お伽の夢想曲

月島鏡

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第四章 祈りを繋ぐ道

第六十八話 桜花に翡翠と望む明くる日

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「ーー散り果てろ」

 凍玻璃の薔薇が咲かせた白銀の月が放つ影氷る月明かりが、世界を包み込んだ。

「くそっっ・・・‼︎」

 決して逃れる事ができない滅びの光が迫ってくる中、氷の荊棘の拘束を解く事もできず、ステラは悔しさ、己自身の力不足への怒り、やるせなさ、大切な者達との約束を反故にしてしまう事への罪悪感を吐き出すように叫んだ。
 あと一歩の所で届かなかった事に、心の底から絶望し、ステラが拳を開こうとしたーーその時


 ーー巨大な何かが、ステラ達に覆い被さった。


「えっーー・・・」






 ごめんね。ニンフの事は、守れない。
 もう、魔力が残ってないの。
 だから、私の事はいいから、ニンフは、自分の事を守って。
 もっと、皆と一緒にいたかったなぁ。
 お願い、ステラちゃん、ヘルハウンドを、倒して。
 勝って、皆を助けてあげてね。お願

『死なせないよぉ』

 ーーーーえ? 何で、どうして? 

『あんたも、あんたの大切なもんも、あたしが守ってやるよぉ。だから、安心しなぁ』


 あんたは観察対象。ニンフは実験対象だぁ。
 こんな所で死なせはしないよぉ。






 あと一歩の所で、失敗した。
 これまでの全てが、無に帰してしまったと、ステラが絶望した、その時ーー巨大な何かがステラ達に覆い被さった。
 
「えっーー・・・」

 真っ先に疑ったのは、ヘルハウンドが追い打ちで氷塊の類を落としてきた可能性だったが、それは違った。ステラ達を覆ったのは、鈍い虹色の光を放つ、亀裂だらけの岩壁だった。
 
「これは・・・マリの‼」

 輝晶の城壁ミュール・ジェム
 ヘルハウンドの攻撃からニンフを守る為に、マリが五つの精霊の力を一つにして作り出した巨大な岩壁だ。
 マリはかろうじて形を保っていたそれを倒し、ステラ達がいる深さ十数メートルの窪みに蓋をする事で、凍てつく光を遮り、ぎりぎりでステラ達を守ってみせた。
 魔法によって生み出された光の中には、物質を透過するものもある。
 岩壁を倒す事で光を遮る事ができるのかは完全に賭けだったが、天はマリとステラ達に味方した。
 千載一遇にして、最後の好機。
 マリが繋いだ希望を決して無駄にはしない。何が何でも、絶対に

「ーー倒す」

 ステラ、アルジェント、レアル、三人の声が重なる。
 その瞬間、三者は身体から緋色の光、白銀の雷、青白い冷気を放った。





 時は僅かに遡り、翡翠の炎に包まれ、氷塊に塞がれた空にて。
 ローザは、死の淵に追い込まれていた。
 ガルディアンドラークを消滅させられ、頭にバイデントの氷刃を振り下ろされた。
 氷槍バイデントの凍結の力は、ユナの『残英の対舞曲ブルームンコントルダンス』の力をも上回る。その刃で頭から両断されれば、確実に死ぬ。
 だから、ローザは全神経を回避に集中させ、横に飛んで氷刃を避けようとしたが――


 ――完全に避けきる事はできず、左腕と左翅の一部を切断された。


「ぐっ‼ うぅ・・・っっ‼」

 切り離された左腕と左翅の一部は瞬く間に凍りついて砕け、左半身を氷で覆われる。
 勝った。そう確信しながらも、グラセオグルはユナごとローザを斬り裂くために、追撃に袈裟の斬撃を振るう。
 避けねば死。避けても死。
 ローザとユナ。二人の死を反撃の狼煙とするーーそう考えていたグラセオグルが、凍てつく刃を届かせる寸前だった。


 どこからともなく飛んできた翡翠の光線が、グラセオグルを飲み込み、跡形もなく消し飛ばした。


 ーーーーーーえ?


