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北城市地区予選 1年生編

第56走 心のアドバイス

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 On Your Marks……Set————

 直後の号砲と共に、翔の走る第4組がスタートした!



 前回の北城記録会で不本意な結果に終わった翔は、今日までの残り1週間は主にスタートダッシュの改良に取り組んだ。
 というのも、前回は高校初試合という緊張もあったのか、スタートの反応が完全に遅れたのを翔は自覚していたのだ。
 100mにおいて、この”一瞬”は致命傷になる。

 だが今回はそんなミスはしない。
 そう、翔は完璧なスタートを切ったのだ!

 号砲に遅れる事なく飛び出せた翔は、スグに身体半分ほど抜け出していた。

「いいスタートだ!!」

「完璧っすね」

 後ろから翔を見ていた隼人と結城が賞賛を送る。
 ドンドンと小さくなっていく翔の背中を見つめながら、興奮気味にレースを見守るのだった。

「うぉぉお……らあああ!!」

 そして最後に翔がトルソー(胴体部分)を突き出しフィニッシュ!
 後ろから見ていても、翔は1着か2着である事は間違いなかった。

 おそらく10秒台の3年生と最後に競ったのだろうと、結城は遠くから推測していた。

 そしてフィニッシュから数秒経った後、フィニッシュ地点にある電光掲示板に1着の”タイム”と”レーン番号”が表示される。
 結城達からは遠いので見えにくかったが、翔のレーン”ではない”という事だけは確認できた。

「2着か……」

「そうですね。でも1着が10.95の好タイムなんで、ギリ10秒台には入ったかもしれないですよ」

「だとしたら、しっかりと1週間で調整できたって事だな。いきなり1年に良い走りされちゃあ、先輩も頑張らないと」

「同級生の俺も負けてられないっす!」

「その通りだね」

 翔はキタ高の特攻隊長として申し分ない走りを披露した。
 結果的に、2人には大きな自信と勇気を与えるのだった。

————————

「よしっ!」

 結城はジャージをサッと脱ぎ捨て、ユニフォーム姿へと変わる。
 次の第7組に出場する結城は、第6組から15mほど後方で出番を待っていた。

「ウゥッ……」

 赤く輝くメイントラックを見ると、再び緊張感が押し寄せる。
 だが”ここまで来たらやるしかない”と、自分を奮い立たせる事しか出来ない。
 むしろそれ以外をする必要がない。

 だがその瞬間に、結城はふと思い出した。
 それはサブトラックから雨天練習場に向かう際に言われた、一二三からの言葉だった。



「早馬君、ちょっと!」

 一二三は手招きで結城を呼び寄せた。

「なんすか。もうすぐ招集なんですけど」

「分かってるって!すぐ終わるからコレだけ聞いて」

「はぁ……」

「実はね、結城君の今の症状をスポーツ心理学に詳しい知り合いに聞いたのよ。どうすれば改善できますかって?というより、どうすれば恐怖心を感じなくなりますか?って。私がたまたま連絡先知ってたんだけど、その人はプロ選手のメンタルケアもしてる人だから」

「ほぉ?」

「それでね、競技は違えどやっぱり結城君と似た恐怖を感じる選手はいるんだって。大ケガの後に残るトラウマみたいなモノがある選手」

「やっぱり、そうなんですね」

 気付けば結城は、一二三の話を真剣に聞き始めていた。

「うん。でね、スグに効く特効薬はないか聞いたんだけど、さすがにそんな都合のいいモノは無いみたい、アハハハハ!」

「……でしょうね。ていうか笑い事じゃないから!?」

「ハハハ、ごめんごめん!でもね、簡単に出来る対処法はいくつか有るって、教えてくれたよ」

 そう言って一二三は、小さなカバンから小さなメモを取り出した。

「えっとねー……あった!まずは”笑顔を作る”だって。口角を無理やり上げる事で、脳に”今は楽しむ時間”て錯覚させるんだって。何か難しくて分かんなかったけど、脳から精神を安定させる物質も出るって言ってたような気がしなくもない」

「一番大事な所忘れてるじゃん!?」

「ハハハ!確かに!まあ、嘘でも笑えって事よ。それと暗示的な事も、人によっては効果あるってさ。自分の胸に手を当てて”俺は出来る!”って何度も唱えるんだって。声に出せば、さらに効果大らしいわよ。プラスさっきの笑顔と一緒にやればさらに良いって」

「周りから見たら変な人ですね」

「まあね!でも凄い人は大抵、変人に見られがちよ。嫉妬も含めてね。だから気にする事ないわ」

「そうかなぁ……?」

 結城は少し無理やり気味な一二三の言葉を、なんとか飲み込む。
 そして一二三は続けた。

「あともう1つだけ!1つだけ!」

「分かったから早くしてください」

「はいはい、えっとね……。あ、コレコレ!目を閉じて、自分が気持ちよく風を切りながら走っているのを想像する事だって。まずは頭の中のイメージだけでいいから、気持ちよく走れている自分を体験するのが大切なんだって!それを少しずつ現実で出来るようにしていく。これも効果的だってさ。この3つだけでも今日実践してみたら?」

「そうっすね。覚えてたらやってみます」

「うん、身体に負担がかかる事じゃないからスグ出来ると思うよ!」

 そう言って一二三はとびきりに優しい笑顔を見せた。

 結城にとって一二三は、よく笑う声の大きいダル絡みお姉さんの印象が強い。
 だが顔は元アスリートという事もあってかシュッとしており、黙っていれば相当な美人である。

 そしてその優しく笑った顔は、結城の心臓を少しだけ高鳴らせた。
 どうやら男子高校生には少し刺激が強かったようだ。

 だがそんな気持ちなど知らず、一二三は最後にこれだけを言い残した。

「プロじゃないし、ミスしたって誰も責めないよ。今やれるだけの事をやってきなさい!」

「……はい!」

 結城の心に少しだけ希望が戻った。


 
 そんなアドバイスを思い出した結城は、その場で早速言われた事を実践する。

 口角を上げ、胸に手を当てる。
 そして、隣の選手にギリギリ聞こえないような声で”俺は出来る、俺は出来る”と呟いた。

 そして目を閉じ、目の前にあるホームストレートを何事もなく、気持ちよく駆け抜ける自分を強くイメージする。
 緊張がイメージを邪魔しようとするが、結城は今やれる事にだけ集中していた。

 すると幸いにも、自然と気持ちは落ち着き始め、結城の中には根拠のない自信が少し湧き始めていた。
 呼吸も少しだけ整い始める。

 ちょうど第6組がスタートした直後の事だった。

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