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藤原さん
前髪の奥の瞳
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ここ毎週末、金曜か土曜にはようちゃんのために空けていた。もともと仕事以外に特に予定はなかったから容易かった。彼女もまた同じだったのか、誘いを断られる理由は美容室に行くから、とネイルに行くから以外にはなく、その予定のあとだったら会えた。だけど今週は違った。金曜に会社の人と野球を見に行くからと何を言わずとも連絡が入る。会社の人との話はたまに聞くが、どの人もクセの強い男のデザイナーの話ばかりだった。だからか、その連絡を受けた時、少しだけ心がモヤッとした。何より、野球はおろかスポーツに全く興味のなかったようちゃんが野球観戦に行くというのがどんな風の吹き回しだと思った。
まあ、そもそも彼女の予定の週末は全て自分が独占していいというわけはないとは分かってはいるけど。
時計を見ると22時過ぎになっていた。野球の試合は終わったかな、と試合結果を検索すると40分ほど前に終わっていた。今頃ようちゃんは電車に乗っている頃か、と帰り支度をする。社内には数人残って仕事をしている。一度飲み会に行き、一次会で抜けてきてまた会社に戻り仕事をしている人もいる。いつもの光景だ。当たり前のように感じているが、改めて見ると異常な景色だ。終電はまだまだある。そのまま家に帰ろうかと思ったが、やっぱりようちゃんに会いたいと思って、やたらと大声で叫んでいる新橋のサラリーマンを横目にJRの乗り場に向かった。
阿佐ヶ谷駅に着くころには23時を過ぎていた。今からようちゃん家に行くとメッセージの一つでも入れようかと思ったが、ポケットに入ったスマホ一つを出すのさえ億劫なほど疲れ切っていた。
マンションのエントランスのインターホンを鳴らすが反応はなかった。シャワーを浴びてるんだろうと合鍵を使ってエントランスを抜けた。部屋のインターホンも鳴らすが、これにも反応がなかった。まあ、このための合鍵だしと鍵を回しドアを開けると、部屋の中は真っ暗だった。まだ帰ってきてない。球場から出るのが時間かかってるのかなとも思ったが、それにしてはちょっと遅いなと思った。とりあえず、玄関で今家にいるというメッセージを送る。この間ドンキで買った下着と部屋着は脱衣所の棚のタオルの隣に畳んで置いてあった。シャワーを借りる旨もメッセージで伝えるが既読はつかなかった。
シャワーを終えてスマホを見てもまだメッセージは読まれていなかった。みぞおちあたりがぞわぞわする気持ちをかき消そうとテレビをつけた。テレビの中の芸人の身内ネタは心のモヤモヤを晴らしてくれるほどの面白さはなく、ただただスマホの画面だけを気にする結果になった。まあ、何もないより音があった方がまだましだけど。多分、ようちゃんは野球を見に行って帰りに上司に誘われて飲みに行ってるだけ。そんなの自分でもたまにあること。社会人ならよくあること。
中央線の終電が終わったであろう時間が過ぎてもようちゃんはまだ帰ってこなかった。メッセージをもう一回入れようかと思ったけど、ウザいストーカーみたいに思われても嫌だからやめた。テレビの雑音の中でチラチラとスマホのランプが光っていないかと確認をしていた。
ガチャッ――
ドアの音がして急いで玄関を覗く。
「あっ、ホタちゃん来てたの?」
こちらの気も知らないでヘラヘラと上機嫌の顔で言い放つ。
「ようちゃん遅くない?もう終電も終わってる時間だったから心配してたんだけど」
不安もあってか強めに言ってしまった。玄関に向かいながらドアを見ると、彼女の後ろに目が見えないほど前髪が長く表情が読めない男が立っていた。
「あっ、会社の後輩。送ってきてもらっちゃった」
後ろにいる男を雑に紹介すると、玄関にパンプスを転がすように脱ぎながら「今本持ってくるね!」と部屋に入っていった。突然玄関で二人きりになってしまった。