 数秒経った後、ようやく何が起きたのかを理解したユナは、思わず呆けた声を漏らし、その円な瞳を更に丸くする。
 それと同時にグラセオグルを消滅させた光線は氷塊に激突し、そのまま氷塊を溶かしながら突き進み、裏側まで突き抜けていった。
 生き残った喜びを上回る驚愕に、ユナが声を出す事もできないでいると

「間に合った・・・」

 安堵が滲む声でローザが呟いた。
 それを聞いてユナが我に帰った瞬間、横殴りの激しい風が吹き荒れた。
 
「うぁっーーーー‼︎」

 突風に吹き飛ばされぬよう、ユナはローザにしがみついて必死に耐える。
 一体何事かと、風が吹いてきた方向に顔を向けたユナの目に映ったのはーー・・・

「龍・・・?」

 一匹の翡翠の巨龍だった。
 七つの目、七つの角、七枚の翼を持ち、全身にガルディアンドラークの身体に咲いていたものと同じ花々を纏う巨龍。
 神々しく荘厳な姿の龍の姿に不思議と惹きつけられ、思わず見惚れたユナだったが

 ーーって、見惚れてる場合じゃない‼︎ ローザを、氷をどうにかしないと‼︎

 すぐに我に帰り、咄嗟にローザに振り向き、またしても驚愕に襲われる事となる。


 ローザの身体を覆う氷が、いつの間にか綺麗さっぱり消えていた。


「ローザ、氷は、どうやっ・・・あぁ、そっか、あなたの力、そうゆう事もできたんだったわね」

 ローザの力の詳細を思い出し、ユナはローザが何をしたのか、どうやってグラセオグルを退けたのかを理解する。
 
 『翡翠の共鳴エメラルドレゾナンス』の力は大きく三つ。
 植物を操る力。植物と感覚を共有する力。そして、植物と自身が受けたダメージ、魔法の効果を分け合い、その影響を軽減する力だ。

 バイデントの一閃で左腕と左翅の一部を切り落とされた直後、ローザは真下の大地の下に張り巡らされた木の根や、半径数百メートルに繁茂する全ての植物との感覚の共有率を限りなくゼロにした上で、それらに左腕と左翅の一部を切断された痛みと、バイデントの凍結の力の影響のほとんどを肩代わりさせた。
 それによりローザ自身は氷塵とならずに済んだが、ダメージを引き受けた木の根と植物は凍りつき、操る事ができなくなってしまった。

 ーー寒さに、いや、『白雪姫』の魔力に耐性があったお陰で壊死まではしてないのがせめてもの救いか。それと、切り札をほんの少し早く発動できた事も。
 


 翠輝の地母神龍キリム・ニフリート



 それは、複数本の木の根を基に、『サルジュの森』中の魔力を一つに集める事で生み出された、圧倒的な殲滅力と、如何なる攻撃を以てしても傷一つ付かない強靭さを兼ね備えた最強の翡翠の巨龍ーーローザの最後の切り札だ。
 ユナが隣に来て、『残英の対舞曲ブルームンコントルダンス』の力を己に行使し始めた時から、ローザは戦闘と並行して発動の準備を進めていた。

 ぎりぎりで間に合わせる事ができ、グラセオグルを倒す事ができた。
 一撃で勝負が着いてよかったと、ローザが深く息を吐き、氷塊に向けて攻撃をしようとした時


 黒銀色の閃光が、ローザとユナの顔を下から照らし出した。
   

「眩しっ・・・‼︎」

「ーーーーっ、キリム‼︎」

 閃光に照らし出された瞬間、ユナは顔を腕で覆い、ローザはキリムを呼び寄せた。
 直後、下方から閃光と同じ色の無数の氷柱が亜音速で飛んできて、それらがキリムの腹に直撃した。

「ぬぐっ・・・‼︎」

 キリムを通して伝わってきた衝撃に、ローザは思わず呻く。
 
 ーー突き刺さりは、してない。砕けたか・・・いや、そもそも誰が、何が・・・

「まさか・・・」

 ローザは己より遥かに優れた視力を持つキリムの頭を大地に向けさせる。
 キリムの視覚を通して見えたものは、一匹の怪物の姿だった。

 全身に黒銀色の光と鋭い鱗のような氷鎧を纏う、二本の角が生えた巨大な猟犬のような頭部と、長さ数十メートルはあろう逞しい右腕、四枚の蝙蝠のような翼が特徴的な、体長約二百メートルの人型の獣の怪物。

