神がこちらを向いた時

宗治 芳征

文字の大きさ
上 下
60 / 70
第九章

9-6

しおりを挟む
 猫の面は、玲子、竜次、向坂、遠山の順で回され、遠山は見終わるとテーブルの上にそっと置き、切ない表情で口を開く。
「波多野さんは面を使用する際、この文字を毎回自分自身へ刻んでいたんじゃないんでしょうか? 許せない……でも……許さなければならない。どうしてもわき出てしまう憎しみという感情を、必死に抑え込もうとしていたんだと思います」
 打ちひしがれている賢吾に、遠山の重みある言葉が刺さった。
 賢吾は感情を抑えようと奥歯を思いっきり噛み締めて、対面している向坂と遠山に向き直った。そして、真っ直ぐに見つめてくる向坂と視線が交わった。
「大宮さん。楓さんは恩人が私に依存していた部分がある、互いにとって良くないと言っていた。とのことでしたよね? それが正しく答えなのだと私は感じました」
 向坂がそう述べ、
『私に依存していた部分があるって言っていたんです』
 と賢吾の脳裏に深刻そうに言う楓がよぎった。
 賢吾が硬直している中、向坂は話しを続ける。
「輝成君は自分を大宮賢吾だと楓さんに言っていました。遠山が言う通り、輝成君は許したし許せなかった、偽らざるを得ない感情であったからだと思います。けれど、私はそれだけが理由ではないと思いました。輝成君は、鉄に固執しすぎていました。だからこそ鉄が残した娘は、例えそれが憎しみの対象でしかなかったとしても、彼自身の生きる糧になっていたんじゃないでしょうか? そして楓さんと触れ合う内に本性を知り、彼女が何も悪くないことを痛感したはずです。私は、輝成君が楓さんを嫌々庇護していたとは思えないんですよ」
 向坂がそこまで言うと、
「俺も、何となくわかったわ」
 竜次も溜め息まじりに続いた。
「賢吾」
 竜次に呼ばれ、賢吾は顔を向ける。
「輝成は守屋さんと触れ合っていることが、本当は楽しかったんじゃないのか? だが、あいつは10.5被害者の会の副会長でもあった。真利亜ちゃんだけではなく、沢山の命を奪った凶悪犯罪者の娘を楽しんで世話をする。お前や遺族の方に対して不義理になると負い目を感じ、楽しもうとしなかったしできなかった。賢吾、だからこそ輝成はお前に託したんじゃないのか?」
 そう言う竜次に賢吾は目を見張り、向坂は頷いていた。
「輝成は頭のいい奴だ。客観的に見て守屋さんに罪はなく、理由のない地獄を味わっていた彼女は、幸せになるべきだとわかっていたはずだ。守屋さんを幸せにするのなら、輝成自身が許して愛すことが一番簡単だった……それもわかっていたと思う。だけど、さっきも言ったが輝成は自分に制限をしていた。そうせざるを得ない状態だったんだ。守屋さんを施し進む道を教えることはできても、やっぱり輝成は選べなかったんだよ」
「……だからって……俺が守屋楓を幸せにしろと?」
 竜次の言いたいことはわかったが、賢吾は何でそれが自分なんだと憤然たる口調だった。
「輝成は理解していたし、すべきこともわかっていた。けれど……できなかったんだよ。だから、お前に託すしかなかった」
 そう、竜次は嘆く息を吐きながら言い切り、
「コウちゃんが生きていて、楓ちゃんが大宮賢吾を探しにウチに来たとする。それでもコウちゃんは普通に接して、あとは賢ちゃんに委ねたと私も思う」
 と、玲子も同意した。
 何でそんな簡単に受け入れる?
 直ぐに納得できるのだ?
 賢吾は竜次と玲子を非難するような目つきになった。
「だから! 何で俺なんだよ? 俺だって鉄恭一に真利亜が殺されて、コウがもがき苦しんでいた様を見てきたんだぞ! ……許せと? ふざけるなよ!」
 抗い続け、絶対に譲らない賢吾。そんな態度に片倉が吐息を漏らす。
「守屋さんは確かに鉄恭一の娘です。世間からは凶悪犯罪者の娘というレッテルを貼られています。ですが……彼女はそれを望んだのでしょうか? 母の自殺を目の当たりにし、父は日本史上最悪の犯罪者、そして残酷に虐げられる日々を送る。そういう人生を送りたいと願って生まれてきたんでしょうか? ……フッ……そんなことを願う人間がどこにいるっていうんです? 彼女は何か罪を犯したんですか? 彼女への仕打ちは正当なものなんですか? どうしたら彼女は幸せになるんですか? 親の都合で勝手に誕生させられ、残酷すぎるレッテルを貼られた。彼女自身は何も選択していませんよ」
 独り言のように言っていた片倉は、賢吾に目を向ける。
「子供は親を選ぶことができません」
 片倉は確言した。
 その刹那であった。
『コウは、親を恨んだり憎んだりしてねぇの?』
『憎しみは何も生まないってよく言いますけど、実際には生むんです。それは何かというと、無為に過ごす時間を生みます』
『結局、意味がないってことか?』
『意味がないというか、勿体ないって感じです。両親を憎んで一時の感情に身を委ねたところで、ただそれだけで終わって無駄になっちゃいます』
『……達観してんなぁ』
『事実を受け入れ、自分で進むしかないんです。子供は親を選べませんからね』
 賢吾には片倉が輝成にダブったように見え、輝成の台詞がフラッシュバックした。
 片倉は自嘲的な笑みを浮かべ、
「僕も両親がクソだったので、輝成さんにそう言ってもらえたのは凄く救われました。輝成さんの両親は、僕の両親以上にクズでしたからね」
 そう言うと立ち上がった。
「自分は10.5の被害者じゃありませんし、あれこれ言う資格はないと思います。それに守屋さんは、完全に社長マターです。守屋さんをクビにする、メディタルを消す、いずれにしても従いますよ。けれど、週明けまでに答えをください。では、自分は会社に戻ります」
 片倉は言いたいことだけ言って、そのままリビングから離れ家から出ていった。
 ……おい……待てよ。
「そうだな。こりゃ、他人が口を出していい話じゃないわな。賢吾、飯を作って冷蔵庫に入れてあるから、ちゃんと食えよ」
 竜次は立ち上がるとキッチンへと向かった。
 ……だから待てって。
「大宮さん。楓さんの資料は全てこちらに提出させていただきます」
「まだ、お金を払っていませんよ」
 向坂から置かれた紙の束に目を落とし、賢吾は気力なく返事をした。
「既に、輝成君からもらっています」
 向坂はそう言って微笑んだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

