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北城市地区予選 1年生編
第73走 遺伝
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メイントラックでは、北城地区予選最終種目である八種競技の1500mが行われていた。
だが先ほどまで行われたマイルリレー(4×400mリレー)の余韻はまだスタンドに残っている。
そんな中、既に帰り支度を始めている高校は多数あったのだが、八種に出る選手がいないキタ高もその内の1校だった。
学年関係なくブルーシートや寝袋、マネージャー道具の片づけを行っており、途中でダウンを終えて帰ってきたマイルメンバーも、少し座って身体を休めた後に撤収作業に合流していた。
「マイルってカッコいいな!」
そんな中、興奮を隠せない様子なのは康太だ。
するとそれを聞いていた結城も答える。
「分かる、なんか走る時間も長いしハラハラするよな」
高校に入って初めて体験するマイルリレーの雰囲気は独特だ。
そもそもマイルリレーは高校から追加される種目なので、中学の試合では見る事すらできない。
なので初めて間近で見るマイルリレーの余韻は、1年生達の脳内に強く残っていたのだ。
するとその興奮を知ってかしらずか、80段はあろう階段を意気揚々と駆け上り、キタ高の陣地に1人の女性がやってきた。
そして開口一番に叫ぶ!
「元気かい、みんなぁ!!?」
近くの他校の生徒が振り向くほどの声量で叫んだその女は、両手を広げながらキタ高の部員達を見ていた。
そして彼女の姿を見て大きな反応見せたのは、現3年生たちだ。
「き、木本先輩っ!?」
3年の女子達は一斉に満面の笑みを浮かべていた。
そしてマネの楓と短距離の加奈は勢いよく彼女へ抱きつく!
そう、大きな声を発した主は木本由佳の姉、木本知佳だったのだ。
「知佳さんお久しぶりですっ!!!」
「おうおう、可愛い1年生だったのに、大きくなったねみんなぁ~!」
知佳は満面の笑みを浮かべながら、2人の頭を優しく撫でた。
少し離れた所で見ている美月も、珍しくウキウキしたような表情を浮かべている。
そう、現在の3年生が1年生だった頃の3年生が知佳だったのだ。
ちなみに知佳は、コンビニに行く結城と話し終えて由佳のレースを見た後、たまたま競技場で会った知り合いと話しながら試合を見ていた。
元々顔が広い知佳は、その後に何人とも話し続け、その結果最終種目の八種が始まったタイミングで母校であるキタ高の陣地へと”ようやく”やってきていたのだ。
「あれ、木本さんじゃないすか」
すると階段から上がってきた渚が、知佳の存在に気付いた。
渚の右後方には隼人も居る。
「おおっ!2人も大きくなっちゃって~!元気してたかい!!」
そう言うと知佳は、渚と隼人の方に軽やかに移動し、2人を胸元に抱き寄せた。
身長が高く肩幅も広い知佳にとって、男子2人を包み込む事は容易だったようだ。
「ちょ……!?やめて下さいよ!子供じゃないんすから」
「いやいや~、あたしにとっちゃ息子みたいなもんよ~」
渚は嫌がりながらも少し、いや、”かなり”嬉しそうな表情を浮かべている。
これが正常な男子高校生の反応である
対して隼人は、柔らかいものが鼻に密着した一瞬の間に表情が緩みかけた。
だが0.1秒後には、まるで浮気現場を見られたような青ざめた男の表情へと変わる。
そう、そのコンマ1秒の間に美月が鋭い眼光で隼人を見つめていたのだ!
