月の瞳に囚われて

深緋莉楓

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第26話 逢魔刻にむけて

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 動画を見て、無駄話をして、三人で郷の果物を食べる。
 俺が吐く度に二人は背中をさすって労ってくれた。
 深夜を過ぎる頃にはかなりの量の果物を一気に食べられるようになっていた。それでもまだ吐く。

「深海さん、眠りましょ?」
「あー、うん」

 寝る前にもう一回吐きたい気がする。そう言うと朱雀に引き寄せられ、抱きしめられていた。

「ぇ、朱雀?」
「……すまん。無理させて……」
「っ違うよ! さっき食べて、まだ吐いてないから、寝るなら吐いてスッキリしてからが良いなって! あ、白虎まで! 大丈夫だって!」

 朱雀と白虎の間に挟まれて、しかも朱雀の腕は俺ごと白虎まで抱きしめていて身動き取れず。
 更に耳元で白虎が今にも泣き出しそうな声で、ごめんなさい……なんて囁くから、申し訳ない気持ちが湧いてきてしまう。

「大丈夫だよ、本当に。俺にできること、ちゃんとしたいんだ。二人が必要だと思うってことはルナとっても良いことだろ? 俺が郷に行く為に二人がしてくれたこと考えたらさ、恩に報いたいっていうか……それに、さっき言ったのも本当。スッキリしてから寝たいんだ」

 だからもう少し待って。

「……こんな目に合わせるのは俺達の都合だ……」
「深海さん、郷は今……」
「良くない状況、なんだろ? 何となく解る。まだ郷の住人じゃない俺が聞いて良いのか解んないし、郷も見たことがないから、朱雀みたいに郷が大事だって心から言い切れない。でもルナは何よりも大事、それだけは解ってる」

 少しは覚悟が伝わっただろうか? それとも郷を大切にしろって怒られるだろうか?
 朱雀がぎゅっと抱いた腕に力を入れて、すぐに解放してくれた。

「二人のことも大事だぞ?」

 そう言うと朱雀はにやっと笑って、上等だと言って頭を掴んできた。俺は今回は文句を言わずに回されるままでいた。
 気持ち良いんだ。朱雀のでっかい手からは、心配すんな、無理すんな、安心しろ、任せろって、そういう気持ちが伝わってきて。ぐるんぐるんされるのは目が回るけど、まぁそれも良いかなって思える。
 思えるけど……。

「回し過ぎ!」
「ああ! 深海さんが吐いてしまう!」
「吐かせてぇんだよ。早く吐いて寝てもらわなきゃツラいのは深海だろ?」
「うぅ、そうです、けど……」

 白虎は頭を回される俺を心配して、耳元で

「吐きますか? 吐きそうですか? 吐きそうですよね? ね? 吐くでしょ? 吐けるでしょう? 吐きましょう?」

 と暗示か!? ってくらい繰り返して、すでに背中をさすり始めている。
 こんの天然心配性と俺様お人好しめ……大好きだよ。

「ま、て……キタ、吐く!」

 慌てて二人を振り切ってシンクに頭を突っ込んだ。
 吐くのにもコツを掴んだのか、ずいぶんと楽に吐けるようになった……気がする。

「休憩な! 横になれ」
「お疲れ様、深海さん。はい」

 相変わらず冷たい水で口を漱ぎ終わると両手首を二人に引かれてマットまで連行された。

「二人とも変化? する?」
「あぁ、その方が楽だからな。今夜もベッタリ張り付いて気を補充させてもらうからな? な、白虎」
「すみません……よろしくお願いします」

 ばさり、と床に着ていたままの状態で着物が落ちて、その中心には黒ウサギと豆柴。
 いそいそとマットに登る姿が可愛くて二人同時に抱き上げた。

「なぁ、俺も……二人みたいに変化できるようになる?」
「それは郷が決めることだな。お前にそれだけの力を与えても良いと郷が判断したなら、なれる」
「もしなれたら、最初に何になりたいですか?」
「んー……ルナと同じ猫になりたいかな。すっごく綺麗で可愛かったんだぞ! あんな綺麗な猫、絶対いないって!」

