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三月一九日(水)
穏円さんと有触(じぶん)
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いつも通り朝七時半に起きて朝食をとる。
パンを焼きながら卵と昨日のうちに切っておいた野菜を炒める。
お湯を沸かして紅茶を淹れれば朝食の出来上がりだ。
朝食をきちんととるようになったのも穏円さんの影響だ。
前に必要があって朝に連絡を取ったら、ちょうど朝食中でその光景を映像で送ってくれたことがあった。
それが何となくよさそうに思えたので真似してみたというワケ。
穏円さんのようにパンにこだわりはないので、その点は違うけど。
前の仕事と違って今の仕事は朝が早くないので、余裕をもって食事ができる。
二年くらい前はパンと買ってきた揚げ物で済ませていたことが多かったので、自分としては格段の進歩だと思う。
朝食を終えたら、近所のホームセンターに買い出しに行く。
家で仕事をする日はいつもだと八時半から一時間くらい近所を散歩する。
通勤が無いので運動不足になるからだ。
今日は部屋の蛍光灯がチカチカしてきたので、交換用のを買おうと思う。
昨日寄ったスーパーには取扱いがなかったので、こういう形になったわけだ。
穏円さんは早いと九時台に連絡を入れてくるから、それまでには戻っておきたい。
別に外に出ていても返信はできるので、単純に気分の問題だ。
用事を済ませて家に戻ってきたのが九時五〇分(ホームセンターはちょっと遠いのだ)で、穏円さんからは一〇時五分に連絡があった。
今日は家でゲーム作りに励むという。調子も悪くないようなので、これなら定期連絡だけで問題なさそうだ。
さて、昨夜言った通り穏円さんについてもう少し話をしよう。
穏円さんは三四歳の男性で、二年前に希少気質保護プログラムに応募して保護対象と認められたということは話したと思う。
それまではシステムの会社に勤めていたそうだ。
といってもエンジニアではなくて営業支援だったと聞いている。
仕事の内容を聞いた限りでは客先に出るエンジニアっぽかったけど、本人はエンジニアではないと主張しているのが面白い。
保護対象に選ばれた時点で仕事を辞めて、専業の保護対象の保有者として生きていくことを決めたそうだ。
専業とはどういう意味か? と聞きたくなるかもしれない。
保護対象の保有者であることは立派な職業でもある。
保護対象となった保有者は、政府から「保護対象として生きる」という業務を委託される。
保護対象となっても副業をすることは可能なので、保護対象となった保有者でも一部は別の仕事を掛け持ちしている。
穏円さんの場合は保護対象の保有者一本で暮らしているので「専業」というわけだ。
別にもとの仕事を辞めなくても良いと思うのだけど、穏円さんなりの考えがあるのだろう。
保有者には会社で仕事をするのには向かなそうな人も少なくないけど、穏円さんはそのタイプではないと思う。
経歴書では穏円さんは前の会社でリーダー職だったとあったし、それなりに仕事ができたのではないかな。
保有者で会社員として出世しているタイプは珍しいそうで、その意味では穏円さんは例外だよと床井さんが教えてくれた。
希少気質保有者の中でも希少なタイプなのかもしれない。
「僕には家族がいないから、保護対象となることをとやかく言われなかったのはラッキーだったよ」
以前自分が不用意に「保護対象になることに反対とかされなかったですか?」と聞いてしまったら、穏円さんがそう答えたのだ。
こういうのには気をつけなければならない。
後で上司の床井さんに報告したら、
「穏円さんはそういうの気にしないと思うけど、保護対象は周りから色々言われることが多いから気をつけなさい」
とやんわり注意された。
穏円さんには兄弟はなく、ご両親とも一人っ子だったそうだ。
ご両親は七年前に自動車事故で他界されたという。
穏円さんからご家族の話をあまり聞かないのは、このような環境にあるからだと思う。話しようがないのだろう。
趣味はアナログゲームだというのも昨日話したと思う。
あとパンにうるさいらしいのだが、自分がパンのことをよく知らないのでどの程度か説明ができない。
自宅近くにお気に入りのパン屋があるのは知っているが、電車で何駅か移動して買うこともあるらしい。
お酒はほどほどに飲む感じ。
自分も休みの日や仕事の後にお付き合いさせていただくことはある。
飲むと多少陽気になるくらいであまり変わらない印象。
自分にとっては接しやすい人だ。
ここまで穏円さんの話ばかりしてきたが、自分についても話しておかないとアンフェアな気がする。
自分は今住んでいる妙木市のある県の隣県の出身で、就職と同時に妙木市に引っ越してきた。