 左腕には発達した右腕の二倍の長さはあろう氷槍を、右腕には体長と同じ大きさの氷盾を握っている。
 所々特徴が違うが、外見にいくつかの類似点が見られる上に、魔力の質が完全に一致している。
 間違いない。突如生まれた怪物、その正体はグラセオグルだ。

 ーー消しきれていなかったのか? いや、そんな筈は・・・もう一体別の個体を生み出した? それも違う気がする。なら、一体・・・

「ーーーー槍」

「え?」

「あいつが持ってる槍、形が前の奴が持ってたのと同じ・・・四つの槍の中で、ガルディアンドラークを貫いたものだけ消せてなかった。多分だけど・・・」

「槍から再生したのか‼︎」

 ーー本体さえ消滅させられれば、それで終わりだと思っていたのに、装備から復活する事ができるなんて・・・本当に・・・

「嫌になる・・・」

「ペットは飼い主に似るとは言うけど、しぶとさまで似るなんてね・・・」

 頭を押さえるローザの横でユナは眉を顰める。
 グラセオグルは明らかな防御形態。破壊の難度は間違いなく先の比ではない。
 
 翠輝の地母神龍キリム・ニフリートは発動に掛かる時間が長く、その上消費魔力が激しく持続時間が短い。
 ユナの『残英の対舞曲ブルームンコントルダンス』による魔力増幅の力が行使されている状態でもたったの三十秒しか維持できない。
 
 
 翠輝の地母神龍キリム・ニフリートの残り持続時間は十一秒。


 それが過ぎれば、ローザとユナの死が確定する。
 ローザとユナを殺したら、グラセオグルは間違いなく残るヘルハウンドの敵を殺しに向かうだろう。
 もう後がない。ローザの負けは、一人の敗北では済まなくなった。
 なら、どうする? そんなもの決まっている。

 ーー先に進む。勝って、皆と、今度こそ、本当の意味で

「一緒に、未来を生きる」

 ローザが決意を口にしながら構えた次の瞬間、キリムは口から翡翠の光線を吐き出し、グラセオグルはバイデントの切っ先から黒銀の冷気の波動を放った。
 大気を歪ませる程の熱を持つ光線と、膨大な魔力を宿す波動は即座に激突し、閃光を走らせる。
 せめぎ合っているように見えた二つの力だったが、それも一刹那の間だけ。直後、勝ったのは

「負けられ、ないんだよっっ・・・‼︎」

 光線の、ローザの方だった。
 波動を押し退け、霧散させた光線は、一直線にグラセオグルへと突き進む。
 文字通り光の速さで己に向かってくる強烈な一撃。それに対して、グラセオグルは迷わず右手に持つ氷盾ーースヴェルを突き出す。
 スヴェルに激突した光線は弾かれてあらぬ方向へと飛んでいった。

 ーー弾いた⁉︎ なら・・・‼︎

 ローザはキリムの口の前に翡翠の魔法陣を作り出し、そこから光線を連続で発射する。
 暴風雨のような勢いで降り注ぐ光線。
 それらは全弾スヴェルに直撃したが、そのどれもが最初の一発と同じように弾かれ、明後日の方へ飛んでいった。
 

 翠輝の地母神龍キリム・ニフリートの持続時間が短い事はグラセオグルも分かっている。
 その間、襲い来るこれまでとは桁違いの威力の攻撃に耐え抜く為に、速度を犠牲に防御力を極限まで高めた。
 凌ぎ切って無防備になった所を殺すとグラセオグルが考えた時、幾千の翡翠の光球がグラセオグルを取り囲んだ。


 ガルディアンドラークが行使したものと同じ種類の魔法。
 発動されれば視界を塞がれる。この局面で相手の姿が捉えられなくなるような事は避けたい。
 爆裂する前に光球を掻き消す。その為に全方位に光炎をも凍えさせる冷気の波動を放とうとしたグラセオグルだったが、その直前に、光球は一つ残らず煙のように消えてなくなった。

「ーーーーッ?」


 ーー不発?


