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第3話 待ち人

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 目の前を学生服に身を包んだ男女が仲睦まじく通り過ぎてゆく。
 俺は彼らのあとを追い、肩寄せ合って絵馬に願いを書き込む二人の肩の間からひょいと覗き込んだ。
 覗き見とは大した悪趣味だと思うものの、彼らからは見えないし、なかなか現れない待ち人を現行犯で捕まえたくなったのだから仕方がない。

「同じ大学に行けますように、か」

 ハズレた。まぁそうだろう。想い人の横で助けてくれなどと書くわけもない。
 次に絵馬を手に取った男は妻の腹の中の赤ん坊の無事を祈願して、賽銭を奮発し、ついでに社務所でかなり値の張る御守りを購入して帰って行った。ありがたい事だ。

 今日も俺は待ちぼうけを食わされるらしい。陽はすっかり傾き、蝋燭の炎のような濃い橙色が墨に呑まれようとしている。
 絵馬掛所にもたれて、ところどころ塗装の剥げた朱塗りの鳥居の奥──俺には行けない人間の世界──を見つめる。

「御神籤でも引いてみようか」

 待ち人来ず。きっとそう書いてあるに違いない。

 さあ、今日も諦めて本殿へと帰ろうか。身体を動かすと風もないのに掛けてある絵馬が揺れて微かな音を立てた。こういうのを心霊現象だなんだと騒いで楽しむ人間もいるのだろう。俺は幽霊ではないのだが、目に見えず、声も聞こえずの存在ならば大した違いはなかろうか。
 そんな事を考えながら本殿を目指していると、闇に紛れて傍を風の如く駆け抜けてゆく者があった。巻き起こった微風が頬を優しく撫でて、すぅっと消えた。

「おい、待て!」

 慌てて振り向いても、そやつは足を止める事なく絵馬掛所へと掛けてゆく。

 お前かもしれないじゃないか。
 俺の待ち人は、お前かもしれないじゃないか。

 手元が見にくいのだろう深く頭を下げて、右肩が細かく揺れている。まだ細いその肩の左側に顎を乗せて覗き込めば

 ──神様どうかお願いします。僕を助けてください──

 そこには見慣れた文言と癖字があった。

「確保」
「っわぁ! だっ誰!?」
「ん、あぁ、ここの神様」

 少々驚かせたのは申し訳ないが、こうして顕現して捕まえないと俺はまた残された絵馬を見て頭をひねる事になるだろう。

「は? 嘘つけ、離れろヘンタイ」
「お前、存外と失礼なヤツだな」

 太陽の最後の一筋が、黒い瞳を際立たせる。怯えの気配はない。ただ、気を許されたわけでもないのは、俺を引き剥がそうとする身体の動きで解る。

「お前はこうも願っている。神様、僕を殺してください、だ。違わないだろう?」

 はっと小さく息を飲んだ彼は、一瞬眉根を寄せて苦しげな表情カオを見せすぐに俯いてしまった。

「ついて来い。外は冷える」
「どこへ?」
「本殿。俺は暑さ寒さでどうこうなりはしないが、お前達人間は違うだろう?」

 真夏の暑さで、真冬の寒さで、梅雨の長雨で、秋の嵐で、作物の不作で、死んでしまうのだろう?

「本気で神様気取りかよ……」

 掴んだ手首から流れ込むのは呆れに似た感情だった。どうやら彼は俺の事を自称神様の変質者だと思っているようだし、その誤解も解かねばならない。

「名前ぐらい、書け。せっかく見つけても名も呼べない」
「あんたみたいなヘンタイに知られたら厄介だから書くわけがない。っていうか……」

 彼は引かれるままだった身体に力を入れて踏みとどまると、ひどく硬い声でカミサマと俺を呼んだ。

「カミサマ、あんた、いくらで俺を抱くつもり?」

 自分の値段を聞く彼の目は昏く、希望も絶望も浮かんではいなかった。

 まだ名も知らぬ彼の頬を叩く乾いた音が境内に響いた。

    
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