”スプリンターにとってコンマ1秒は命取り”
それを肝に銘じた隼人であった。
————————
「木本?もしかして木本由佳の姉ちゃんかな?」
不思議そうな顔をしながら康太は結城に問いかけていた。
それに対し結城も淡々と答える。
「まあ、そうみたいだな」
もちろん結城は本当の姉妹である事を既に知っていたが、昨日+今日の疲れで話す事すら億劫になっていたのだ。
ましてや先程から階段の下で待っている自身の姉・咲の事となればなおさらである。
そんな2人をよそに、痺れを切らした様子の妹・由佳が、一通り話し終えた姉の知佳に話しかけた。
「お姉ちゃん、今日は大学の練習じゃないの?」
さすがに実の姉が先輩達とイチャコラしているのを由佳はジッと見ていられなかったのか、気づけば実に不快そうな表情を浮かべて姉に話しかけていたのだ。
すると知佳も、笑顔を浮かべたまま由佳の方へ向き直る。
「今日は練習早く終わった!てかほとんど無いに等しかったよ~!それより由佳も久しぶりね。200m見たよ!去年とほとんど変わってなかったじゃん。肩ブレるのどうにかした方が良いって言ってたよね?補強※サボってるんじゃないの?」
知佳は久しぶりの妹との再会を喜ぶどころか、マシンガンのように早速ダメ出しをしていた。
そう、知佳は昔から陸上の事になると由佳に厳しくなるのだ。
それも含めて、由佳は知佳の事が少し苦手である。
「今日は調子が悪かっただけだから…」
由佳は先程よりも小さな声になってしまった。
だが由佳は昨日の100mに引き続き、本日の200mでも県出場を決めている。
1年からこれだけの成績を残せているのは誇るべき事なのだが、姉の前ではそうもいかなかった。
「ふ~ん。ま、いいけど。それより~さっ!」
うつむき加減の由佳をよそに、切り替えのプロである知佳は直ぐに声のトーンを変え"美月の方“を見た。
「美月の200もギリギリ見れたよ!最初のカーブの姿勢なんだけどさ~……」
そう言いながら知佳は、離れた美月の元へゆっくりと近づいていく。
1年の頃から美月の走りを見ている知佳は、いつものように的確なアドバイスを送り始めていたのだ。
だが嵐に巻き込まれて疲労の表情を浮かべているのは由佳だった。
(もう、ホントしんどい…)
ここ数ヶ月の由佳は、寮に入った事により実家の姉との接触は極端に減っていた。
だからこそ久しぶりに浴びた姉のマシンガンの威力は、極端に高かったようなのだ。
「ハァ……」
由佳は深いため息をつき、気怠い表情で誰もいないトラックの方をチラッと見た。
すると誰もいないトラックではなく、その間にある階段に立っている女性がふと目に入る。
由佳にとってそれは『たまたま目に入った』のではなく『引き寄せられた』ような気がしていた。
「は、早馬咲さんっ!?」
すると先程までの知佳と同じ声量で、今度は由佳が叫んでいた!
それに最も反応したのは、もちろん咲と結城だ。
(え…!?今わたしの名前呼ばれた?)
(え…!?今姉貴の名前呼んだ?)
確かに今、木本由佳は"早馬咲"という名を口にしていた。
結城の脳内には『なぜ知っている?』という疑問が駆け巡ったが、程なくして答えは出た。
(あぁ、そういや歓迎会※の時に言ってたなぁ……)
そう、由佳は歓迎会の後に行われた1年だけの自己紹介の際、咲に憧れている事を公言していたのだ 。
由佳は先程までの憂鬱な表情がウソのように無くなり、気付けば階段を駆け下りる。
(んん!?何か来たぞ…!?)
