。

 一つ目は残してきた部下の存在だった。
 彼を慕って集まってきた部下である。
 今どうにも対処ができない自分がもどかしい。通信で連絡を取ることができるようにはなったのだが、自らが現場に足を運んで指示をすることは不可能である。

 二つ目はECN社の入社試験に不合格となって、彼を頼ってきた者たちの存在である。
 ウォーリーは彼らをECN社時代の部下であるノリオ・ミヤハラに預けていた。
 ミヤハラはウォーリーがECN社を辞する原因となった会議に向かう際、「短気を起こすな」と戒めた人物である。
 ミヤハラからの報告では、当面、彼らをアルバイトとして雇用する、とされていた。
 社員となると無理だが、アルバイトの雇用であればミヤハラの権限で可能だからだ。
 ウォーリーが見るにミヤハラは少々腰が重すぎるのだが、面倒見は悪くない。
 この前まで学生だった者の相手にはちょうどいいだろう。

 最後にECN社そのものである。
 仮にもウォーリー自身が所属していた組織である。
 ハドリのOP社に屈するのはウォーリーとしても面白くない。
 しかし、辞めてしまった以上、こちらから手を出すのもはばかられる。
 事実上、ECN社はOP社の傘下に入ったような形となっている。
 今のECN社に手を貸すのは、OP社、すなわちハドリに協力することだとウォーリーは考えていた。
 それだけはウォーリーとしても耐えられない。ここに彼のジレンマがある。
 ウォーリー自身はECN社もその社長であるオイゲンやその従業員を嫌っているわけではないのだ。
 例外は経営企画室なのだが、その経営企画室のメンバーが大量離脱していることは既に仲間から聞いていた。

 (俺が自分で決起するしかないか……)
 ウォーリーはそう決意し、リハビリへと戻ったのであった。
 彼は彼を待つ者たちのためにも立ち止まるわけには行かなかったのだ。

「『泥にまみれ 恐怖の縄絡んでも ただ前へ』、か」
 ウォーリーはかつて、職業学校内で流行った歌の一節を口ずさんでいた。
 根性論、精神論に偏ったと批判も少なくない歌詞だが、ウォーリー個人は気に入っていた。
(立ち止まるわけにはいかねぇ、な…… あと三ヶ月! 三ヶ月でここを出る!
 出ると言ったら、それが現実になる!)
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