囁きは蜘蛛の糸

深緋莉楓

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第36話 憂晴れてのち

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※紫苑視点になります。

 ずっと憎まれ口を叩いていたあの男は、最期の最期で本心を見せた。
 多分理解できたのは俺だけだと思う。
 あの男にとって神は創造主。いわば親だ。愛されたいと願うのは本能だと思う。

 子供にとって親は世界を支配しているまさに神のような存在で、捨てられたら生きてはいけないと本能で理解しているんだと思う。
 俺も必死で、機嫌を損ねないように顔色を伺っていたっけ……上手くいった試しはないけれど。

「……どうした? 紫苑しおん

 ぴちゃんと天井から水滴が湯船に落ちて、俺の暗い回想は柚葉ゆずはの優しい声で断ち切られた。

「うん……ちゃんと眠れてるかなって」
「あの男か?」
「うん……すぐ蘇るって言ってた。それは本当だと思う。人間の世界ではルシファーは名が知れ渡ってるからさ、こうしてお風呂入ってる間にももう復活してたりして……」

 少しでも長い眠りについてくれたら良いのに。
 眠っている間は、もしかしたら幸せな夢が見られるかも知れないから……。

「俺にはさっぱり解らん。結局あいつは何者だったんだ? 堕天してサタンじゃないかと言われたのは何人かいるんだろう?」

 背後から抱きしめてくれる柚葉の腕の中はお湯の中より心地良くて安心する。俺の肩が冷えないようにと湯を掬ってはかけてくれる優しさも好きだ。

「ルシファー、サマエル、サタナエル。あとはマステマだったかな……多分、多分ね、あの男は全員と思うよ。人間がごちゃごちゃにしちゃってさ、ルシファーって名だけが広まったんだと思うんだ。最期、少しだけ心が見えた──名を呼んでもらえないって、泣いてた。全員であって全員ではない……神のみぞ知る名前なんだろうね」
「そうか。きっと今しばらくは穏やかな無だ。だからもう呼ぶなよ?」

 柚葉の言葉にハッとした。せっかく柚葉が少しの間でも眠りを与えたのに、俺が呼んで起こしてしまったらなんの意味もない。

「お、起きるかな? どうしよう?」
「……そうじゃなくて。俺以外の者の名をそんなに心を痛めて呼ぶなと言っているんだよ」

 身を乗り出した柚葉は耳元で不満そうに囁くと、ついでとばかりに俺の耳朶を噛んで、そのまま唇をずらして首筋にキツく吸いつく。
 そこはすっかり柚葉に開発された場所で、俺は思わす首を竦めた。

「っん、くすぐったい」
「こら、逃げるな」

 ぱしゃんぱしゃんと波打つ湯船の中の攻防はあっさり俺の負け。大きな柚葉の掌としっかりした胸板に背中を預けてゆっくりと目を閉じた。

 俺にはこうして寄りかかれる人がいる。
 柚葉が俺を見守り続けた時間よりももっと長い時間を共に歩いていける。

──待たせてしまった分、ずっとずっと傍にいる。

「紫苑?」
「んー?」
「こっち向いて。キスしたい」

 直球のお願いに笑いそうになりながら首だけ振り返って、柚葉の首の絞められた痕に目が釘付けになった。
俺の蔦がつけた傷……。

「ごめんね」

 少し身を沈めて、赤紫に変わったその痕を舐めた。

「なんで紫苑は自分のせいじゃないのに謝るんだ? これはあの阿呆あほうがやった事だ。それにな? 気付かなかったか? この痕を見ても気付かないか?」
「え、何? 痛そう……だけど」

 濡れた掌に頰を包まれて、湯船の中で身体を入れ替えた俺はまじまじと柚葉の首を観察した。

「棘が刺さった傷がないだろ? 紫苑はあいつが俺の首に蔦を巻いた瞬間に棘を引っ込めたんだよ?」
「ウソ……ホントに?」
「ふふ、愛だな?」

 ちゅ、と額に柚葉の唇の感触。何度も何度も唇が引っついては離れていく。
 その唇が目蓋に鼻の頭にと移動して、上唇を挟まれた時には俺から柚葉の首に腕を回した。

「……ホント可愛い……ん、チクッとしたら……棘消えたし……」
「知らな、いよ……そんな器用な事、できな」
「だから嬉しいんじゃないか……無意識……ふふ、愛だろ? な?」