それを見て驚いているのは咲の方だ。
近付いてくる女子高生の顔を凝視し、必死に誰なのかを考えている。
だが答えが出る前に、由佳は咲の所へと辿り着くのだった。
「はぁ…はぁ…はじめまして…。あの、、木本知佳の妹の木本由佳と申します!早馬咲さんの事は、中学の時に見てからずっと好きでした!あ、あく、握手してもらってもよろしいでしょうか…?」
そう言って由佳はサッと両手を差し出した。
顔は下を向いていたので、まるでプロポーズをしているようにも見える。
「えぇ!?ぜ、全然いいけど…?」
そう言って咲は由佳の両手を握っていた。
だがこんな状況が初めての咲は、眉をひそめながら困惑した表情を浮かべている。
一応事前に知佳から"妹は咲のファン"とは聞いていたのだが、ここまで熱を持っているのは予想外だったようだ。
「あぁ、ありがとうございますっ!あの、私中学の時に姉の県大会のレース見に来たんですけど、その時に100で優勝してたのが早馬さんだったんです!その走りを見て感動して、当時幅跳びもやってたんですけど、短距離に集中したい!って顧問に言ったんですよ~!だから私にとって早馬さんは…………」
(やっぱ知佳の妹だわ…。電車ではあんまり喋らないって言ってたのに、めっちゃ喋るじゃん!!)
由佳の話聞きながら、咲はゆっくりと頷いて話を聞いている。
ちなみにその間も手は握ったままである。
「あっ!ご、ごめんなさい!私だけずっと喋ってましたね……。私興奮しちゃうと止まらなくなるんです、すいません」
「あ、え!?全然大丈夫よ!こんな事言われるの初めてで、むしろ凄く嬉しかったし!ありがと~」
咲も最初こそ困惑していたが、状況を飲み込んでからは終始笑顔で由佳と話していた。
だがそれと同時に心中穏やかでは無い人物もいた。
紛れもない結城である。
すると事情を知らない康太が結城に問いかけた。
「なぁ、今木本が”早馬”って言ってたよな?え、もしかしてあれ結城の姉ちゃん?」
「さあ。初めて見るな」
「でもちょっと似てない?」
「いや、知らないな」
とにかく結城は質問に応じなかった。
結城にとって姉の話をする事は、”家族で買い物している所を同級生の女子に見られて恥ずかしい”と同じ感情なのだ。
(早く帰ってくれよ~……!)
結城は心の中で何度も呟いたが、由佳の手が離れる事は無かった。
————————
夢駆荘の食堂では、2日間の疲れからくる空腹に死にかけていた部員達がメシを胃に流し込んでいる。
今日のメニューはハンバーグと親子丼、そしてきんぴらごぼうと味噌汁だ。
ちなみに投擲の黒田兄弟は、試合帰りのコンビニで買った焼うどんと鳥のささみ(×2)と大盛りの白ご飯(×2)も食べるようだった。
だがそんな中、食事を終えた隼人は少し神妙な面持ちだった。
周りにいた数人の3年もそれには気付いている。
すると隼人は重そうな腰を上げ、そして座っている渚に呟いた。
「このあと3年全員、共有エリア来てもらうわ。確認しときたい事があるんだ」
それに対し渚は、うなずくでも返事する訳でも無く、少しだけ遠くを見つめた後に食事を再開していた。
言葉を交わさずとも、彼らの意志は繋がっている。
◇
夢駆荘のちょうど真ん中に位置する男女共有エリアには、横に大きく伸びるソファーと、それに対面する大型テレビが設置されている。
改修工事以降は生徒達も綺麗に使っているので、その一角だけはホテルのロビーのような雰囲気を漂わせていた。
そして現在はテレビ視聴制限の時間が過ぎた22時33分。
共有エリアにはキタ高陸上部の3年生が勢揃いしている。
スポーツジャージを着ている者、好きなアーティストのTシャツを着ている者、Tシャツにショートパンツを履いている者、様々だ。
「……で、要件は?」
すると半袖パーカーにショートパンツを履いた渚が、少しめんどくさそうに頭をかきながら口を開いた。