「えーっと」
なんと会話を始めようと迷っていた。
「藤原さんですよね?」
彼の方から話しかけてきて少しだけ驚いた。
「僕、松澤と言います。都の案件のWEBデザインをしました」
ああ、あの一度も打ち合わせに来なかった彼か。打ち合わせには来ないのにようちゃんをこんな時間まで連れまわすんだ、と腹が立った。
「ああ、松澤さんでしたか。お世話になっております。対応が早くて先方も喜んでいましたよ」
一気に仕事モードになった。気に食わないが感情的にはなってはいけないと思った。
「藤原さん、陽香さんと付き合ってるんですか?」
相変わらず読めない表情のまま問いかけてきた。何よりも『陽香さん』という馴れ馴れしい呼び方にイラッとした。これは自分が他の仕事相手とは違い彼女と仲いいアピールを俺にしてきているんだ。
「どうかな?合鍵は交換してる仲だけど」
少し意地悪くこの松澤という男に言い放つ。
「付き合ってませんよね。陽香さんに彼氏がいたら俺と二人で野球を見に行って飲みに行くなんていう不純なことしませんし」
逆に牽制されてしまった。見た目によらず好戦的な奴だ。
「俺、陽香さんの秘密知ってますよ。多分藤原さんは知らないんじゃないかな。俺たち秘密共有してる仲なんで」
彼はそう言いながら少しだけ口角を上げた。
彼から宣戦布告を受けていると部屋からガサガサと音を立てながらようちゃんが玄関に戻ってきた。
「これ、背景資料の本ね。CD-Rも入ってるからそのまま読み込めるのもある。これは私が美大時代に描いたやつ。使えそうなら使って。すごい重いから気をつけてね」
「陽香さんの絵まで入ってるんすか?最高じゃないっすか!」
「風景画だけね。背景に使えそうなやつ」
「別に陽香さんの絵全部入れてくれてよかったのに」
「死ぬほどあるから入らないよ」
「じゃあ、ぼちぼち見せてくださいね!これありがたく借りますね」
「返すのいつでもいいよ」
「そういうこと言うと俺永遠に借りますよ」
「ハハハ、もうあんまり使わないからいいよ」
「ありがとうございます。じゃあ、おやすみなさいっす、陽香さん。あっ、藤原さんも」
俺の存在などいないかのように二人だけで会話をしていた。松澤という男は今まで俺に対して接していた仏頂面とは打って変わって、ようちゃんに対しては犬が飼い主にじゃれているかのように声色が明るくなった。
ついでのように「藤原さんも」と言った前髪の奥の彼の目は笑っていなかった。
まあ、そもそも彼女の予定の週末は全て自分が独占していいというわけはないとは分かってはいるけど。
時計を見ると22時過ぎになっていた。野球の試合は終わったかな、と試合結果を検索すると40分ほど前に終わっていた。今頃ようちゃんは電車に乗っている頃か、と帰り支度をする。社内には数人残って仕事をしている。一度飲み会に行き、一次会で抜けてきてまた会社に戻り仕事をしている人もいる。いつもの光景だ。当たり前のように感じているが、改めて見ると異常な景色だ。終電はまだまだある。そのまま家に帰ろうかと思ったが、やっぱりようちゃんに会いたいと思って、やたらと大声で叫んでいる新橋のサラリーマンを横目にJRの乗り場に向かった。
阿佐ヶ谷駅に着くころには23時を過ぎていた。今からようちゃん家に行くとメッセージの一つでも入れようかと思ったが、ポケットに入ったスマホ一つを出すのさえ億劫なほど疲れ切っていた。
マンションのエントランスのインターホンを鳴らすが反応はなかった。シャワーを浴びてるんだろうと合鍵を使ってエントランスを抜けた。部屋のインターホンも鳴らすが、これにも反応がなかった。まあ、このための合鍵だしと鍵を回しドアを開けると、部屋の中は真っ暗だった。まだ帰ってきてない。球場から出るのが時間かかってるのかなとも思ったが、それにしてはちょっと遅いなと思った。とりあえず、玄関で今家にいるというメッセージを送る。この間ドンキで買った下着と部屋着は脱衣所の棚のタオルの隣に畳んで置いてあった。シャワーを借りる旨もメッセージで伝えるが既読はつかなかった。