 どんなに猫のルナが美しかったか、そして出会った時はどんなに汚かったかを聞かせた。ヒキガエルが王子様になったかと思ったと言うと二人はくすくす笑って

和子わこは手を差し伸べてくれた深海さんをこの世の神様かと思ったって言ってましたよ?」
「言ってたな! 月の光に照らされた深海が神々しくて、汚れも気にせず抱き上げてくれた腕の中はすごく心地良くて、思わず寝た! って。深海はすごい、深海はすごいのだぞ! って」
「あ。確かに寝てた」
「そうだ! ピラピラした魔物に襲われて、そいつが離れなくて困っていたら深海が助けようとしてくれたって。この世にはくっつく魔物がいるって本当か?」

 あの時ルナは……。ふふっ、そうか、あれは魔物に見えたのか。

「あれは、ビニール袋ってヤツ。買い物とかするともらえるんだ。人が作ったモンだけど確かに魔物みたいかもな。静電気でひっつくし、通気性はないから、ゴミとして捨てられたビニール袋で動物が死んだり、怪我したりする。小っちゃい子供も」
「……そうか。知識がないとやはり魔物だ。それから和子を守ってくれたんだな」
「感謝しなきゃ……私達も今守ってもらってるんですから」

 眠たそうな白虎の丸っこい背中を右手撫でて、何故か仰向け大の字の豆柴の腹を左手で撫でる。

「郷に行ったら、俺が色々と教えてもらったり守ってもらうんだからさ、よろしく。おやすみ!」
「任しぇろ」
「お任せを……」

 両サイドが温かくて、既に寝息を立て始めた二人につられて俺も瞼が重くなってきた。
 やっぱり疲れてたのかな……。

「ルナ……」

 起こさないようにポソッと。
 会いたい。会えたらまずは抱きしめよう。苦しい! って怒られるまで抱きしめて、ちゃんと……あの目を見て、ちゃんと……。

「ぅぐーっ」
「ぐるじいぃ……」
「……寝相が悪いです……」

 豆柴が寝惚けて俺の胸を横断しようとして登ってはずり落ちて登ってはずり落ちて、それで起きた。
 のっしのしと胸の上を這う豆柴の首根っこを掴んで黒ウサギの隣に並べてやると、一瞬でヒトに戻って、まるでぬいぐるみを抱くかのように黒ウサギをサッと腕の中にしまい込んだ。
 せめて布団をかけるまで、待てないかな!? そもそも盗らないしって、寝てるから無理か。

「……おはようございます……」
「あー、うん、おはよ……」

 寝てる時も大切で片時も離したくないって寝惚けた朱雀が体現している。というわけで、お邪魔虫は退散します。夕方六時の逢魔刻までに俺は穢れを抜かなきゃいけないし、それがいつ抜けるかなんて解んないから早速取り掛かるとしようか。

 いつもはコーヒーだけど、ダメだろう。顔を洗うのも、どうなんだろう? とりあえず口は竹筒の水で漱いで、二人が起きて来たら聞いてみよう。

「お、梨発見!」

 喉の渇きも空腹も一気に解決できる気がして齧りつく。
 一晩経っても瑞々しい郷の梨はべらぼうに美味かった──俺は梨がかなり好きだけど、なんか世間では梨の評価が低いような……?
 梨を丸々一個食べても吐き気はこない。次は、と袋に手を突っ込んで熟したスモモを取り出す。
 スモモ、柿、ミカン、無花果と食べ進めて、リンゴを半分齧ったところで本日初嘔吐をした。
 初めて吐いた吐瀉物と比べると少し色が薄くなった。多分見間違いじゃないと思う。
 ちゃんと抜けているんだと思うと俄然ヤル気が出る。

「深海からは清涼な気しか出てない! すごい!」

 そうルナに言われたい。よしんば抱きつかれたい。
 こんな邪な思いも原動力に加えつつ、食べ切れなかったリンゴを齧る。

「深海さん、大丈夫ですか?」

 白虎が起きて来たのは俺が三回吐いた後だったと思う。
 艶やかな声も押し殺した声も聞こえなかったから、純粋に眠っていたんだと思う。

「あ、先に食べてる。朱雀も起きたならコーヒー淹れようか?」
「いえ、私達も深海さんと一緒が良いです。こぉひぃは和子を交えてのお茶会を楽しみにしてます」

 お茶会か。できると良いな。その中心はルナじゃなきゃ、俺はコーヒーの一杯も淹れないけど。

「深海さん、どのくらい食べました?」
「えーと。最初は梨、スモモは二つ、ミカンと無花果。あと柿で、リンゴ半分で吐いた。今はもうちょっと食べられるようになった」
「本当に!? たくさん食べられるようになりましたね!」
「腹減ってたから一気に……それにすごく美味しいしさ」