その質問の相手はもちろん隼人である。
「あぁ、そうだね……」
少しだけ目線を下げた隼人は、改めて表情を引き締める。
「結論から言うと、明日の放課後、1年に去年の事を話そうと思う」
「「………!」」
その場にいた数人が顔を見合わせた。
「みんな知っての通り、リューがもうすぐ帰ってくる。でも1年からすれば何で今の2年が少ないのか、そもそもリューは何で部活に来ていなかったのか、色々と疑問に思うのは当然だと思うんだ。だから気を遣わせたりする前に、話しておくのが最善だと思ったんだよ」
数秒の沈黙がロビーに広がる。
その間に美月は静かに目を閉じ、マネージャーの楓は全員の表情を確かめていた。
だが渚はある程度隼人の言う事が予想できていたのか、怯む事なく隼人に言い返した。
「話した所で他の2年は帰ってこねぇぞ?それは分かってるよな?」
渚も怒っている訳ではない。
ただ今がどれだけ順調に進もうが、変わらない事実もある事を隼人に再確認しておきたかったのだ。
「もちろん。これは1年の為だけに言う事だ。俺はこの2日間で、今の1年達にこれからのキタ高の未来を見たんだよ。だから"俺らが居なくなってから"じゃなくて"今からすぐに"キタ高の中心として頑張ってほしいと思った。だからこそ、絶対に避けては通れない事は早めに伝えるべきだと思うんだよ!」
気付けば隼人の言葉尻は強くなっていた。
「だけど俺一人で決める訳にもいかない。だからみんなに聞きたいんだ」
その問いかけに対し、隼人を囲む3年生達はそれぞれ考える表情に変わる。
しかし答えが出るまでに、そう時間はかからなかった。
「まぁいいんじゃない?」
「私も同じく」
「どうせ知られる事だろうし」
「佐々木が言ってくれるなら別にいいぞ」
「てか既に知ってる1年いそうだけどな」
曲がりなりにも同じ釜の飯を食べて2年以上過ごしてきた仲間だ、隼人の考えに反対する者はいなかった。
もちろん渚も同様である。
「別にお前が決めた事なら反対はしないよ。ただ、伝え方だけは気を付けないとな」
渚は腕を組みながら半笑いで答えた。
そしてみんなの反応に安堵の表情を浮かべた隼人の目は、安心感で満ちているのだった。
【次回、新章突入】
————————
※補強・・・主に自体重を使って行うトレーニングで、腹筋動作や背筋動作・腕立てや懸垂などが代表的である
※歓迎会の時・・・第13走参照
だが先ほどまで行われたマイルリレー(4×400mリレー)の余韻はまだスタンドに残っている。
そんな中、既に帰り支度を始めている高校は多数あったのだが、八種に出る選手がいないキタ高もその内の1校だった。
学年関係なくブルーシートや寝袋、マネージャー道具の片づけを行っており、途中でダウンを終えて帰ってきたマイルメンバーも、少し座って身体を休めた後に撤収作業に合流していた。
「マイルってカッコいいな!」
そんな中、興奮を隠せない様子なのは康太だ。
するとそれを聞いていた結城も答える。
「分かる、なんか走る時間も長いしハラハラするよな」
高校に入って初めて体験するマイルリレーの雰囲気は独特だ。
そもそもマイルリレーは高校から追加される種目なので、中学の試合では見る事すらできない。
なので初めて間近で見るマイルリレーの余韻は、1年生達の脳内に強く残っていたのだ。
するとその興奮を知ってかしらずか、80段はあろう階段を意気揚々と駆け上り、キタ高の陣地に1人の女性がやってきた。
そして開口一番に叫ぶ!
「元気かい、みんなぁ!!?」
近くの他校の生徒が振り向くほどの声量で叫んだその女は、両手を広げながらキタ高の部員達を見ていた。
そして彼女の姿を見て大きな反応見せたのは、現3年生たちだ。
「き、木本先輩っ!?」
3年の女子達は一斉に満面の笑みを浮かべていた。
そしてマネの楓と短距離の加奈は勢いよく彼女へ抱きつく!