シャワーを終えてスマホを見てもまだメッセージは読まれていなかった。みぞおちあたりがぞわぞわする気持ちをかき消そうとテレビをつけた。テレビの中の芸人の身内ネタは心のモヤモヤを晴らしてくれるほどの面白さはなく、ただただスマホの画面だけを気にする結果になった。まあ、何もないより音があった方がまだましだけど。多分、ようちゃんは野球を見に行って帰りに上司に誘われて飲みに行ってるだけ。そんなの自分でもたまにあること。社会人ならよくあること。
中央線の終電が終わったであろう時間が過ぎてもようちゃんはまだ帰ってこなかった。メッセージをもう一回入れようかと思ったけど、ウザいストーカーみたいに思われても嫌だからやめた。テレビの雑音の中でチラチラとスマホのランプが光っていないかと確認をしていた。
ガチャッ――
ドアの音がして急いで玄関を覗く。
「あっ、ホタちゃん来てたの?」
こちらの気も知らないでヘラヘラと上機嫌の顔で言い放つ。
「ようちゃん遅くない?もう終電も終わってる時間だったから心配してたんだけど」
不安もあってか強めに言ってしまった。玄関に向かいながらドアを見ると、彼女の後ろに目が見えないほど前髪が長く表情が読めない男が立っていた。
「あっ、会社の後輩。送ってきてもらっちゃった」
後ろにいる男を雑に紹介すると、玄関にパンプスを転がすように脱ぎながら「今本持ってくるね!」と部屋に入っていった。突然玄関で二人きりになってしまった。
「えーっと」
なんと会話を始めようと迷っていた。
「藤原さんですよね?」
彼の方から話しかけてきて少しだけ驚いた。
「僕、松澤と言います。都の案件のWEBデザインをしました」
ああ、あの一度も打ち合わせに来なかった彼か。打ち合わせには来ないのにようちゃんをこんな時間まで連れまわすんだ、と腹が立った。
「ああ、松澤さんでしたか。お世話になっております。対応が早くて先方も喜んでいましたよ」
一気に仕事モードになった。気に食わないが感情的にはなってはいけないと思った。
「藤原さん、陽香さんと付き合ってるんですか?」
相変わらず読めない表情のまま問いかけてきた。何よりも『陽香さん』という馴れ馴れしい呼び方にイラッとした。これは自分が他の仕事相手とは違い彼女と仲いいアピールを俺にしてきているんだ。
「どうかな?合鍵は交換してる仲だけど」
少し意地悪くこの松澤という男に言い放つ。
「付き合ってませんよね。陽香さんに彼氏がいたら俺と二人で野球を見に行って飲みに行くなんていう不純なことしませんし」
逆に牽制されてしまった。見た目によらず好戦的な奴だ。
「俺、陽香さんの秘密知ってますよ。多分藤原さんは知らないんじゃないかな。俺たち秘密共有してる仲なんで」
彼はそう言いながら少しだけ口角を上げた。
彼から宣戦布告を受けていると部屋からガサガサと音を立てながらようちゃんが玄関に戻ってきた。
「これ、背景資料の本ね。CD-Rも入ってるからそのまま読み込めるのもある。これは私が美大時代に描いたやつ。使えそうなら使って。すごい重いから気をつけてね」
「陽香さんの絵まで入ってるんすか?最高じゃないっすか!」
「風景画だけね。背景に使えそうなやつ」
「別に陽香さんの絵全部入れてくれてよかったのに」
「死ぬほどあるから入らないよ」
「じゃあ、ぼちぼち見せてくださいね!これありがたく借りますね」
「返すのいつでもいいよ」
「そういうこと言うと俺永遠に借りますよ」
「ハハハ、もうあんまり使わないからいいよ」
「ありがとうございます。じゃあ、おやすみなさいっす、陽香さん。あっ、藤原さんも」
俺の存在などいないかのように二人だけで会話をしていた。松澤という男は今まで俺に対して接していた仏頂面とは打って変わって、ようちゃんに対しては犬が飼い主にじゃれているかのように声色が明るくなった。
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