前の職場は実家から距離としてはそれほど離れていないのだけど、鉄道路線の関係で通うのが不便だったからだ。
接続が悪いと二時間半を超えたから、引っ越して正解だったと思う。
今は就職したときから住んでいる東妙木の駅から徒歩七分のアパートで一人暮らしだ。
大学を出て最初に勤めたのは梱包機メーカーだった。従業員は百人ちょっとの中小企業だ。
そこでサービスエンジニア、すなわち客先にある梱包機の修理やメンテナンスを担当していた。
大学時代は環境科学科に在籍していたけど、お世辞にも優秀とはいえない学生だったし、畑違いの仕事でも就職できただけラッキーだったと思う。
大学の専攻は生物寄りだったから仕事に慣れるのに時間がかかったけど、先輩などに呆れられながらこなしてきたという感じだ。
状況が変わりだしたのは、就職してまる三年が経った頃だ。
勤めていた会社が他社に吸収される形で合併したのだけど、その際メンテナンス部門が子会社として分社化され自分もそこに転籍となった。
親会社からは「うちの機械だけではなく他社の機械のメンテナンスの仕事も取ってこい」と言われていたけど、それが伏線だったのだと後になって気付いた。
翌年、親会社から「うちの機械のメンテナンスと修理は他社に委託することとなった」と通告された。
最大の取引先を失ってからはあっという間だった。
約一年で会社は閉鎖され、自分は仕事を失った。
親会社からの仕事が無くなった時点で、近いうちに会社が無くなることは予想できていたから、その頃から次の仕事を探していた。
たまたま大学時代の先輩から今の会社━━嬉経野デベロップサービス━━で人を募集していると聞いて応募してみた。
それまでにも二〇社ほど書類を送ったり面接を受けたりしたけど、どれもうまくいっていなかったから藁をもすがる思いだった。
どういう訳か嬉経野デベロップサービスの選考に通ってしまい、現在に至っている。
それまで全くうまくいかなかったのが嘘のようだった。
うまくいくときはこんなものなのかもしれない。
そうでなければ嬉経野デベロップサービスがよっぽど人手に困っていたのだろう。
あとは……家族のことくらいか。
別に家族との関係は悪くない。
隣県の実家には父方の祖母と両親が住んでいる。一人っ子なので兄弟はいない。
片道最悪二時間ちょっとで行くことができるので、用事があれば気軽に帰省している。
平均すれば二ヶ月に一回くらいだ。
自分についてはこのくらいだろうか。
次はどうやったら保護対象の保有者や気質保護員になれるか、について話してみようと思う。
パンを焼きながら卵と昨日のうちに切っておいた野菜を炒める。
お湯を沸かして紅茶を淹れれば朝食の出来上がりだ。
朝食をきちんととるようになったのも穏円さんの影響だ。
前に必要があって朝に連絡を取ったら、ちょうど朝食中でその光景を映像で送ってくれたことがあった。
それが何となくよさそうに思えたので真似してみたというワケ。
穏円さんのようにパンにこだわりはないので、その点は違うけど。
前の仕事と違って今の仕事は朝が早くないので、余裕をもって食事ができる。
二年くらい前はパンと買ってきた揚げ物で済ませていたことが多かったので、自分としては格段の進歩だと思う。
朝食を終えたら、近所のホームセンターに買い出しに行く。
家で仕事をする日はいつもだと八時半から一時間くらい近所を散歩する。
通勤が無いので運動不足になるからだ。
今日は部屋の蛍光灯がチカチカしてきたので、交換用のを買おうと思う。
昨日寄ったスーパーには取扱いがなかったので、こういう形になったわけだ。
穏円さんは早いと九時台に連絡を入れてくるから、それまでには戻っておきたい。
別に外に出ていても返信はできるので、単純に気分の問題だ。
用事を済ませて家に戻ってきたのが九時五〇分(ホームセンターはちょっと遠いのだ)で、穏円さんからは一〇時五分に連絡があった。
今日は家でゲーム作りに励むという。調子も悪くないようなので、これなら定期連絡だけで問題なさそうだ。
さて、昨夜言った通り穏円さんについてもう少し話をしよう。
穏円さんは三四歳の男性で、二年前に希少気質保護プログラムに応募して保護対象と認められたということは話したと思う。
それまではシステムの会社に勤めていたそうだ。
といってもエンジニアではなくて営業支援だったと聞いている。
仕事の内容を聞いた限りでは客先に出るエンジニアっぽかったけど、本人はエンジニアではないと主張しているのが面白い。
保護対象に選ばれた時点で仕事を辞めて、専業の保護対象の保有者として生きていくことを決めたそうだ。
専業とはどういう意味か? と聞きたくなるかもしれない。
保護対象の保有者であることは立派な職業でもある。