 ローザ程の強敵が土壇場で初歩的な失敗を犯した事をグラセオグルが怪訝に思った時、ローザはキリムを動かし、真正面からグラセオグルに向かっていった。


 翠輝の地母神龍キリム・ニフリートの持続時間、残り五秒。
 

 残された時間を無駄にせず、グラセオグルを確実に消滅させる為に、ローザは攻勢に転じた。
 駆け降りてくる巨龍の勢いと、揺るぎない覚悟と僅かな焦りをその顔に浮かべるローザとユナを見て、次が最後の攻防となる事を悟ったグラセオグルは、スヴェルとバイデントに魔力を集中させる。


 そして、次の瞬間、一瞬の内に数十回バイデントを振るい、その倍以上の数の斬撃をローザ達に飛ばした。
 一切の隙間がない高密度の斬撃の嵐。
 突入すれば自分達もキリムも傷を負う事は避けられないと踏んだローザは、軌道を大きく変え、グラセオグルと距離を取り、キリムに極大の光線を吐き出させるが、苦し紛れに放たれた光線は、これまでと同じようにスヴェルに弾かれてしまう。
 スヴェルには僅かに傷が付いたが、破壊には至らなかった。


 翠輝の地母神龍キリム・ニフリートが解けるまで、何が何でもローザ達を近付かせない。
 グラセオグルに消滅への恐怖はない。あるのは主の敵を殲滅しなければならないという使命感のみ。
 その使命を果たすまでは、消えられない。消させない。
 主の敵となるなら、己が使命の障害となるなら、たとえ何者であろうと
 

 ーー葬り去る。


 グラセオグルは凶光を宿すバイデントの切っ先をローザ達に向けると、その穂先に巨大な黒銀色の魔法陣を展開し、更にそれを取り囲むように、同じ色の一回り小さな十二の魔法陣を作り出した。
 その瞬間、ローザはキリムの背から飛び退き、キリムをグラセオグルへと突撃させた。
 
 
 七対の翼を全力で動かし、翡翠の光を纏って加速するキリムは、瞬く間にグラセオグルへの距離を詰めていく。
 遠距離からの攻撃はスヴェルに弾かれる。最後に確実に攻撃を当てるために懐に入り込むつもりだろうが、そうはさせない。
 キリムが動き出したのとほぼ同時に、グラセオグルは全ての魔法陣から光線を放った。
 複数の魔法陣から撃ち出された光線は一つに収束し、より巨大な、空を埋め尽くす程の殲滅の激光となってキリムに襲いかかる。
 次の刹那、翡翠の光矢と化した巨龍と 光撃が激突するーーかに思われたが、そうはならなかった。
 あと少しでキリムの鼻先に光撃が当たるという所だった。



 バイデントの柄に翡翠の光線が直撃し、光撃の軌道が大きく逸れた。



「ーーーーッッッッ⁉︎」

 予想外の出来事に動揺したグラセオグルは、思わず身体を硬直させる。
 それが命取りとなった。
 刹那の隙を突いてグラセオグルとの距離を無にしたキリムはグラセオグルに全力で噛みついた。
 牙は鎧の下の氷の肉体にまで届き、亀裂を走らせる。
 キリムを引き離すためにバイデントを振るうグラセオグルだが、もう遅い。


 翠輝の地母神龍キリム・ニフリートの持続時間が、残り一秒になった時


「吹き飛べ」

 キリムが全身から放った翡翠の輝きが世界を包み込み、直後、爆音と共に吹き荒れた狂炎と衝撃波が、何もかもを無差別に飲み込んだ。






 破壊の奔流は、何もかもを見境なく飲み込み、吹き飛ばした。
 結果、氷塊の二割が溶け、大地には半径数キロ、深さはその十数倍はあろう燃える大穴が生じた。
 あらゆるものが壊され、焼き尽くされた。
 無事なものなど一つもないと、生き残っている者など一人もいないと思われた。だが

「・・・三途の川が見えた、ていうか、膝まで浸かってたよ」

「奇遇ね。私も見えたわ、三途の川。肩まで浸かってた」


 片翼を必死に動かして浮かびながら、冗談めかして死の危険を感じたと口にするローザの肩の上で、ユナもローザと同じように茶化しながらも顔を青くして、死ぬかもしれないと思ったと口にする。

 ローザとユナは生きていた。
 キリムが自爆した瞬間、ユナは『残英の対舞曲ブルームンコントルダンス』の力を最大限に発揮してローザの魔力を限界まで高め、ローザは魔力のほとんどを消費して自身とユナが纏う光子の鎧の防御力を極限まで向上させた。
 それによりかろうじて生き残る事ができた二人だったが、まだ終わりではない。
 