あなたの子ですが、内緒で育てます

椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」  突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。  夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。  私は強くなることを決意する。 「この子は私が育てます!」  お腹にいる子供は王の子。  王の子だけが不思議な力を持つ。  私は育った子供を連れて王宮へ戻る。  ――そして、私を追い出したことを後悔してください。 ※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ ※他サイト様でも掲載しております。 ※hotランキング1位&エールありがとうございます!

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

思い出を売った女

志波 連
ライト文芸
結婚して三年、あれほど愛していると言っていた夫の浮気を知った裕子。 それでもいつかは戻って来ることを信じて耐えることを決意するも、浮気相手からの執拗な嫌がらせに心が折れてしまい、離婚届を置いて姿を消した。 浮気を後悔した孝志は裕子を探すが、痕跡さえ見つけられない。 浮気相手が妊娠し、子供のために再婚したが上手くいくはずもなかった。 全てに疲弊した孝志は故郷に戻る。 ある日、子供を連れて出掛けた海辺の公園でかつての妻に再会する。 あの頃のように明るい笑顔を浮かべる裕子に、孝志は二度目の一目惚れをした。 R15は保険です 他サイトでも公開しています 表紙は写真ACより引用しました

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

愚かな父にサヨナラと《完結》

アーエル
ファンタジー
「フラン。お前の方が年上なのだから、妹のために我慢しなさい」 父の言葉は最後の一線を越えてしまった。 その言葉が、続く悲劇を招く結果となったけど・・・ 悲劇の本当の始まりはもっと昔から。 言えることはただひとつ 私の幸せに貴方はいりません ✈他社にも同時公開

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈 
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

処理中です...