そう、大きな声を発した主は木本由佳の姉、木本知佳だったのだ。
「知佳さんお久しぶりですっ!!!」
「おうおう、可愛い1年生だったのに、大きくなったねみんなぁ~!」
知佳は満面の笑みを浮かべながら、2人の頭を優しく撫でた。
少し離れた所で見ている美月も、珍しくウキウキしたような表情を浮かべている。
そう、現在の3年生が1年生だった頃の3年生が知佳だったのだ。
ちなみに知佳は、コンビニに行く結城と話し終えて由佳のレースを見た後、たまたま競技場で会った知り合いと話しながら試合を見ていた。
元々顔が広い知佳は、その後に何人とも話し続け、その結果最終種目の八種が始まったタイミングで母校であるキタ高の陣地へと”ようやく”やってきていたのだ。
「あれ、木本さんじゃないすか」
すると階段から上がってきた渚が、知佳の存在に気付いた。
渚の右後方には隼人も居る。
「おおっ!2人も大きくなっちゃって~!元気してたかい!!」
そう言うと知佳は、渚と隼人の方に軽やかに移動し、2人を胸元に抱き寄せた。
身長が高く肩幅も広い知佳にとって、男子2人を包み込む事は容易だったようだ。
「ちょ……!?やめて下さいよ!子供じゃないんすから」
「いやいや~、あたしにとっちゃ息子みたいなもんよ~」
渚は嫌がりながらも少し、いや、”かなり”嬉しそうな表情を浮かべている。
これが正常な男子高校生の反応である
対して隼人は、柔らかいものが鼻に密着した一瞬の間に表情が緩みかけた。
だが0.1秒後には、まるで浮気現場を見られたような青ざめた男の表情へと変わる。
そう、そのコンマ1秒の間に美月が鋭い眼光で隼人を見つめていたのだ!
”スプリンターにとってコンマ1秒は命取り”
それを肝に銘じた隼人であった。
————————
「木本?もしかして木本由佳の姉ちゃんかな?」
不思議そうな顔をしながら康太は結城に問いかけていた。
それに対し結城も淡々と答える。
「まあ、そうみたいだな」
もちろん結城は本当の姉妹である事を既に知っていたが、昨日+今日の疲れで話す事すら億劫になっていたのだ。
ましてや先程から階段の下で待っている自身の姉・咲の事となればなおさらである。
そんな2人をよそに、痺れを切らした様子の妹・由佳が、一通り話し終えた姉の知佳に話しかけた。
「お姉ちゃん、今日は大学の練習じゃないの?」
さすがに実の姉が先輩達とイチャコラしているのを由佳はジッと見ていられなかったのか、気づけば実に不快そうな表情を浮かべて姉に話しかけていたのだ。
すると知佳も、笑顔を浮かべたまま由佳の方へ向き直る。
「今日は練習早く終わった!てかほとんど無いに等しかったよ~!それより由佳も久しぶりね。200m見たよ!去年とほとんど変わってなかったじゃん。肩ブレるのどうにかした方が良いって言ってたよね?補強※サボってるんじゃないの?」
知佳は久しぶりの妹との再会を喜ぶどころか、マシンガンのように早速ダメ出しをしていた。
そう、知佳は昔から陸上の事になると由佳に厳しくなるのだ。
それも含めて、由佳は知佳の事が少し苦手である。
「今日は調子が悪かっただけだから…」
由佳は先程よりも小さな声になってしまった。
だが由佳は昨日の100mに引き続き、本日の200mでも県出場を決めている。
1年からこれだけの成績を残せているのは誇るべき事なのだが、姉の前ではそうもいかなかった。
「ふ~ん。ま、いいけど。それより~さっ!」
うつむき加減の由佳をよそに、切り替えのプロである知佳は直ぐに声のトーンを変え"美月の方“を見た。
「美月の200もギリギリ見れたよ!最初のカーブの姿勢なんだけどさ~……」
そう言いながら知佳は、離れた美月の元へゆっくりと近づいていく。
1年の頃から美月の走りを見ている知佳は、いつものように的確なアドバイスを送り始めていたのだ。
だが嵐に巻き込まれて疲労の表情を浮かべているのは由佳だった。
(もう、ホントしんどい…)
ここ数ヶ月の由佳は、寮に入った事により実家の姉との接触は極端に減っていた。
だからこそ久しぶりに浴びた姉のマシンガンの威力は、極端に高かったようなのだ。
「ハァ……」
由佳は深いため息をつき、気怠い表情で誰もいないトラックの方をチラッと見た。
すると誰もいないトラックではなく、その間にある階段に立っている女性がふと目に入る。
由佳にとってそれは『たまたま目に入った』のではなく『引き寄せられた』ような気がしていた。
「は、早馬咲さんっ!?」
すると先程までの知佳と同じ声量で、今度は由佳が叫んでいた!