「ーーーーッッ‼︎」

 グラセオグルは消滅してはいなかった。
 流石に無傷という訳にはいかず、鎧は溶け切り、中の氷の肉体と、両手に持つバイデントとスヴェルには深い亀裂が走っているが、かろうじて原型を留めている。 


 二人の姿を目にした途端に、グラセオグルは動き出した。
 割れそうな翼を動かし、全速力で二人へと突進していく。
 ローザ達は切り札を失った。
 もう翠輝の地母神龍キリム・ニフリートを発動できるだけの時間も魔力も残っていない。だが、攻撃手段ならまだ残っている。  

「撃ち抜け」

 己に向かってくるグラセオグルにローザは掌を向ける。
 すると、グラセオグルとローザの周囲で無数の翡翠の光が瞬き、次の瞬間、音速で飛行する怪物を、光線の嵐が襲った。

 キリムが放った光線の軌道は、自在に操る事ができる。
 キリムが自爆する直前にバイデントの柄に激突し、最大威力の冷気の波動の軌道を逸らした光線。あれはキリムが最初に放った、防御形態になる前のグラセオグルを一撃で消し飛ばしたものだ。


 氷塊の裏側まで突き抜け、そのまま直進して消えたかに思われた光線だったが、突き抜けた数秒後には折り返し始めており、戻ってきたと同時にグラセオグルの虚を突き、波動の軌道を大きく曲げてみせた。
 これまでキリムが放った光線はあくまで弾かれただけで、掻き消されてはいない。全ての光線が戻ってきて、再び強襲してくる事は、グラセオグルにとっては、完全にーー

「ーーーーッッ‼︎」

 ーー想定内だ。
 グラセオグルは一度止まり、右手に持つスヴェルを、同等の質量のバイデントに変化させ、それを振り回して四方八方から飛んでくる光線を次々と切り裂き、氷塵に変えていく。
 
 
 バイデントの柄に光線が激突した時から、光線の軌道を変えられる可能性には気付いていた。
 最初こそ驚愕したが、分かってしまえばどうという事はない。
 今度は弾かずに氷塵に変え、完全に消滅させる。
 全ての光線を捌いた時が、ローザとユナの最期のーー・・・

「あと、七秒・・・」

「ーーーー?」

「かっこつけた手前もあったから、間に合ってよかった」

 一体、何を言っているのか。
 ローザの発言の意図が分からず、困惑を覚えたグラセオグルを、次の刹那、本間の翡翠よりも鮮やかで、燃え盛る太陽のように激しい煌光が照らし出した。


 グラセオグルが咄嗟に光が差してきた方向、背後を振り返った時、すぐそこに翡翠の太陽と形容すべき、揺らめく炎を纏う巨大な光球が迫ってきていた。


 その瞬間、グラセオグルの脳裏に浮かんだのは、十数秒前の記憶。
 ローザがキリムの身体に咲く花々からばら撒いた幾千が即座に消失した場面だった。
 グラセオグルはようやく気付く。
 あれは不発ではない。あの時、ローザは、光球を微粒子程度の大きさに分散し、一瞬でグラセオグルが目視できず、魔力の感知もできない程に遠く離れた地に移動させ、一つに集結させたのだ。


 今思えば、ガルディアンドラークがばら撒いた光子も、最初は微粒子程度の大きさで、目視も感知も不可能だった。
 光子が消えたからといって、不発したと思い込むべきではなかった。
 本体に警戒を向けていた事が完全に仇にーーいや、まだだ。


 バイデントで斬り裂けば、どんなものでも凍らせられる。
 光球が激突する前に、グラセオグルは左手に持つバイデントを横に薙いだ。
 全身全霊、消滅するか否かを賭けた、闇と氷の力を乗せた研ぎ澄まされた一閃が炸裂する。しかしーー・・・

「ーーーー・・・ッッ‼︎」

「終わりだ」

 ーー光すらも斬り裂く刃は、光球に触れた瞬間、音もなく砕け散り、溶けて消えた。
 キリムの爆発を受けた時点で、バイデントは壊れかけていた。高密度、高質量の光球を斬り裂ける力など残っていなかった。
 早急にもう一本のバイデントを振るおうとするグラセオグルだが、間に合わない。