 白虎にはブドウを一房渡して、食べかけのリンゴに齧りついた。
 赤い髪に指を通しながら出てきた朱雀は俺の目の前にしゃがみ込むと俺の目を覗き込んで

「悪い。寝過ぎた……隈もできてないし、目の光もしっかりしてるから、大丈夫だな?」

 そう安心した様子で寝起きの声で言う。俺はきちんと安心してもらう為に現状報告をした。

「大丈夫。かなり食べられるようになったし、吐くのも楽になってきた。あと、多分だけど、なんか色も薄くなったような気がする」
「そうか。すげぇな……お前気付いてないだろうけどさ、溢れ出る気の質が変わってるぞ」
「え? ホント!?」
「おかげで私も、よりぐっすり眠れました」

 ホントですよ、と優しく笑う白虎は嘘をついているようには見えない。俺はてっきり昨日郷とこっちを往復したから疲れて、ついでに朱雀の腕の中が心地良くて、朱雀は白虎を抱いている安心感から寝過ぎているのかと思っていたのに、原因はまさかの俺!?
 このペースで身体から穢れが抜けていけば、帝は無理でも尾白くらいは少しは認めてくれるかも知れない。
 祈りながら好物の木苺に手を伸ばした。

 食べて吐いて。白虎と朱雀が交互に背中をさすってくれて。
 どんどん俺から出る穢れの色が薄くなって、それを二人が喜んでくれて、一回で胃に収められる量も増えて、それが嬉しくて食べ続けた。

「あー、もームリ!」
「吐きそうか! 我慢せずに吐け!」
「背中、さすりますね」
「いや、満腹でもう食べられない……水飲みたい」

 満腹感で眠たくなってくる。
 美味しい物を腹いっぱい食べたら誰もが感じるアレだ。血液が全部胃に集まって、ぼうっとしてくるアレ。
 無遠慮に大欠伸をした俺に朱雀と白虎が吐きそうな気はするか? としきりに聞いてくる。

「んー全然……お腹いっぱいで眠たい」
「おい、それって……」
「ええ、多分。もうちょっと様子を見ましょう」

 二人が何か喋ってるけど、眠くて……。座ったままうつらうつらし始めた俺をふわりと抱き上げてマットに運んでくれたのは朱雀だと思う。

 次に目が覚めたのは起こされたワケじゃなかった。
 これ以上はないというくらい深く眠って、寝起きのくせに異様に頭が冴えていた。
 二人の姿はこの部屋にはない。あの狭いキッチンにいるのだろうか?

「朱雀ー? 白虎ー?」

 ドアを開けると、肩寄せ合った二人が笑っていた。

「深海さん、穢れが全部抜けましたよ!」
「でかした! 逢魔刻までまだ余裕もある。やったな、深海!」

 ウソだろ……マジで……?
 口を開けて二人を見る俺に、にやりと朱雀が笑いかける。

「金、まだ持ってるか?」
「へ? あ、ああ小銭なら……」
「持ってみろ」

 脱いだコートのポケットに入れたままの財布を手に取った瞬間、寒気がした。不思議に思いつつ五百円玉を掴んで、驚きのあまり床に落とした。

「どうだ?」
「痛い。ビリビリした……なんで?」
「お金が溜め込んでいるこの世の穢れに反応したんです。私達は紙のお金を渡されたでしょう? もう痛くて痛くて……」

 白虎に手を引かれて、竹筒の水で手を洗われると痛みはすぐに引いた。
 何も変わらないはずの自分の掌を眺める俺に白虎が微笑む。

「行けますよ! 深海さん」
「ああ、和子に会いな!」

 笑顔の朱雀の得意技の頭ぐるんぐるんが嬉しくてたまらなかった。

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