それに最も反応したのは、もちろん咲と結城だ。
(え…!?今わたしの名前呼ばれた?)
(え…!?今姉貴の名前呼んだ?)
確かに今、木本由佳は"早馬咲"という名を口にしていた。
結城の脳内には『なぜ知っている?』という疑問が駆け巡ったが、程なくして答えは出た。
(あぁ、そういや歓迎会※の時に言ってたなぁ……)
そう、由佳は歓迎会の後に行われた1年だけの自己紹介の際、咲に憧れている事を公言していたのだ 。
由佳は先程までの憂鬱な表情がウソのように無くなり、気付けば階段を駆け下りる。
(んん!?何か来たぞ…!?)
それを見て驚いているのは咲の方だ。
近付いてくる女子高生の顔を凝視し、必死に誰なのかを考えている。
だが答えが出る前に、由佳は咲の所へと辿り着くのだった。
「はぁ…はぁ…はじめまして…。あの、、木本知佳の妹の木本由佳と申します!早馬咲さんの事は、中学の時に見てからずっと好きでした!あ、あく、握手してもらってもよろしいでしょうか…?」
そう言って由佳はサッと両手を差し出した。
顔は下を向いていたので、まるでプロポーズをしているようにも見える。
「えぇ!?ぜ、全然いいけど…?」
そう言って咲は由佳の両手を握っていた。
だがこんな状況が初めての咲は、眉をひそめながら困惑した表情を浮かべている。
一応事前に知佳から"妹は咲のファン"とは聞いていたのだが、ここまで熱を持っているのは予想外だったようだ。
「あぁ、ありがとうございますっ!あの、私中学の時に姉の県大会のレース見に来たんですけど、その時に100で優勝してたのが早馬さんだったんです!その走りを見て感動して、当時幅跳びもやってたんですけど、短距離に集中したい!って顧問に言ったんですよ~!だから私にとって早馬さんは…………」
(やっぱ知佳の妹だわ…。電車ではあんまり喋らないって言ってたのに、めっちゃ喋るじゃん!!)
由佳の話聞きながら、咲はゆっくりと頷いて話を聞いている。
ちなみにその間も手は握ったままである。
「あっ!ご、ごめんなさい!私だけずっと喋ってましたね……。私興奮しちゃうと止まらなくなるんです、すいません」
「あ、え!?全然大丈夫よ!こんな事言われるの初めてで、むしろ凄く嬉しかったし!ありがと~」
咲も最初こそ困惑していたが、状況を飲み込んでからは終始笑顔で由佳と話していた。
だがそれと同時に心中穏やかでは無い人物もいた。
紛れもない結城である。
すると事情を知らない康太が結城に問いかけた。
「なぁ、今木本が”早馬”って言ってたよな?え、もしかしてあれ結城の姉ちゃん?」
「さあ。初めて見るな」
「でもちょっと似てない?」
「いや、知らないな」
とにかく結城は質問に応じなかった。
結城にとって姉の話をする事は、”家族で買い物している所を同級生の女子に見られて恥ずかしい”と同じ感情なのだ。
(早く帰ってくれよ~……!)