 柚葉が含み笑いをする度にくすぐったくて、確認するように何度も聞くから、口の中を荒らす柚葉の舌を犬歯で軽く噛んでやった。
 こくっと柚葉が唾液を飲み込んだのを合図にそっと舌を解放した。

「うぅ、あ、愛だよ! 俺のせいで柚葉が痛いのイヤだもん! だからきっと引っ込めちゃったんじゃないの? 俺知らないけど!」
「可愛い……な?」
「ふわぁ……!」

 甘い声と舌が耳を襲う。ぞわりと微かな快感が駆け抜けて、気付けば俺の上半身は柚葉にペッタリとくっついていて、目の前の蔦の痕に繰り返しキスをしていた。
 つぅっと首の付け根から尾骶骨までを柚葉の指が滑る度にぴくんと揺れる身体は柚葉と密着したせいで胸からの刺激すらただの刺激ではなく明らかなとして捉え始めていた。

「ぁ、ん、やだ」

 どんどん頭に霞がかかっていく。耳、首筋、背中、支えてくれる腰に回った腕がたまに俺のナカへ入ろうと仕掛けてくる。

「もっとこっち。傍に来て」
「ん、ぁっや、待ってゆず、は……ここじゃやだ」

 湯気で柚葉がぼやけて見える。
 もっとちゃんとあの綺麗な目を見たいのに、濡れた髪から流れる水気や睫毛に纏わりつく湿気が邪魔をする。
 だから、ここじゃイヤだ。

「ベッド?」
「ん」

 運んで、と口に出さなくても柚葉は軽々と俺を湯船から抱き上げ、丁寧に全身の水気を拭いてくれた。わざと乳首に爪を掠めるイタズラにも最早文句の言葉もなく、ただ早く新しい刺激と快感を柚葉と分かち合いたかった。

 ぼすっとベッドに下ろされて、すぐに笑顔の柚葉がのしかかってくる。クスクス笑いながらキスを仕掛けてくる柚葉の首にもう蔦の痕はなかった。

「首、もう消えてる!」
「そう? 紫苑が嫌だって思ったから消えたんじゃないかな? 紫苑の力でついた痕だったから」
「そうなの?」
「多分ね」

 テキトー! と非難の声を上げると、柚葉は目を細めて俺の唇を塞いだ。
 柔らかい唇と濡れた舌、優しく頰から首筋、肩……と確かめるように撫で下りていく熱い掌に俺の呼吸も体温も上がっていく。
 じっくりゆっくりと舌を絡めて行う唾液の交換はそれだけで胸の奥から言いようのない温かな何かが湧き上がってくる。
 もっとして欲しい、もっとしたい。キスだけじゃイヤだ。もっとちゃんと繋がりたいって欲がとめどなく溢れ出す。それを俺は柚葉からも感じる。

「っん、はぁ……ゆず」

 なんでキスやめちゃうの? もっとしたいのにって思った俺を柚葉はぎゅっと抱きしめた。
 耳元で柚葉の少し乱れた呼吸音と、それに紛れるくらい小さな

「良かった……」

 の囁きに、そっと柚葉の背中に両の掌を当てた。しっとりとした肌とその下の筋肉や骨を指でなぞった。

「柚葉?」
「うん? あ、あぁ。紫苑が無事で良かったなって」
「ん。ちゃんと鬼化きかできた」

 朱殷しゅあんが言った力は守る為にあるって言葉と、優希ゆうきを見守ると言ってくれた柚葉の想いが定まらなかった俺の妖力の安定を助けてくれた。
 俺がちゃんと妖力をコントロールできて鬼化できれば柚葉に庇護されるだけの存在じゃなくなる。優希も守れるし、柚葉の傍に立つ事もきっと許される……柚葉に恥をかかせる事もない。

「へへっ、嬉しかった!」
「強かったし、美しかった……あの戦いの間に何度紫苑に惚れ直したと思う?」
「あの緊迫した状況でっ!?」
「いやいや、緊迫した状況だからこそ! カッコ良かったよ?」