保護対象となった保有者は、政府から「保護対象として生きる」という業務を委託される。
保護対象となっても副業をすることは可能なので、保護対象となった保有者でも一部は別の仕事を掛け持ちしている。
穏円さんの場合は保護対象の保有者一本で暮らしているので「専業」というわけだ。
別にもとの仕事を辞めなくても良いと思うのだけど、穏円さんなりの考えがあるのだろう。
保有者には会社で仕事をするのには向かなそうな人も少なくないけど、穏円さんはそのタイプではないと思う。
経歴書では穏円さんは前の会社でリーダー職だったとあったし、それなりに仕事ができたのではないかな。
保有者で会社員として出世しているタイプは珍しいそうで、その意味では穏円さんは例外だよと床井さんが教えてくれた。
希少気質保有者の中でも希少なタイプなのかもしれない。
「僕には家族がいないから、保護対象となることをとやかく言われなかったのはラッキーだったよ」
以前自分が不用意に「保護対象になることに反対とかされなかったですか?」と聞いてしまったら、穏円さんがそう答えたのだ。
こういうのには気をつけなければならない。
後で上司の床井さんに報告したら、
「穏円さんはそういうの気にしないと思うけど、保護対象は周りから色々言われることが多いから気をつけなさい」
とやんわり注意された。
穏円さんには兄弟はなく、ご両親とも一人っ子だったそうだ。
ご両親は七年前に自動車事故で他界されたという。
穏円さんからご家族の話をあまり聞かないのは、このような環境にあるからだと思う。話しようがないのだろう。
趣味はアナログゲームだというのも昨日話したと思う。
あとパンにうるさいらしいのだが、自分がパンのことをよく知らないのでどの程度か説明ができない。
自宅近くにお気に入りのパン屋があるのは知っているが、電車で何駅か移動して買うこともあるらしい。
お酒はほどほどに飲む感じ。
自分も休みの日や仕事の後にお付き合いさせていただくことはある。
飲むと多少陽気になるくらいであまり変わらない印象。
自分にとっては接しやすい人だ。
ここまで穏円さんの話ばかりしてきたが、自分についても話しておかないとアンフェアな気がする。
自分は今住んでいる妙木市のある県の隣県の出身で、就職と同時に妙木市に引っ越してきた。
前の職場は実家から距離としてはそれほど離れていないのだけど、鉄道路線の関係で通うのが不便だったからだ。
接続が悪いと二時間半を超えたから、引っ越して正解だったと思う。
今は就職したときから住んでいる東妙木の駅から徒歩七分のアパートで一人暮らしだ。
大学を出て最初に勤めたのは梱包機メーカーだった。従業員は百人ちょっとの中小企業だ。
そこでサービスエンジニア、すなわち客先にある梱包機の修理やメンテナンスを担当していた。
大学時代は環境科学科に在籍していたけど、お世辞にも優秀とはいえない学生だったし、畑違いの仕事でも就職できただけラッキーだったと思う。
大学の専攻は生物寄りだったから仕事に慣れるのに時間がかかったけど、先輩などに呆れられながらこなしてきたという感じだ。
状況が変わりだしたのは、就職してまる三年が経った頃だ。
勤めていた会社が他社に吸収される形で合併したのだけど、その際メンテナンス部門が子会社として分社化され自分もそこに転籍となった。
親会社からは「うちの機械だけではなく他社の機械のメンテナンスの仕事も取ってこい」と言われていたけど、それが伏線だったのだと後になって気付いた。
翌年、親会社から「うちの機械のメンテナンスと修理は他社に委託することとなった」と通告された。
最大の取引先を失ってからはあっという間だった。
約一年で会社は閉鎖され、自分は仕事を失った。
親会社からの仕事が無くなった時点で、近いうちに会社が無くなることは予想できていたから、その頃から次の仕事を探していた。
たまたま大学時代の先輩から今の会社━━嬉経野デベロップサービス━━で人を募集していると聞いて応募してみた。
それまでにも二〇社ほど書類を送ったり面接を受けたりしたけど、どれもうまくいっていなかったから藁をもすがる思いだった。
どういう訳か嬉経野デベロップサービスの選考に通ってしまい、現在に至っている。
それまで全くうまくいかなかったのが嘘のようだった。
うまくいくときはこんなものなのかもしれない。
そうでなければ嬉経野デベロップサービスがよっぽど人手に困っていたのだろう。
あとは……家族のことくらいか。
別に家族との関係は悪くない。
隣県の実家には父方の祖母と両親が住んでいる。一人っ子なので兄弟はいない。
片道最悪二時間ちょっとで行くことができるので、用事があれば気軽に帰省している。
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