 一秒後、光球はグラセオグルを飲み込み、その傷だらけの身体を容赦なく焼き焦がした。


「ーーーーッ、ーーーーッッ‼︎」

 光球の中は本物の地獄だった。
 氷雪系魔法の中でも最上位に位置する『雪月の輪舞曲ニクス・ルナ・ワルツ』の力で形作られているグラセオグルの身体が溶け始める。
 グラセオグルは何とか脱出を試みるが、身動き一つ取る事ができない上に、溶けないようにするのが精一杯で、身体から冷気の波動を放つ事もできない。

「堕ちろ」

 グラセオグルが足掻く事すらできないでいる中、ローザが人差し指を上から下に向けると、光球は勢いよく下降し、瞬く間に大地に空いた大穴の深部へと落ちていった。
 その次の瞬間、戦い始めてから丁度一分が経った時だった。光球はこれまでで一番眩く、熱く、無い筈のグラセオグルの魂を突き刺すような、鋭い翡翠の輝きを放ちーー

「散れーー翠輪の花雪ソル・フロルネージュ

 直後、地軸を震わせる程の爆発音と共に炸裂した。
 それと同時に、荒れ狂う翡翠の煌炎がグラセオグルを飲み込み、大穴から勢いよく噴き出す。
 煌炎は巨大な火柱となって氷塊を貫くと、そのまま天まで駆け登り、その姿を特異なものに変化させた。
 姿を変えた火柱の形状。それを一言で表すならば

「桜ーー・・・」

 春の訪れを告げる優美な麗花。
 翡翠一色の、花弁も、枝も、幹も、何もかもが炎で形作られた満開の桜だ。
 幾万の桜の花弁の形をした火の粉を散らしながら、ゆらゆらと揺らめくその桜は、真夜中のような暗さに包まれていた世界を、暖かく、力強い光で照らし出す。

 夢物語か神話の一幕のような光景に、思わず目を、心を奪われるユナだったが、太陽に代わり世界に光を灯していた火桜は、須臾しゅゆに消えてしまった。
 その途端に、世界は再び闇に閉ざされ

「ーーーー」

 ローザとユナの前に、グラセオグルが現れた。
 吹き荒れる煌炎に呑まれたグラセオグルの姿は、大きく変化していた。右半身と左膝の先が溶けて消失していて、残った部位とバイデントには大量の水滴が滴っている。
 ローザの全てを乗せた一撃は、グラセオグルに大打撃を与える事ができたーーだが

 ーー届かなかったか・・・‼︎

 グラセオグルを完全に消滅させる事はできなかった。
 二人と目が合った瞬間、グラセオグルはバイデントを勢いよく振り上げた。
 それを見たローザは左右非対称の翅に力を込め、全速力で後退しようとするが、それより早く

「ーーーーッッ‼︎」

 グラセオグルの方に限界が訪れた。
 バイデントを振り上げたのとほぼ同時だった。
 グラセオグルの左肩が肉が焼ける時のような音を立てて蒸発し、バイデントを握る左腕が、大穴へと真っ逆さまに落ちていった。
 その後、バイデントも左腕も、穴に入って間も無くして蒸発して消え、残った胴体からは急速に黒い蒸気が昇り始める。
 
 光球が炸裂した時点で、グラセオグルの運命は決まっていた。
 グラセオグルの身体は急速に溶けていき、体積が見る見る減少していく。



 大切なものを守ろうとする者達の想いが、抗いが、グラセオグルを上回った。






 虐殺と蹂躙のみが存在理由だった氷の怪物は、今度こそ、その残滓を一欠片も残す事なく、文字通り跡形もなく、この世から消滅した。
 繰り返される悪夢のような怪物に、ようやく終止符が打たれた。
 守護者と破壊者の最終決戦。勝者はーー・・・

「ユナ・・・」

「何?」

「ありがとう。ユナがいなかったら、僕は・・・」

「私もよ」

「え?」

「私も、あなたがいなかったら死んでた。あなたがいなかったら、どうにもならなかった。だから、こちらこそありがとう。あなたがいたから勝てた。あなたがいてくれたから、私も、未来を生きれる。本当に、ありがとう」

「・・・うん、どういたしまして」

 勝者は、『翡翠の守り人』ローザ=アプリコットと『親指姫』ユナ=マリスタ。
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