 だからね……と甘い声が耳元をくすぐる。

「鬼化して?」
「キスしてくれたら、する」

 バカみたいな交換条件にも柚葉は良いよと笑って、少し身体を起こすと俺の顔を両側に肘をついて逃げ場なしにしてしまった。

「むぅ、もっと」

 ただ触れるだけで離れていったキスに満足なんてできなくて唇を尖らせれば、口の隙間から舌を覗かせた柚葉の綺麗な顔が迫ってくる。嬉しくてたまらない。

「……ん、紫苑? 鬼化、は?」
「する……あ、待って、キス止めないでね?」

 さわさわと湿った髪を指先で弄ぶ柚葉にお願いすると、キスが一層深くなった。舐めまわされる咥内の粘膜も擦れ合う舌の味蕾の感触も流れ込む柚葉の唾液も嬉しくて愛しくて、こくんと喉を鳴らしてぎゅっと柚葉にしがみついた。

 ちゅぷ、と離れた唇が掠れる距離で柚葉はにこりと笑って愛してるよと囁いた。
 その囁きに胸が押し潰されそうになる。あんな戦いをした直後だというのに、俺の中には不安も恐怖も戸惑いもなくて、目の前の大切な人に全てを捧げて応えたくて仕方がなかった。

 風呂場から直行でベッドに運ばれたから当然俺達は全裸だ。柚葉は体重をかけないように肘で上半身を支え、下半身は投げ出された俺の身体の横に添うように気を遣ってくれている。そんな優しさも好きだ。

「柚葉……あ、え?」

 唇から離れて、首筋へ。きっと次は胸の刺激がくると構えていた俺は柚葉の動きに固まった。
 鎖骨を唇が這う。たまにキツく吸い付かれながら、どんどん柚葉が移動していく。鎖骨の次は胸骨へ。次は肋骨へ。
 ぞくりぞくりと鳥肌が立つのを止められない。唇が這っているだけなのにびっくりする程気持ち良い。

 腰骨を舐めた後軽く噛んで顔を上げた柚葉は俺の下腹にキスマークをつけると俺の手を引いて身体を起こさせた。
 こんな柚葉は初めてだ……ワケも解らずされるがままの俺は次の柚葉の行動に赤面した。

 柚葉は俺の手の甲にキスを一つ落とすと、親指の先にキスをしてまるでフェラをするかのように形の良い唇に吸い込んでしまった。親指の次は人差し指……右手が終わったら次は左手。左手の薬指は特に丹念に舌の愛撫を受けた。

 柚葉が色っぽくて身動きできない。でも、こんなの恥ずかしい。

「どうして? 紫苑の全部が愛しいのに。気持ち悪い?」
「嬉しい!」
「顔、真っ赤」
「恥ずかしいもん!」
「何回も抱き合ってきたのにね、俺もちょっと、いや、かなり恥ずかしい」

 照れたように笑う柚葉の表情カオはやっぱり綺麗だった。

「約束だからね?」
「あぁ解ってる。神は約束を」 
たがえない」 

 そうだよと微笑んだ柚葉はもう一度左の薬指にキスをすると、勃ち上がりかけていた俺の半身を無視して、膝の内側から内腿を焦れったい程ゆっくりと丁寧に舐め上げ始めた。
 柚葉が太腿にキスマークをつけ、軽く歯を立てる度に、触られてもいない俺の半身はふるりと震え、血液を集め出した。

「愛してるよ、ずっと」
「っあぁっんっ」

 じわりじわりと身体に熱を与えていた快感が一気に半身を口に含まれた事で腰が浮いてしまう程の快感に変わった。
 柚葉は殊更丁寧に唇を使い、舌を使い溢れた唾液と俺から滲み出した体液で刺激を強めていく。
 俺からは惚けたような、あ、とか、んぅ、なんてマヌケな言葉にすらならない声が洩れるだけだった。
 そんな俺を愛おしそうに見つめる柚葉は俺のを咥えたまま目だけを細め、吐精を促すようにより深く咥え込み手の動きを早めた。
 前は恥ずかしくてつい閉じようとしていた脚を自分から開いて、股間で揺れる柚葉の髪にそっと指を絡めて、俺しか触れられない角を撫でた。