結城は心の中で何度も呟いたが、由佳の手が離れる事は無かった。
————————
夢駆荘の食堂では、2日間の疲れからくる空腹に死にかけていた部員達がメシを胃に流し込んでいる。
今日のメニューはハンバーグと親子丼、そしてきんぴらごぼうと味噌汁だ。
ちなみに投擲の黒田兄弟は、試合帰りのコンビニで買った焼うどんと鳥のささみ(×2)と大盛りの白ご飯(×2)も食べるようだった。
だがそんな中、食事を終えた隼人は少し神妙な面持ちだった。
周りにいた数人の3年もそれには気付いている。
すると隼人は重そうな腰を上げ、そして座っている渚に呟いた。
「このあと3年全員、共有エリア来てもらうわ。確認しときたい事があるんだ」
それに対し渚は、うなずくでも返事する訳でも無く、少しだけ遠くを見つめた後に食事を再開していた。
言葉を交わさずとも、彼らの意志は繋がっている。
◇
夢駆荘のちょうど真ん中に位置する男女共有エリアには、横に大きく伸びるソファーと、それに対面する大型テレビが設置されている。
改修工事以降は生徒達も綺麗に使っているので、その一角だけはホテルのロビーのような雰囲気を漂わせていた。
そして現在はテレビ視聴制限の時間が過ぎた22時33分。
共有エリアにはキタ高陸上部の3年生が勢揃いしている。
スポーツジャージを着ている者、好きなアーティストのTシャツを着ている者、Tシャツにショートパンツを履いている者、様々だ。
「……で、要件は?」
すると半袖パーカーにショートパンツを履いた渚が、少しめんどくさそうに頭をかきながら口を開いた。
その質問の相手はもちろん隼人である。
「あぁ、そうだね……」
少しだけ目線を下げた隼人は、改めて表情を引き締める。
「結論から言うと、明日の放課後、1年に去年の事を話そうと思う」
「「………!」」
その場にいた数人が顔を見合わせた。
「みんな知っての通り、リューがもうすぐ帰ってくる。でも1年からすれば何で今の2年が少ないのか、そもそもリューは何で部活に来ていなかったのか、色々と疑問に思うのは当然だと思うんだ。だから気を遣わせたりする前に、話しておくのが最善だと思ったんだよ」
数秒の沈黙がロビーに広がる。
その間に美月は静かに目を閉じ、マネージャーの楓は全員の表情を確かめていた。
だが渚はある程度隼人の言う事が予想できていたのか、怯む事なく隼人に言い返した。
「話した所で他の2年は帰ってこねぇぞ?それは分かってるよな?」
渚も怒っている訳ではない。
ただ今がどれだけ順調に進もうが、変わらない事実もある事を隼人に再確認しておきたかったのだ。
「もちろん。これは1年の為だけに言う事だ。俺はこの2日間で、今の1年達にこれからのキタ高の未来を見たんだよ。だから"俺らが居なくなってから"じゃなくて"今からすぐに"キタ高の中心として頑張ってほしいと思った。だからこそ、絶対に避けては通れない事は早めに伝えるべきだと思うんだよ!」
気付けば隼人の言葉尻は強くなっていた。
「だけど俺一人で決める訳にもいかない。だからみんなに聞きたいんだ」
その問いかけに対し、隼人を囲む3年生達はそれぞれ考える表情に変わる。
しかし答えが出るまでに、そう時間はかからなかった。
「まぁいいんじゃない?」
「私も同じく」
「どうせ知られる事だろうし」
「佐々木が言ってくれるなら別にいいぞ」
「てか既に知ってる1年いそうだけどな」
曲がりなりにも同じ釜の飯を食べて2年以上過ごしてきた仲間だ、隼人の考えに反対する者はいなかった。
もちろん渚も同様である。
「別にお前が決めた事なら反対はしないよ。ただ、伝え方だけは気を付けないとな」
渚は腕を組みながら半笑いで答えた。
そしてみんなの反応に安堵の表情を浮かべた隼人の目は、安心感で満ちているのだった。
【次回、新章突入】
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※補強・・・主に自体重を使って行うトレーニングで、腹筋動作や背筋動作・腕立てや懸垂などが代表的である
※歓迎会の時・・・第13走参照
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