 俺のものなんだ。この人の全部俺のものなんだ……そう思ったら。

 柚葉が俺の吐き出したモノを嚥下する音が静かな部屋に響くのがすごく卑猥でドキドキする。
 ちゅううと吸い出されると腰が痺れて、俺も飲みたいっていう欲求で頭がいっぱいになった。

「ぁ、こう、たい、しよ? 俺も飲みたい」

 今日は手伝ってもらわなずにイかせてあげたいななんて妙に気合いを入れて、滾る柚葉の半身に指を添わす。
ビクッと反応するそれに思わずクスッと笑ってしまって、柚葉にコツンとゲンコツをもらった。

「すご……嬉しい……」

 今まで魅力的な鬼神男女問わずに頼まれて気が向いたら抱いてきた柚葉が、俺にだけ興奮してくれてるっていうのがものすごく嬉しくて、口の中いっぱいに頬張って、苦しいのもかまわず奥へと呑み込んだ。

──ヘタだけど、気持ち良くなって。
──もっと強く握った方が良い? ココは?

「っふ、し、おん……っんっ」

 はぁ、と艶やかな溜め息が頭の上から降ってきて、そうっと角や髪を撫でられて、唾液の量が一気に増えた。
 じゅぷじゅぶと響く卑猥な音も今はスパイスの一つなのか、口の中で更に存在を主張するモノを不器用ながら必死に扱いた。

 唾液と混じった柚葉の味が濃くなる。ぎゅっと目を閉じて喉の奥まで咥え込むと、優しく頭を撫でてくれていた柚葉の指がツンと髪を引いた。
 痛かった? やっぱりダメ? 不安で視線を上げると、目の端を朱に染めて下唇を噛む柚葉と目が合った。

「……んっ、も、出る」

 短く切羽詰まった口調。
 望んだ瞬間がくる……限界まで咥え込み、意識して喉を開く。目尻から涙が零れたけど、直接流し込んで欲しかった。柚葉が欲しい。
 
──欲しい。

「ん、ぅん……おいし……」
「またそういう事を言う!」

 柚葉をイかせられた満足感と喉に残った味にうっとりとしてつい手で喉を摩ると照れ臭そうに笑う柚葉に引き寄せられた。

「挿れたい」
「ん」

 もう慣らさなくても良いって思うくらい早く柚葉が欲しいのに、柚葉は丁寧に丁寧に俺を解して、暴いていく。
 すっかり息の上がった俺を壊れ物を扱うかのようにそっと抱き、やっと一つになれた頃には俺はぐったりとして柚葉にもたれ掛かっていた。

「紫苑? だいじょ……ん」

 大丈夫かどうかはもう解らないけど。
 下半身は溶けたみたいに力が入らないし、柚葉の体温を感じるだけで全身が震える程気持ち良い。それを解って欲しくて柚葉の言葉を遮ってキスをした。

「俺も。すごい気持ち良い……嬉しい」

 紫苑の中の陰りが消えたね、と耳元で囁いた柚葉は俺の腰を掴むと更に奥へとねじ込んできて、俺は脚をバタつかせて必死に柚葉にしがみついた。

 陰りが消えたのは柚葉も同じ。

 こうやって何かを乗り越える度、ヘタレな俺達は連れ合いとして少しずつ完成していくのかも知れない。

「きもちい……ね、ゆず……」

 身体の中を抉る熱も、背中に回された腕も。

「気持ち良くて、どうしよっか?」

 やけに明るい口調の柚葉はクスクス笑って、こつんと額を合わせてきた。
 目の前の深緑に息が止まりそうになる。

「ぁ……」
「こら、急に締めるな。簡単にイくぞ?」
「柚葉絶倫だから、何度だって平気でしょ?」

 柚葉から始まったクスクス笑いが俺にも感染して、クスクスクスクス何がおかしいのかも解らず笑い続けて、その合間にキスをして

「紫苑もぶっ飛ぶくらいイかせてやるな?」

 って物騒な柚葉の宣言と共に俺の身体はあっさりとベッドへと沈められてしまったのだった。

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